【黒猫.3】
やはり、“ミズホの民”は服装が変わっているせいか目立つのだろう。
名前などわからなくても、腕の中でぐったりとしている少女自身で宿泊の確認がとれた。
気のよい宿の主人は、宿帳から部屋番号を調べだし、部屋まで案内してくれた。
「何かございましたら遠慮なくお申し付けください、神子様。」
「おう、サンキュー。」
主人の退出を確認してから、眠る少女の汗を拭ってやる。
「『藤林、しいな』…─。」
それは宿帳のサインで確認した名前。
ミズホ独特の文化を思わせる、珍しい名前。
「“しいな”ちゃん、か。…精霊研究所で何してるんだろうなあ…。」
─…自らのマナが空っぽになってしまうほどのこと。
あそこは最近人工精霊を作り出したと噂されていた。
もしかしたら関係があるのだろうか。
そのとき。
「…ん…。」
「!」
小さく声が漏れて、ゆっくりと目蓋が開かれる。
震える長い睫毛の間から、茶色の大きな瞳が見えた。
「…あたし…。」
「気、失ったんだよ。真っ青だったんだぜ?大丈夫か?」
自分の存在に気付き、驚いたといった表情で見つめられる。
「どうして、あんたがここにいるのさ…。」
「俺様が運んできたの。助けてもらったんだもん、助けるのが当たり前でしょ?」
ばっちりウインクをして笑いかけたが、『黒猫』は気まずそうな顔をした。
「…神子が?」
「そう、俺様。…………うーん…その呼び方、俺様いやだなあ。」
「……は?」
「俺様神子って名前じゃなくて、『ゼロス』っていうの。」
「…知ってるに決まってるじゃないか。」
何がしたいんだと言わんばかりの視線を投げ付けられるが、引くわけにはいかない。
彼女だけには、俺を“俺”だと呼んでほしくて。
「じゃあ、俺様のこと、『ゼロス』って呼んで。」
「…あたしのこと『黒猫』とか勝手にあだ名つけた奴に、そんなこといわれたくない。」
ほんと、楽しい。
彼女の反応ひとつひとつが、自分にとってはすごく新鮮。
返されているのは冷たい返事のはずなのに、楽しくて仕方ない。
もっと話したい。
もっと君を教えて。
もっと、俺を知って。
「どうしてあそこであたしを待ってたのさ。」
「だから〜、お礼がしたかったんだってば。」
そう明るく答えたら彼女は視線をそらしてしまった。
「…嘘つき。」
「ん?」
「…悪いけど、あたしはナンパとか興味ないから。そういうのは他の女にしな。」
うわ………見事図星。
「まいったなあ…“しいな”ちゃんほんと、すごいわ。」
「名前もあたしを運ぶときに宿帳で調べたんだろ?…ばればれだよ」
「うわぁ…マジでばればれ…。…けど、少しくらいお話してよ、しいなちゃん。」
「神子、あたしは…。」
「ストップ。」
断ろうとしたしいなの唇に指をたてる。
「だから、『神子』じゃなくて、『ゼロス』だってば。」
お願い。
『神子』なんて肩書きじゃなくて。
ちゃんと『ゼロス』って名前で呼んで。
「………。」
少し悩んだ結果、しいなは呆れたようにため息を吐いた。
「…“ゼロス”、あたしこれから里に帰らないといけないんだ。あんたと話してる暇なんてないんだよ。」
“しいな”に初めて呼ばれた、“ゼロス”という自分の名前。
その声音が気持ちいい響きで、思わず浸ってしまいそうになる。
けれど、『帰らないといけない』というしいなの言葉が、それを遮断した。
「な〜にいってんの。こんなにマナ消費した状態で帰るつもりか?ぶっ倒れるぜ。」
「けど…報告があるんだ。」
「おいおいおいおい、勘弁してくれよ。具合の悪い女の子を一人で帰すわけにいかないでしょーよ。」
マジで危ない。
いくらモンスターがいないとは言え、いつどこで何があるかわからないのに。
ベッドから起き上がろうとするしいなを、そっと押し止めた。
「…放してよ。」
「だぁめ。里にはほら…“式神”ってやつだっけ?それにお願いして連絡いれればいいでしょ?」
抵抗するしいなの腕を掴み、ベッドへと体を押し付ける。
「…あ。」
そこで、気が付いてしまった。
自分がしたことなのに、思わず停止してしまう。
……自分がしいなに無理矢理覆い被さるような体勢。
「や、やだっ!何すんだい!」
しいなもそれに気付いたようで、さらに抵抗を強くする。
まあ、マナ不足の状態で男に歯向かえるわけもないんだけど。
…俺様はにんまりと笑った。
「帰らないっていうなら俺様、しいなちゃんのこと放してあげる。」
「あ、あんたにそんなの強制される覚えはないよ!」
「ん〜?じゃあ俺様、このまましいなちゃんのこと襲っちゃおうかな?
