| 人事・給与制度の見直し問題について 電通労組 高橋喜一 |
4月1日の人事・給与制度の見直しにむけてNTTグループ各社から昨年末に相次いで提案があった。今回の見直し問題を考える上で参考になればと言うことで、問題意識をまとめてみた。討論の参考にでもなればと思う。 「総額人件費の削減と国際会計基準」 NTTが進めている「中期経営改善施策」は、2万人の人員削減、基本給、一時金、諸手当、福利厚生、退職金・企業年金等の総人件費の削減を狙いとしている。提案された人事・給与制度の見直し問題では(1)年齢賃金(年功部分)率の縮小(2)定期昇給額の縮減と現行55歳定昇ストップを50歳に前倒し(3)個人成果業績による査定導入(評価によってダウンもある)など、その狙いは中高年の賃金上昇の抑制となっている。 また、一時金についても「企業業績連動型」の導入と個人評価によってグループ各社で支給額の格差と企業内個人評価(査定)によって大幅な支給格差が生み出される。また、寒地手当て、離島手当て、出向一時金の廃止、社宅施設の集約・廃止、社宅使用料の見直し、保養所の整理、NTT病院の医療費免除措置の廃止などありとあらゆるものを削ろうとしている。そして、これら総額人件費削減の最大のものは「雇用替え」と早期退職の攻撃である。既に開始されている合理化攻撃は、全国1200箇所(東西の合計)の営業拠点を各100拠点まで削減し働く場を奪うことによって子会社への出向、大都市圏への流動を強行してきた。流動困難者には「雇用替え」が行われ(NTT労組資料では全国で2万人以上)、また「希望退職制度」の導入により「望まない退職」を強制された。こうした、一連のNTTの動向はどうした背景に基づくものなのだろうか。(総額人件費の削減のアウトラインは全国協チラシNO,1参照) 「国際競争時代―規制緩和・勝者と敗者」 「規制緩和によって、企業は新しいビジネスチャンスが与えられ、雇用も拡大し、消費者には多様な商品・サービスの選択の幅を広げる。内外価格差の縮小にも役立つ。(中略)抜本的な見直しは、短期的には経済社会の一部に苦痛を与えるが、中長期的には自己責任原則と市場原理にたつ自由な経済社会の建設のために不可避のものである。強力に実行すべきである。」(経済改革研究会が出した平岩レポート)。93年の研究会報告は、あたかも規制緩和によってバラ色の未来が出現するかのような報告であった。世界的規模の資本の大競争時代と規制緩和の動きは世界単一市場における競争を意味している。簡単に言えば、世界の企業が一つの土俵の中で争い「勝者のみ」が生き残るというサバイバル戦争だ。この単一市場形成のために障害になるもの「規制」と言うものを解かせるためにアメリカは日本に様々な圧力をかけてきた。貿易不均衡問題、資材調達問題、日本製品のダンピング問題など、そして大きなものは「日本市場の開放」問題だ。農産物自由化問題を見ればその後の日本農業がどうなっていったかを知ることによってアメリカの狙いははっきりする。グローバル経済の進行の中で国際超巨大企業が世界の富を一手に握り始めていることは多くのデーターが示している。「資本主義が私達の生活の便宜に貢献していることは疑問の余地は無い。しかし、貧富の差を拡大させ、働く人々の活力の多くを浪費し、しかも満足している社会をもたらすとは限らないように思われるからだ。」「使いみちも無い富が蓄積される一方で、ILOの計算によれば世界中の労働人口の3分の一が失業、あるいは不完全就業の状態にある」「こうした富を創り出すための効率性にどんな意義があるのだろうか。そして、成長へのこの狂奔は何処で終わるのか」「今の経済成長率が続くとしたら百年分の物資の16倍もの買い物をすることになる。たとえ、地球環境がそうした負担に耐えられるとしてもそれだけのものをどうするきなのか。70社ほどの大企業が多くの国家よりも大規模な経済単位として社会に君臨している。