大文字山から山科の毘沙門堂へ
銀閣寺裏から大文字山火床(ひどこ)へ、その後頂上から反対側の麓、山科の毘沙門堂への下山コースを取りました。
今回は、大文字の火床への道をご案内したいと思います。 火床から京都市内が一望できます。
自分の足で大文字まで登って見渡す京都の町と大文字の火床、又ちょっと違う京都を感じられていいものですよ。
火床往復なら軽いハイキング感覚で登れます。 お時間があればぜひ挑戦して下さい。
4月18日
京都では、大文字山(だいもんじやま)を「だいもんじ、だいもんじさん」と呼びます。
私は、ほとんど「だいもんじ」と言っているようですね。 この後は、大文字と言わせてもらいます。
「
五山の送り火」の一つである大文字は、標高466メートルの山です。
ところで余談ですが、「大文字の送り火」を「大文字焼き」と言ってませんか。
大阪のテレビのアナウンサーでも、たまに「大文字焼き」と言っている時があり、ビックリします。
奈良の「若草山の山焼き」と混同しているようです。 大文字山を含む五山の送り火はお盆に帰ってこられたお精霊さんを送るための送り火です。
皆さんもお間違いのないようにしてくださいね(^_^) 最初から横にそれてしまって失礼しました。
銀閣寺前から10分ほど登ると登山口があり、30分もすれば火床の中心まで登れます。
登山と言うよりハイキングのような感じです。
私も休みの日などバスの中から大文字を見ると急に登りたくなって途中下車して一人で火床までよく登っていました。
ただ、平日やシーズンオフの休日は、登る人が少なくなるようですので女性の方は、お連れと一緒に登るようにしてくださいね。
この火床からの京都の町景色は、何回行っても飽きない景色です。 私のお薦めコースです。
火床の中心までなら普通の靴でも登れますが、出来ればスニーカ系がベターです。
夏場は、暑いですので必ずタオルと飲み水を忘れないでくださいね。 上には、トイレもありませんので、念のため(^_^)
因みに大の字の火床の中心は、大の字の一画、2画、3画の交わったところになります。
上の写真を見ていただれれば分かりますよね。 ここを金尾(かなわ)と呼ぶようですね。
それでは、火床の中心部、金尾まで40分の道のりスタートです。
左写真が、銀閣寺の総門前になります。 お店が一杯並んだ賑やかなの銀閣寺参道の突き当たりになります。
山門前を左に曲がると右写真の道となります。
突き当たりに神社の鳥居があります。 上の左写真です。 鳥居の手前を右に曲がると右写真の道になります。
急に人が少なくなりのんびりします。
この道を真っすぐ行きますと・・・
上の左写真の分かれ道になります。 看板矢印の通りに右に行きますと右写真の駐車場の横の道を進む事になります。
看板左は、学校の中に入っていきますのでお間違いのないように(^_^)
上の左写真の道を歩いていきます。 右手に川が流れている幅3メートルぐらいの緩やかな坂道を10分ほど歩いていきます。
途中に水飲み場があります。 ペットボトルに水をわざわざ汲みに来ている人もいるようです。
飲んでみましたが、おいしいと言えばおいしいような、どうも水音痴のようで(^_^)
川沿いにシャガが咲いていました。
この季節には、道を歩きながら良く見ると可愛いスミレやムラサキケマンなどの野草が咲いていますよ♪
川の流れは少しだけですが、結構透きとおった水が流れていますよ。
良く見ると苔も綺麗です。
先の道を10分ほど行きますと川を渡る小さな橋が右に出てきます。 ここを渡ります。
上の左写真がそうです。 ここが大文字山登り口です。
橋の手すりに「大文字山登り口」と小さな甲板も貼り付けられています。
この登山口さえ間違わなければ後は火床まで一本道です。
間違ってまっすぐに行かないようにしてくださいね。
ここから道幅が狭くなって急に山道らしくなってきます。 右写真です。 少しの間登りが続きます。
10分ほど登っていくと道幅が急に広くなった少し急な坂に出ます。 坂の登り切ったところに上写真の千人塚が現われます。
ここで道がU字型に左にカーブしていきます。
