労組バグダッド派遣団報告
連帯をもって、イラク新労組との連携を
―10月、イギリスの労組代表五名は、「戦争をやめろ連合」の助けの下にバグダッドを訪れた。以下は、この訪問と、イギリス労組員のなすべき対応についての社会主義連合のフォーラムで行われた、RMT(鉄道・海事・運輸労組)の全国執行委員、アレックス・ゴードンの報告―
英労組運動の草分け的挑戦
いくつもの全国労組が最初の草分けとなる代表団を素早く調整できたが、これは、これから説明する限界があるとしても、意義深いことだ。戦争終了後六ヶ月で、そして、明確な反戦の立場を支持する組合内部でのキャンペーンの成功の故に、われわれは横断的な公式代表団を勝ち得た。実際、フォークランド戦争後の情勢においては、アルゼンチンに公式の労組代表団を送るなどということは、かなり考えにくいことだったと言ってよい。
代表団の構成は、私、RMT執行委員、消防士組合執行委員一名、運輸職員協会(もう一つの鉄道組合)員一名、そしてその諸支部が費用負担したNUJ(ジャーナリスト全国労組)の二名だ。われわれはバグダッドに三日間滞在した。この訪問は亡命者に基礎を置いた労組運動であり、イラク共産党(これはイラクにおけるアメリカの傀儡政権に参加したが、それはいずれ人の知るところとなる)につながっている「労働者民主労組」を介して準備された。私がこの事実について触れるのは、健全な警戒を理解して欲しいと思うからだ。私は、私が見たこと、すなわち、われわれが見ることを許されたことについて客観的であろうとしている。
この、極めて限定された時間内でわれわれは、十二の職場、労働組合の会合、大学における学生および学者との会合に出かけた。そこでは、いくつかの政治的会合があった。それは非常に忙しい日程だった。登場しつつあるイラクの労働組合運動である「イラク労働組合連合」の、われわれが出会っていた同志たちは、どのような形でもわれわれを制限しなかった。私はそのような印象を持っている。われわれがとりかかった職場訪問に制限はなかった。われわれは特に精油所を要求したが、そこにつれて行かれた。さらに誰と話すのかについても制限はなかった。われわれは出現途上の新しい労組委員たちと、さらに委員会には属していない普通の労働者たちと話すことができた。
われわれが得た通訳のやり方は、かなり直接的なものだった。それは、「彼が今語ったことをうまく要約すれば」、といった後で五分も語るような、そのようなものではなかった。つまり通訳は、読点ごとに行われた。イラク労働者階級の運動の中で、われわれが手にしていた時間内に合うことのできた人々は少数だった。しかし少なくとも、この人々に関する限り、われわれはかなり正確な姿をとらえていたと私は感じた。
彼らは、戦争の余波の中で、非常に困難な条件の下で作業している。西側のテレビが行った「洗練された爆撃」に関する大々的な宣伝とは異なって、そこでは国の基盤施設はあらかた破壊されたのだ。
占領軍との対立を内包した自己組織化の胎動
「イラク労働組合連合」は、五月に存在を開始した。体制は四月九日に崩壊し、五月十七日バグダッドでの協議会が呼びかけられ、ここに三百八十名の労組活動家が参加した。彼らのある者たちは四月九日後、亡命地から戻った。またある者たちはバース党体制下の非公然条件の下で地下活動を遂行してきていた。
彼らは自分たちを、一直線に労組連合とは呼ばなかった。彼らは準備委員会を形成し、労働組合運動創立声明を発行し、職場に出かけ、労組委員会を組織するよう、労組員に呼びかけた。それらの委員会が形作られるべき明確な基準を彼らは設けた。イラクの職場において、過去三十五年を通してはじめての選挙を登場させるつもりだ、と彼らは説明した。すべての役職が選出される大衆集会を彼らは開催した。
