【黒猫.7】





「…………っ」
「…痛ぇだろうけど…。少しだけ我慢してろよ。」


ミズホの民ともあろうものが、触れただけで眉をしかめている。
そりゃ痛いだろうよ……そんなことを思いつつ、俺は血の流れた跡を指でゆっくりとなぞり、癒しの術を唱えた。





それは、つい先程。
屋敷に到着し、抱えていたしいなを暖炉の前におろそうとした時のことだった。

「…!痛…っ」

床に足がついた途端に小さな悲鳴があがり、急に肩が強ばる。
反射的に俺にしがみついたしいなにどうかしたのかと問い掛けたが、しいなはきゅっと唇を噛み締め、答えようとしない。
何かに耐えるように寄せられた眉から足に怪我をしているのだと推測し、再び抱き上げて無理矢理ベットへと寝かせた。

「や…やだ!」
「い〜から見せろ。」

逃げようとするしいなの足を掴めば、予想通り、足にはいくつもの擦り傷や切り傷があった。
裸足で研究所を飛び出し、コンクリートで舗装された道を走ったせいだろう。

中でも一番大きかったのは、足の裏の傷……ガラスの破片のような物で切ったであろうその傷は5cm程もあり、
砂が傷に付着して、赤黒く染まっている。


通常の人間であれば、どう考えても“大怪我”の部類に入るこの傷……痛いに決まっている。
それに、これだけ出血しているのだから、もう少し治療が遅れれば取り返しがつかなかったに違いない。


「こんなになってんのに、何ですぐにいわねーんだよ。」


だんまりは勝手だが、さすがに意地を張りすぎだろうと、俺が問い詰めると。


「だ…だって、今まで気が付かなかったんだから…しょうがないじゃないか。」


しいなは小さな声で、意外な答えを返してきた。
………嘘をついている様子はない。


痛みなど感じる余裕もないほどに、「雷」に対する恐怖が勝っていたのだろう。
忍びにとって足の怪我は命取りにもなりかねないだろうに……いかにしいなが動揺していたかが伺えた。








目の前で、親しい人達の命を奪われる光景。
大切な人が、傷を負い、苦しみ、藻掻く光景。


その光景が、自分が原因で作り出してしまったものだとしたら、誰もが絶望するだろう。

自分の過ちに。
自分の力不足に。

そして。

自分は生き残ってしまったのだという事実に。



俺は、知っている。
自分が原因で、大切な人を失うことの絶望を。
なぜ自分が生き残ってしまったのかという、絶望を。
そして。
10歳にも満たない幼い子供が、それを背負うということの重さも。




─“あたしに関わると、いいことないよ”─




幼い心が人の温もりを、愛情を求めるのはあたり前のこと。
けれど、そんな心に鍵を掛けて、温もりを拒んできた。

また、失うかもしれない。
また、傷つけるかもしれない。
「神子」である限り。
「疫病神」である限り。
そんな不安が何よりも勝ったから。

罪深い自分は、他人の温もりにすがっていい権利などない。
幸せなど、求めてはいけない。
そんな戒めを繰り返しながら、俺は、……そしてしいなは、生きてきた。





そんな中でしいなは、
「神子」という俺の地位を無視し、「俺自身」を見てくれた唯一の人。

だから。

しいなの中でも、俺が同じような存在になればいい。
「疫病神」ではなく、「しいな」を見つめる唯一の人になりたい。
傷の舐め合いじゃなく、互いを支え合う存在になりたかった。










「……よし、もう大丈夫だ。体冷えきっちまってるだろ?風呂、使っていいぜ。」

5cmの切り傷は小さな跡も残さず綺麗に塞がった。
けれどしいなは俯いたままで、俺の目を見ようとはしない。

「………しーいーな、風呂、入れって。」

耳元でわざと大きな声で読んでみるが、びくりと体が震えただけで声は返ってこなかった。


「………自分でいかねーなら抱えてくぜ?」

「………!」


わざと耳元に囁いた声に、しいなは反射的に顔をあげた。
しかし、それが顔をあげさせる為の罠だとわかったのだろう。
慌てて視線を逸らし、ぎゅっと口を結んだ。



「正直だねえ…しいなは。そこがしいなのいいところだと思うけど。」
「あたしは…、あんたが嫌いだ。」
「ありゃ。大事だって、傷つけたくないって、涙まで流してくれたのに?」


