index home
大原三千院から赤山禅院、鷺森神社、曼殊院へ



東京の姪を連れて大原三千院へ紅葉見物に行くことになりました。
朝一番に出かければ、静かな紅葉の三千院を楽しめるかと思い、朝早く出かけてみました。


平成16年11月21日 
家を7時前に出て京阪電車で出町柳まで行きました。 出町柳7時30分発大原行きの京都バスに乗りました。  大原は京都駅から1時間ほどの市内の北東にあります。   昔のことを思うと楽に行けるようになりました。 
8時に大原着。 川沿いの参道を歩いて8時10分三千院着。 朝のせいか寒くて二人急ぎ足となりました。
開門8時30分。 団体観光客等たくさんの拝観客で玄関から一杯の人。 静かな三千院とは行かず、あれまあでした。  広い庭に出ると何とか混み具合もマシになりました。

三千院(さんぜんいん)











三千院横の来迎院、音無の滝への道




音無の滝へ前から行ってみたかったのですが、一人の山道のためまだ行ったことがありませんでした。  三千院の白壁に沿って山道をを上っていきます。  急に人が少なくなり、ハラハラと舞う落ち葉を踏みしめながら紅葉の道を ゆっくりのんびりいいですね。 やはり静かな人の少ない紅葉が一番ですね。




途中で来迎院を通り過ぎ、右の写真の音無の滝が見えて来ました。 歩いて15分ほどだったでしょうか。  それほどの滝でありませんでしたが、今日のような賑やかな三千院と違い落ち着きました。  山道も来迎院までが風情がありましたね。 今年はこちらも紅葉が悪いのでしょうか。  一人歩きで行くかれるのなら来迎院まででいかがでしょうか。


三千院御門近くの宝泉院、勝林院へ




滝から再び三千院に戻って、三千院の御門を通り過ぎ勝林院、宝泉院へ行きました。   白壁に紅葉のモミジが鮮やかでした。 建物との調和がやはり山道と違い趣がありますね。


宝泉院(ほうせんいん) 勝林院(しょうりんいん)


左の宝泉院は、「桃山の血天井」があります。 血天井は、関ヶ原の戦いの時に伏見城の鳥居元忠らの自刃の血痕の後です。  こちらは分かりにくいですが、三十三間堂近くの養源院がはっきりしていました。 ちょっと恐いですね。
こちらの廊下の柱を額に見たてて庭を絵のように見るのがおもしろいですが、 人が多すぎて今日は額縁の絵にはなっていませんでした(^^ゞ
右の勝林院も今回は中に入らず表からお参りしました。 こちらは表から全体が見えるので中に入らない人が多いですが、 なかなか良いお寺ですよ。 「大原問答」でよく知られているお寺です。  

11時20分発の京都駅行きのバスに乗りました。 朝と違い満員となり、 このまま家に帰るつもりでしたが、満員バスから逃れるため11時40分に蓮花寺近くの上橋バス停で 降りました。
蓮花寺の中に入ると玄関脇の紅葉が悪いのでこちらも拝観を止めてしまいました(^^ゞ 蓮花寺の前を流れる高野川の橋を渡り、 少し坂を上がっていくと叡山電鉄の可愛い踏切になりました。   八瀬に行く一両編成の叡電が通り過ぎるのをのんびり見送りながら踏切を渡り、 比叡山の麓の住宅街を曼殊院方面の南へと歩いて行きました。 途中、畑や古い民家もありましたね。  そうそう、車が走る山道も少しだけ頑張って越えて行きましたよ。


赤山禅院(せきざんぜんいん)



12時30分赤山禅院着。  
左は赤山禅院の参道です。 この参道は紅葉の名所と聞いていました。  もみじ祭をしていましたが、ちょっとまだ早いのか、色づきが悪いようでした。  こちらの参道の入り口に大きな鳥居があり、あれお寺じゃないの?と思ってしまいます。  でも一応比叡山延暦寺の別院「赤山禅院」ですからね(笑)




左の写真は本殿の屋根に置かれている「方除けの猿」です。 御幣と鈴を持っていますね。
このお寺は御所の表鬼門の方角にあり御所の鬼門を守る寺とされ、又京都の鬼門を守っているとも。  このお猿さんは御所の表鬼門にある「猿が辻の猿」と呼応して悪神を封じるといわれています。




