私的父親論




 父の日という事で.

 会社では,やる気の無い部下,出来過ぎた同僚,難しい事を簡単に言う上司に囲まれ,自身のうだつは上がらない.家では,妻に罵られ,息子に貶され,娘に疎ましがられる.平日は朝から晩まで仕事に追われ疲れきり,休日はのんびりしようとするも,皆から煙たがられる.なけなしの小遣いからコツコツ貯めたヘソクリにわびしさを感じつつ,ひっそりと趣味の世界に浸る.そんな世のお父様方,どうもお疲れ様です….そして,彼らが淡い期待を抱きつつ迎えるのが,誰が決めたか本日「父の日」です.…ちょっと悲観的過ぎますかね?ま,導入なので….

 子供にとって,自分の父親はどういった存在であるのか.前述から想像がつきますね….自営業が少ない現代では,いわゆる「働くお父さん」を目にしていない子供ばかりです.昔のCMに「昼間の〜パパは〜♪ちょっと〜違う〜♪」というBGMが流れていました.…ちょっとどころではないと思いますがねw.しかし,普段見る姿とのギャップを感じる以前に,自分の父親が頑張っている姿を知らないのです.我が子からの評価が厳しいというのは,当たり前なのです.一家の稼ぎ頭,つまり養い手である事を認知させるべく,我が子に向かって「誰のおかげでご飯を食べられると思ってるんだ?」などとわめいたところで,子供の方には実感が湧かないのです.残念ながら,そういったものです.反対に,家事をする母親は評価されます.日頃から頑張っている姿をよく目にしますし,実際にご飯を作っている張本人です.実感が湧くのです.自営業の場合はどうでしょうか?…本人次第ですね.働いている姿を子供は目にするでしょう.アピールして下さい.共働きの場合はどうでしょうか?…「父親の立場がもっと不利になる」と思った方は,分かってますね.現代日本においては,共働きであっても家事の大部分をこなしているのは,母親ですから.例のごとく,家事分担比率の男女差については,その良し悪しを論じません.

 それでは,父親の立場を向上させるにはどうしたらよいのでしょうか….いわずもがな.「頑張っている姿を見せる」ですね.ただし,「見せびらかす」という形はあまりよろしくないですがw.人間は通常,自分の知っている事からしか評価ができません.よく知らない事実も考慮はされるでしょうが,知っている事実には敵いません.逆に言えば,評価してもらうには知ってもらえばいいわけです.しかし前述の通り,言うだけではダメなので,見てもらうという事です.しかし,子供を仕事場に来させるのは難しいです.時間が合いませんし,応対してる暇がありませんし,邪魔になるでしょう.

 ここで「打つ手が無い」と思った方は,反省して下さい.重大な見落としがあります.来てもらうのが難しいのであれば,子供の見てるところで頑張ればいいのです.自宅でも仕事をする,家事(炊事洗濯掃除以外にDIYなどを含む,まさに家の事のある程度)をする,そして「子供と一緒に頑張る(+楽しむ)」です.家庭に仕事を持ち込むのが嫌な方も,家事ができないorやらせてもらえない方も,「子供と一緒に」だけは外さないで下さい.まぁ,評価されなくても構わないのであれば,外してもいいですが….しかし要するに,「家庭でも休めない」という事ですね….日本の雇用形態が変わらない以上,我が子の心を掴むには,致し方ないです….心を掴むのには,確かに金品も有効でしょう.どこかの誰かが言っていた「人の心も金で買える」というのは,多くの場合にだいたい当てはまる,至極当然な考えです.少々歪んではいますが….ということで,プレゼント作戦を頑張るのもいいでしょう.しかしまぁ,私はそれでは満足できませんので,行動したいと思っています.

