母の日という事で. 「あなたは将来,何になりたいですか?」 幼い頃,この質問に「お婿さん」と答える人は,まずいなかったと思いますが,「お嫁さん」と答える人は,周りに一人はいたはずです.今なお,女性の永久就職先とも呼ばれる「妻」というポジション.その先に控えるは「母親」というポジション.しかし男女平等が謳われる昨今では,純粋な職業としてのそれ…つまり専業主婦は減少傾向となっています.逆を言えば,働く女性が増えているという事です.そのため,結婚や妊娠を機に「仕事か家庭か」を迫られ,悩む女性も多いと思います.私の意見としては,子供が幼い時期であれば,女性には仕事より家庭を優先してもらいたいです.そして勤め先には,それを許容し,職場復帰のサポートおよび福利厚生の充実を求めたいです.その代わりとしての減給は,致し方ないと思います.全ては,子供が幸せであるためです. 幼い子供は,周りから多大な愛情が注がれる事を必要とします.つまり,幼い子供にとって愛情を注いでくれる存在は非常に大きなものです.子供における社会は,狭く身近なモノのみで構成されています.その中でも親という存在は大きな割合を占めるものであり,非常に重要な要素です.ここから愛情を注がれない子供は不幸だと思います.しかし,親にとっては子供に愛情を注ぐことも大切ですが,子供を育てるためにはお金が必要です.自分の家族にかかるお金は自分達で稼がなければなりません.しかし両立は難しいでしょう.片方が仕事重視,もう片方が育児重視にならざるを得ません.いったい,どちらがどちらを引き受ければいいのでしょうか?それは子供が愛情を受け取る際の効率を考えれば決まります.受け取った愛情は,それを与えてくれた存在の大きさの分増幅されます.では,幼い子供にとって,父親と母親のどちらが大きな存在なのでしょうか?これは議論の的となるでしょうが,私は母親に軍配が上がると考えています.その理由を挙げていきましょう. まず,人間が人間となった瞬間の環境は,母親の胎内だからです.胎児が,24時間否が応でも聞いているBGMは,母親の心音です.もちろん,母親の平常時の心音は,胎児にとって心地よいもののはずです.そうでなければ,胎児は意識のある何ヶ月間も拷問にかけられてるようなものですからね;.よって,乳児にとっても母親の心音は最も安心できるBGMといえるでしょう.乳児はお乳をもらう際にももちろんこのBGMを聴いています.胸に抱かれていますから.つまり,乳児にとっては「快いイベント」と密接に関係のある音です.というわけで,父親の心音が一番を勝ち取ることは難しいのです.乳児にとって,抱かれて嬉しいのは,父親より母親なのです. 次に,視覚が発展途上の新生児にとって,重要な感覚は味覚と嗅覚だからです.「ミルキーはママの味」といいますが,大抵の場合,新生児が最も多く口にするのは,やはりお乳です.母親のお乳の味が嫌いな新生児は,生物界では死ぬしかありません.よって新生児にとっては,お乳は栄養源である上にごちそうなのです.また,お乳を飲む際に感じる匂いは「快い重要なイベント」について回るものであり,嫌いだなんて言ってられません.もちろんお乳の匂いと母親の匂いを分ける事なんてできませんから…この先は説明不要ですね.たとえ産まれたてでも,死活問題である栄養分の供給源とは確固たるつながりを求めます.そして,満たされる事は快感です.この点においても,母親には父親にないアドバンテージがあるという事です. 更に,父親と母親では,子供に対する意識の持ち方に差が出ます.母親の場合,自分のお腹に宿った子は「正真正銘の我が子」ですが,父親にとってはどうでしょうか?本当に「我が子」であるのか分からないのです.自分の妻を信じるしかないのです.また父親は,胎児の様子を妻を通してでしか感じる事ができません.加えて,父親が立ち会わなくとも子供は産まれます,つまり,子供が産まれてくるまでに大きな差がついているわけです.そしてその後も差がつきます.上記の2つの理由から,乳児は母親を求めます.