「───…ん……。」


頬に、何か柔らかいものが触れた。

段々と浮上しはじめる意識。
同時に感じた、ひんやりとした室内の空気。

そこでやっと転寝をしてしまったのだと気付く。
…久々に帰ってきた我が家で掃除と洗濯を終えたら、心地よい風に誘われついうとうとしてしまったのだ。

空気が冷たいということはもう夕方だろうか?
家事が終わったのが2時過ぎだったから、相当な時間眠ってしまったに違いない。


「……起き、なきゃ……。」


寝てる場合じゃない。
明日の会議で必要な報告書は出来上がってないし、会議のあとのパーティーに参加するためのパーティードレスだって支度していない。

寝呆けた思考を必死に叩き起こそうとするけれど、疲れきっていた体を一度休めてしまったせいか脳はなかなか起きてくれない。

…そもそも頬に何か当たってくすぐったかったから目が覚めたんだっけ。
…じゃあその「何か」とはなんだろう?

そんなことを順に考えていたとき………───。




「…悪ぃ…起こしちまったか…?」




いるはずのない人間の声が、耳元で聞こえた。







「え……?」

何で?
どうして?

ここはあたしの家(しかも寝室)だ。
今日はあたししか家にいなくて。
寝室であるこの部屋は、あたし以外……特に赤毛でスケベなアホ神子は進入禁止にしたはずで。

それなのに今耳元聞こえたのは、赤毛でスケベなアホ神子の………───



「き…、きゃああぁ!」
「のわぁっ!」



寝ていた頭に一気に目覚めが訪れた。


進入禁止の寝室の、あたしの真隣り…しかもいつの間にかかけられていた一枚の掛け布団の中に、………エロアホ神子、ゼロスがいたんだ。


「み…耳元ででけぇ声だすなよ…。」
「あ、あんたが悪いんじゃないか!何するのさこのスケベ男!」


冷え込んできたあたしに布団をかけてくれたのがゼロスだってことはすぐわかったし、感謝してる。
でも、一緒の布団に入るなんて何考えてるんだこいつは。


「しいなが寒そうだったから俺様布団かけてあげたんだぜ?」
「そ…そりゃありがたいけど、そもそも進入禁止だったし、一緒に寝るなんてあんた何考えてるんだいっ!」
「しいな全然起きなかったし。それにさ〜…、気持ち良さそうだったからついつい…。」


へらへらと笑ってゼロスは再び横になる。


「ちょ、ちょっと…。」
「い〜じゃん。俺様も疲れてるのよ。ちょっと寝かせて〜…。」
「自分の家で寝ればいいじゃないか…。わざわざこんなとこまできて…。」
「だって家だと落ち着けない。ここなら静かだし、しいなもいるし。」
「…!」



──、あたしが…いるから?



いつもより疲れの色濃い表情。
声にもふざけたトーンは見られない……寧ろ、甘えるような…柔らかいトーン。

そんな声で自分の名前を呼ばれて、あたしは思わずどきりとしてしまった。



急に早くなる鼓動。



「か…勝手にしなっ。その代わりあたしはもう起きるからねっ!」



大きな声でぶつけるように告げてから、転寝で崩れてしまった帯を慌てて直す。
そのまま戸惑いを隠そうとして…ついついあたしはゼロスに背中を向けてしまった。


あ〜…、なにやってんだい、あたしは。


この男に対して、動揺を隠そうなんてのは、単なる悪あがきのようなものだ。
ゼロスはへらへらしている割に人の行動には人一倍敏感だし、……加えてあたしは人一倍感情を隠すのが苦手だ。
隠そうとすればするほどうまくいかなくて、ゼロスにいつもからかわれるってのに。


けれど。



「…悪ィな。サンキュ。」



………あれ?




いつもなら、
「しいな照れてんの〜?」
とか、
「俺様ってば愛されてる〜。」
とか。
ふざけた言葉が返ってくるっていうのに。
声はさっきのように優しいトーンのままで……そのままゼロスはゆっくりと目を閉じてしまった。