右の写真の木の看板の立っている前の道になります。 千人塚の裏にも実は道があるのですが、この道は、後ほどご紹介します。
覚えておいてくださいね。
先のU字型の道が左の写真です。
写真の右下に千人塚が見えますね。 こちらが一般の道になります。
一本道ですので迷いません。道もそんなに悪くありませんし、急な登りもほとんどありませんが展望がまったくききません。
始めての時は、長く感じるかもしれませんが、ここから火床の中心地まで約20分の登りです。
ただ最後の長い階段がとてもきつく感じると思います。 でもそれを登り切ると・・・・・・。
誰もが「わぁ〜! すご〜い」です(^_^)v 京都市内が眼下に広がり素晴らしい眺めです。
今までの疲れが吹っ飛んでしまいますよ。 この感激を実感するためにも最初は、こちらから登る方がいいようにも思います。
でも2回目のために近道と展望が良いコースをお教えします。
うえの左写真に先ほどの千人塚の右側に道かな?と思うような道が見えています。
男の人が歩いているのが見えますね。 先ほど覚えておいてくださいと言った道です。
その道は左に緩くカーブしていきます。 カーブしたあたりに上の左写真の「松割木」と書かれた割木が積み上げられていました。
8月16日の「大文字の送り火」の点火用の割木です。 もう今から用意されているようです。
8月16日が済めばなくなっているでしょうが(普段はほとんどありません)。 「持ち出し禁ず、大文字保存会」とも書かれていました。
これから8月までに登山道に増えていくのでしょう。 先の千人塚の後ろにも積み上げられてありました。
上の写真の松の割木の道を少し行きますと・・・。
左写真の道が続いていきます。 道が左にカーブして登りになっています。
傍まで行ったのが右写真です。 この写真の右下に下がっていく細い道がありますが、それは、無視です。
写真の男の人が登っていく道を行ってください。 千人塚の右側の後道から左へ左と登っていく事になります。
この道をどんどん登っていきますと・・・・・。
左写真のように明るい日差しが入ってくる道になってきます。 どこか見晴らしの良い道に出そうな気配です。
そうです。 右写真のような木々が伐採された広々としたところに出ます。 ここが大文字の大の字の裾の場所になります。
千人塚から5分程でこの開けた場所になります。
この開けたところにでたら道が左右に分かれていますが、やはり左に取っていきます。
その道は直ぐに右にカーブして上に上がって行きます。
途中から上の左の写真のような階段になっていきます。 写真の階段の右横の土を盛ったようになっているところは、
大の字の火床がそれぞれ作られています。 それを繋ぐと大の字の第2画の左のはらいになるわけです。 上の右の写真は、振り返ったところです。
煉瓦風の火床が道の横に続いているのが見えますね。 京都の町も見えていますよ。
この火床はひし形に削った大谷石で、土中に埋め込まれています。 地表部分は縦90cm・横15cm・高さ20cm程度で、対になっています。
また消し炭は家庭の魔除け・厄除けとして銀閣寺界隈の旧家の軒先には半紙で包んで吊されているようです。
階段は全部で140段ほどありますが、京都の町を後ろにしながら登っていくので時折振り返って景色を見て休みを取りながら登ると苦になりません。
足元に少しでしたが、スミレや野草なども咲いていました。 ゆっくり登りましょう♪
さあ、そろそろ火床の中心に到着です。
京都市街が一望で〜す! お疲れ様でした。
春霞なので少し残念ですが、霞んでいない時は、西山の方まですっきり見えますよ。
こちらは、少しマシですかね。 7月の写真です。
左手前の緑の丘が横に真ん中まで伸びています。
それが京都大学の裏山でもあり、「紅萌ゆる岡の花・・・♪」と旧制三高寮歌にも出てくる「吉田山」、
その直ぐ斜め左奥の大きい緑が御所のある「京都御苑」、
吉田山と御苑の間の細い緑の線が、右斜め上に伸びて山につながりそうです。 それが「鴨川、賀茂川」になります。
鴨川の真ん中あたりから長く右横に伸びている緑が「下鴨神社」、さらに下鴨と賀茂川が交差したところから上流(右斜め上)に