問い掛けた俺に、しいなはきつい視線を向けた。
本当に、猫のように鋭い瞳。


「さっきも言ったけどな。離れれば傷つかないって思うのは間違いだと思うぜ。
俺様はしいなとの距離が遠くなって、かなり傷ついてる。」
「……心は傷ついても、怪我したりしない…死んだりしない…っ。」
「……人が死ぬのが恐い?」
「当たり前だろ…っ!あんただってもう気付いてるはずだ。……あたしは「疫病神」なんだっ!
ヴォルトとの契約に失敗して里のみんなを死なせちまったんだよ!」


やっぱり。
9年前のあの事故の召喚士は……しいななのだ。
生まれつき召喚士としての才能を持ち、ガオラキアの森に捨てられていたところを拾われた、子供。



「さっきもいったはずだ……っあんただってあたしの傍にいたらいつか死んじまうかもしれない…っ。」


生まれてまもなく捨てられて、拾われても生きている意味を見つけられない少女。


「そんなの…やだよ……っ」


自分が、少女の生きる意味になれれば……─────







「………わかった。」

つぶやいた俺の声に、しいなは恐る恐る顔をあげた。


「俺様、しいなに約束してやるよ。」


俯いたまま泣いていたのだろう。
再び赤くなってしまった目元を指で擦ってやる。
驚いて一瞬腰を引いたしいなを逃がさないように、もう一方の手でぎゅっと手を握って。



「俺様は、死なない。」



茶色の瞳を青灰色の瞳で捉えて、そう告げた。


「な…に。」
「俺様何があっても絶対に死なない。それなら、恐がることもないだろ?」


途端しいなは訝しげな瞳を見せた。


“そんな口約束だけじゃ、信じられない”
“そんなの、その時になってみないとわからない”


そう思っている。



「……嘘だと思う?」
「……。」
「けど、本当かも知れないぜ?可能性は"0"じゃない。」



掴んだ手を握って。
視線を逸らすこと無く、真っすぐ見つめて。



「だから、……俺のこと、信じてみろよ。」






自分の言っていることに、心の中で思わず笑う。
今まで散々人を疑ってかかってきた自分が、“信じてみろ”、だなんて。
調子がいいにも程があるだろう。

けれど。

それでしいなが変わるなら。
しいなが強くなれるのなら。

そして、自分も変われるのなら。

告げた言葉は間違いではない、と、思う。





「…………。」
「…………。」

しいなは驚いた表情のまま、俺を見つめている。



が。



「……あははは!」

「へ…?」

突然、大きな声でしいなは笑ったのだ。
ついさっきまで泣いていたのに、今は涙目で腹を抱えて笑っている。


「な…何笑ってんだよ!」
「ご…ごめ………だって……」


人が真剣に話しているというのに……この少女は本当に予想外の行動ばかりだ。


「人が心配してやってんのに…。」
「ごめんよ…あんまりにもあんたらしくない言葉だったからさ。……でもあんた、意外に優しいんだね。」
「意外に、は余計だろ。俺様ハニーにはとことん優しいんだぜ?」