こうした企業はさらにその経済規模を拡大するのか。それは大切なことなのだろうか」。少し長い引用になったがチャルズ・ハンデイが書いた「もっといい会社、もっといい人生(新しい資本主義のかたち)」の一文である。アメリカンスタンダードの強制に対抗してEU諸国の抵抗をはじめASEANにおいてもアメリカ経済至上主義に対する経済圏構想など抵抗が起きている。新たな国際秩序(資本主義的ではあれ)に向けた動きと言える。 日本においては、アメリカの経済政策を無秩序に「良いもの」として持ち込もうとするところに悲劇がある。規制緩和がもたらしたものは何か!「規制緩和という悪夢」(内橋克人とグループ2001)での日米両国の調査報告に詳しい。 「国際会計基準とは」 前の項で書く予定だったが脇道へそれてしまった。なぜ中期事業計画と国際会計基準なのかの関連性について書いてみる。 国際会計基準とは、企業会計のルールを株主・投資家重視の英米型の会計基準に統一化することである。日本企業の資金調達は「銀行借り入れ中心型」であり企業の財務情況よりも土地登記簿書類などの「企業資産」に融資の基礎をおいていた。バブル崩壊の中で明らかになった銀行の不良債権問題と銀行・証券・保険業界の相次ぐ倒産。問題となったのはバブル期における融資の焦げ付きが一資本ではどうにもならなくなったことにある。そこで開始されたのは公的資金導入による銀行などの救済措置と統合(金融ビックバン)であった。例に取れば興銀・一勧・富士の三行統合、さくら・住友の合併からはじまる金融再編は世界最大の銀行の出現(三行)であり総資産141兆円。しかし、業務純益は5800億円。すなわち世界最大の銀行が世界で最も儲かっていない銀行である。名実共に世界一になるためには業務純益(本来の銀行業務での利益)の拡大を図らなければならないのである。つまり、資産の内にひそむ融資先を選別し淘汰しなければならないということである。2002年度にかけて時価会計が本格導入され企業の経営実態を市場にさらけ出し企業に「値付け」を可能とする仕組みが始まる。銀行淘汰、企業淘汰、へと連鎖する中でそれは人材淘汰へと連鎖していく構図になる。大企業(川上)から中小企業(川下)への拡大は当然にも企業内での「勝ち組みと負け組み」の容赦ない選別が広範に始まることを意味している。 こうしたことを念頭においてNTTの中期経営改善施策を眺めてみると、「退職金制度の見直し」(今後検討提案するとなっている)問題である。2000年3月期にはNTTが7680億円の損失を計上し、年金財政の健全化を進めると言われている(マスコミ報道)。NTTの経常利益の約3年分に相当する巨大な額だ。JR東日本も5170億、トヨタは6000億。 日本型会計ルールでは決算書の開示が不十分であり会計操作さえ可能なものであった。(山一證券、日債銀、長銀などの破綻を見れば明らか)これまで公開してきた日本型決算が国際信用を失い日本株の総崩れ的情況の中で日本企業が金融証券市場から締め出されると言う危機感が生み出されたのである。 新会計基準の中で大きな問題は退職給付金会計である。新ルールでは退職金や企業年金(退職金の繰り延べ払い分)は企業が従業員に支払いを約束した債務とみなし、今後の合理的な給与改善をも加味して計算するものとしている。 (1) 退職者への支払い総額はいくらか (2) 積立金はいくらあるのか (3) その差し引きはプラスかマイナスか という開示が義務づけられマイナスの場合は積立不足となる。 これまで、日本の会計ルールでは退職金、企業年金の全般について開示する必要は無かった。しかも、退職金引当金(退職金の積立分)は、支払うべき退職金の40%までが無税のため、企業の大半は積立金不足の状況。企業年金資産も「資産の時価評価」の導入によってバブル期の株式投資した資産の「目減り」、超低金利の中での運用の困難さの中で積立不足が生じてくる。7680億の損失計上は連結部分での積立不足であり、企業年金部分の積立不足はNTT4社で3200億。