ESSAY 1

株式会社熊谷組広報誌「KUMAGAI UPDATE」NO.40
世界の建造物を紹介するコーナーでイギリス・ウォータールー駅についてのエッセイを書きました。

人がいて、ドラマがある−。その舞台となった世界の建築物を紹介する『ザ・ステージ』シリーズ第40回。

ウォータールー駅 テムズ南岸憧憬 
鈴木博美 イラストレーター

古くからイギリスの主要な駅のひとつとして栄えたウォータールー駅は、テムズ河の南岸に位置する。現在、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ国際ターミナルとしての役割も果たすこの駅の周辺には、映画や歌にも登場したウォータールー橋をはじめ、多くの観光スポットが点在している。


英国鉄道が誇る
古くて新しい欧州大陸への玄関口


 
1994年、ドーヴァー海峡に開通したユーロ・トンネルによってロンドンからパリ、ブリュッセルへの列車の旅が可能になった。その国際特急列車ユーロスターの発着駅がウォータールー駅である。ウォータールー・インターナショナルの構内は広々としていて、まるで空港のようだ。ユーロスターに乗らないまでも、行き交うさまざまな人々を眺めているだけで心がはやる場所である。
 テムズ河の南岸のこの駅は、もともとイングランド南西部の港町につながる始発駅として造られた。1922年新駅建設後、世界で初めての構内放送施設が設置されたり、ニュース映画館が開業したりと、大ターミナル駅へと変貌していく。かつてはヴィクトリア女王の別荘地への御用列車に華やいだり、貨物駅に身を落としたりという浮き沈みがあったにせよ、今も昔もプラットフォーム数や乗降客数ではロンドンで一番という国鉄駅であり地下鉄駅である。モダンなユーロスター用発着駅のプラットフォームとは対照的な荘厳な駅舎のたたずまいが、そんな英国鉄道の歴史を感じさせる。迷子で有名な駅で、20世紀初頭のミュージック・ホールでは「ウォータールー駅では客は迷子になって列車が見つからず、列車も迷子になってプラットフォームが見つからない」という歌が流行したそうだ。

ウォータールー駅からウォータールー橋へ


 さて、毎週金曜日の晩、ウォータールーの地下鉄駅の雑踏の中で、テリーとジュリーがお互いにはぐれることなく落ち合うのを見つめている若者がいる。人の流れにめまいを感じながらも、彼はなぜか恋人たちを見つけている。これは、1960年代のブリティッシュ・ロックの名曲、ザ・キンクスの『ウォータールー・サンセット』の一節である。めんどくさがりやで気になる女の子もいない主人公は、毎日、ひとり部屋にこもっている。部屋の窓からは、暮れていく陽とともにテムズの濁流が見える。でも彼はひとりぼっちを気にしない。ウォータールー駅の夕陽を眺めていればパラダイスなのだ。そして彼が見守るテリーとジュリーも夕陽に染まる橋の上の楽園にいる、という内容だった。ちょっと厭世的な主人公の、人混みのウォータールー駅からまばゆいタクシーのライトが飛び交うウォータールー橋へという視線の流れが詩的だ。そしてその猥雑さの中の夕陽と若い恋人たちというロマンティックな歌詞とレイ・デイビスの鼻にかかった情けない歌声があいまって、私のフェイバリット・ソングになってしまったのだった。
 映画『哀愁』でも有名なウォータールー橋は、1817年に技師ジョン・レニーによって設計されたもので、ワーテルローの戦いでの勝利にちなんで名付けられた。「地の果てからでも見にくる価値のある、世界一美しい橋」と評されたが投身自殺の名所という悪名もとった。現在の橋は二代目で20世紀に入って交通量の増加に対応した橋に架け替えられた。



日常の中にある幸せな風景
そして、ウォータールーの夕陽


 5年前の秋、私はロンドンを訪れた。スケジュールがびっしりの観光旅行で最終日に「ウォータールー・サンセットを見に行く」というミーハーな予定を立てた。当日の日記を探してみると、曇りの日の多いロンドンにしてはめずらしく快晴とある。午前中はロンドンの原宿、カムデン・タウンに行ったことになっている。フリー・マーケットでレコードをあさり、古本屋でデザイン書や絵本を買った。午後は仕事の糧にデザイン・ミュージアムは絶対はずせない。その前に腹ごしらえ、とフレンチ・レストランの『ドーム』に入ったのが、つまづきの始まりだった。日記には、スープをスターターにサーモン・フィッシュ・ケーキのレモン・ソースとサラダ、ワインを飲んで最後はデザートまでとった、と記している。旅行者のランチにしては、優雅な時間をとり過ぎてしまったのである。
 ロンドン・ブリッジのデザイン・ミュージアムを出た時には、陽が落ちかけていた。地下鉄に乗るのももどかしく、ウォータールー橋までタクシーをとばしたので、なんとか間に合ったようである。橋の上では、家路を急ぐ人々が足早に通り過ぎ、車道はタクシーや乗用車のラッシュだった。あわただしげな橋の欄干に身を乗り出していたら、テムズ河の水面にオレンジ色の波がゆらめき始めた。橋の下を観光船がゆっくりくぐっていくと、その先に夕陽を背にした国会議事堂のシルエットが浮かび上がった。観光絵葉書と言ってしまったらそれまでなのだが、まさにロンドンという風景だ。遠くの高架に、家族の元に帰る労働者たちを乗せた列車の明かりが走る。それは、美しくて平凡な、せつない情景なのだった。しばらく感激の余韻に浸っていたのだが、9月だというのに骨の芯まで冷え切ってしまうのも歌詞のとおりだというのは予期しなかった。レイ・デイビスは、ウォータールーの夕陽は凍えるほど寒い夕暮れがすばらしい、と歌っている。
 帰宅前の勤め人や旅行者でにぎわったウォータールー駅構内のバーガー・キングで飲んだコーヒーは、体中にしみわたる温かさだった。


株式会社熊谷組 2001
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photo by hiromi suzuki

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上のモノクロ2点もエッセイとともに掲載されました。