index home
三柱鳥居のある蚕ノ社(かいこのやしろ)へ♪


 

他県の友人のご依頼により三柱鳥居なるものを探索に行く事になりました(^_^)v 
普通、鳥居は2本の柱からなっていますが、今回は、3本の柱からなる三柱鳥居という鳥居、それも京都の右京区にあるとの事。  木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたま又は、このしまにいますあまてるみむすび)と言い、 木嶋神社と呼ばれているそうです。 さあ〜? 聞いた事ないなあ?  どうして探そうかと思いましたら、蚕ノ社とも言うとの事です。 なんだ、蚕ノ社(かいこのやしろ)の事か。  それならお安い御用といそいそと出かけていきました。

 
12月7日

蚕ノ社は、嵐山に行く京福電鉄嵐山線(こちらでは嵐電らんでんと呼ばれています。)の途中の駅にあります。  蚕ノ社は、前から知っていたのですが、まだ行った事がありませんでした。  変わった名前なので一度行ってみたいと思っていました。

話がちょっと横にそれますが、左の写真は、終点「嵐山」の一つ手前の「嵯峨駅前」です。  この嵐電の嵐山線には、読み方が難しい地名がたくさんあります。 蚕ノ社以外に「太秦」「帷子ノ辻」「車折」などです。  ところであなたは、すべてクリアーできますか(^_^)
太秦(うずまさ)、帷子ノ辻(かたびらのつじ)、車折(くるまざき)と読みますよ。  帷子ノ辻は、お歳を召した方は分かると思いますが、私は最初読めませんでした。  私もほんの少しお歳を召しているんですが(^^ゞ
帷子ノ辻って何か上品で響きが良いです。 私の好きな地名の一つです。
帷子ノ辻の謂われですが、諸説があるようです。
一つは、北から帯びる台地の末端が崖をなして平地に接するため片平と言った説。  もう一つは、嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子を嵯峨の深谷山に葬ったとき、 この地で棺を覆った経帷子が風で飛んだ事に由来すると言う説からと書かれていました。
太秦は、東映太秦映画村でご存じの方が多いと思います。  古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶、養蚕、機織などに優れた技術を持っていた秦氏が 本拠地としたのが蚕ノ社も含めたこの辺りになるそうです。  太秦の地名もこの秦氏から来ているそうです。  
又車折は、駅の直ぐ前に「車折神社(くるまざきじんじゃ)」があります。  学業向上、商売繁盛、売掛金回収のご利益があると言われる古社ですが、最近は境内の芸能神社のほうが有名なようです。  有名タレント、俳優、歌手の参拝が多いようですよ。  電車の中からよく見る事が出来ますが、こちらも良さそうな神社です。

他に「西院」と書いて「さい」と読む駅もあります。 ただし、阪急電車は、同じ字で「さいいん」と読みます。  「有栖川(ありすがわ)」「鹿王院(ろくおういん)」と言う駅もあります。 何かしら風情のある駅名が続き、  駅名を聞きながら乗っているだけでも楽しいですよ。  嵐山に行くのには、嵐電の他に阪急電車とJRがありますが、やはりこの嵐電で行くのをお勧めします。  一両車両で町なかから家々の間を走ったり、太秦駅のすぐ傍では、国宝第一号になった弥勒菩薩のある広隆寺の横も走ります。  又上の写真のように終点の嵐山の山々の景色が前方に見えて来るもワクワクさせてくれますし、 嵐山の渡月橋が駅の直ぐ近くも便利ですよ。




さあ今日は、家から自転車に乗って四条大宮駅まで行きました。  嵐電の四条大宮駅は、四条通と大宮通の交差した南西角にあります。  上の左の写真です。 斜め向かいには、阪急電車の四条大宮駅もあります。   賑やかな町の中にあります。 今回は、レトロ風の車両です。 あら良い感じと思いながら乗り込みました。   四条通りを越えて三条通りを通り、10分ほどで蚕ノ社に着きました。 ちょうど終点嵐山までの中間辺りになります。   蚕ノ社はどこかなとキョロキョロしましたら・・・・・・。
ありました、ありました。 大きな鳥居、一の鳥居かな、駅から少しバックした三条通りの向かい側に。