トータルで総額一兆円を越す。(週刊東洋経済) 上場企業では40兆から80兆円と言われているが総額は明らかになっていない。問題は、この積み立て不足を15年以内に解消することになっているが、体力のある企業は前倒しで財務の健全化を急いでいる。放置すれば山一のように格付けが低下し資金調達コストが上昇する可能性があるからだ。 企業年金の給付水準の引き下げはこうした企業の都合によって行われた。(NTTは9000円の引き下げ、NECは16000円、日立20000円など) しかし、年金給付の減額で事足りる額では無い。巨額の積立金不足は様々な形で労働者を犠牲にすることはあきらか。 また、国際会計基準では「従業員給付」として退職金、企業年金ばかりでなく、医療や社宅、病気休暇やその他の有給休暇なども含めて企業が従業員に給付を約束した債務としてとらえているなかで、多くの企業で福利厚生費の削減が行われているのもこうした流れの中にある。 「株主・投資家重視の企業活動がもたらすもの」 1月6日のタイの総選挙の記事を読んだ。通貨危機後の不況から、昨年は4,5%の経済成長をとげたタイの経済状況は回復基調に見えるが国民の実感が乏しくその結果、実業家が率いるタイ愛国党の劇的勝利となったと言う記事である。その中で、経済成長を押し上げたのはバーツ安の恩恵を受けた輸出企業「外資系企業」であり「内需は停滞したまま」であり潜在的失業者のプールである農村部の支持。通貨危機で職を失った人々が田舎に帰り農業を手伝いながら景気回復を待ち望んでいる。穀物価格が低迷し生活が成り立たない。借金が膨れ上がり社会問題化していると報じている。 世界を席巻している多国籍企業に目を当ててみる。多国籍企業は多国間にまたがる企業というよりも多数の国々を「漂流」する企業といった方が正しい。 こうした企業は、それぞれの国に対して何の義務をも負っていない。日本の企業がより利益を求めて安い労働力を買い求めるために、アジアを始めとし世界各地にグループ企業を設立しているのを見れば明らかであり、新たな根拠地が出来ればその地へ移動する。これが「漂流」と言われるゆえんである。 こうした企業活動を資金的に支えているのが「株主・投資家」達である。彼らにとって重要なことは「高利の配当」のみである。自分達が投資した企業が他国でどうやってその富(利益)をあげたのかについては全く関心が無い。 「巨大企業70社の売上はキューバの国内総生産をうわまわる」と言われている。また、アメリカの同族企業カーギルは「コーヒー豆の売上高はコーヒー豆の調達先であるアフリカの国々の、いずれの国内総生産より大きい」。また「穀類でも世界中の取引高の60%以上を占めている」。この企業は実際どこの国にも所属していないし、自社にだけの責任だけを負っている。そして、自社えの投資家以外の誰にも答えることなく自らの決定を行う。言うなれば、「一つの国家」的でもある。アジアのミニドラゴンと言われた韓国、タイなどの国々が通貨危機からIMF管理国家になり自国の経済再建プランが強制される中で国有企業の民営化を始めとして大規模な国家リストラが行われ、企業リストラの中で多くの労働者の首が飛んだ。タイの通貨危機は投資家の投資引き上げが危機を拡大した。投資家達のこうした資本引き上げによって国家が危機に瀕すること、しかも何の責任も無く「富」の拡大の構図がタイの状況が明らかにしている。 世界銀行、IMFなどの債務帳消しの運動が拡がっている。ジェビリ2000の運動はアフリカなどの国々の自立のためには全ての国家債務を取り消すことを要求している。いくら農業生産物を生み出しても、いくら資源を切り売りしても、いくら繊維などの生産を拡大してもその恩恵に預かるどころか、世界資本に安く買い叩かれ、また国の債務支払いのために吸い上げられる構造はその国々の人々を豊に出来ない。このへんが労働運動の一つのキーワードになるのかなと思う。 