【愛のかたち】
幼心に求めた愛に、手が届いたことなんてなかった。今までずっと。
だからこれからも、きっと同じ。
届かないとわかっているなら、はじめから伸ばさなければいい。
そうして、求めることをやめた時から、
何が愛なのかわからなくなった。
例えそれが、自分が求めていたものだったとしても。
「38度7分……。まだ高いね。もう少しおとなしくしてな。」
額のタオルを取り替えようと伸ばされた手は、タオルに行き着くより先に頭を叩いた。
「いってぇなぁ…。何すんだよ。」
「はん、自業自得だよ。飲み過ぎて外で寝てるあんたが悪いよ。」
病人に対する扱いではないだろうと文句を言ってやろうと思ったが、やめた。
余計な体力を消耗するのは避けたかったし、今こいつとは必要以上に口を聞く気にはならない。
俺は今、かなり機嫌が悪い。
それは体調が悪いからだけじゃなかった。
「ご飯は食べれるかい?食べれるなら消化にいいものでも作ってくるけど。」
「別に…おまえが作る必要ねーだろ。」
その言葉に、一瞬だけ止まった手元。
「……じゃあセバスチャンに伝えてくるよ。それなら文句ないだろ?」
「しいな。」
水差しの水を注ぎ、俺の枕元へ置いたあと厨房へと向かおうとする女…しいなを、咎めるような声で呼んだ。
「…何だい?」
「何じゃねーよ。わかってんだろ?」
強まる、苛立ち。
返事をしたけれど振り向かないしいなの背中に、慈悲のかけらもなく言葉を投げつける。
「俺とおまえは別れたの。…俺達もうなんでもねーのよ。だからおまえが俺を看病する必要なんてねーの。」
なんて、残酷な言葉だろう。
けれどそんな言葉を告げることに、痛みなんて感じない。
むしろ、その言葉にしいなが傷つくことを望んでいる自分がいる。
別れを告げたのは自分だった。
一方的に…しかも酷く身勝手な理由で。
女は、愛を与えてくれるものだといった男がいた。
けれど、愛なんて求めていない自分にとって女なんて暇な時間を埋めてくれればいいだけの存在。
しいなだって、例外じゃない。
風変わりなミズホの民。
その中でも『疫病神』と言われ厄介払いをされている存在。
「遊ぶ」には好都合だった。
まわりだって「遊び」と思うだろうし、冷たく突き放したところでまわりから非難すらあがらない。
そんな好条件に加え、抜群のスタイルと整った顔立ち。
だから、しいなを選んだ。
けれど、思ったよりもガードが堅い。
遊ぶことすら難しい。
手をつなぐことすらできない女なんて初めてだった。
ならば自分には必要ない。むしろ重荷なくらいだった。
だから、別れを告げた。
はじめは遠回しに柔らかい口調で。
女は察しが早いから、大抵の女がこの方法で離れていった。
……けれど、納得がいかないのか、それとも難しい言い回しを理解できなかったのか。
しいなはまったく反応を示さなかった。
ならばストレートに言うしかない。
俺様女なら誰だっていいのよ。
暇つぶしてほしかっただけ。
さらりと言ってのける。
遊びだったんだぜ?
そんなことにも気付かねーの?
そんな意味合いの言葉を付け足して。
いくら気丈だといっても、女は女。
冷たい言葉を投げ付ければ傷つくだろうし、そのうち離れていくだろう。
けれどそんな自分の読みが誤っていると気付かされる。
遊びでもいいよ。
あたしが、勝手にあんたに本気になっただけだから。
それなら、文句ないだろう?
しいなは、俺から離れていかなかった。
いつもと変わりない態度。
変わらない笑顔。
いくら残酷な言葉を告げても涙すら見せないしいなの態度に、苛立ちは増すばかり。
どうして。
どうして冷たい言葉を投げ掛けられても俺の傍にいたいと思えるんだ。
金がそんなに欲しい?
神子様の隣のポジションがほしい?
けれどそれらをちらつかせても、しいなは反応を示さない。
違う。
しいなが欲しいものはそんなものじゃない。
じゃあ、なんだ。
おまえが欲しいものは…俺に求めてるものはなんだっていうんだよ。
「………いったはずだよ。あたしがどうしようと勝手だろ?」
また、失敗。
今日何度目かのため息が漏れた。
「……おまえさ、いい加減にしろよ。」
限界。
風邪のせいで疲れていたこともあったのだろう。
もう我慢ならなかった。
「…何が目的だよ。」
「何の話だい。」
「とぼけるなよ。なんか目的があるから俺の傍から離れねーんだろ!?………っ!」
大声を張り上げたせいで風邪でやられた気管支がひどく痛む。
思わず咳き込むと、慌てて振り向く体。
「ちょ…ゼロス!大丈夫かい?ほら…水、飲みな。」
差し出された水。
そしてしいなは咳き込む俺の背中を擦った。
その、手の感触。
…なんだ?
ざわり、と。
胸を何か慣れない感覚が走り抜ける。
幼心に求めた愛に、手が届いたことなんてなかった。
求めなくても差し出された愛は、醜い欲望を含んだ偽りのものばかりだった。
じゃあ、今胸に走るこれは……何?