上の写真が御所の猿が辻です。 御所の表鬼門のこの場所だけ角をとってあります。  上の方に白い物が見えているのが御幣を持った御所のお猿さんです。  ちょっと暗くて見えにくいでしたね。  この2匹のお猿さんが頑張って京都を災いから守ってくれているわけですね。  おおきに有り難うさんどす(^_^)



修学院離宮総門
赤山禅院からすぐ近くに修学院離宮があります。  こちらは拝観申し込みを事前にしないと拝観できません。  私も何年か前に拝観したのですが、京都市内を見渡せる素晴らしい日本庭園の上御茶屋が印象深いです。  下御茶屋、中御茶屋、上御茶屋に別れていて、離宮内の広々とした畑の間を通って行くようになっています。  農作業をしておられるのを見ながら次の茶屋に向かうのも又のんびりします。 さすが、離宮だと実感できる素晴らしさです。  円通寺の元の幡枝離宮を造った後水尾天皇(江戸時代初期)によるものです。 一度是非どうぞ。


鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)
修学院離宮総門の前の通りを南にどんどん行きますとなだらかな坂道にぶつかります。  その坂道を山を背にして少し下がっていくと左側に鷺森神社の北側の鳥居が見えてきます。  鷺森神社の紅葉はこの辺りの紅葉より少し遅くこれから下の写真は12月12日のものです。




左の写真がその坂道の途中の鷺森神社の北の参道です。  残念なことに雨が降っていてせっかくの紅葉がだいぶん散っていましたが、噂通りの鮮やかな色彩には感嘆でした。  この北側の参道の鳥居を左横に見てどんどん下がっていき左に曲がったところが右の写真の神社西の表参道の鳥居となります。  せっかくですのでこの表参道から入って紹介しましょうね。


 

右は参道を本殿の方に向いて(山に向いて)なだらかな坂道になっています。 左の写真は振り返った参道です。




しとしとと降る雨の中、深紅の紅葉が素晴らしいです。  いつもこちらのモミジの参道を歩きながらいつか紅葉を見に来たいと思っていました。  思っていた以上の鮮やかな紅葉で天気が良ければもっときれいでしょうにと少し残念ですね。






左が拝殿です。 奥が本殿になるわけです。  こちらの鷺森神社の御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)で、創建は貞観年間で今より1100年余り前で、 先に紹介した赤山禅院辺りに祀られてありましたが、応仁の乱で社殿焼失のため、 こちらも先程前を通った修学院離宮の山中に移されてありました。  しかし後水尾上皇が修学院離宮を造営されるにあたりこの鷺の森に社地を賜り元禄2年(1689年)に 遷座され修学院山端地区の氏神神社として今に至っているそうです。  現在の社殿は安永4年(1775年)に改築されたそうです。 なかなか格式を感じる重厚な社殿です。
いつ訪れても人が少なく静かで何とも趣のある落ち着いた森の中の神社です。 私の好きな神社の一つでもあります。




左は拝殿の上から下を見降ろしたところにある舞殿でしょうか。 舞殿の奥に丸く見えているのが境内の東になる参道です。  森の中を抜けるようになっています。 
右の写真はその参道途中にある石橋から振り返ったところです。 舞殿と奥に拝殿が見えています。
左の写真の石橋を渡り真っ直ぐ森の中の道ををぬけたところに車道が出てきます。 
左の写真に白い立て札が見えますね。 
そちらに曼殊院→と書かれていますよ。
先の車道を山に向かって登っていくと曼殊院に突き当たるようになっています。 
こちらから歩いて10分ぐらいでしょうか。








曼殊院(まんしゅいん)
12時50分曼殊院着。 バスを降りてから休むことなく歩くこと1時間10分歩きましたね。  姪は普段歩くのが好きだとのことでしたが、文句も言わず私のお付き合いしてくれました。  ごめんね、たくさん歩かせました。






比叡山の山裾にあり格式の高い門跡寺院で皇太子、秋篠宮ご夫婦など皇族の方々が多く参拝されているようでした。 
桂離宮を造った八条宮智仁親王の子息、良尚法親王の再建で桂離宮と同じ意匠が随所に使われていることで有名です。




