【黒猫.5】






精霊研究所に行くと言っていた火曜日は、あいにくの雨だった。




「よぉ。お疲れさん。」
「ゼロス様…っ!?」


入口で待っていても無駄だと判断をし、意を決して精霊研究所の中に入った。
そうでもしないとミズホの『黒猫』は、鼠でしか通れないような穴でさえすり抜けてしまうだろう。


「ど…どうしてこのような場所に…。」
「ん〜、人待ちしてるんだけどこんな雨だし…それに待ち人はこの中だから。ここで待たせてもらおうと思って。」


メルトキオじゃ俺のハーフエルフ嫌いは有名な話だ。
突然の来訪に彼らが驚かないわけがない。


「待ち人…ですか?この研究所の中に?」
「ああ、きてるだろ?“しいな”だよ。」
「確かに、きてますが……。」


やっぱり。
朝から待っていたのに既に中にいるということは、どこか…人目につかないところから忍び込んだのだろう。



俺を避けるために。



「……どこにいる?」

苛立つ気持ちを押さえて、階段へと向かう。

「い…一番奥の研究室になりますが…。神子さま!?、その先は…!」

ハーフエルフの制止も聞かず、足を進める。







『ゼロスって呼んで』
『次はいつメルトキオにくる?』


……俺の想いに応えてから逃げ出した…『黒猫』。

『黒猫』は、迷っている。
何が原因かわからないが、
人を拒絶することはできず、けれど深入りしてはいけない、
そんな葛藤に苦しめられている。






「…無理しなくていいよ、しいな。しいなが体を壊しても意味ないんだから。」
「無理なんかしてないって。それに次は再来週までこれないし…。迷惑かけてるのはあたしなんだからさ。。」


声が聞こえた。

中を覗く。
そこには白い白衣を着たハーフエルフの男と、……大きなカプセル型の寝台に横になっている…少女の姿。
以前倒れたときと同じように、幾分か青白い顔をしてる『黒猫』……しいながいた。


「今日頑張っておかないと、里に送る分が少なくなっちゃうし…。だから続けて?」
「しいな…里に送る分なら十分だよ。前にも言ったけど、たまには自分のものでも買ったほうが……。」
「……続けて、お願い。」
「…………、わかった。」


……これ以上、先に踏み込まれては困るのだろう。
それが、しいなの領域。



…自分を拒んだ時と同じ、境界線。



閉まるカプセル。
薄い検査着だけを纏い、青白い顔で横になっているしいなから、普段の強い雰囲気は感じ取れない。


何かに縛られ、……けれど逃げだそうとしない従順な『子猫』。
むしろ、自ら縛られているようにも見える。



里に送る……それは『金』だろう。
ミズホの里はそんなに貧しいのだろうか。
隠密集団であれば仕事はいくらでもあるだろうし、国…陛下からの極秘の任務だってあっていいはず。
それなのに、何故里に金を送らなければならない?
まだ幼い少女が身を費やし…我慢してまで。





……いや、違う。

理由なんて後回しだ。
このままじゃ間違いなく、この間と同様倒れるに決まっている。



「は〜い、ストップ〜。」
「!」



狭い研究室に突然響いた声に、しいなに付き添っていた研究員が驚き、振り返る。
装置の中にいるしいなには聞こえないのだろう……しいなは静かに目を閉じたままだった。


「…ゼ、ゼロス様!?」
「それ、急いで止めて。」
「え?」
「こいつ、これ以上無理。……またこの間みたいに倒れるのがオチだっつーの。」
「倒れた…?しいなが?」


この間…しいなが倒れたことを知らないハーフエルフは、顔色を変え、慌てて装置を止める。

空気の抜けるような音がして、カプセルが開いた。


「しいな…っ」
「………?」


うっすらと開かれる、茶色の瞳。


「…終わり…なわけないよね?どうしたんだい?」
「しいな…っ。この間やっぱり具合悪くなったんだって?無理したらだめだってあれほどいったじゃないか…っ!」
「……なんで…それ…─────、…!?」



ゆっくりと体を起こしたしいなの視界に俺が入った。

途端、しいなは眉を潜める。

「今日は終わりにしよう?顔色もよくない。……無理して体を壊してしまったらどうするんだ。」
「…………。」
「しいな、わかった?」
「…………わかったよ。」

視線は俺へと向けたまま、しいなは渋々中止を了承する。

「…悪ぃけど…部屋外してもらえる?俺様こいつに話があるから。」
「え?あ、はい。…しいな、無理だけはするなよ。」

ハーフエルフの男は心配そうな面持ちのまま、退出していった。





「………。」
「………。」

二人きりの研究室。
こうして部屋で二人きりになるのは、しいなが倒れた時のあの宿屋以来だ。

あの時とは違った、ぴりぴりとした空気が部屋に広がる。
しいなは訝しげな視線を向けたまま、俺は苛立った視線を向けたまま、互いに無言の状態が続く。





耐えかねて先に口を開いたのはしいなだった。


「…深入りしないほうがいいって、いったじゃないか。」


苦しそうな声。
この間と同じような、どこか悲しそうな顔。


「…しいなといて起こる『良くないこと』ってのがどんなものかなんて、俺様知らないし。
…そもそもしいなだって、俺様に深入りしてきたと思うんだけど。」
「……どういう意味さ。」
「深入りしてほしくなかったなら、俺様の言うこと無視すればよかっただろ。
けどしいなは俺様の要望を聞いてくれた。
それって俺様に多少なりとも興味を持ってくれてたってことでしょーよ。」
「………。」


図星だろう…うまい言い訳も見つけられない幼い『猫』は、ぎゅっと唇を噛み締め俯く。


「しいなといて、良いのか悪いのかは俺が決めることだ。しいなが決め付けることじゃねえ。」
「……?」


俺の言葉が理解できないのか、しいなは訝しげな表情を解かない。


「…だから、もし本当に俺様に何かあるんだとしても、
それでも俺がしいなの傍にいたいと思ったら…それは俺の問題だろーが。」


俺の領域に踏み込んできた『黒猫』。
何も飾らない自分をぶつけられた…初めての存在。
彼女の傍にいることで何かしらのリスクを背負うとしても、しいなを失いたくないという気持ちは変わらない。





「そんなの…ないっ」
「…しいな?」
「そんなことあるわけないっ!」


研究室に響く、悲痛な声。


「何かあって…それでもあたしの傍になんていられるわけない!」
「なら、ちゃんと理由聞かせろよ。」
「…っ」


ぐっと掴んだ肩。
真っすぐ見つめた瞳。



その肩が震えて。
その瞳が歪められて。





「………あんたを…傷つけたくない…死なせたくない……っ!…だから…っ!」





零れた、涙。






「………、そういうこと、ね。」


“死なせたくない”

その言葉で、やっと気付いた。


ミズホの里。
精霊研究所。
人工精霊。
……考えれば、結び付くじゃないか。



9年前…ミズホの里で起こったという、“あの”事件に。



もししいなが、“あの”9年前の事件を起こした本人だとしたら。





「………っ!」





振り払われる手。
しいなは裸足のまま、研究室を飛び出してしまった。



「しいなっ!」



追い付けるわけがない……彼女は忍。
部屋を出たときには、既にその姿は廊下にはない。



探さなければ。

裸足で、あんな薄着で、しかもマナの少ない状況では、間違いなく風邪をひいてしまう。





外は雨。

……まるで『黒猫』の悲しみを表わすかのように、小雨は雷雨へと変わっていた……────。







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