index home

京都御苑内京都迎賓館参観


平17年8月28日


京都御苑に京都迎賓館が平成17年4月に開館しました。  
でもせっかくの市民の憩いの場の御苑が狭くなるので、建設はあまり良い気がしていなかったのですが、 京都の伝統工芸の匠たちの技術の粋を見てみたい気もします。 市民新聞に参観の応募がありました。  それならばと10枚の往復ハガキを出してみました。 一通に2名応募とのことです。  同じ名前では駄目かもと私と主人や、私と娘、息子、おじいさん、実家の母の名前まで借りて応募してみました。  一杯当たったら忙しいな〜なんて思っていましたら1枚だけしか当たりません。  でも後で当選倍率28.9倍だったと聞いてよく当たったものだとびっくりでした。  それも上手い具合に主人とのハガキが当たりました。 いつもながらのラッキー♪でした(^_^)






早速下見に迎賓館に行ってきました。 正門と正門に続く築地塀です。 京都御苑の景観に考慮して建てられたようで回りにしっくりと馴染んで違和感を感じさせません。
敷地面積 約20000平米、鉄筋コンクリート造、地下1階、地上1階建、延床面積約16000平米  入母屋屋根の数寄屋造りです。  28日が楽しみです。
でも迎賓館のすぐ西側に立つ紫宸殿のある京都御所の建礼門前に立つと違いますね。

 


京都御所の建礼門です。 右写真は建礼門の築地塀と写真右手の築地塀は大宮御所です。 その後方の山は大文字山です。




左写真は京都御所の西側の築地塀です。 右写真は建礼門の正面写真です。 
歴史を感じる威厳のある重厚な風格には、迎賓館と比較出来るものではありませんですね(^_^) それは当たり前かな(^_^)
京都御苑は東西700m、南北1300m、上の写真の京都御所をのぞいた65haが国民公園として終日開放されています。  苑内には5万本の樹木、蛤御門などの外周九門、かっての公家屋敷の遺構も多々あり、 散策、休養、スポーツ、自然や歴史のふれあう場所として市民に親しまれていますとのことですよ。
こんな中に建設された迎賓館、中はどうでしょうか。 楽しみです。 上の写真は平成15年の撮影です。


平17年8月28日


さあ、28日ですよ。 
家より主人と自転車チリリンリン♪と出発! 18分後に京都御苑に着きましたよ。 
京都人は「京都御苑」とは呼ばずに京都御苑やその中にある京都御所、大宮御所などひっくるめて「御所」と呼びます。  今回はややこしくなりそうですので京都御苑ということにします。




左の写真は京都御苑の東側通りの寺町通りに面した「清和院御門」です。 
清和院御門に入る手前の右横には右の写真の「梨木(なしのき)神社」があります。 写真は秋の紅葉時です。  明治維新の大功労者、三条実萬、その息子の三条実美が祭神として祀られています。 静かな神社ですよ。  京都三名水の染井の井戸が今も湧き出て水を汲みに来られている方をよく見かけます。 




清和院御門を入って右手に見えてくるのが左の写真の「迎賓館の南門」です。 
右の写真は近くから撮った「南門」です。 潜り戸から入るように言われます。  この南門は迎賓館では通用門のような感じみたいですね。 お家で言うと勝手口かな(笑)  




左の写真が南門を入って振り返ったところです。 写真の右手に先の南門が見えていますね。  南門を入ってすぐ左手の地下の駐車場の方へ下るように言われます。 こんな地下に入ってどこへ行くのでしょう?  地下の駐車場の中を指示通り歩いていきます。




地下を少し歩いて地上に上がっていくとこちらの正門のある正面玄関に出てきました。
左の写真が先日行った正門を中からとったところです。  海外の賓客はこの正門から入って右の写真の正面玄関に到着となり迎賓館の中に入って行かれるのでしょうね。  私もこちらの正門から入りたかったですね(*^_^*)




こちらは正面玄関を入ってすぐ右にある「ロビー溜まり」です。
小さいお部屋みたいに見えますが、撮してあるのは一部分で広いお部屋です。 ちょっとした会議室にも使えるとのことです。  椅子は西陣織とのことでした。 しっとりとした気品あるお部屋でした。 椅子や調度品のせいでしょうか。  なかなか結構です。





こちらはロビー溜まりからぐるっと左に回ったところにある「大会議室」の前から
見える池のある日本庭園ですね。 
奥に見えているのが「廊橋」です。 廊橋の向こうにも池のお庭が続いています。  こちらから見ると現代的な和風庭園のように見えます。