行き丘のような山と交わった麓が「上賀茂神社」になります。 下鴨と上賀茂神社との中間にある緑が「京都府立植物園」です。
左は、火床の中心に祀られている祠です。 弘法大師と書かれていました。
右は、大文字の大の字の一画、二画、三画が交わったところになる火床の中心、「金尾(かなわ)」です。
左斜め上にも火床が見えます。 ちょうど弘法大師の祀られている真ん前になるわけです。
みんな、やれやれで休憩しているところですね(^_^)
先ほどの千人塚からのU字型に曲がった一般の登山道は、ここに出てくるようになります。
今まで見晴らしのない山道を登ってきて急に目の前に京都市街が現われます。
その時の感激を体験するのもまた良いですよ(^_^)v
上の左が先ほどの金尾のアップです。 この火床だけ4基で出来ています。
右は、第3画の右のはらいが下に伸びているところです。 道の右横に火床が続いているのが見えますね。
こちらは、先ほど登ってきた左はらいの道よりきれいな道が続いているように見ますが、火床を過ぎると急に道が悪くなります。
なれていない人は、こちらから下りない方が良いと思います。
上は、11月の大文字です。 少しだけ紅葉しているようでした。 草も今よりたくさん茂っていますね。
左の写真は、火床です。
又元に戻りましょう。 左の写真は、大の字の一番上の頂点になります。 字頭(じがしら)と言うそうです。
2基の火床からなっています。
初めて来られた方は、ここ字頭まで登られたらいかがでしょうか。 金尾からまた標高が上がりますので見晴らしが一段と良いです。
私はここで景色を見ながらのランチタイムとなりました。
おむすびをほおばりながら京都市街を見るランチも又楽しみの一つです。 ここで食べるのが又おいしいんですよ(^_^)v
ランチの後、休憩して2時より出発。
ここから大文字山頂上まで20分ほどかかります。
頂上は木々が伐採されていないので景色は見えません。 今日は、ここから頂上に行き山科の毘沙門堂に下りる事にしました。
右写真が最後の京都の景色が見れるところです。 これから頂上目指します。
さてここから先へ登る人は、少なくなります。
又ここからは、登りもきついところや ぬかるんでいるところもありますので軽登山靴ならちょうど良いと思います。
スニーカでも山歩きに慣れている方なら大丈夫ですが、慣れていない方は止めておかれた方が無難です。
左の写真は、途中の道です。 この辺りはまだ楽な道です。
右は、頂上に到着です。 2時20分でした。 知らなかったら通りすぎてしまいそうな頂上です。
木々の間から少し京都市内が見えていました。
隅に三等三角点と書かれた石もありました。
よく見ると木の上には、色々なものがぶら下がって賑やかでした。 ちょうど大文字山466メートルと書かれた物がありました。
ちょっと見えにくいですね。 5分ほど休憩して又出発です。
(追伸です。
平成21年7月に頂上に登りましたらベンチが設置され木々が伐採されて京都の町並みが見渡せるようになっていました。)
(頂上から京都市内が見渡すことが出来てビックリしました。 上写真は平成21年7月です)
途中の分かれ道には、必ず目印がされていますので見落とさないように行けば大丈夫です。
大事なところは、上のように目立つように赤字で木に描かれています。
道中、右の写真のような石が時々出てきて間違いない事も確かめられます。
今回は、毘沙門堂へ下りていきますが、去年の11月は、蹴上げ方面から南禅寺に下りずに日向(ひむかい)大神宮の方におりました。
左が山から下りてきたところの日向大神宮です。 高い位置にある拝殿から下りてきました。
右は、先ほどと反対の向きで下に下りてから振り返って撮りました。 鳥居の一番奥に見えているのが先ほどの拝殿ですね。
人が少なくて静かで落ち着く神社です。 内宮、外宮もあります。 こちらは、南禅寺近くで地下鉄蹴上の駅からも行けます。
山の中腹になります。 その内、こちらもゆっくりご案内したいと思っています。
花を求めて下を見ながら下りていきました。 あまり花は見あたりません。
