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賀茂川から上賀茂神社、大田神社、深泥ヶ池、円通寺へ(^_^)v


日曜の午後、地下鉄北大路駅から冬枯れの賀茂川、上賀茂神社、太田神社、深泥ヶ池、円通寺と散策に行ってきました。

2月1日

左の写真は、賀茂川の北大路橋から北山大橋の間の東側の風景です。  この東側の北大路橋から北山大橋の土手の900メートルほどの散策路を「半木の道(なからぎのみち)」と言い、 紅枝垂れ桜の並木道にもなっています。 鴨川や賀茂川堤には、桜がたくさん植えられていますが、 この紅枝垂れ桜は、他よりも色が濃く、豪華な桜のトンネルにもなるためたくさんの人が満開時に訪れます。




上の写真は、4月中頃です。  桜が終わりかけなので、色がもう一つですが、こんな感じになりますよ。  お天気の良い日の春の賀茂川は、きれいでしょ(^_^)v




枝垂れ桜の東側の木々が鬱蒼としたところが京都府立植物園になります。   上の写真は、紅葉時の植物園の池(なからぎの池)の景色です。 こちらは紅葉の穴場だと思いますよ。
「総面積約24万平方メートルの植物園で東は、比叡山を始め東山連峰をのぞみ、西は、賀茂川の清流、 北に北山連峰を背景とした景勝地にあり、植物約1万2千種類、約12万本、約百万人の年間入園者あり。」 とパンフレットに書かれていましたよ。   ゆっくり色々な季節の植物を見ながら散策できるようになっていて広場も有り、 森もあり池もありの京都市民の憩いの場となってます。




左が紅枝垂れ桜の並木道です。 今は寂しげですが、満開時は、この枝垂れ桜がピンク色のトンネルになるわけです。  右が賀茂川の鴨たちです。 そばに行くとすぐに飛び立ってしまいますが、小ガモを連れた光景は、実に可愛いですね。




左は、北大路橋と北山大橋の中間あたりにある飛び石です。  この飛び石は、鴨川や賀茂川にある飛び石の中で一番間隔が狭く安心して渡れます。  右は、傍に行っても飛んでいかないユリカモメたちです。 飛び石の中央あたりから撮っています。  川の中央から見る景色もいい物ですよ。 ぜひ挑戦してください。  奥に一羽だけ中州にいる白い鳥は、コサギです。 ちょっと見えにくくてすみません。 




左の写真の白いのもユリカモメたちです。 賀茂川は、上流が北西に振っているので京都の北西に当たる山々が見えています。   右は、東側の土手よりのぞむ賀茂川です。 のんびりして良いですよ。  お天気が良いと散歩やジョギングの人がたくさん見られます。 今日は、寒いので人が少ないようです。




時折晴れたり、曇ったりする賀茂川を上流に向いて歩いて行きます。 左の写真の木々が川に映ってきれいでした。  左の写真の奥に見えているのが上賀茂橋です。 右は、だいぶん近くに見えてきた上賀茂橋です。  後ろの山が西賀茂船山で、山肌が見えているところが「五山の送り火」の一つ「船形」を見ることが出来ます。  ここなら8月16日の「五山の送り火」の夜、きれいに舟がうかびあがってくるのが見えるでしょうね。  確か振り返ると五山の中で一番最初に火がつく大文字山の「大」の字も見えていました。  この場所、覚えておきましょうね(^_^)v  
よく「五山の送り火」のことを「大文字焼き」と言う人が多いようです。  これは、お盆にお帰りになっていたお精霊おしょらいさん(ご先祖様)をお送りするためのものです。  どうぞお間違えのないように。 「知っているのに!」と言われそうですね。  誠に失礼致しました<(_ _)>




上賀茂橋を超えたら、御薗橋(みそのばし)が、見えてきました。   左が御薗橋です。  「みそのばし」って良い響きでしょ、私好きなんです(^_^)   右が御薗橋から見た舟形のある西賀茂船山です。 ちょっと見えにくいですね。



