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松尾大社から渡月橋、天龍寺へ(^_^)v



土曜の2時頃から松尾大社から渡月橋、天龍寺と嵐山散策に行ってきました。

10月4日




左の写真は、桂川から見た嵐山方面です。 右は松尾大社の一の鳥居です。 左の写真のこぶのある山は、「愛宕山(あたごやま)」です。 
私はつい最近まで「あたごさん」と読むと思っていました。 皆がそう呼んでいたものですから。  そう言われれば「あたごやま」と読むようにも思います。 京都では、「清水寺」を「きよみずさん」、「八坂神社」を「やさかさん」と親しみを込めて言います。  どうもそれと同じところから来た呼び方のようです。  「大文字山(だいもんじやま)」は、「だいもんじ又はだいもんじさん」と言い「だいもんじやま」と言う人はほとんどいないと思います。

そう言う風に言うのは、きっと他府県出身者だと思います。 私もそうですが(^^ゞ  分かり易いかなと思って紹介する時にわざと使っています。  京都の言葉使いは、何か面白いですね。 京都生れの友人は言います。 私の「愛宕さん」のアクセントが違う。 「あたごさん」と 山の名前のように言ってはだめ、友達を呼ぶように「愛宕さ〜ん」と呼んでと言われてしまいました(^^ゞ  同じ関西でも京都弁のもの言いは、難しいです(^^ゞ   まだまだ京都人にはなりきれないようです(^_^)  
左の写真は、4月の桂川からの愛宕さ〜ん(^_^)vです。
愛宕さんには、神様が祀ってある愛宕神社が頂上にあります。  この山は、嵐山の風景によく出てきます。 京都では、東の比叡山、西の愛宕山として有名です。 昔、二つの山が高さ比べをして喧嘩をしました。  比叡山にたたかれてこぶが出来た愛宕山はそのこぶの分だけ高くなったそうですよ(^_^)
因みに比叡山は、「ひえいざん」と呼びます。 「比叡さ〜ん」とは決して言いません。  なんでやろ〜(^_^) 
毎年7月31日は、愛宕神社の年に一度の千日参りがあります。  この日に3才までの子供を連れて行くとその子は一生火事に遭わないと言われています。  でも、結構この山は段差がきつくて大変なんですよ。  夜の山道には所々に灯りが用意されていて小さな子供を背負った方からお年寄り、子供などで賑やかな千日参りとなります。  右の写真は、4月の松尾大社の一の鳥居の写真です。 桂川の土手も見えますね。









左が松尾大社の2の鳥居です。 松尾大社は、先の説明の通り「松尾さん」と呼ばれています。 右は楼門です。  京都で最古の神社の一つで上賀茂神社、下鴨神社に並ぶ由緒ある神社のようです。




上の写真は、4月24日の写真です。 こちらの境内に咲く山吹を見に行った時のものです。 新緑で木々の色が何とも言えませんね。  青々とした若葉の中すがすがしい気持ちがします。




こちらは元に戻って10月の写真です。 左は拝殿でその奥が本殿になります。  右は、神興庫の酒樽です。 全国の酒造家より奉献された樽の数々です。  松尾大社は、酒の神様として全国に知られているようです。




上は、両側に山吹の花をバックにした新緑の拝殿です。 楼門から撮りました。 山吹、分かりますか。 お母さんと小さな子供さんがお父さんに山吹をバックに写真を撮ってもらています。 和やかな春らしい風景です。  こうなると「もう春じゃないといや〜ん!」となってしまいますね(^_^)  秋の松尾さん、ちょっとの間だけお休みしててね(^_^)




上の左の写真は、先の写真の拝殿前の階段を上がって振り返って撮しました。 つまり境内側から見た楼門です。 両脇に山吹が咲いています。 右の写真は楼門と拝殿の間にある橋の上から撮ったものです。 山吹の真っ盛りは、4,5日前のようでもう少し早く来ればもっときれいだったそうです。 でも、参道にもたくさん咲いいて若葉の木々の下に山吹が鮮やかでしたよ。




上の写真が本殿です。  写真の左の方に少し映っているのが先の写真の拝殿になります。
由緒書きより
「大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の二神を祀る。  大宝元年(701)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山大杉谷の磐座(いわくら)の神霊を勧請し、 当地に社殿を建立したのが起こりと伝え、平安時代には皇城鎮護の神として、 また中世以降は醸造の神として人々の信仰を集めている。  本殿(重要文化財)は「松尾造り」と呼ばれる珍しい建築で天文11年(1542)に改築されたものである。」とのことでした。