こちらが「大会議室」です。 
最大約70名までの会議が出来るそうです。 両側の壁は、可動式でそれぞれが前に出て部屋を3つに区切ることが出来ます。





こちらは大会議室の東の壁で月をバックにした比叡山です。 比叡山は京都の北東に位置する山です。  綴れ織(西陣織)で龍村美術織物(帯の龍村でお馴染みですね)製作です。 ちなみに椅子の座も龍村製の西陣織だそうですよ。  この壁が前に出て部屋を分割していくそうです。


椅子の背には五七の桐の紋が
みえますね。
これは日本国の紋だそうです。




漆に蒔絵を施した飾り台と有職織物の装束がりっぱですね。




こちらは西壁を飾っている愛宕山をデザインした綴れ織(西陣織)です。 こちらも龍村製です。  京都の北西に位置する愛宕山の夕暮れをイメージしているようですね。
こちらの壁も可動式で前に出るようになっています。




大会議室には迎賓館におかれている漆や蒔絵の調度品や座卓が展示されています。  迎賓館には京都の伝統技能があちらこちらと見られるようです。




大会議室を出て、池に沿ってさらに左回りに歩いていきます。  池の庭をぐるっと建物が取り囲むように建てられているわけですね。




晩餐室」です。 
晩餐室は約300平米です。 左横にある舞台を入れると約400平米あるそうです。  正面の壁には四季の花を描いた幅約16m、高さ約3mの綴れ織り(西陣織)の装飾「麗花」が豪華に飾られています。  こちらは川島織物製作とのことでした。 天井には昇降式の和紙格子を配置されています。




上の左写真の正面左横には高さを自由に変えられる約100平米の舞台が見えますね。
右写真は晩餐室の奥からみる晩餐室です。 女性が立っている後のガラス越しにお庭が見えるようになっています。  最大約120名の着席会食が可能だそうです。 






晩餐会に使われる食器類です。 上品な感じです。 椅子は漆塗りのように見えます。 座は川島織物製とのことです。






こちらは先ほど説明した晩餐室の左側にある「桧舞台」です。  
舞台扉には左写真の「截金(きりかね)」という伝統技術が生かされています。  截金は純金箔やプラチナ箔を数枚焼き合わせたものを丁寧に貼り付けて趣々の文様を描き出す技法です。  截金の人間国宝江里佐代子さんの作とのことです。




左写真は伝統的技術による錺金物(かざりかなもの)です。 神社やお寺などの建具の装飾によくみられます。  今回は組紐をイメージした現代風な模様のようです。






和室エリアの「大広間」です。 茶室建築の手法を取り入れた数寄屋造りです。  約105平米(56畳)あり、会議や会食に使用される予定だそうです。 無駄のないすっきりした品のある造りです。  さすが京の匠たちの技ですね。  この大広間では、8mの鴨居、8mの敷居、16mの土庇(どびさし)と普段使用しない大きさに大変苦労されたとのことでした。  中央には一本の木で出来た12mの漆塗りの座卓、天井板には幅50cm長さ12mの吉野杉の一枚板継ぎ目無し中杢(なかもく) 無節が使用されています。
畳は迎賓館用の最上級のいぐさを栽培し「中継表(なかつぎおもて)」の技法で制作されているそうです。  普通の畳はイグサを端から端まで使うのですが、中継表はイグサの良いところだけを使用するため、真ん中で継ぐ技法とのことです。  うっすらと畳の真ん中に継ぎ目の縦線が出るのが趣があるそうです。 継ぎ目の線見えるかな(*^_^*) 




障子、板戸などの京建具は非装飾が特徴で、 その分緻密さ正確さが要求され無駄をそぎ落とした端正な美しい建具になっているそうです。
土壁は土壁の代名詞と言われ最近入手困難な貴重な聚楽土が、迎賓館建設予定地で採取でき、それを利用した聚楽壁になっています。  耐火性にすぐれ、湿気を吸う生きた壁だそうです。 迎賓館の築地塀も聚楽土を混入しているそうです。




左は国の紋、五七の桐の錺金物(かざりかなもの)ですね。 
右の写真は大広間から眺められるお庭です。 奥は池になっています。  こちらの部屋も池のお庭を囲むように建てられています。





大広間のすぐ横の廊下には畳がひかれお庭が見えるようになっています。 こちらも中継表の真ん中の線、見えるかな。  全然無理ですね。 ごめんなさい(^^ゞ




有職織物の装束、右の掛け軸は小泉純一郎と書かれています。 小泉首相の直筆による掛け軸です。  和室会食棟の玄関に飾られていました。




廊橋の上からの庭園です。  
左写真は和室大広間の前のお庭です。
右写真は宿泊エリアや貴賓室、首脳会議などの会議室の建物です。 こちらは参観出来ませんでした。  
和室様式の寝室も用意されているそうです。