右の写真は、京都新聞のHPよりお借りしてきました。  上のHPに詳しく「五山の送り火」がのっていますので見てください。 お写真をお借りしましたので宣伝させて頂きます(^^)   有り難うございました。  さあ、ここで賀茂川ともお別れです。  御薗橋の上から船形をじっくり見た後、そのまま東に行くとすぐに上賀茂神社になります。




さあ、上賀茂神社に着きました。 京都では、「かみがも又は、かみがもさん」と呼ばれています。   「どうして神社やお寺にさんがつくのですか」と他県の方に聞かれたことがありますが、 清水さん(清水寺)にしてもお稲荷さん(伏見稲荷大社)も自然と口から出てきます。   言われるまで気が付きませんでした(^^ゞ  因みに「お豆さん、おいもさん(サツマイモ)と野菜にさんをつけます。  でも、おタマネギさん、お白菜さんとは、言いません(^_^)  これは、どういう違いなんでしょうか??   横にそれてしまいました。 又失礼致しました(^^ゞ
左が上賀茂神社の一の鳥居になります。  右が一の鳥居から見た参道と奥に見える二の鳥居が見えています。  両脇は芝生になっています。 芝焼きをされた後のようです。  実に広々としています。   又下鴨神社の参道の「糺す(ただす)の森」と雰囲気が違いますね。



左の写真は、二の鳥居です。 一の鳥居とまったく同じようですね。  上賀茂神社は、正しくは、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社と言います。  下鴨神社に祀られている賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、その女(むすめ)玉依媛命(たまよりひめのみこと) の孫や子になられるようです。   「玉依姫が境内の御手洗川で川遊びをしていると川上から白羽の矢一本が流れてきた。  これを持ち帰って床に挿して置いたところ、遂に感じて男子を生む。   のち男子天にむかって祭をなし屋根を穿って天に昇る。  別雷神(わけいかづちのかみ)とたたえ、祀る神社を賀茂別雷神社という。」 と由緒書きに書かれていました。 下鴨神社と並んで京都でも最古の神社の一つで7世紀末までに有力な神社となっており 平安建都以後は、国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めていたそうです。  延喜式内名神大社に列せられていたそうで本殿、権殿の2つの国宝や34棟の重要文化財があるようですよ。  林の中を小川が流れ落ち着いた雰囲気の境内は、約66万平方メートルもあるようです。  裏山などを入れているのでしょうね。




上の2つの写真は、二の鳥居の前の左右にありました。 左は、こちらの神社の神馬が繋がれていました。   上賀茂神社は、馬と深い関係があるそうで境内を葵の葉をつけて馬を走らせるようにとの御神託があり、 これより京都三大祭りの一つ「葵祭(賀茂祭)」が始まったそうです。  又、五月五日の競馬会(くらべうまえ)などの神事もあるようです。
右は、外幣殿げへいでん(御所屋)と言い、「法皇、上皇等の御幸、摂関の賀茂詣での際の著到殿。  又、競馬会神事、葵祭に使用する。  寛永五年(1628年)造営、重要文化財」と書かれていました。 




上は、二の鳥居をくぐった直ぐの境内です。 中央の建造物は、立砂が前にある細殿です。  右に舞殿、土屋となってすべて重要文化財になっています。 さすがに立派なものですね。  「風邪そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」 よく聞く歌ですね。  百人一首に収められている藤原家隆によるものです。 その楢の小川(ならのおがわ)がこの写真の奥に流れています。   楢の小川は、橋殿から上流(写真の左の方が上流になります)に本殿の東を流れる御物忌川(おものいみがわ)と 西を流れる御手洗川に別れています。  本殿は、細殿の左斜め奥になります。 この写真では、見えません。
左が細殿(ほそどの)です。 中央の奥に朱塗りの建物が少し見えているのが、本殿に続く楼門と玉橋です。  細殿の前の盛砂は、立砂(たてすな)と言います。  「立つとは、神様の御出現に由来した言葉である。  神代の昔、御祭神が最初に降臨になったのは神社2キロ北にある円錐形の神山(こうやま)である。  立砂は、この山にちなんだもので一種の神籬(ひもろぎ)(神様が降りられる憑代よりしろ)である。  鬼門、裏鬼門にお砂をまき清めるのは、この立砂が起源である。 つまり清めのお砂のはじまりである。」とのことです。  この前で毎年9月9日に氏子の子供たちによって烏相撲が奉納されているようですよ。


