裁判員制度考(まとめ)





裁判員制度について,2ヶ月ほど前と最近(2007年06月)に,友人と議論しました.そこでの私の意見をまとめたものを,ここに記します.

少し前のTV番組に,「感動の再会スペシャル」みたいなものがありました.10分ほどしか見ませんでしたが,その中に気になる場面がありました.

依頼人が再会したい人に会うためには,タレント達の許可が必要でした.

…番組製作者側は,何がやりたかったんでしょうか….百歩譲って,タレント達が依頼人に説教したり,タレントどうしが議論したりするのはいいでしょう.依頼人のためにもなります.しかしなぜ,再会するにもタレント達の許可が必要なのでしょうか?

そもそもタレント達は,製作者側が用意したVTRや資料を基に,説教したり議論したり判決を下したりします.ドラマ仕立てで,製作者側の主義主張にまみれた,客観的とは言えない情報を基に,です.確かに,番組の盛り上げには一役買うでしょう.しかし,「会わせる・会わせない」までこんな形で決めるというのには,いささか憤りを感じずにはいられません.

そういえば,タレントの一人が,判決後にこんな感じの発言をしました.
 「迷ったけど,会わせなきゃ,あなたは変わりそうにないから」
いい加減にしてもらいたいですよね….心理学や精神学やその他,はたまた人生のエキスパートでもない人に,自らが調査・精査し考え抜いた末の結論でもないこんな事を,しかも言った後の責任は負わないのに,言って欲しくはありません.判決を下して欲しくはありません.

裁判員制度に関しても,同じような事が言えると思います.

私は相変わらずA紙を読んでいますが,数日前の記事に,
 「裁判員の意見は裁判官に左右される」
というようなものがありました.どうやら,独自にシミュレーションを行ったようです.口数が少なく理屈も稚拙な裁判員達が,筋の通った意見を持つ裁判官に場を仕切られて流されても当然でしょう….

そもそも,法への関心が薄く,情報に流されやすく,少数派を嫌う,論理的思考も得意とは言えない国民が多い日本で,このような制度を取り入れたところで大して機能しません.「事件について,こんな意見を持つ人々がいる」という参考資料としてなら活用できるとは思いますが.記事中で問題視された裁判員の実質的な裁量権などは,小さくていいのです.下手に大きくなれば,前述のTV番組のような,何ともバカげた裁判になってしまいますから….

とはいえ,制度の存在自体に関しては,特に問題ではないと思っています.ただ,裁判員に力を持たせる事は,時期尚早だと思います.ということで,まずは裁量権を抑制した形で導入するのがよいと思います.その具体的な理由は,
 1.市民にかかるプレッシャーが減る
 2.ヘンテコ/極端な判決を回避できる
 3.裁量権の要求が自発的となる(高モチベーション)
です.3に関してですが,裁量権への関心や議論がさほどなされないままに導入されても,うまく機能するとは思えないからです.力を持たない事への不満が大きなエネルギーとなるまで待つべきだと.そうでなければ,力がそこにあってもお飾りのままになる気がします.関心が低い現状で,意見も持たない人に力を与えても….そしてそのまま形骸化し,いずれ話題にも上らなくなるでしょう.力を持つ事に皆が賛成してから力を与えた方が,後々にも機能するんです.つまり,裁判や法への関心が高まり,裁量権を当然の権利として要求してくるくらいのレベルへと市民が成長してからの方がいいと思います.

 〜 日本における訴訟社会についての話題に 〜

私としては,米国のように行き過ぎた訴訟社会の実現は遠慮したいです.しかし,「日本型の」訴訟社会には興味があります.

米国の訴訟社会が行き過ぎているのは,訴訟社会が米国人の気質にマッチしすぎたためと考えます.ところが,現在の日本人の気質と訴訟社会はマッチしているとは思えません.当然,それがブレーキとなり,変化に時間がかかるでしょう.

逆に考えれば,そのブレーキが「行き過ぎ」を抑えるのに一役買うという事です.そして,米国とは毛色の異なる「日本型の訴訟社会」が形成されていくと思います.訴訟が身近でありつつも,濫用されない.そういった社会です.

しかし,そのような程好い訴訟社会の早期形成には,やはり優れたリーダーが必要です.テキトーに導入・保守・運用されていては,民意の弱いトップダウン形社会の日本では,お上に都合のいいようにカスタマイズされてしまいます.裏を返せば,トップがしっかりしていて,配慮の行き届いたカスタマイズを行えば,それが根付くのです.そのようなリーダーがなかなか現れないのが難点ですけど….しかし,ボトムアップでは体質に合わないものは導入されないですから….

私は,何を隠そう,煮え切らない中庸派です.現行プランのままでの導入を快くは思いませんが,かといって現状をも快くは思っていません.今回の裁判員制度導入は,国民への啓蒙(国民の司法に対する関心を高める)という裏目的を持たせるべきで,そのためのカスタマイズが必要なのです.その具体案が,前述の「裁量権(量刑の判断)を抑制する」と,制度の適用範囲の拡大です.

裁量権を抑制すると,実は労働裁判を含む民事裁判にも裁判員制度を適用しやすくなります.現行プランの裁判員制度が民事裁判に適用されない理由として,「米国を始めとする外国(の企業)との衝突を避けるため」という説があります.裁判員は一般的日本国民であり,日本側に有利な判決を下しやすいでしょう.判決にバイアスがかかっているとなると,衝突が予想されます.しかし,裁量権が抑制されている場合,最終的な判決は裁判官に委ねられます.つまり,衝突を回避しやすいということです.もちろん,民事裁判に制度が適用されない理由は他にもあると思いますが,大きな理由のいくつかは,「裁量権の抑制」によって解決できるでしょう.

裁量権を抑制するデメリットを考えます.私が思いついたものは,「国民の感覚が反映されにくい」くらいでした.他にありましたら,コメントをお願いします.さて,このデメリットですが,実際にはそんなことはありません.裁量権を抑制した形でも,裁判官とともに量刑についての議論をすれば,裁判員制度は裁判官が国民感情を知る機会にはなりえます.つまり,裁判官への啓蒙にもなるのです.影響されない裁判官はいるでしょうが,そのような裁判官は制度の浸透とともに少数となるでしょう.いわば,間接的に,時間をかけて国民の感覚を反映させていくのです.何も,劇薬のように急速かつ強引に民意を反映させる必要はないのです.裁判官自身を国民の感覚に引きずり込めばいいのです.

さてしかし,私がこんなところでワーワー言っていても,何にもなりません.識者の方,有力者の方,賛同していただけるのでしたら,制度のカスタマイズをよろしくお願いします.え?私ですか?…特に何にもしません.悪しからず….

written on 2007.06.08




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