三条通に面した鳥居の額には、蚕養神社(こかいじんじゃ)と書かれていました。
鳥居をくぐりまっすぐ歩いていくと突き当たりに右の写真のうっそうとしたりっぱな森が見えてきました。  どうもこちらが木嶋神社、別名蚕ノ社のようです。 


 


突き当たりを左に曲がると立派な鳥居が現われました。  一の鳥居より歩いて5分ぐらいでした。  正面に立つとその風格に「わぁ〜! すごい!」。   思っていた以上の神社でした。 これはなかなか由緒正しき神社のようですね。  上の左の写真は西側から、右は歩いてきた道側の東側から撮しました。   さあ、それでは、まずは、木嶋神社、蚕ノ社へお参りに(^_^)v




左の写真が鳥居をくぐった直ぐのところです。 右の写真は、左の場所からさらに奥に進んだところです。  まさに鎮守の森のお社という感じですね。 休みでも静かで人も少なく落ち着いた神社できれいに掃除がされています。  この中央奥の建物が拝殿と書かれていました。 


 

左の写真が拝殿です。  拝殿の奥に本殿のある拝所が見えていますね。 また拝殿の左後ろに鳥居が立っています。   ちょっとうす暗い感じですね。 この鳥居の場所覚えておいてくださいね。 右の写真は、奥の拝所から振り返ったところです。  今歩いてきた景色が拝殿を通して見えます。  写真の奥に先ほどくぐってきた鳥居がかすかに見えています。 見えるかな?




左が拝所です。 その奥が本殿になります。 右の写真は階段を上がった拝所前です。 
この神社は、延喜式内社で天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、大国魂神(おおくにたまのみこと)、 穂々出見命(ほほでみのみこと)、鵜茅葺不合命(ふがやぶきあえずのみこと)が祀られている。  「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていた事がわかる。  古くより祈雨(きう)の神として信仰厚く、参詣の人も多かった事が「日本三代実録」などの文献からうかがえ知ることが出来る。  社殿は、明治以後のものであるが、市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、 巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、秦氏との関連を含めたいへん貴重なものとして 昭和60年に京都市の史蹟に指定されたと由緒書きに書かれていました。 




左の写真が拝所の奥正面の木嶋神社の本殿になります。 右の写真は、本殿の右側にある東本殿です。  こちらが養蚕、織物の神様が祀られてある蚕養神社になります。 製糸業者の信仰が厚いそうです。  この神社が蚕ノ社と呼ばれる由縁です。  本殿をお参りしました。 さあ、お待たせ致しました。  お待ちかねの三柱(みはしら)鳥居の方へ参りましょう!!
先ほど覚えておいてくださいと言った鳥居の所に戻りましょう。  拝殿の左後ろに鳥居が見えていましたよね。  下の写真です。 

左の写真の鳥居をくぐると階段が4,5段あり池に下りて行けるようになっています。  柵の奥にお待ちかねの三柱鳥居があります。 回りに木々が鬱蒼としているので暗くて見えにくいですね。  階段を下りていくとあれ何かおかしいな? 確か池の中に鎮座されているはずが・・・・・。 下まで下りたら池の底に下りていました。 まったく水がありません? 




上の左の写真です。 てっきり水を抜いてあるのだと思っていましたが、池の水が数年前から枯渇してしまったそうです。  左の写真は、水がない池の中から奥の鳥居を撮しました。  ちょっと鳥居が上手く撮れません(^^ゞ どこから撮れば良いかと悩みながらやっと撮れたのが下の写真です。  苦労した割には、出来が良くありませんでした。 毎度の事ですが(^^ゞ