「電気通信産業と規制緩和問題」 96年、NTTと郵政省の合意によって純粋持ち株会社のもと東西2社の地域通信会社(市内)、国際通信事業に進出する長距離会社(市外)とに再編された。 合意の背景について朝日新聞は次のように報じている。 「分割問題にケリをつけ国際競争に備えないと手遅れになる。こんな声が政界や経済界から日増しに高まっていた」「6月のサミットで、首脳達の話題が情報通信の国際化に集中したのに日本はカヤの外で恥をかいた」「首相は帰国後、NTTの国際通信参入を指示した」。6月サミットでは情報通信市場の自由化交渉を結了させることが経済宣言でうたわれた。コンピューター、ソフト、半導体、通信機器、ATMなど情報通信機器200品目の関税を撤廃する情報技術協定(ITA)と、自国の電気通信市場を外国企業に開放する「基本電気通信交渉」であった。サミット合意の狙いは、世界規模での自由競争を拡大し、技術力で優位にあるアメリカを中心とする情報通信資本の競争力を決定的にすることであった。しかし、日本の電気通信産業の国際化は欧米諸国に比べおおきく遅れをとっている。自動車電話・携帯電話は日本が世界に先駆けて技術を開発したが(79年)、海外では日本企画の携帯電話は相手にされていない。日本規格では世界と通信方式が違うからである。欧州規格が世界の事実上の標準になったのは欧州の通信業者が世界各国に進出したからである。マイクロソフト、インテルが典型的に示したように、はじめに市場をつかみ世界の事実上の標準にすることで後発者が追いつく前に新製品を開発することによって市場をせんゆうする。「早い者が勝つ」というように「国際標準」が出来上がり、また市場の開放と自由競争に委ねる競争社会を全世界的に拡大する(情報通信市場)中身がサミット合意であり、日本政府の慌てふためきで有り、NTT分離分割の真相だろう。 |
| 「環境社会主義の同志として」 高木仁三郎氏の死を悼む 佐々木 力 |
| 日本の反原子力運動ないし脱原子力運動の象徴的存在であった高木仁三郎氏が十月八日未明亡くなった。私はちょうどこの日、ヨーロッパへの出張から帰国したばかりで、テレビのニュースで彼の死を知った。高木氏自身、二年以上も前から死を準備してのことだったし、私も彼の病状がただならないものであることを仄聞していたので、このニュースにはそれほど驚きはしなかったが、しかし実際に死に直面してみると、やはり無念の思いを禁じえない。心から彼の死を悼み、彼の闘いの志の継承を誓うものである。 私は期せずして高木氏の大腸癌発病について知る最初の一人となった。というのも、一九九八年初夏のインドとパキスタンの原爆実験に抗議する科学者の声明を『世界』編集部の仲介で高木氏らと準備しようとした同年七月の岩波書店の社屋での会議を、高木氏が声明文の起草を私に託して中座し、その中座の理由を直後に知らされることになったからである。 私は声明文は当然、高木氏が中心になって起草すべきものと考えていた。それで、実際の起草者になった私が彼の病状について早く知らされることになったのであろう。けれども、彼は共同記者会見こそ欠席したものの、私が起草した声明文を推敲し、手直しする労を惜しまなかった。この声明文が高木氏が生涯かけた反原子力テクノロジーのための闘いを集約すべき意味をもっていたことは、『世界』一九九八年九月号に掲載された声明文の成稿「科学技術の非武装化を」を、自伝的な佳作『市民科学者として生きる』(岩波新書)の終章「希望をつなぐ」にそっくりそのまま引用していることから明らかであろう。 しかしながら、私と高木氏との「出会い」は、それほど「円満」と言えるものではなかった。私は環境問題を終始一貫してマルクス主義の観点からとらえようとしてきた。この私の姿勢は科学史研究に志した学生時代から基本的に変わっていない。