拗ねた俺に、しいなは微笑んだ。



ふわり、と。
しいなと出会ってから今まで、一度も見たことがなかった、柔らかい笑顔。



「……ありがとう。……あんたの言うこと、信じてみる。」

「え……──」

「そこまでしてあたしの傍にいたいって言ってもらえるなら…
あたしにも生きてる価値があるってことかな…って思う。
だから、信じてみる。」



いつもはきつい猫目が、甘えるような…優しげな光を見せる。

「わ…わかったならいいけどよ。」

笑顔に魅入っていた俺は、動揺して間抜けな返事を返してしまった。



本当に、予想外のことだらけ。
今までこんな女には出会ったことがない。


手懐けるのにやたら時間がかかる。
そしてその時間の分だけ俺をのめり込ませていく。



身軽な体。
しなやかな動き。

気丈な態度。
けれど時折見せる人懐こそうな瞳。

この黒髪の少女には、やはり『黒猫』の愛称がお似合いだろう。





「あたしも、弱音ばっかり吐いてないでもっと強くならなくちゃ。誰も傷つけないくらい…あんたのこと守れるくらいに。」

「俺を『守る』……か。しいならしいな。」

「そりゃそうさ。守られっぱなしなんてあたしの性に合わないよ。あたしは貴族のお嬢様みたいにか弱くないからさ。」

貴族の娘たちには侮辱かもしれないが、その言葉は力強く、そして心地よく俺に響く。

「しいなのそういうとこ、ホント好きだぜ?」

「お世辞言っても何もでないよ。」

「別に構わねえよ。」


挑むような視線に、こちらも不敵な笑顔を向けた。



ほら。
そんな瞳を向けるから。


……どうにかして手懐けてみたくなる。
自分だけの『黒猫』にしてみたくなる。



「何もでないなら、勝手にもらうから。」



そのまま。
持ち上げた顎を引き寄せて、頬に口付けた。
通算2度目。
…少々強引かとは思ったが、足の傷と心の傷の治癒代と、
そして俺のことを笑った仕返しにはこれくらいのお礼があってもいいだろう。


「隙あり。」
「〜っ!!」


真っ白な肌が、桜色に染まる。

「な、何するのさ!」
「ココじゃないだけゼロス様が寛大だと思いなさい。」

“ココ”、と薄紅の唇を指差して告げれば、しいなは口を覆い隠して後ろに遠退いた。

「あんたねぇ…っ!」
「初めてじゃないんだからそんなに恥ずかしがらなくても〜。」
「そういう問題じゃないよ!馬鹿!」

怒りの鉄拳が顔面に飛んでくるのを片手で受けとめる。
ぱしん、と威勢のいい音が響いて、しいなの顔に“しまった”という言葉が書かれる。
それを確認してから、敢えて強引に腕を引き寄せた。

「だから、隙ありすぎだっつーの。」

陰の実力者集団であるミズホの民。その民の一人である……つまり、実は相当な実力者であろうこの少女に、
自分は足手纏いにならない存在だと思わせるための行動。

彼女よりも強い力で。
速い速度で。
巧みな技で。
…雨で冷えきった体を腕の中にぎゅっと閉じ込めた。


「き…きゃあぁっ!は…はなせぇ!馬鹿ゼロス!」
「でひゃひゃ!ど〜お?俺様もなかなかやるでしょ?だからど〜んと任しとけ!」
「ま…任せられるかアホー!」







気付けば、雷は通り過ぎ、雲の切れ目から光が差し込んでいた。

タイミングが良すぎだが、しいなが嬉しそうだからよしとするか。



大きく伸びをして、「天気がよくなったから帰る」なんて…ほんと『猫』のようなことをいう彼女を抱え込むように抱き締めて、
俺はやれやれと苦笑いをした。





やはり、手懐けるには相当時間がかかりそうだ。










end.










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うおおお。やっと終了しました!
チィ様お待たせしました〜。
全部まとめてチィ様に捧げますのでどうぞ煮るなり焼くなりしてください!

ゼロスとしいなの出会いはいくつか想像してるのですが、
小説に書いたのはこれが初めてです。
また別の出会いも書いてみたいなあ・・・なんて思ってます。
(お互い第一印象が「最悪」とか。(笑))

ここまでお読みくださいました方々、海辺の妄想に付き合っていただき
本当にありがとうございました☆
そしてお疲れ様でした・・・(^_^;)


◇ 砂 ◇