よって母親と居る時間の方が長く重要です.意識の持ち方で劣る上に一緒に居る時間が短い父親では,乳児の異変に気付くのに,そしてそれを対処するのに1ステップ余分に必要となります.乳児にとって,その時間差は不快です.つまり,父親が乳児の心を掴むには多大なモチベーションと労力が必要なのです. 意識の差を,生態学の観点から考えてみましょう.生物というのは,自己を存在させるために行動します.そしていずれは消滅する自己を,より優れた形で保存するために子をなします.哺乳類の場合,親離れには時間がかかります.よって子育てに注ぎ込む労力も大きなものとなります.ここで,先に述べた3つの理由から,哺乳類において子育てをするのはメスとなります.そして全労力を注ぎます.自分の遺伝子を受け継いだモノが,本能で自分を求めてくるわけですから,自然の流れです.これがオスとなるとどうでしょうか?メスと違ってオスは「我が子」を同時期にたくさんなす事が可能です.複数の相手と交尾すればいいんです.哺乳類の世界で,1頭の強いオスが複数のメスを囲っているといった状況が多々見られるのはそのためです.「我が子」がたくさんいる場合,注ぎ込む労力は分散しますし,弱い数頭が死んでしまってもまだ「優れた」残りがいるため,「子供1頭を守る」モチベーションはメスよりも低いです.加えてオスは,交尾相手の子供を殺す事があります.自分の遺伝子をより確実に残すため,「我が子」に全労力を注がせるためです.逆に,メスが相手の子供を殺す事は少ないです.メリットが少ないですから….これらを人間に当てはめる事には多少問題があるかもしれませんが,生物としての人間の行動の源流は,ここにあるのです.影響が全く無いわけがありません. これまでは純粋に「親子」という枠組みの中だけで考えてきたわけですが,人格の形成には社会も影響します.というわけで,ジェンダー(社会的性差)を考慮に入れます.今回の論点でのジェンダーを最も簡単な言葉で表現すれば,「男は仕事,女は家庭」ですかね.すると…まぁ,説明の必要も無い事でしょうが,やはり子供の近くに居やすいのは…子供にとって身近なのは,多くの場合,父親より母親です. ここまで読んで,「言い訳に使えそうだ」…などと考えたりした男性諸君.どうぞそうして下さい.そして自分の家族に嫌われて下さい.大人になった子供には感謝もされないでしょう.でもそんな事は,私の知った事ではありません.私は,他人の家庭に口出しできる程の人間じゃありませんから.子供や妻はおろか,彼女すらいない私の意見は現実に即していないでしょうし.ですから,私は私の主張をします.私は自分の妻(といっても現状では妄想の産物ですが…)には簡単に負けたくありません.子供にとっての1番は得られずとも,2番,可能であれば同率1位になりたいです.大人になった子供に感謝されたいです.そして,好きな仕事をある程度…もしかしたらその全てを犠牲にさせてしまう妻に,「そうするだけの価値はあった」と言わしめたいです.これが理想論だって事は…実現困難だって事は分かってはいますが…. 結論.幼い子供にとって母親は最重要な存在です.そして,私にとっても母親は重要な存在です.今日があるのは,産んでくれた,育ててくれた,色々なものを犠牲にしてきてくれた母親のおかげでもあります.年に一度のこの日くらいは,感謝するとしましょうか. Thank you my mother! …とまぁ,何だか真面目にグダグダ論じましたが,何の根拠もありません.あくまでも私個人の意見であり考察です.今回のを読んで納得してしまった方,ちゃんと自分で考えてみて下さいね.不機嫌になった方,ゴメンなさいね.そして,この話を最後まで読んでくれた皆様,本当にありがとうございました.…来月は父親論でも書きますかねぇw.ま,そのときはまた,よろしくお願いします. written on 2006.05.14
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