マルクス主義の思想的伝統になかには(マルクス自身に色濃く、そしてウィリアム・モリスやテーオドール・アドルノらの思想のなかではもっと鮮明に)、環境破壊を人間と自然の資本主義的収奪の一環として理解する考えが当初からあり、そして、その考えはエルネスト・マンデルの『後期資本主義』においても明確に指摘され、さらに私自身、科学史家として独自に、第二次世界大戦後政治経済体制が「自然に敵対する帝国主義」としての特性を色濃くもっているとの認識にいたっていたからである。 私は一九八五年秋、高木氏の著書『いま自然をどうみるか』(白水社)の書評を『週刊読書人』から依頼された。その書評で、私は高木氏のディープ・エコロジストの立場からの闘いを一定程度評価するものの、労働者階級との連携の重要性を忘却してはならないことを指摘し、さらにマルクス主義を近代資本主義と同じく「生産力至上主義」に立つ思想として規定する考えに明確な異論を呈したのであった。 このような書評に接して著者は、とくに日本の著者は、感情的に反発するものである。しかし、高木氏の反応はそうではなかった。ある編集者からうかがったところによると、高木氏は「佐々木氏の書評の批判は傾聴させていただく」と漏らしたという。このことを聞いて、私は高木氏が尋常ならざる人間的誠実さの持ち主であるという印象をもつようになった。それ以降、私の高木氏の思想へのそれまであった「違和感」は基本的に吹き飛んでしまうことになった。逆に、私は、「高木ファン」になってしまったのだった。 一九九〇年前後、私は『毎日新聞』の書評委員の一人として、同紙に少なからざる書評を書いた。そのなかには高木氏の著作を対象とするものもあった。今度は全面的に好意的な私の書評に高木氏は感謝のはがきを寄せてくれた。一九九四年五月には東京大学教養学部の科学史・科学哲学研究室で私が主宰したコロキウムに高木氏を招くこともできた。 その席で、高木氏は「市民科学者」という考え方を提示し、アカデミズムの科学史研究がなさねばならないことを批判的に示した。また、聴衆の一人が原子力技術についての吉岡斉の著作の質について質したところ、明確な批判と不快の念を驚くほどの鮮明さをもって明らかにした。この発言は、私に高木氏の人間的誠実さの真正さを再確認させるものであった。渋谷に飲みに出かけ、先ほどの聴衆が吉岡について再度質問したところ、高木氏は「せっかくのおいしい酒がまずくなる」とまで明言した。 同年末には『図書新聞』が企画した私との「戦後科学技術思想」を再検証する対談に応じてくれ、「責任ある科学技術のあり方を問い直す」と題された対話の機会をもつことができた。私はこの対談企画への快諾の返事をドイツから発信されたファックスでいただいたことを思い出す。対談の内容は、一九九五年一月二十一日付の同紙に掲載された。 私が『科学論入門』(岩波新書)を一九九六年に公刊し、「環境社会主義」のプログラムを提示すると、高木氏は、ある集会の席で、「佐々木氏の環境社会主義の考えに基本的に賛成である」旨、宣言したという。私が直接聞いた言葉ではないので精確な言葉ではないかもしれないが、ありがたい支持の表明ではあった。 こうして一九九八年夏の声明まで行き着くのであるが、高木氏は、癌が末期であることを悟るや、批判的科学者を養成しようと、「高木学校」の創設を決意した。その学校はさまざまなコースからなるべく企画されたが、その学校の内輪の構成員のためのコースの第一回の講師には佐高信氏が選ばれ、第二回の講師には私が選ばれた。私は一九九九年四月一日、「科学技術の現在と未来――「オールターナティヴな科学者」の進むべき道」という題の話をして、高木学校の応援をすることになった。講演の当日、高木氏は入院加療中で来ることはできなかったが、丁重な依頼の電話の言葉はいまも私の耳に残っている。聴衆のなかの中年の婦人から講演後の感想として、「いまどきトロツキズムを唱道している人が話すというので、聞きにきました」、という半ば皮肉まじりの言葉を頂戴したことも、いまは快い思い出となった。 