紅葉の嵐山嵯峨野、龍安寺、金閣寺へ
平成17年11月19日
京都初めての友人に紅葉の京都を案内することとなりました。
友人は夜行寝台車で京都駅に6時34分到着。 ようこそ、京都へ。
お疲れ様でした(^_^)v
さっそく京都駅ビルを案内しましたが、 大階段横のなが〜いエスカレーターも京都の街の眺望が出来る東西自由通路も全て
10時からとのことでした。
それならと、駅ビル西側屋上から京都の街を堪能してもらいました。 朝の街が清々しいでした。
7時46分発のJR嵯峨線で京都市の西隣り亀岡市の亀岡駅一つ手前の馬堀駅へ。 8時14分到着です。
さあ友人ご希望の嵯峨野トロッコ電車に乗りますよ(^_^)v
JR馬堀駅からトロッコ電車の亀岡駅まで徒歩3,4分。
始発8時53分発の嵯峨駅までの電車にはまだ時間がありましたが、切符売り場で並んで待つこととなりました。
前に12〜15人ぐらいの人が並んでいます。 車両は五両もありますので楽々の乗車と思いきや、
私たちの切符2枚を買ったところで調度売り切れ、後は立ち見となりました。
よ、よかった(^^;) 前の方で団体用に何十枚も買われた方が何人かおられたようです。
紅葉時の京都のすごさを垣間見た気がしました。
出発の小さな改札口は人、人でふくれあがっていました。 可愛いピンクのトロッコ電車です。
電車は前一両のみトロッコ風で窓がありませんが、後の車両は普通の車両です。
トロッコ電車はこれで2回目ですが、不思議とワクワクするのはどうしてでしょうね(^_^)
右写真の保津峡の紅葉を見ながらトロッコ電車は進みます。 所々色付いています。 お天気も上々、さあ、紅葉の京都へ〜。
保津川下りの船も見えますよ。 みんな船から電車に向かって手を振ってくれています。 どの顔も嬉しいそうですね。
平和ですね。 結構なことです(^_^)v
ちなみに左写真は新緑のころの保津川下りです。 私も乗ってるんですよ。 わかるかな(笑)
保津川下りは時折急流下りらしき場所もありますが、全体にはゆっくりした下りの中を保津峡の美しい景観を見ながら
嵐山渡月橋まで下っていきます。
上のトロッコ電車の線路は旧山陰本線になります。
現在のJR山陰本線は一部嵯峨線と呼び名を変えて新たに造られた線路を走っています。
残された旧山陰線のこの保津峡の美しい渓谷を観光客の皆さんに見て頂こうと言うことでトロッコ電車が開通されたわけです。
嵐山駅9時14分下車後、常寂光寺へ向かいます。
嵐山嵯峨野の中でも極めつきの紅葉の名所、常寂光寺です。 上写真は仁王門です。
常寂光寺は突竟(くきょう)院日禎(にっしん)上人の開山。
18才で六条の日蓮宗大本山、本圀寺16世となられましたが、、34才の文禄4年(1595)の
秀吉建立の東山方広寺大仏殿千僧供養に出仕せず、この地に隠栖し、常寂光寺を開創されたそうです。
この仁王門はもと本圀寺客殿の南門を元和2年(1616)に移築されたものです。 よく京都の紅葉の写真に出て来ますね。
先ほどの仁王門から上へ登っていきます。 たくさんの人出です。 紅葉の中に緑のモミジも所々に見られます。
まだ少し早かったのでしょうか。
右写真は裏山の百人一首で名高い小倉山にある多宝塔からの京都市内の遠望です。
奥に京都の北東に位置する比叡山も見えていますね。 素敵な眺めです。
写真の左に見えている多宝塔は元和6年(1620)に京都町衆が大檀那として献じた物だそうです。
さあ、常寂光寺から次へ行きましょう。
左写真は落柿舎前からの嵯峨野ののんびりした風景です。 畑に可愛いコスモスが咲いていましたよ。
右写真は新緑時の落柿舎です。 江戸時代の俳人の向井去来の庵、松尾芭蕉も何度か訪れたそうですよ。
こちらは狭いところですが、200円いりますので前から拝見させてもらいました(*^_^*) 確か、昔は無料だったと思うのですが。
