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それは同じ曲、初めての歌



「何か弾こうか?」

ふいに声を掛けられ、ぼうっとしていた葉月は椅子からずり落ちそうになった。
体勢を立て直しながら問い返す。

「え?」
「その……疲れてるみたいだから、良かったら何か子守唄代わりに
  なりそうなものを弾いてあげるよ」
「あ、ああ! アハハハハ! やー、昨夜ちょっと夜更かししちゃってさあ、
  少し寝不足なだけ。疲れてる訳じゃないよ」

笑いながら言い訳する葉月に、(昨夜だけじゃないだろう?)と口の中で呟きを返す。
どうやら昨日も遅くまで遺跡に潜っていたようだ。
仕事だからという義務感だけでやっているのではないことが救いと言えば救いなのだが、
逆に言うと好きだからこそ歯止めが利かないらしい。
取手は、自分にできることは誘われた時には快く応じ、微力ながら助けになること、
そしてピアノを奏でてささやかな安らぎを与えることだけだと思っていた。

「何かリクエストある?」
「んー、そうだなぁ。せっかくかっちゃんが弾いてくれるって言うんだし。
  それじゃお言葉に甘えて、ショパンの『別れの曲』」
「別れの……?」

途端に取手の顔が曇る。それに気付いた葉月は、慌てて手をひらひらさせながら言った。

「あ、タイトルがあんまり縁起良くないんだけど、曲が好きなんだよ。
  かっちゃんが嫌いなら別の…」
「ううん、別に嫌いって訳じゃないんだ。じゃあ」

葉月に余計な気を遣わせたことを悔やみながら、遮ってリクエスト通りの曲を弾き始めた。

ふと気付くと、途中から別のメロディが混ざり始めた。
男にしては高めだが、女というには少し低めの独特の不思議な葉月の声。
声を張り上げるでもなく、呟くでもなく。それはまるで本当の子守唄のように優しく響く。


―――さよなら あなたに出逢えて嬉しかった
  どこかでもう一度逢えるって約束して―――




どういうことか聞きたくて堪らなかったが、その歌を止めたくない気持ちが打ち勝ち、
最後まで弾き終えてからやっと口を開くことが出来た。

「子守唄のつもりだったんだけど……」

苦笑しながら言うと、葉月は照れ笑いを浮かべた。

「ハハッ、思わず全部歌っちゃった」
「その歌、どうしたの? 自分で?」
「まさか! 俺に作詞の才能なんてないよ。
 昔日本に住んでた頃に、何かの映画でやってたの。
 詳しい内容はあんまり覚えてないけど、歌だけは気に入って必死で覚えた」
「一度聞いただけなの!?」

驚いて問い返す。

「だからうろ覚えなんだよね。映画のタイトルでも分かれば探せるんだろうけど」
「僕、そんな歌があるなんて知らなかったよ」
「結構古い話だしね。テレビで見たから、実際の上映がいつかも分からない」
「ふーん……」

もう少し詳しく話を聞こうと思った時、五時限目の鐘が昼休みの終わりを告げた。

「あれ。もう終わりかぁ」
「あ、ごめん……。全然眠れなかったよね」
「何言ってるのさ、お陰でかーなーりーリフレッシュできたよ!」

うなだれる取手の背中を軽く叩きながら言う。

「よっし、何かやる気出て来たぞー! 午後も頑張ろー!」

空元気かとも思ったが、顔色を窺うと本当にすっきりした顔をしている。
余程あの曲が気に入っていたのだろう。

「あの……もし良かったら、ショパンの方だけどCD貸してあげようか?
 僕持ってるから」

ありがたい取手の申し出に一瞬顔を輝かせたが、すぐに頭を振った。

「ううん、CDはいいよ。ありがと、かっちゃん」
「そう……」
「できれば」
「?」
「かっちゃんの生演奏がいい」
「!!」
「今日みたいに、手が空いた時でいいんだけど」
「……喜んで!」
「Vielen Dank!」(どうもありがとう)
「えぇと……Bitte schoen?」(どういたしまして)

破顔一笑。

「Sehr gut!」(よくできました)

葉月はウインク一つを粋に返して、取手と共に廊下に歩き出した。



かまちーは、葉月が女の子じゃないかとちょっと疑ってるところです。
音楽やってる人は、少しドイツ語を齧っていたりするのではないかという私の思い込みにより、
返事が出来たりしています。

映画は『さびしんぼう』。曲名も同じ。富田靖子主演です。
書いてたら見たくなりました。レンタルあるかな…。

追記:今ショパンが入ってるのを引っ張り出して聞いてみたんですが、
昼寝向きじゃなかったかも……。ゆったりしてるの、最初のとこだけだ……。
特記事項:音楽:皆守並(失礼)。