 

左は、舞殿まいどの(橋殿)です。 楢の小川をまたぐように作られています。  橋殿と言われる由縁でしょうか。  「勅使御拝の殿舎。 文久3年(1863年)造替。 重文。」  こちらからも舞殿の左奥に朱塗り楼門と玉橋が見えていますね。  この舞殿の両側に私たちが川を渡れるように橋が架けられていましたが、この舞殿を渡ってみたいなと思ってしましました(^_^)
右は、土屋です。 「往古より神主以下、社司の著到殿。 現今は、祓所として使う。寛永5年の造替。 重文。」とのことです。




舞殿の横の橋を渡るとやっと楼門と玉橋が現われます。  左が華やかな朱塗りの楼門で寛永5年造替で重文。  御物忌川にかかる玉橋を前にしています。 上賀茂神社と言えばこの景色の写真が定番ですね(^_^)   玉橋も重文です。 玉橋は渡れないようにしてあります。  玉橋の右隣にある片岡橋を渡って楼門へ行けるようにしてありました。 
右の写真は、片岡橋を渡って楼門の右手の方から撮ってあります。 唐破風の屋根が片岡橋でこちらも重文。  下鴨神社と同じく重文、重文のオンパレードです(^_^)  因みに左の写真の片岡橋の奥の朱塗りの橋が玉橋になり、  写真の右手は楼門になるわけですね。




左の写真が楼門をくぐると直ぐの階段の上の中門です。  中門から先へは行けずここから拝むようになっていました。  中門の下の階段の右横(東)には、「幣殿(祈祷殿)」、中門の左右(東西)の回廊には、「直会(なおらい)所」、 「御籍屋(みふだのや)」があります。  すべて寛永5年の造替、又こちらも重文です。 
右は、御簾の奥に国宝の「本殿」、「権現」が祀られています。  北寄りに建てられていて東より本殿、直ぐ西隣に権現となっていています。  「本殿は、流造神殿の曲型で権現とともに三間社流造、桧皮葺で文久3年(1863年)の建築である。」とのことでした。   ここから拝むようになっているので国宝の本殿がよく見えないのが残念でした。   「ちょっとすいません、御簾揚げてくださいな」と言いたくなってしまいそうでした。  何という罰当たりなんでしょうね(^^ゞ




左は、楼門を出て玉橋付近からとった写真です。  手前が御物忌川、左の建物が、さきほどの舞殿で、右に屋根が見えているのが細殿になります。  東から流れてきた御物忌川が、西から流れてきた御手洗川と合流して舞殿の手前で楢の小川となって舞殿の下を流れていくわけです。
下鴨神社の参道の「糺すの森」も良いのですが、境内は、上賀茂神社の方が下鴨神社より趣があって落ち着くように思います。  右は、楼門から片岡橋に戻って渡った直ぐの所にある第一摂社の「片山御子神社」です。  延喜式内の古社のようです。 皇室の御幸の折りには、必ずお参りされていたようですよ。 

 


右は、摂社の「賀茂山口神社」です。 舞殿の下を流れる楢の小川より少し下流にあります。  こちらも延喜式内の古社のようです。   境内には、たくさんの摂社や末社があります。 みな由緒ありそうな重々しい気配がします。  
左は、賀茂山口神社の直ぐ向かいにある「渉渓園(しょうけいえん)」です。 賀茂曲水宴の開催地となっていました。   楢の小川を利用しておこらなわれているようです。