私が高木氏と最後に会ったのは、一九九九年七月初めのことであった。彼へのアメリカからのみやげを持参した私を高木氏は、「昨年来『世界』誌上で展開されている「サイエンス・ウォーズ」日本版ともいうべき科学論論争についてどう思われますか? 私には両陣営ともかなり低いレヴェルの議論のように思われるのですが」、という言葉で迎えてくれた。私は、藤永茂氏というアメリカ在住の科学者と村上陽一郎氏のような「ポストモダン的」科学哲学者の間の論争が低いレヴェルのものであり、まったく別の視点から、現実の科学技術の変革を射程に入れた対談を『世界』でやろうと彼に提言した。結局、この対話は実現することはなかったが、ある年少の科学史家から、高木氏と私の科学技術に対する姿勢が、科学技術への実践的対処の仕方を実際にもっている点で、似ていると指摘されたことがあることをここで紹介しておくのもあながち無益とは言えないだろう。 ある保守派の論客が集まる研究会の席でのことである。私はこの研究会に「『科学論入門』というこの種の著作としては最高傑作を書いた著者」(招待者の言葉)として講演のため招かれたのであるが、講演後の討論の場で、ある参加者は、私が「時代錯誤の社会主義イデオロギー」の不退転の支持者であることをとがめ、「旧社会党的思想の持ち主」として、私自身と高木氏の名前を明示的に挙げて、糾弾した。こういった席では講演に招待された講師はそれなりの敬意をもって迎えられるのが慣例であろうが、このような無礼な「歓迎」が、この研究会の質を物語っていた。けれども、このことは私にとって不名誉というわけでは必ずしもなかった。私が「社会主義イデオロギー」の支持者であることは紛れもない事実であるし、高木氏と二人だけ選ばれて「反時代的人士」として並列的に指弾されたことは不快なことではなかったから。 近著の『科学技術と現代政治』(ちくま新書)でも明言したが、現代日本の脱原子力運動は岐路にさしかかっている。高木氏が中心的に担ってきた原子力資料情報室は多様な政治的イデオロギーの持ち主から成っている。そのような集団をまとめて率いるのに多大な困難が伴うことは容易に想像できる。このようなまとめ役は高木氏にして初めて可能であった。そのことは、刊行されたばかりの『原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』(光文社・カッパブックス)の十分な政治的心配りからも忖度できる。 脱原子力運動のなかに反社会主義的イデオロギーが混入していることは、それほど決定的に重要なことではない。本当に重要なことは、私たち自身が、脱原子力運動を本当に民衆の利益になるように、より社会主義的に牽引することである。私たちの世界の仲間たち(とくにデンマークを中心とした北欧諸国やフランスの)は、エコロジー運動を「百パーセント左翼」的に推進しようとしている。 高木氏は、たしかに明確にマルクス主義者を標榜したこともなければ、社会主義者と自ら名乗ったこともない。誠実なエコロジストであり、「市民科学者」にとどまったと総合的に評価されるべきであろう。が、自らが責任を負う環境問題に関して、「環境社会主義」の旗を支持したことは明確な事実である。そして彼が仙台の医師清水宏幸氏の「中西医結合医療」の私の紹介による患者であったことがあることをもエピソード的に付け加えておこう。私たちはぜひとも、高木氏の生涯を懸けた非妥協的な脱原子力運動を全力をあげて継承しなければならない。 高木さん! 誠実な科学者の鋼鉄のような意志と民衆へのやさしい心を実践をもって示してくれてありがとう。あなたの切り開いた闘いの道は、必ずや私たちが引き継ぎます。どうか安らかにお眠りください。 二〇〇〇年十月十日払暁、横浜にて。 (東京大学大学院総合文化研究科教授・科学史)
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