左が柵側の正面(南)から撮ってあります。 右は、同じ方向から撮ってある水のある池からの写真で由緒書きにありました。  池の中に立っていてなかなか趣があるのですが、現在は、左のような可愛そうな状態です。  近隣の宅地化が進み下水工事が行なわれ昭和60年頃を境に水量が減り始め、10年ほど前から枯渇したようです。  昔は、鳥居の中心に水源があり滾々と湧き出ていて昭和44年には、京都名水として認められてもいたそうです。   とても残念ですね。  この池は「元糺の池(もとただすのいけ)」と言い、下鴨神社の「糺の森」は、この池に端を発するとされているそうです。  古いですね。  土用の丑の日に手足をひたすと諸病によいとされる「足つけ神事」は、今は、境内にある深さ30メートルの井戸から水を 汲み上げて行なわれているそうです。 そう言えば下鴨神社にも土用の丑の日の足つけ神事がありますよ。 なるほど。  又、お正月や10月10日前後の神幸祭にも水の中の三柱鳥居が見られるそうです。  湧き水復活のため地元の方達も色々と対策を練っておられるようですが、 なかなかうまく行かないのが現実だそうです。  本当に残念な事ですね。 あれ、又だいぶん横にそれてしましました(^^ゞ 鳥居に戻ります。
明神鳥居を三つ組み合わせた三方正面の鳥居です。 写真を別な角度から撮ったのが下の写真です。




左の写真は、東側から撮りました。 右は、北側からです。 奥に先ほどの正面の柵が見えますね。



左は、西側になります。 写真の右端に本殿の建物が見えています。  右は、北西からのものです。
由緒書きに寄りますと天保2年(1831)に再興されて京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居であるとなっていました。  その昔は、木製だったようですよ。 またこの三柱鳥居の意味するところは、分かっていないようです。  この鳥居は、回りを鬱蒼とした森に囲まれいるため薄暗い中に鎮座されています。  神社の方に電話で問い合わせました。  色々な諸説があるそうですが、一般には、この湧き水の水源を石で三角に積み上げた神座(かみくら)を 三方の鳥居で囲んでそれぞれの正面から拝めるようにしてあると言う説らしいですが、 もうひとつ??   他にもシルクロードを通って・・・・・という説もあるようです。  この辺りを本拠地にしていた秦氏との関係もあると言う説やら・・・・。  なにやら私にはわかりませんが、不可思議な感じのする神秘的な鳥居でした。  水が張られているともっと感じが出るでしょうに。 今度神幸祭辺りにもう一度訪れたいと思います。




拝所に明かりが灯ってきました。  それでは、そろそろ帰る事にしましょうかと来た道を戻りかけながら末社の写真や境内を撮していました。




左は、末社の椿丘大明神他が祀られていました。 
カメラを構えていた私の前に急に3才ぐらいの男の子が現われました。
真顔でジッと見るので「写真撮ってあげよか?」と言うと急ににこっと笑います。  2枚目の写真の時は、両頬にそれぞれの人差し指を押し当てて可愛いポーズをとってくれます。  きっと写真が好きなのですね。  写真の邪魔をしたと思われて一緒に来ていたおじいさんが飛んでこられました。  せっかくでしたのでお二人の写真も撮させてもらいました。  男の子の表情が何ともあいらしく見ているだけで自然と笑みが出て来ました(^_^)   住所を聞いて写真を送る約束をして別れました。  三柱鳥居から可愛い可愛いお土産をもらったようですごく嬉しく木嶋神社を後にしました。 




帰りはここまで来たのだからと蚕ノ社の駅から嵐電に乗り嵐山の渡月橋だけ寄ってとんぼ返りで帰りました。   嵐山は、紅葉もそろそろ終わりの夕暮れ時でした。 楽しいお土産付の三柱鳥居探索行きでニコニコのご帰還となりました 。 その日に早速写真をお送りしたところ、ご丁寧なお礼状を頂きました。  この近くにお住まいの方で私が境内を撮しているのを見ておられたようで、木嶋神社について詳しく書いて頂いていました。  たいへん参考になりました。 この場を借りてお礼を申し上げます。  今も時折可愛いお顔を思い出しています。 
裕豊くんお元気でしょうか
  
index home