「がんばろう 突き上げる空に/くろがねの男のこぶしがある/もえあがる女の こぶしがある/闘いはここから 闘いは今から」
5月25日、この歌「がんばろう」の作詞者森田ヤエ子さんが亡くなられた。労働運動の低迷と組合組織率の低下、春闘構造の崩壊で労働歌の歌われる機会が少なくなってはいるものの、この歌は多くの労働者が闘いの中で出会い、耳にし、また、くりかえし歌ってきた歌だ。
森田さんの死が新聞各紙で報じられてから、この歌の思い出に関わる読者からの投稿が、数紙で掲載されたのを目にした。
労働組合運動の中で自らが歌った思い出。炭鉱労働者であった父親を偲ぶ思い。そして、当時炭住(炭鉱住宅)街で過ごした子ども時代に自ら歌ったことなど・・・。
1969年三池闘争は「総資本と総労働の対決」といわれる大闘争に発展する。その闘いの中で労働組合員が右翼暴力団に殺される事件が起き、更なる高揚と6月の最大局面を迎えるに至る。会社側は暴力団を背後からあおり、警察は見て見ぬふりを続ける。公正であるはずの裁判所もが資本側に有利な判決を重ねていく。労働者にとって頼れるものは、全国の働く仲間たちの支援と文字通り労働者階級としての団結力だけであったといっても過言ではない。
1960年6月、このぎりぎりのせめぎ合いの中から、この歌は生まれた。一方で、日米安保条約をめぐる国会での攻防が続いていた時期でもあった。
「がんばろう 突き上げる空に/輪をつなぐ仲間の こぶしがある/おしよせる仲間のこぶしがある/闘いはここから 闘いは今から//がんばろう 突き上げる空に 国のうちそとの こぶしがある/勝どきをよぶ こぶしは一つ/闘いはここから 闘いは今から」
当時小学校4年生だった私は、教室での「アンポハンタイ」ごっこと、三池闘争が労働側の敗北で終息していく時期に新聞を見て嘆息する親たちの姿を思い出す。
数年前、「東アジアの平和と人権」と題する国際シンポジウム(立命館大学教授の徐勝さんがコーディネイター)が沖縄県佐敷町で開催されたときのことだが、宮城県から一緒に参加した仲間の一人がこんな話をしていた。交流会が開かれ、参加したそれぞれの国や民族の歌や踊りを紹介しあう場面である。自分たちの番になって、日本を代表する歌や文化を誰も思い浮べることができなかったと。
その彼が、後日こんな話をしていた。「後になって思ったのだが、『がんばろう』の歌が一番ふさわしかったのではないか。」こう話してくれたのは電通労組のTさんだ。彼は全電通当時に「歌声」運動にも関わっていたと聞く。私は即答はできなかったのだが、この歌が広く、しかも深く、労働者の心をとらえてきたことは十二分に伝わってきた。
作詞者の森田ヤエ子さんについては何も知らない私だが、今回あらためて、闘いにおける歌の役割、そして歌自体の持つ力について考えさせられた。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
*「がんばろう]/作詞 森田ヤエ子 作曲 荒木 栄

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