─、何を考えてる?
偽物に決まってるじゃないか。
今までずっと。
だからこれからも、きっと同じ。
─、偽物なら、必要ない。
「…触るなよ…っ!」
─、ざわり。
その不慣れな感覚と滅多にひかない風邪が、完全に俺の手元を狂わせた。
「───!」
ぱしゃん、と。
音を立てて床に落ちたグラス。
そのグラスは、払い除けた衝撃で無惨にも砕けていた。
破片で切ったのだろう…指から流れる、血。
けれど、グラスに当たるよりも先に感じた、柔らかい感触。
「………!」
しいなの肩を払い除けようとした手は、狙いが外れて頬に当たってしまった。
「…っ」
一瞬だけ、しいなが眉を潜める。
爪でも当たったのだろう…唇の端から滲みだす血。
「……!」
殴るつもりなんて、なかった。
怪我を負わせるつもりなんて、なかった。
ざわり。
ざわり。
さっきの感覚が、今度は胸を締め付ける。
でも。
これでしいなは本当に傷ついただろうから、今度こそ、俺から離れて……──。
そんなことを考えていた思考を、
ぱん、と。
ひどく乾いた音が遮った。
「…?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
けれど、しばらくするとじんわりと頬に広がっていく痛み。
「……物を粗末にするんじゃないよ、ゼロス。」
するどい、しいなの視線。
─、殴られた?
部屋に響く凛とした、声。
「貧民街の人達が水一杯、グラス一つ手に入れることさえきつい生活をしていることくらい、知ってるだろう。
……あんたまで物を粗雑に扱う貴族達と同レベルになるんじゃないよ。」
厳しい声。
茫然としている俺の目の前で乱暴に唇の血を拭って、しいなは懐から何かを取り出す。
それは、真っ白なハンカチ。
それが汚れることも惜しまず、しいなは俺の指をきつく縛った。
自分の血も、ハンカチで拭えばよかったのに。
「…風邪引いて抵抗力が落ちてるから本当は殺菌したガーゼとかのがいいんだろうけど…。
今持ち合わせがないからそれ当てときな。」
─………あ…。
こいつ、そこまで考えて……。
慣れない感覚が、胸に広がっていく。
けれどさっきまで気持ちの悪かったそれは。
─ふわり、と。
温かいものへと形を変えていた。
叱られたことなんてなかった。
けれど、優しくされたこともなかった。
幼心に愛を求め、届かなかったとき、どうすれば届くのだろうと必死で考えた。
一生懸命頑張れば、誉めてくれるだろうか。
悪いことをしたらちゃんと叱ってくれるだろうか。
けれど、そのどちらにも自分の手が届くことはなかった。
だから、愛なんてわからなくなった。
わかろうともしなくなった。
それなのに。
触れる指が。
真剣な眼差しが。
偽物ではなく、本物の「愛情」なのだと、気付いてしまった。
ふわり。
ふわり。
慣れないその感覚は、幼い頃に求めた、愛、そのもの……────。
「─……何、泣いてんだい。情けない。」
告げられた言葉とは裏腹、しいなの声はひどく優しく、甘い。
ぎゅっと頭を抱き締められたその温もりに、幾筋もの涙が頬を伝った。
けれど、どうして?
「…なんで…俺なんかに構うんだよ。」
まるで拗ねた子供のように。
…否、きっと愛を求めなくなったあの日から、心は子供のままなのだろう。
そんな俺をあやすように、しいなはふわりと微笑んだ。
「なんでって、決まってるじゃないか。」
包み込むように抱えられた頭に、優しく響く声。
「あんたのことが好きだから、あんたの病気を治してやりたかったんだよ。」
風邪だけじゃない。
……あんたがずっと抱えてきた、心の病も。
「まあ、言い方を変えればあんたのどーしようもなく曲がった性格を、真っすぐ伸ばしてやりたかったってことさ。」
優しく抱き抱えられていた頭にごつん、と拳が落ちた。
今度こそ病人に対する扱いではないだろうと文句を言ってやろうと思ったが、……やっぱりやめた。
今はまだ、このぬくもりに包まれていたかったから。
「……しいな。」
「はいよ。なんだい?」
幼心に求めた愛が、届いたその先にしいながいるなら。
「─……おまえのこと、本気で好きになっても、いいか?」
その言葉にひどく幸せそうに笑い、しいなは頷いた。
「でも、ちゃんと風邪を治して…他の女との関係を綺麗にしてからじゃないとだめだからね。」
「…おう。」
偽物なんて、もういらない。
求めた「愛」が。
本物の「愛」が
ふわり。
ふわり、と。
こんなにも近くに。
手を伸ばせば届くところにあるのだから。
--------------------------------------------------------
真輝様とのミニ企画第2弾。
テーマは「病気」です。
ダークなゼロスを目指したが結局はただの甘えん坊に(汗)
でもゼロスは基本的に子供染みた思考だと思うのですよね。
母親の愛情を求めるような…。
しいなの母性本能を表現できていればいいのですが。
◇ 砂 ◇