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護身




冬も近くなったとある秋の日。
天香學園高等学校3年C組では、髪をお団子に結った少女が、
教室に入って来たばかりの同級生を見つけて小走りに駆け寄る風景が見受けられた。

「おっはよー、くーチャン!」

朝からテンションの高そうな八千穂の挨拶に、いつも通りにこやかに挨拶を返す葉月。

「おはよう、やっちー。今日も元気だね」
「えへへっ、あたしはそれが取り柄だもん!
 ……? ね、くーチャン。それ、どしたの?」

葉月は何故か勉強道具の入ったショルダーバッグを降ろした後も、別の小さな鞄を
そのまま肩からかけていたのである。

「あ、これ? うん……ちょっとね」

いつになく歯切れの悪い葉月に興味を引かれたのか、八千穂の質問は続く。

「何か大事な物なの? だったら部屋に置いておいて、
  鍵を掛けておいた方が良かったんじゃない?」
「いや、これが大事なんじゃなくて、これの効能が大事と言うか何と言うか……」
「???」

漫画だったら、頭の上にいくつかクエスチョンマークが浮遊しているところだ。
そこでちょうど始業の鐘が鳴り、各自の席に着くことになったが、
その時に葉月が呟いた言葉がまたしても八千穂の気を引いた。

「……これが必要にならないことを祈るよ」



朝から様子のおかしかった葉月は、その日の午前中ずっと不審な行動をしていた。
休み時間になるたびクラスで一番に教室を飛び出して、授業の鐘が鳴って教師が
入ってくる直前に席に戻って来るのである。

好奇心の塊のような八千穂に、これを気にするなという方が無理というものだろう。
彼女は授業など上の空で、昼休みこそは理由を問いただそうと心に決めていた。

そして、やっと迎えた昼休み。
またしても猛スピードで教室を飛び出そうとした葉月の袖をすんでのところで捕まえた。

「ちょっと待って、くーチャン!!」
「え!? や、やっちー、何?」

顔には、急いでいる、離してくれと書いてある。しかし、この緊迫感のある
顔付きはただごとではない。

「今日はどうしたの、くーチャン。休み時間になったら凄い勢いでいなくなっちゃうしさ。
  何かあったの? あたしで力になれることない?」

八千穂が真摯に語りかけている間も、そわそわと落ち着きがない。
まるで何かに怯えているかのようだ。こんな葉月は、《墓》の中でも見たことがない。
葉月は、八千穂の表情に真面目なものを読み取ったのか、返事を誤魔化すこともなく
沈んだトーンで言った。

「こればっかりは、やっちーにも頼めないんだ……。
気持ちだけありがたく受け取っておくよ。ごめんね、じゃ、俺急ぐから」

手を振りほどいて、歩を進めようとする葉月になおも追いすがる。
どう見ても今の彼の状態は尋常ではない。

「あっ、待ってよ!」

駆け足で教室後方の出入り口へ向かったところで、入って来ようとした人物と
ぶつかりそうになって慌てて後ずさった。
顔には《化人》と対峙する時のような緊張の色が浮かんでいる。

「……っ!?」
「おっと」

相手も素早く身体を捻った為に、衝突は免れたようだ。
その人物を確認して、一瞬ほっとした表情を見せる。

「何だ、甲太郎か」
「朝っぱらから『何だ』とはご挨拶だな、九龍」
「もう昼だよ、甲太郎」
「まあ細かいことは気にするな」
「お前はアラブ圏の人間か? っと、アラブの人に失礼か」
「……俺に失礼だとは思わないのか?」
「思わない」
「……」

ドアのところで、即興漫才が始まっている。皆守が来たことで、
いつものペースを取り戻したらしい。追い付いた八千穂が皆守に声を掛ける。

「皆守クン! くーチャンが……」
「八千穂? こいつがどうかしたのか?」
「くーチャンの様子がおかしいの。理由も教えてくれないんだよ」

葉月はそこで我に返ったらしく、皆守を押しのけて教室を出ようとする。

「そうだった、こんなことしてる場合じゃない。ちょっとゴメン、甲太郎、通して」

皆守の横をすり抜けて教室を出ようとしたが、皆守がその長い足を
戸口にかけて、通せんぼの体勢を取った。

「おい、ちょっと待てよ」
「甲太郎! 訳は後でいくらでも話すから、そこ通してよ!」

皆守もこの様子は尋常ではないとやっと気付いたようだ。

「何あせってんだ? 話する暇もねえってのか?」
「だーかーらー!! 今時間がないんだよ、ホントに!」
「? 何を大事そうに持ってんだ、お前?」
「それは……」

問われたことには上の空で、説明する時間と皆守のガードをかいくぐって
外に出るのとどちらが早いか計算しているようだ。
そうこうしているうちに何かに気付いたらしく、ピクリと身体を震わせた。

「……来た」
「何?」
「甲太郎、頼むからどいてよ! 教室の中じゃ逃げ場がない!」
「お前、何かに追われてるのか?」

こくこくと音速で頷きながら、道を空けるようジェスチャーで示す。
皆守が廊下に目をやると、廊下を何かが走って来る。

「―――ぅ〜きぃ〜ちゃぁああ〜〜〜〜ん〜〜〜〜」
「駄目だ、間に合わない! こうなったら回り込んで…」

何やら呟きながら、窓に走り寄って、窓枠に足をかける。

「ちょ、ちょっと、何やってるの、くーチャン!!」
「窓から隣のクラスに飛び移って、そこから脱出する!」
「危ないよ!!」
「背に腹は変えられないんだ、じゃね、やっちー!」

