■アムステルダムにて
僕は今アムステルダムにいる。今夜ある女性とこのホテルの部屋でおちあうことになっているのだ。彼女と会うのは五年ぶりだ。どちらからともなく切り出した約束ともいえないような不確かな昔の約束。でも僕は不思議と確信をもっている。まちがいなく彼女はこの部屋へやってくると。そしてたぶん僕ら二人は今夜人生のピークを迎えることになるだろう。
彼女を待つ間、僕は備え付けのオーディオでチェット・ベイカーのトランペットを聴いている。彼ほどやさしくトランペットを鳴らすことができるトランペッターはいないだろう。破滅的な人生を送り、最期はここアムステルダムで死んでしまったチェット。ある意味、彼は優しすぎたのかもしれない。チェット、今の僕には君の気持ちがちょっとわかるような気がするよ。僕は彼にシンパシーを感じていた。
僕はもう日本に帰ることもない。日本に生まれた人間がかならずしも日本を愛してるとはかぎらない。そうだろう、チェット?君ならわかってくれるよね?
チェットが「September Song」を吹きはじめる時、僕は空港で手に入れたマリファナにそっと火をつけた。ゆっくりとそして深く吸い込んでみる。僕にはこれから起こるすべてのことを受け入れる準備ができている。人生はなるようにしかならないのだ。
遠くの方からだんだんと足音が近づいてくる。彼女だ。やはり彼女はやってきた。なつかしい…。彼女の足音…。トゥルルルルル、トゥルルルルル、トゥルルルルル…。
…うん?メール?あれ、ここは?…事務所?アムスは?か、彼女は?とりあえずメールを開いてみる。「今日、晩御飯いるんですか?もう寝たいんですけど!」…自宅からだ。やばい!寝てた!うわっ、もう11時半やん。終電無くなる!はよ帰ろ!
とりあえず今は現実を受け入れるしかなさそうだ。
(2号)
Chet Baker
Chet
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リリース
1959年
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September Song