調子狂うじゃないか…なんだっていうんだい…。


「……今日は、随分とおとなしいんだね。」
「……追い出されるようなことするつもりねーよ。しいなんとこ、居心地いいからな。」
「そ…そうかい。」



布団に潜り込んでもごもごと喋るゼロスの表情は伺えない。
返ってくる言葉はやっぱりいつもとは違うものだった。



駄目だ。
ここまでにしよう。

これじゃ動揺し続けるだけだ。
話を終わりにしておいて、そのままゼロスには静かに寝ててもらえばいい。
その間に書類と、支度と、ご飯の支度をしてしまえば………。




「…ホントにしいな、もう起きちまうの?」

「…っ」




……計画失敗。
呼び掛けられた穏やかな声に、あたしの考えはあっという間に遮断されてしまった。


「…あ…当たり前だよ。明日の会議の書類も作ってないし、支度もしてない。それに、ご飯も作らなきゃ。」


早口にやることを並べあげて、早く会話を終わらせようとする。
普段と違うゼロスの口調に、あたしの胸は大きな音をたてるばかりだ。


「………。」


……ゼロスから返事はない。


会話は、終わった…んだろうか。


とりあえず、今がチャンスだ。
一眠りして疲れがとれれば、ゼロスだっていつもの調子に戻るはず。


だから。

早く立ち上がって、ここを離れて、ゼロスが寝てる間にあたしもいつもの調子を取り戻して。
そしたらきっと、いつもの空気に戻って……───





「…ちょっとだけ、俺様の傍にいてくれねぇ?」

「……!」





それが、とどめの一言だった。


ゼロスに向けている背が、自然と震える。


「……な…んで…。」


あたしに何してほしいっていうのさ。
なんであたしにそんなことを求めるのかわからない。



「……ったく、ほんとおまえって鈍いのな。」



呆れたような声に一瞬動揺が怒りに変わりかける。


──、何か言いたいならはっきり言えばいいじゃないか。


そう告げてやろうと思って勢い良く振り返れば。



「……!」



ふわりと。

再び頬に柔らかいものが触れた。



「ぁ……──。」

「──、嫌なら、逃げていいから。」



言葉は告げることもできずに止まってしまった。
気付けばあたしは、大人の男性の大きな胸に抱き留められていたんだ。


「ぇ…え??」

「…嫌じゃないなら、このまま少しおとなしくしてて。」


ほんの一瞬だけだけど、
ゼロスの手が、小刻みに震えていた。


──、ゼロス…緊張してる…?


いつもへらへらして…、そんな様子見せたことなかったくせに。
恐る恐る、何か壊れ物に触れるかのように…ゼロスはあたしに触れた。




視界を埋める、赤。


ああ、そうか。
さっき頬に触れた柔らかい感触はこれだ。

燃えるように赤くて、上質の糸のような綺麗で柔らかい髪。
それがあたしの頬をくすぐっていたんだ。



「………。」

「……、逃げないのか?」



そう問われて、あたしは返事につまった。




どうしてだろう。
嫌じゃないんだ。

だって…こいつは赤毛でスケベなアホ神子なのに。
それなのに。


「嫌じゃ…ない。」
「……!」


不思議だ。
ゼロスの鼓動が大きく波打ってる。

その音を聞いてたら、さっきまで動揺していた気持ちがすう…っと落ち着いていった。



きっと。
こいつは不安が消えなくてあたしのとこにきたんだ。
そして…あたしが寝てるとき、ずっとあたしのことを眺めてたんだ。
髪が、頬に触れるほどの距離で。

それってすごく恥ずかしいことだけど……それだけゼロスがあたしを必要としてくれてるってことなんだろう。



「……あたしはあんたといて嫌じゃないよ。……それで答えになってるかい?」

「──、ほんとか?」

「嘘なんかつかないよ。あたしが嘘が苦手なことしってるだろ?」


ゼロスに甘えられるのは…嫌じゃない。

こうして、あんたといる時間が、自分の中で妙に落ち着いた時間だって……今実感してる自分がいる。
あんたの温もりを感じていることに、安心している自分がいるんだ。



「──、何心配してんだい。あんたは馬鹿でアホでエロ神子だけど…あんたのことを必要ないなんて思ったこと、一度だってないよ。」

「──!」



その言葉がゼロスの不安を解消するために適した言葉だったかどうかはわからない。
けれどその言葉に、あたしを抱き締める腕が強くなったから……間違ってはいなかったんだと思う。





そのまま、あたしは言われるがまましばらくゼロスの傍にいた。

書類と支度は…その分ゼロスに手伝ってもらえばいい…、そう勝手に解釈して。


「もすこししたらご飯にするかい?」

「しいな、作ってくれんの?」

「甘えんぼな神子さまに今日は特別だよ。」



ああ。
やっぱり…今日のあんたは変だよ。

そんなに嬉しそうに笑うなんてさ。




いつもとちょっと違うゼロスに触れた。

何が不安だったかわからないけど……これでよかったのだろう。




あんたとあたし。
ふたりで過ごす時間。


それはあたしにとって、
とても…大切な時間に変わりつつあるようだ。







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時系列的には「想い」の続きです。
寝てるしいなにつられてゼロスも寝ちゃったっていう設定。
前回はゼロス視点ですが、今回はしいな視点で。
ゼロスが臆病になってるほどしいなとゼロスの距離は遠くないんだよって話。

◇ 砂 ◇