上は、二葉姫稲荷神社です。  裏山をすこし登ったところにあります。   左が参道で少しだけ上ると直ぐに右の写真の二葉姫稲荷神社になります。   ほかにも八嶋龍神、金比羅大権現、三月豊不動明王らが祀られています。   二葉姫稲荷神社は、この地域のお社で、八嶋龍神は、この近くにあった池の龍神様だそうです。  これらをここに集めてお祀りしてあるそうです。 私は、ふとしたことでお参りするようになりまして上賀茂に来たときは、、 必ず参拝するようにしています。  あまりお参りに来る人が少なくて少しさみしそうですので是非いらしてくださいね(^_^)




二葉姫稲荷神社の参道を下ってくると民家のほうに出てきました。 上賀茂神社とお別れです。 
左は、「楢の小川」が上賀茂神社を出ると「明神川」と名を変えた川沿いにある社家(しゃけ)の町並みです。   社家は、上賀茂神社の神官たちの住まいだったようです。 川にかかる小橋、土塀の景観が趣ある美しい町並みを造っています。  右は、上賀茂神社の境外摂社の「大田神社」に続く社家の町並みです。 奥の突き当たりに大田神社があります。




大田神社です。 大田神社は、天鈿女命と猿田彦命が祀られています。 延喜式内の古社です。  左の写真の朱塗りの柵の右側が国の天然記念物に指定されている野生のカキツバタ群落の「大田ノ沢」です。  つまり参道の東側にあたります。 右の写真が拝殿、本殿のようです。




上がカキツバタの群落の「大田ノ沢」です。 
左の写真は5月9日の景色です。 右は、殺風景な今の景色です(^^ゞ  
「神山や大田ノ沢のかきつばた ふかきたのみはいろにみゆらむ」 藤原俊成の歌です。  解説によりますと「上賀茂神社の神山の近くにある大田ノ沢のカキツバタに(人が)よくお願いする恋事(いろ)は、 この花の色のようになんと一途(一色)で美しく可憐なのだろうか」と言うことだそうです。  この歌のように平安時代からこの付近の沢地にカキツバタが咲き乱れていて名勝となっていたそうです。  池の広さ約2千平方メートルで5月初旬頃が一番綺麗なようです。  写真愛好家の方たちがたくさんカキツバタを撮りに来られていましたよ


大田神社から社家の町並みを東に行きますと(上賀茂神社より20分ぐらい歩くと)横の写真の深泥ヶ池(みどろがいけ)にぶつかります。  面積約9ヘクタール、周囲約1.5キロメートルで現在でも氷河期時代以来の動植物が棲息する貴重な池とされています。  東日本北部の冷温帯に成立するはずの高層湿原が残っているため、西日本に残る数少ない高層湿原の水生植物群落として国の天然記念物に 指定されているようです。  深泥ヶ池と言えば京都では、もう一つのお話が有名です。 こわ〜いお話です。  府立病院から深泥ヶ池までと深夜に若い女性がタクシーに乗ります。  車が深泥ヶ池に着くと女性の姿がなくシートがびっしょりと濡れていました。  きゃ〜、こわぁ〜〜!! この話によく似た深泥ヶ池関連のこわいお話が他にも色々あります。  深夜にタクシーに乗って深泥ヶ池までと言うと運転手さんに嫌がられますのでくれぐれも気をつけてください(^_^)   ところがそのこわ〜い深泥ヶ池に昼間ですが、池の散策に一人で行きました。  こわ〜いお話が頭にあったのですが、尾瀬でよく見るミツガシワを見に池の周りの散策に行きました。  山側の池の回りは、木が生い茂っていて人もほとんど見かけません。 慌てていたせいか道を間違えて崖を上ろうとしていました。   こんな所で道に迷って夜になったら(そんなはずないような簡単な道ですが)と冷や汗ものでした(^^ゞ