次は同じく小倉山の東麓にある二尊院です。
嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が承和年間(834〜847)に開山、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため、
二尊院と呼ぶそうですよ。 なるほど本堂に少し小振りの2尊が対のように並んで祀られていましたよ。
失礼ながら可愛いって思ってしまいました(*^_^*)
左写真は参道の「紅葉の馬場」です。 紅葉写真で時折紹介されているところですが、紅葉がもうひとつでしたね。
こちらもこれからかな。 右写真の様に真っ赤に染まって綺麗なところもありましたよ。
上は新緑の二尊院の「紅葉の参道」です。 総門から撮ってあります。 新緑も素敵でしたよ(^_^)v
境内のきれいな紅葉です。 白壁とモミジ、風情がありますね。
境内の色付きは全体に寂しい感じもしますが、この久しぶりの晴天、嬉しいですね。
左は本堂横のお庭です。 右写真は二尊院の本堂横の茶室「御園亭」です。
後水尾天皇の第5皇女賀子内親王の御化粧間を二尊院の茶室として移築されたものだそうです。
このお茶室は非公開なのですが、今回公開中とのこと、こちらに勤めておられるお知り合いのお薦めもありまして
それではと500円出して中へ。 拝観に500円、又茶室で500円、ちょっと高いかなと思いながら(*^_^*)
和服のしとやかな若い女性にお抹茶と説明を聞きながら、誰もいない茶室とお庭を少しの間独占できほっとしました(^_^)v
お薄も御菓子もおいしゅうございましたm(_
_)m
二尊院からさらに嵯峨野を奥へ、祇王寺へと進みます。
こちらは平清盛の寵愛をうけた祇王と妹祇女が世をはかなんで尼となって移り住んだ小倉山麓の草庵の地です。
平家物語に出てきますね。
竹林とモミジに囲まれた美しい苔庭の静かな静かな庵です。 新緑も素敵ですよ。 今回はまだ緑が多いようでした。
こちらも少し早かったのでしょうか。
新緑の祇王寺です。 緑一色にとけ込んだ庵が素敵でした。 こちらもどうぞ(*^_^*)
今度は嵐山の方にもどって天龍寺へと行きましょう。
天龍寺の門をくぐると紅葉の木々が美しいですね。 こちらの紅葉はきれいでした。 拝観の受付ですでに人の列です。
天龍寺は1339年(暦応2年)、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建したそうです。
天龍寺のお庭と曹源池です。 こちらのお庭は世界文化遺産に登録されているんですよ。
赤や黄色と色鮮やかな紅葉が素敵ですね。 人がいないともっと良いのですが、ちょっと残念ですね。
天龍寺の北門を出ると竹林の道が続きます。 外に出た瞬間、人の多さに、唖然!
びっくりでした。 テレビなどでこちらをよく紹介されるようになっていますからね。
仕方ないので静かな時の趣のある竹林も貼っておきますね。
竹林の道から亀山公園を抜けて大堰川(保津川)の渡月橋へ向かいます。
こちらは人も少なくて静かでのんびりして良いですね。
やっぱりこうでなくっちゃ! でも、結構大堰川まで遠いですね。 トロッコを降りてからたくさん歩かせましたね。
友人も疲れたかな。 ごめんね(*^_^*) でもこの後も京都の街なかをいっぱい歩かせたですね。
こちらも再度ごめんでしたm(__)m
大堰川の渡月橋です。 嵐山の中腹に法輪寺の塔が見えていますね。
右写真は大堰川の下流から嵐山を背にした渡月橋です。
それでは、ここらでお昼を食べましょう。
あまりの人出にどこも一杯、やっと座れて友人が初めて食べる京都のおうどんです。
薄味の京風、いかがでしょうか。
あれ! お出しの味しかしません。
向かいに座っていた名古屋からの若いお嬢さんたちも京都はこんな味ですかと聞かれ、と、とんでもない!