葉月の運動神経がいいのは知っている八千穂だが、さすがに三階で命綱もなしに
曲芸のような芸当をさせる訳にはいかないと、窓にいる葉月を引き留めようとする。

「おい、あれはまさか……」

皆守が全てを言い終える前に、前方のドアが勢いよく開いた。
そこには『ビューティ・ハンター』を自称する俊足のオカマが立っていた。

「ダーリンっ、茂美、捜したのよっ!!」

身体を半分窓から外に出した形の葉月が、ぎぎぃっと油のきれた
ブリキ人形のように振り向く。

「や、やあ朱堂」

完全に棒読みである。

「んもぅっ、朝からどこにもいないんだからぁん。休み時間のたんびに
  捜してたのよぉ〜?」
「アハハ……」

サハラ砂漠のように乾いた笑みで応えながら、歩み寄る朱堂の対角線上を移動している。
まだ教室に残っていたクラスメイトは、早足で移動する両者に逃げ場を失い、
教室の中程に固まって、オロオロしている。

「さあっ、アタシのこの熱い唇を受け取ってっ」
「いやだから、それは慎んで辞退させていただくと申し上げたはずなんですが」
「遠慮なんてしなくていいのよ? これはささやかなアタシのお・れ・いなんだからっ」

会話を続けているこの間も、両者は距離を保ったまま、
高速で教室の中を移動し続けている。
やっと状況を把握した皆守が、ぶつぶつ言いながら朱堂を止める為に
二人の間に割り込もうとした時、朱堂が三角跳びの要領で一気に葉月との距離を詰めた。

「甘いわね葉月ちゃんっ、とぉぅっっっ!!」
「っ!? 九龍、危ねえっ!!」
「くーチャンっ!!」

皆守と八千穂の叫びが重なる。あわや葉月の貞操もここまでかと思われたその時。

『くぁっこ〜〜〜ぉんんん〜〜〜〜〜ん』
と異様な金属音が響いた。
必死の形相で葉月がかざした『何か』が、
朱堂のスペシャル・デンジャラス・ジャンピング・キッスを阻んだのだ。
葉月の足元に倒れ伏す同級生を見下ろしながら、いち早くその『何か』の
正体に気付いた皆守が低い声で言った。

「九龍……お前、それ……」
「助かった……」
「九龍」
「一時はどうなることかと思ったけど」
「九龍」
「さすが日本の武芸者はひと味違うよね」
「九龍! お前の持ってるそれは何だ?」
「え? これ? えっと〜。『俺の身を守ってくれた盾』」

皆守の形相に気付いた葉月が口ごもりながら言葉を返す。
葉月が手に持っていたのは、黒い取っ手の付いた円形の金属だった。

「お前っ、そりゃ俺がやったカレー鍋の蓋だろうがっ!!」
「あー……。そうとも言う……ね」
「『そうとも言う』じゃねえっ。そうとしか言わないんだよ!
 神聖なカレーを作る為の蓋をどうしてくれるんだ、お前は!?」
「大丈夫だよ、洗えばまた使えるよ」

ちなみに今現在、蓋の裏側には通常の数倍はあろうかという
巨大なキスマークがプリントされている。
通称無気力高校生は、収まりの悪い髪をガシガシとかき回しながら、なおも言い募る。

「あのなぁ、何でよりによって『鍋の蓋』なんだよ?
 他にいくらでも防御の為の道具くらいあるだろうがっ」
「適当なのが思いつかなかったんだよ。そこへ持ってきて、
  テレビで『塚原卜伝の生涯』なんてやってたら、普通鍋の蓋使うでしょ?」
「使わねえよ!!」






その後。
見事に撃沈した朱堂は、皆守の鬱憤晴らしにボロボロにされた上、カレー鍋を守る為と称して
葉月へのセクハラを止めるよう釘を刺された。

くだんのカレー鍋は、葉月に鏡でさえもかくやという程に磨き立てられた為、
本来の用途通りに使われるようになったが、そのカレーを振る舞われる時、
味の善し悪しに関わらず決まって不機嫌そうな顔をしている皆守がいたという。



これ、いつの話だろう……。すどりんが仲間になった少し後くらい?
葉月の正体はまだバレていません。
皆守との関係はすでに「親友」です。ちなみにやっちーとは「頼りになる」。
キスだけならともかく(?)、抱きつかれでもしたら性別が
バレる可能性が非常に高いので、彼女は必死だったのです。
基本的に彼女には自分に敵意を持たない人間に対して、
蹴る、殴るという選択肢はありません。なので防戦一方に。
休み時間は音楽室に鍵をかけて隠れていました。

ご存じの方も多いと思いますが、塚原卜伝というのは、鍋の蓋で
宮本武蔵の剣を防いだという逸話のある人です。後世の創作らしいですが。

我ながらどうにも中途半端な出来に……(泣)