さあ、秋の松尾さん、お待たせしました(^_^)  これからまた元の10月4日に戻りましょう(^_^)v
左は、裏山にある霊亀の滝と滝御前社です。  右は、その直ぐ横に亀の井です。  水を汲みに来られているようです。   酒造家はこの水を酒の元水として造り水に温和して用い、また寿命長寿、よみがえりの水としても有名なようです。




左の写真は、松尾大社を出たところの桂川の土手の公園です。  この写真の木々の裏が桂川です。  木々の前の道が桂川の遊歩道になっています。  この道を山に向かって進むと隣の道に続いています。  隣の写真にこぶの山愛宕山が見えています。  この山に向かって歩いていくと嵐山になります。




のんびりして気持ちのいいお天気でした。  愛宕山を前に見ながらどんどん進んで行きましょう。




左は渡月橋が遙か彼方に見えてきたところです。   右は、だいぶん近くまで寄ってきました。 前方に中之島が見えてきました。




左は中之島に渡る中之島橋です。 右は中之島です。  お店や料亭がたくさん並んでいます。




左は中之島から見た渡月橋です。 右は渡月橋に到着です。 松尾さんから歩いて35分ぐらいでした。 渡月橋を渡りましょう。

右の写真は、振り返った景色です。  振り返ると山の中腹に見える建物が「虚空蔵さん」として親しまれている「法輪寺」です。  ここは、十三参りのお寺として有名です。  春になると数えで13才になった子供たちがお参りに来ます。 私の娘も息子もお参りに来ました。  渡月橋を渡って帰る時には、法輪寺の方を振り返ると折角のご利益がなくなると言われています。 渡り終えてからみんな振り返っていましたね(笑)




渡月橋から見た上流の風景です。 渡月橋から上流が大堰川といい、そのまた上流の保津峡あたりを保津川と言います。  保津川下りとして有名です。 先ほどから歩いてきた渡月橋より下流を桂川と言います。  同じ川なのに名前が変ってややこしいですね。 さあ橋を渡って天龍寺に向いて歩いていきましょう。




左はは天龍寺の境内に咲いていた萩の花です。  右は天龍寺の法堂(はつとう)です。 天井の雲竜は明治の巨匠鈴木松年によるものだそうですが、暗くて見栄にくいでした。  額に手をかざして見ると良いと教えてもらいましたが駄目でした(笑)。



天龍寺は、南朝の後醍醐天皇の霊を慰めるために足利尊氏が夢窓国師を開山として、 嵐山を借景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのが始まりだようです。  後醍醐天皇は、幼少期から青年期をこの地で成長、修学されたようです。  御朱印船、天竜寺船の利益により建立された事もよく知られていますね。  京都五山の第一位にも列せられ、4キロ四方にも渡る大きなお寺だったんですね。




左は庫裏です。 ここから拝観すると大方丈からお庭を見ることが出来ます。  大方丈から見るお庭のほうが本当の風情を感じますが、今回はお庭からの拝観にします。  右はお庭から大方丈を通して見た向こう側のお庭です。




上は夢窓国師の作庭の曹源池庭園で、嵐山、亀山などを巧みに取り入れた借景庭園になっています。  国の特別名勝として初めて指定されたのもこの庭園で、 世界遺産にも登録されているようですね。 ここは、京都のお庭の中でも私のお気に入りのお庭の一つです。  嵐山に行かれたときは、ぜひ寄ってみて下さい。




天龍寺の北門から出るとそこは、竹林の道です。 ここから嵐山の奥の嵯峨野に続いていきます。 こちらも良いですよ。 ぜひ続きを行ってみてください。 今日は、もう遅くなってきましたので帰ることにします。



竹林の帰り道にある野宮神社(ののみやじんじゃ)です。 
源氏物語にも出てくる古い神社ですが、縁結びの神様なので若い人で一杯です。 

この鳥居は皮付き丸太をそのまま使用してある珍しいもので「黒木鳥居」と言うそうですよ。





日が暮れてきた渡月橋です。  
この橋をお月様が渡っていくところから渡月橋と名付けられたとか。  
でも、残念ながらそれまで待ってられませんので今日は、この辺でさようなら






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