「連合」それ自身は、すべての政党から独立している。しかしながら、その内部には、イラク共産党とアラブ社会主義運動のメンバーがいる。その上に、そこにはまた、十分に興味深いことに一人の当局者がいる。私はその人物は「イラク国民合意」(傀儡政権首脳、アラウィの政党であり、CIAに後押しを受けている)のメンバーである、と信じている。
その上で私が行った職場についてのいくつかの簡潔な印象を伝えたい。バグダッドの自転車工場は、九月二十七日賃金に関する二十四時間ストライキを決行した。そして彼らは、賃金を月に一万七千イラクディナールから、六万イラクディナールに増額することに成功した。それは一月約三十ポンドだ。確かにちっぽけな額ではあるが、それは実のある賃上げだった。ストライキの間には、「イラク労組連合」が組織したバグダッドの中の七つの工場の連帯代表団が作られた。彼らはストライキ支援のため工場まで行進した。
彼らの労働条件にはかなりの違いがある。機械はかなり古く、時代遅れだ。工場における労働者の女性比率は高い。そこにはまた障害を負った労働者もいる。彼らは、イラクにおけるまともな社会保障システムの不在を埋め合わせるために、生産過程にとどめられている。
私は特に、われわれが訪れた鉄道職場が興味深かった。そこでは、アメリカ連合軍当局代表者が前バース党の企業組合代表と会うために現れた時、すでに二、三週間前に大衆集会が行われていた。列車運転士、調整係、整備士からなる六百人の労働者は大衆集会を開催し、三人の代表を選出した。その代表の役割は、アメリカ人と会い、彼らが前のバース党員によって代表されるつもりはないと告げることだった。従って、そこでは衝突があった。そしてアメリカ軍部隊は彼らに銃を突きつけた。しかし彼らは彼らの部署に留まった。そして最終的結果は以下のことだった。すなわち、彼らが事実上の労働組合代表であり、前「労働組合総連合」は否認された、ということだ。
そこには高水準の戦闘性がある。いくつものストライキがそれを証明してきた。そこでは、私が話さなかった別の数々のストライキとデモが起きていた。仕事場においては、労働組合について事実上の承認がある。仕事場は、財源をどう使うかについての決定を行う何らかの実質権力を欠いた、むしろ弱い経営秩序の下にある。すべての物事は、占領軍当局によって差し止められているのだ。
新たなイラク労組運動との直接的連携を!
労働組合の公式的活動承認はまったくない。バース党が導入した一九八七年の労働法は、私的部門における労働組合を完全に禁じた。その上で彼らは、国有部門の大職場向けに、強制加入の単一組合、「労働組合総連合」を作り上げた。
その組合は、労働者から金を吸い出すために使われた。それはまた、労働者の集団的抵抗組織化を試みる者に対する暴力の道具でもあった。
アメリカ人は労働組合を友好的に助けつつあるとの諸説が今もある。私の見るところ、それは違う。「労働組合総連合」の名前の下で、凍結された銀行口座の中に二〇億ドルの資産が収まっている。自由に民主的に選出された労働組合委員会を作り上げつつある活動家たちは、これに彼らが手をつける許可を求めている。それは労組組織の発展を可能とするためだ。しかしアメリカの占領者は、いかなる形でも彼らをまったく助けていない。
私の観点では、真の民主的な独立的労働組合委員会と反戦の立場に立つイギリスの諸労働組合の間に、直接的結びつきを作り上げる挑戦を行うことが重要である。それをわれわれは来る十二ヶ月間に発展させるよう追求すべきだ。
来年のメーデーは、一九七〇年代初頭以来はじめてのイラクにおけるメーデーデモになるはずだ。イラクの労働組合運動はかつて、一九五九年のメーデーで、バグダッドの街頭に百万の民衆を登場させた。二〇〇四年のメーデーに登場しようとしつつあるイラクの独立した民主的労働組合を今支援すること、そして当時は隔たっていた連帯をわれわれが届けることができるかどうかを知ることが重要となる。(ソーシャリスト・レジスタンス紙十一月号)
![]()