 我が子が小学生くらいであれば,こんな感じでしょうか.しかしその先には難関が立ちふさがっています.まずは,いわゆる「思春期&反抗期」です.ほとんどの子供が,この時期を経てから大人の仲間入りを果たします.親としては,我が子の成長を喜ばしく思う反面,ストレスの溜まる時期でもあるでしょう.この時期の最初のキーワードは「エディプス・コンプレックス」です.「男の子が母親を愛し父親を憎む無意識の心的傾向」ですね.逆版の「エレクトラ・コンプレックス」もありますが,男の子に比べて女の子はこの心的傾向を表面化させませんので.また女性は,性を意識し始める事で「男性をある程度嫌う」ようになります.生殖の形態が「ばら撒き型」の男性に対し,「受け入れ型」の女性は慎重になるためです.生理的嫌悪感としても顕在化しますので,「下着を一緒に洗いたくない」などとなるわけです.また,世に言うオヤジというのは,下品な言葉を連発します.相手を楽しませるつもりで言っているのでしょうが,娘のような年頃にとっては,不快でしかないのです.

 「思春期&反抗期」を何とか乗り越えたところで(といっても,父親への気持ちは後々まで引きずりますが…),また難関が立ちふさがります.子供が親を超えようとするのです.頑張っている父母を超えるのは難しいですが,家にいる「ぐうたら父母」を超えるのは簡単です.また,人間は往々にして攻撃対象を作って攻撃したがります.いい気になって貶してくることでしょう.ここで,「超えるべき対象」となりやすいのは父親の方です.子供にとって,頑張っている姿を目にし,かつ,自身の生活を直接握っている母親を精神的に超える事は,容易ではありません.というわけで,矛先が向き,軽んじられるのは父親です.苦しい状況ですが,頑張っている姿を見せていないツケです.また,成長して生きる世界の広がった子供達とは,年が離れているせいもあってか,話がなかなか合いません.しかし,父親と違って母親は話を合わせられる事が多いです.コミュニケーション能力は,女性の方が高いのです.

 様々述べましたが,別に「子供に評価されなきゃいけない」というわけではありません.そもそも,子供が「親」をまともに理解できるのは,自身が親になってからだと思います.その時になって初めて評価され,感謝されればいいでしょう.なんとも気の長い話ですが,そういうものだと思います.子供は子供の目線でしかものを見れませんし,親は子供の目線を忘れてしまっています.また,「母親は評価されやすい」みたいな論じ方をしましたが,圧倒的差があるというわけではありません.子供の方も,父親が「見えないところで頑張っている」事は知っているでしょう.そしてそれは,評価の最低値を押し上げる働きがありますから.逆に,父親よりも目に付きやすい分,頑張らない母親は評価されません.しかしまぁ,自身の評価云々よりも,我が子の事を気にかける親でありたいものですが….

 結論.子供が父親のありがたみを理解するには,時間がかかります.世のお父様方,現在の境遇に思うところがあるのなら,自身の若かりし頃を思い出してみましょう.あなたの父親も,きっとこれに耐えていたのです.また,我が子があるのは自分のおかげだと思うのであれば,なおさら自分の親の偉大さが理解できる事でしょう.親でない方も,どうか考えてみて下さい.私自身,親のありがたみをまともに理解できているとは思いませんが,少なくとも今日の私があるのは,母親もそうですが,もちろん父親のおかげでもあります.年に一度のこの日くらいは,感謝しましょうか.
Thank you my father!

 …とまぁ,またまた真面目に論じましたが,やっぱり何の根拠もありません.あくまでも私個人の意見であり考察です.今回のを読んで不機嫌になった方,ゴメンなさいね.しかし思うところがあれば,ちゃんと考えてみて下さい.そして,この話を最後まで読んでくれた皆様,本当にありがとうございました.

 とはいえ…親にならねば親が分からないという事は,私が父親を理解するにはまず,私を父親にしてくれる女性をGETしなければなりません.…日々頑張らねばなりませんね….あぁもちろん,女性を養子にもらうという意味じゃないですよ!+親を理解するためにそうしたいわけじゃありませんよ!

written on 2006.06.18




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