左の写真の奥の建物は大会議室です。 こちらも廊橋から撮りました。 
先の宿泊エリアは迎賓館の建物の北側、こちら大会議室は南側で廊橋を挟んで向かい合っています。  
ちなみに廊橋は東西に掛けられていて、正面玄関、ロビー溜まりは西側。 晩餐室、和室大広間は東側になります。 




四季折々を感じられる色々な樹木を植え、造園技術、石造工芸、竹工芸と京の伝統技術を結集させて 日本文化の粋を感じてもらえるように造られてあるそうです。




庭園を囲んだ建物をぐるっと参観させもらって正面玄関車寄せに戻ってきました。
左写真は正面玄関屋根の五七の桐です。 
右写真は車寄せ斜め向かいの赤松です。 品がありますね。 さすが迎賓館に植えられる松だけあるなと感心して写真を撮りました。  後で知ったのですがこちらは福島県安達郡大玉村在住の造園業者さんが育てられた赤松だそうですよ。  遠いところからはるばるやって来たのですね。 きっと選りすぐりの赤松なんでしょうね。
赤松の後の築地塀もいいですね。 確か迎賓館建設地で採取された聚楽土を使ってあるとのことでしたね。  こちらのものはどれを取っても隅々まで気品があって優雅です。




参観も終わり、また地下駐車場を通って南門の潜り戸を出ます。 さあ、これで参観おわりです。  正面に大宮御所の築地塀が見えています。  折角ですから迎賓館東隣の御所の小さな森を散歩することにしましょう。  
右写真は森にそって見える迎賓館の築地塀です。 森は迎賓館の東側の「コオロギの里」「母と子の森」と北に続きます。




ヤブミョウガの花と実がなっていました。 賑やかな街の中心とは思えないのんびり落ち着く空間です。




この森ではアキアカネ、オオシオカラトンボ、コシアキトンボと色々なトンボが見れるようです。  また野草のオオイヌノフグリ、キランソウ、ヤブカンゾウ、シャガ、ヒガンバナ、キツネノマゴなども見られるように 案内板に書かれていますよ。
御苑の中では鳥もたくさん鳴いています。
ジョウビタキ、シジュウカラ、キセキレイ、キビタキ、ツグミ、オオルリがいると書かれています。  へ〜そんなにいるのってびっくりです。 野鳥観察会も行われると聞きますからね。
そして御苑を一歩外に出ると車が一杯の街なかでもあるんですよね。 京都御苑は京都市民憩いの場であるのが納得ですね。 




右の写真には御苑の北東にある「染殿第」跡の井戸の遺構の「染殿井」と案内板に書かれています。
この辺りに平安時代の最初の摂政藤原良房の邸宅「染殿第」があった場所で良房の娘明子(文徳天皇の后、清和天皇の生母) の御所でもあり、清和天皇が譲位後こちらに移られて「清和院」と称されたとのことです。  梨木神社の染井の井戸と同じなのでしょうか。 少しだけ場所が違うのですが。
この日誌の一番最初の方にでてきた「清和院御門」の名の由来になっているとも書かれています。




先ほどの御苑の北東の森から一気に南へ下がり帰ることとします。
こちらは御苑の南にある旧九条家の遺構、「拾翠亭」とその前に広がる「九条池」です。  御苑南側の丸太町通りに面した堺町御門のすぐ近くです。 サルスベリが満開できれいでした。




「拾翠邸」は江戸後期の面影を残した書院風数寄屋造りで当時の貴族の生活の一端を今に伝えています。
3月から12月の毎週金、土曜日に参観出来ます。 参観料は100円だったと思います。 またどうぞ(*^_^*)




左写真の九条池に掛かる橋を渡ります。 奥に小さく見えているのが紫宸殿のある最初に紹介した京都御所の建礼門になります。  その後方にうっすらと見えているのが京都の北の山々です。  御苑の広大な風景を背にして南へ歩きます。  右写真の御苑の南側の丸太町通りに面している堺町御門を出て家路となりました。  写真は紅葉時のものです。 
京都の伝統技術の粋を参観でき、またそれらが大事に伝承されていることは京都人、日本人として嬉しい限りでした。  御苑が少し狭くなったもののまたそれも致し方ないかと思ってしまった次第です。 でも費用もさぞかしお高かったのでしょうね。  そちらもちょっと気になりますね(*^_^*) 

いつも最後までの長いお付き合い有り難うございましたm(_ _)m


おわり


index home