友人と,死刑について色々と考えました.それだけで終わるのはもったいないので,その時の私の意見をここに載せておきます.このコラムはそのうち追記+編集されるかもしれません. 私は死刑賛成派です.冤罪でないことがハッキリしてるなら,問題は無いと思います.刑務所も受刑者で溢れている事ですし. 「生きて罪を償う」と言いますが,「刑務所での生活=償い」というのは妙な考え方だと思います.出てきたときに更生してるかどうかも怪しいですし,刑務所入って後悔背負って真人間になるような人は,入らなくても更生するような人だけでしょう. 死刑の代替として,採血刑という友人の案がありました.「刑期の間,死なない程度に献血させられる」というものですが,非常に面白いと思います.私は特に思いつきませんでしたが,再犯率の高い性犯罪に対しては「重は一発,軽は再犯で去勢する」というのはどうかなと思います.肉体的に…が問題なら精神的に…で構いません.むしろ,精神的に…の方が効果アリですかねw.異常性欲と破壊衝動は,その欲求が満たされた時の快感を知ったらもう終わりだと思います.「彼らの根本の何か」を入れ替えなきゃダメですね.ただ刑務所に入って暮らしてるだけでは….+そう何年も面倒見てられないでしょう. 私の見解では,刑罰とは本来,犯罪者(社会不適合者)を更生させる(社会復帰に問題の無い人格を植えつける)ための措置であるべきです.受刑後に再び罪を犯す事は,あってはならないのです.さらに言えば,償いとは,被害者に赦されるまでの過程の事なのです.というわけで,刑罰とは「償いをさせるモノ」ではないと考えています.しかし刑罰の意味合いがどちらであれ,さほど機能しているとは思えません. というわけで,刑罰は,実質的には抑止力を実体化したモノと捉えられるのです.つまり,受刑者に対しては「懲らしめ」,市民に対しては「見せしめ」の意味合いを持つこととなります.こちらの側面は,古来より確固たる意義と機能を持ち合わせています.まぁ昨今は抑止力としてすら危ういですが….抑止力として機能するためには,その存在はもとより,苦痛なものであり,執行されなければ意味が無いのです.その最上級が「死刑」なわけです.「重罪人が死ねばそれでいいのか?」という意見もありますが,それとは別の次元なのです.あくまでも「償い」とは別物なのですから. もう一つ,忘れてはいけない事があります.刑務所の運営費は税金でまかなわれている事です.つまり,刑期の長い凶悪犯罪者であるほど,また繰り返し罪を犯す者であるほど,その刑には血税が投入されるわけです.理不尽ではありませんか?私が「刑罰は人格の矯正措置となるべき」と主張するのは,そのためでもあります.そして,「更生が極めて困難」と判断された者に延々とコストを費やす理由はありません.それでもいいと言う死刑反対派の人々は,刑務所運営のために基金を設立し,積極的に寄付すべきです.人道の観点から云々と主張したり活動したりするだけでなく,死刑廃止に伴う問題を解決できる現実的な案を提示すべきです. 私は死刑制度に賛成します.冤罪でなければ…ですが. 私は,死刑反対派の皆さんに問いたい.
関係ないかもですが,どこぞの「被害者の子孫」とかは,「加害者の子孫」に「償い」を要求するのに躍起になっています.この考え方と行動はややお門違いと思いますがね…. written on 2006.04.19
|