上の池は曼殊院前の池です。 この池の傍に弁天さんがお祀りされています。 この池の周りの紅葉がいつも素晴らしいです。   池のそばの茶店のお蕎麦も美味しいですよ。  今回は満席で順番待ちのため、先に曼殊院を拝観して帰ってきましたが、 まだ番が来ていません。  今回は諦めて次回に食べることにしましょう。


一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)
曼殊院から圓光寺と歩いてきました。 楽しみにここまで歩いてきたのですが、今日はダメだと思いました。  圓光寺は普段は人が少なくて静かなお寺です。  門から階段を上がりきると眼下に五山の送り火の「妙法」の「法」の山や、洛北の家々を見ることが出来きます。  また玄関の水琴窟に水を掛けるとカランコロンと清々しい音を奏でてくれるのが良いんですよね。 いらっしゃいって感じですよ。  また奥の座敷から 一面のモミジの風流なお庭を眺めながらゆっくり物思いに耽ることが出来るお寺です。  紅葉の時はやはりそう言うわけにはいかないようです。 紅葉時は、夜のライトアップもあるくらいですからね。  せっかくここまで歩いてきましたが、又今度ね。
円光寺のすぐ近くに詩仙堂もあります。 詩仙堂はお花の咲いている時期が良いように思うのでこちらもパスです。  門から玄関までのアプローチで風情をちょっと頂いてさよならしました(^^ゞ 
詩仙堂の前の坂をバス道まで下ってきた途中に左の写真の松があります。  この松の下で江戸初期の剣客「宮本武蔵」が吉岡一門数十人と決闘をしたという伝説の残る「一乗寺下り松」です。 時代劇のお好きな方ならよくご存じですよね(^_^)   今は住宅街の中にぽつんとあります。 古くから旅人の目印として植え継がれ現在で4代目になるとのことでした。 この松を通り過ぎてゆっくりとした道を下っていくと白川通りのバス道となりました。 
一乗寺下り松町のバス停から京都駅行きのバスに乗り帰ることとなりました。


市内の賑やかな東山三条あたりに入ってきました。 バスがなかなか先に進みません。  この東山通りは、観光シーズンになるとよく渋滞する道です。  このまま乗っていると時間が掛かりそうに思って、東山三条でバスを降りました。  近くに知恩院もあるので知恩院に寄ってから歩いて帰ろうかと思いました。  しかし、白川そばの知恩院の古門から覗くと今日は知恩院が遙かかなたに見えてきます(>_<) 右の景色です。  これは同じ場所からの春の景色です。 写真の 奥に知恩院の黒門が見えていますね。 こちらを行くと知恩院に行けるわけです。 でもちょっと疲れてきました。 
横を見ると白川に変わった橋が見えますよ。 
一本橋、通称行者橋といいます。




比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師に報告し、 京の町に入洛するとき最初に渡る橋であり、 行者橋とも阿闍梨橋とも言われる。  又江戸時代、この橋を粟田祭りの剣鉾が差して渡る「曲渡り(曲差し)」が呼び物であったと書かれていましたよ。
人が一人渡ることが出来るくらいの橋ですが、白川に掛かって趣があります。 
この白川は琵琶湖からの疎水で舞妓さん達が渡っていく祇園の巽橋の下を流れて最後に鴨川に流れていくわけです。 
川に沿って10分弱ぐらい歩いていくと祇園情緒溢れる町並みに行けますよ。  
左の写真が祇園の巽橋です。  
こちらもぜひいらしてくださいね。 
夜なら舞妓さんに会えるかもしれませんよ(^_^)v





  
上の写真はこの橋の上流、三条通りの方へ2〜3分歩いた路地にある「明智光秀の首塚」です。  歴史に興味のある方は、こちらもどうぞ。 光秀が山科で農民に討たれた後、 家来がここまでやって来て首を埋めた場所だそうですよ。
疲れてきましたのでタクシーで家まで空いた道を帰ってもらおうと乗り込みました。  すると「五条駅に置いてある自転車どうするの」と姪の一言で自転車のことを思い出し、 京阪電車の五条駅でタクシーを降りて自転車での帰りとなりました。  朝、時間がなくて五条駅まで自転車で行ったのをまったく忘れていました。 歳ですね(^^ゞ 
ほな、今日はこの辺で。 お疲れさんどした


index home