帰れる元気があるなら、それくらい平気でしょ〜?」
「!!…な…な…。」
途端、白い頬が真っ赤にそまった。
口をぱくぱくと動かし、必死に何かを訴えようとしてくる。
「お〜。青くなった赤くなったり忙しいねえ〜。」
「ば、馬鹿いってんじゃないよ!なんてこというんだ!!」
「えー?だって、しいなちゃん可愛いし。」
「そういう問題じゃないっ!あたし…あたしはまだ16歳だ!!そんなの…っ」
え……?
「じゅう…ろく?」
「なんだいっ!文句でもあるのかいっ!?」
半分涙ぐんだ状態で悲鳴に近い声があがった。
16歳…3つも年下だなんて。
スタイルといい、とても16には見えない。
顔は確かに幼いが、童顔なのだろうと思っていた。
「…マジ…で?」
「どういう意味だ!」
「いや、だって…ナイスバディだし。」
「…!最低だよっ!女のどこ見てるのさ!信じられない!」
思いっきり睨まれて投げられた一言。
「このアホ神子!」
「あ……あほぉ?」
しいなの気の強い態度。
神子は、国王の次に偉い位。
普通は、アホだのなんだの言えば即刻牢屋行きだろう。
情報通なミズホの民だ。そんなことを知らないはずはない。
なのにしいなはそんなことを気にもせず自分に向かってくる。
…本当に新鮮。
なんて気持ちがいいんだろう。
「…ぷ。」
「な、何がおかしいってのさ!笑うんじゃないよ!」
「いやぁ〜、ほんとにいいなぁ〜。」
自然と笑みがこぼれてしまう。
─…こんなに簡単に自分の領域に踏み込んでくる存在。
なんて、居心地がいいんだろう。
傍にいてほしい。
“自分”を見ていてほしい。
…その大きく透き通った茶色の瞳に、“俺”を映して。
「…最初はお話できればってくらいだったけど、やっぱだめだ。」
「は?」
掴む腕の力を強くして、顔を少し近付けて。
「俺様、マジでしいなに惚れちゃった。」
「!…な…。」
それは、無意識の行動。
ほんのりと赤く染まった頬へ、唇を寄せる。
そして。
ちゅ
「!」
…軽い、口付け。
16歳じゃ、まだ男性に触れられたこともないだろう。
それだけでしいなは耳まで赤く染めてしまった。
「き、きゃあぁっ!」
「か…可愛い〜Vv初々しい〜。」
「やだ!放せ!変態!やだやだぁ〜!」
「ほっぺにちゅうしただけよ〜?変態はひどいんじゃないの〜?」
あまりにも暴れるのでそう告げてみたら、顔を隠した後に、小さく震え出す肩。
「……っ」
「え…?ちょ、おい。」
……やべ…っ!もしかして、泣いてる?
ちょっとからかっただけのつもりだったが、大人の男に抵抗できないと思い恐くなったのだろうか。
それとも抵抗できないこと自体が悔しかったのか。
「わ…悪ィ…そんなつもりじゃな……───」
髪をそっと撫でようとした瞬間。
ばちぃんっ
「いってえぇぇ!!」
「このアホゼロス!出てけぇ!」
マナが空っぽだとは思えないほどの力で思い切り殴られた。
泣いていたのではなく、怒りに震えていたらしい。
………やられた。
女性に殴られるなんて、初めてだ。
そのまま部屋を追い出され、非情にもドアは閉められた。
「し…しいなちゃ〜ん……。」
「帰れ!馬鹿ゼロス!」
じんじんと痛む頬。
けれど、その痛みすら、安心に変わるのはどうしてだろう?
手懐けるにはまだまだ時間がかかりそうだが、どうやらこの『黒猫』は、俺を夢中にさせてくれそうだ。
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