こちらの下山道は、谷へ下りていくという感じがしました。 時折道がぬかるんでいるところがありました。
。
左よりマルバスミレ、ニガイチゴ、クサイチゴでしょうか。 花の名前、間違っていたら教えてくださいね。
こちらは、ムラサキケマンですね。 割とよく見かけました。
右写真は、だいぶん麓に下りてきたようで足元も歩きやすくなって来ました。
4時5分、やっと自動車道に出てきました。 川に沿って下りていきます。 山科聖天がありました。
こちらは寄らずにここから拝ませてもらいました。
毘沙門堂4時13分着でした。 途中写真を撮りながらの下山だったので頂上より約1時間45分ほどかかりました。
普通なら1時間ぐらいで下りてこれるのではないでしょうか。
主人は、私が写真を写すごとに立ち止まるので余計に疲れたと毘沙門堂の前で待っているとの事。
私だけ駆け足で拝観してきました。
上の左は、毘沙門堂の勅使門、右が薬医門だそうです。 山の中腹のきれいな大きなお寺です。
こちらは、境内です。 枝垂れ桜がありました。 こちらの桜は、有名です。
一度見に行きたいと思いながら実現していません。 もう新緑の桜になっていました。 右の写真は、霊殿のようです。
何か優雅な雰囲気だと思っていましたら、これらの建物は、昔、御所より移築されたものだそうです。
新緑が建物と調和して趣がありました。
左の写真は震殿だそうです。
由緒書きによりますと
「護法山出雲寺と号する天台宗の門跡寺院である。
大宝3年(703)創建と伝え、延暦年間(782〜805)伝教大師が下出雲路(しもいずもじ)で
自ら作った毘沙門天を安置して下出雲路寺と名付け、天台宗をひろめたので、世人はこれを毘沙門堂と呼んだ。
中世以降、たびかさなる戦乱で荒廃し、天正年間(1573〜91)に織田信長の兵乱で堂宇を全焼した。
慶長16年(1611)に天海僧正が後陽成天皇の勅命によって再興をはかり、中途で天海が亡くなったため、
その高弟公海が遺志を継いで寛文5年(1665)に再建され、
以来代々法親王が入室されて毘沙門堂門跡と称された。本堂には、伝教大師作の毘沙門天を本尊としてまつっている。」と
書かれていました。 このお寺は、どうも最初は鴨川近くにあったようで全焼後この山科に再建されたようです。
左の写真の奥の建物が本堂、前の建物が唐門になります。
今までの建物と少し趣が異なり、庶民的な感じがしました。 右は、唐門の直ぐ前にある仁王門です。
「本堂は、将軍家綱が大檀越となり、紀伊、尾張の徳川家から材木が寄進されて、寛文6年(1667)に竣工した。
全体に漆塗りや彩色彫刻が施されて豊かな装飾に特色が見られる。
本堂前の唐門、仁王門は、共に本堂と同時期のもので、和様と禅様が混合した特徴的な手法で一貫し、
日光東照宮の諸建築に通じる雰囲気を持っており、畿内では他に例があまりない。」と書かれていました。
お寺の受付の方によると仁王門は、浅草の雷門と同じ建物だそうです。 ホント?
私、テレビでしか見た事がないのですが、似ているような感じもしますが(^^ゞ
左が仁王門へ続く階段です。 右が毘沙門堂へ入るところの橋で「極楽橋」だそうです。
「第111代の後西天皇がこの地に行幸せられ、橋より上は、 さながら極楽浄土の様な清浄華麗な霊域であると
感嘆せられ極楽への橋「極楽橋」との勅号を賜り、
明治以前までは如何なる高位の人と言えどこの処で下乗され参拝されたのである」とのことでした。
橋は、写真の手前に少しだけで撮し方が悪いですね(^^ゞ すみません。
大文字山から下山でしたので、裏から入って表に出てきてる感じですね。 こちらも失礼しました。
毘沙門堂から閑静な住宅街の緩やかな坂道を下って山科の駅まで帰る事になります。
途中で琵琶湖から水を引いた山科疎水を渡りました。
こちらは、春、桜並木がきれいです。 子どもが小さいときに一度来ただけですが、ゆっくり又見に来たいと思っています。
今は、桜の葉が新緑でこちらも又春らしく良い眺めでした。
山科駅への目印があるので その指示通りに行くとJRや京阪電車、地下鉄の山科駅に着きました。
駅前でコーヒタイムを取って今日の大文字山から毘沙門堂行きはおしまいとなりました