深泥ヶ池から来た道を少し戻って閑静な住宅街を北に進みます。 急坂が現われてきます。 頑張って登っていきましょう。   左の坂道です。 登り切ったところから撮りました。 前に五条の家からここまで歩いてきたことがあります。  さすがにこの坂を一気に登ることが出来なくて何回も休憩したのを思い出します。  少しの間ですが、きつい坂です。 この坂を登りきると平坦な道になります。 5分ほど行くと円通寺参道という看板が見えてきます。 そこを右に曲がると右の写真の円通寺の山門が見えてきます。  残念なことに今日は、4時閉門となっていました。 冬の間は、早く閉められるようですね。  ここのお寺は、私のお気に入りのお寺です。  比叡山を借景にして庭に石が配置されているだけのお庭ですが、シーンとした静寂さが心地よく、何か心落ち着くお庭です。 




上の写真は、拝観時のパンフレットをスキャンさせてもらいました。   紅葉時に私が行ったときは、上の写真の真っ赤なモミジの葉が木の回りを絨毯のようにおおい「わぁ!」 と感嘆の声が出てしまうくらいの素晴らしさでした。   こちらは、江戸時代の初期(1639年)後水尾天皇が造営された幡枝離宮あとに霊元天皇の勅願所として開かれたお寺です。  庭園は、霊峰比叡山を借景にした枯山水平庭で幡枝離宮そのままを今に伝えるお庭だそうです。  このお庭は、400坪もあるのですが、前の生け垣の高低による遠近法で広さを感じさせないように造られているそうです。  どう見ても400坪もあるようには、見えないんですよ。 




去年の12月に雪が積もりました。 前から円通寺の雪景色を見たくて早速行ってみました。  こちらは、市内でも北に位置するため雪が多くて思っていたように素晴らしい雪景色でした。 













縁側から見る寒さも忘れるほどうっとりと雪の円通寺を堪能出来ました。  時折日が差して比叡山が見えそうになるのですが、又隠れてしまいました。   



帰りは、又、ぼたん雪になりしんしんとした参道を帰ってゆきました。 民家を抜けたあたりの畑も雪で覆われていました。  雪の円通寺もお勧めですよ。
このお寺のもう一つの私のお気に入りは、ご住職らしき方の説明のマイクのお声が庭とマッチしてとっても渋くて心地よいんです。  一度、玄関でそのお声の方をお見かけしました。 やはり、渋い方でした(^_^)  
今、 このお寺の下に道路が建設中です。  道路の傍にたくさんの住宅が出来るようです。  この比叡山の素晴らしい借景がいつまで維持できるのかが問題なようで今の内にと最近、写真解禁になりました。  三脚はダメだと思います。 静かすぎてシャッターの音さえはばかられる静けさです。  今のうちにぜひいらしてください。

比叡山の借景のお庭を人目と思ってせっかく坂道を登ってきたのですが、閉まっていては仕方なしと今日は、もう帰ることとしました。  正面に比叡山を見ながら帰る道を紹介します。 三門を左手にしてそのまままっすぐ歩きます。  行き止まりのような道に見えますが、左手に畑のあぜ道が出てきます。  比叡山を正面に見ながらそのあぜ道を下って行くと工事中の道路にぶつかります。  その道路に憤慨しながら左に曲がると民家の間の道に出ます。  右に曲がりその後も右へと取っていくと円通寺道のバス停に到着です。  要するに比叡山の方へ歩いていけばバス通りに出れるわけです。  ここから地下鉄国際会館駅までバスに乗り(向かい側のバス停なら北山駅まで乗ってください)そこから地下鉄で四条や京都駅に帰れますよ。  さあ、これにて今日の散策は、おしまいです。
大変長〜い日誌を最後までお付合い本当にありがとうございました。


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