どうやら忙しくて味付けを忘れたそうです。 大笑いです。 これも後になると楽しい想い出になりました。
さて今度は嵐電に乗って龍安寺へ行きましょう。
左写真は龍安寺に入ってすぐの前庭にある大きな池、鏡容池(きょうようち)です。
3年ほど前にこの池周辺の素晴らしい紅葉と出逢えたので期待してやってきたのですが、
残念ながら龍安寺の今年の紅葉もまだ早すぎたようです。
右写真は3年前の紅葉の写真です。 石庭のある庫裏より石段下を撮してあります。
今回、同じ場所はまだ青々とした緑一色でした。 残念、残念。
石庭です。 こちらも世界文化遺産に登録されていますよ。
こちらの紅葉は右写真の場所のみでした。
こちらは3年前の11月25日です。
龍安寺は徳大寺家の別荘だったのを1450年(宝徳2年)細川勝元(応仁の乱の東軍の大将)が譲り受け禅寺としたのが
始まりだそうです。
水戸の徳川光圀公が龍安寺へ寄進した銭形のつくばいのレプリカです。 本物は非公開の茶室のそばに置かれているようです。
光圀公が「大日本史」を編纂するにあたり龍安寺所蔵の「太平記」を借りたお礼の寄進だそうですよ。
歴史を感じますね。 左写真では字が読み取れませんので3年前の写真を右に貼り付けておきますね。
中心の口の字をそれぞれに共用すると「吾唯足知」(われただたるをしる)となり、禅の格言だそうですよ。
石庭から鏡容池にもどってきました。 藤原時代の由緒をとどめる気品のある池となっています。
今年はだいぶん紅葉が遅れているようですが、龍安寺が一番遅れているようでした。
龍安寺から金閣寺に向かいます。 夕方が迫ってきましたのでタクシーを乗ります。
金閣寺に向かう観光道路は渋滞で先へ進みません。 迂回して金閣寺へ行ってもらいました。
でもその道も混んでいましたが、やっと金閣寺に無事到着。 しかし、拝観受付は人で溢れています。
有名寺院の紅葉時は混み合います。 困りますね。
ブッシュ大統領夫妻と小泉首相がこちらに来られてすぐ後だったので余計に混みあったのかもしれませんね。
鏡湖池(きょうこち)の舎利殿金閣です。 2層と3層には漆の上に純金の箔が貼られており室町時代の代表的な建物です。
でも残念なことに昭和25年に寺の徒弟の放火により全焼、その後昭和30年に再建されました。
現在の金箔は昭和62年に張り替えられています。
金閣寺は正式には「鹿苑寺(ろくおんじ)」と言います。
足利三代将軍義満が、1397年(応永4年)に西園寺家の別荘を譲り受け山荘北山殿を造りました。
金閣を中心にした庭園、建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、又この時代の文化を北山文化ともよばれています。
義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山とし義満の法号鹿苑院殿から、鹿苑寺と名付けられたとのことですよ。
こちらも世界文化遺産に登録されていますよ。
金閣寺参道の鐘楼です。
右写真は銀閣寺を出て見える左大文字です。 お盆の16日の送り火には夜空に大の字が浮かぶのがよく見えることでしょうね。
この後、京都駅に友人の荷物を取りにもどりました。 夕方のうす暗い駅ビル内のポーっと灯る照明はムードがあるんですよ。
恋人たちのデートスポットにいい感じですよ。
朝行けなかった東西自由通路から見渡す夜の京都の街灯りも素敵です。 大きなクリスマスツリーも見られましたしね。
写真がありませんので去年のものをどうぞ。
京都駅から四条に出て二人で夜の鴨川を見ながらの先斗町(ぽんとちょう)での夕食となりました。
最近は、先斗町もお手軽な値段のお店が増えましたから嬉しいですね。
上写真は夜の先斗町です。 先斗町は両手を伸ばしたら手がつきそうなくらいの狭い小路ですが、たくさんのお店が並びます。
舞妓さんを呼ぶ御茶屋さんもありますよ。 食事の帰りに、しっかり舞妓さんともすれ違えましたよ(^_^)v
舞妓さんは夕方のお座敷があると8時ぐらいに次のお座敷に移られますので、
8時ぐらいに先斗町や祇園を歩かれると出逢えるかもしれませんよ。
先斗町から祇園白川の巽橋、花見小路を通り宿へと辿り着きました。 上写真は祇園白川あたりです。
たくさん歩かせましたね。 お疲れ様でした。
でも楽しい1日が終わりました。 明日も又京都観光ですね。 楽しみですね(^_^)v
おしまい