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■Nothing to Lose

’84年大阪城野外にPINK CLOUDを観に行ったらレベッカというバンドが前座に出た。メンバーは顔にペインティングをしてニューロマかと思ったがそのサウンドには驚かされた。アップビート(所謂タテノリ)でギタリストはサムピックのリズムカッティングがめちゃカッコいい。ベースはフレットレスでパンクしている。そしてヴォーカルは超ミニスカで折れそうな女の子がくるくる回りながら絶唱している。当時私はパンタや佐野元春などシンパシーを持つロッカーに心酔していたが全く新しいサウンドとNOKKOの存在感にハートわしづかみ。デビュー後もの凄い勢いでライブサーキットするバンドを追いかけた。関大2部の学祭。サウナのように熱気が充満する教室でNOKKOが新曲タイトルを叫んだ。Nothing to Lose !! 会場全員が頭真っ白で叫び踊り狂った。
 父親の末期ガンが発覚し私は自分に何が出来るのか葛藤するようになった。新薬を探したりレコード会社へ就職する事も決めた。毎回客数が膨れ上がるレベッカのライブが唯一パッションを発散出来る場所だった。パンクとかロックとかのカテゴライズは関係なかった。ある日バナナホールのライブにメンバーの交代が告知されていた。バンドの要のギター(シャケ)とドラムが交代しNOKKOのMCも新メンバーの紹介だけ。明らかに音のノリも変わっていた。翌日キャンディーホールに出演した別の「レベッカ」のリーダー、シャケはシンコーに路線の違いから解雇された怒りをぶちまけた。紹介されたヴォーカルの男はMCこそ控えめだったが歌は本物だった。アンコールはJumpin'Jackで会場は熱狂した。何か自分にとって凄く大事な時代がひとつ終わったような気がした。86年の1月に親父は死去した。
 RED WARRIORSと改名したバンドは破竹の勢いでレコード会社と契約しデビュー前夜のライブ。アンコールで唯一のレベッカナンバーをユカイが叫んだ。Nothing to Lose !!
もはやチケットをとるのも困難なバンド、レベッカの「レベッカW」は圧倒的な完成度だった。最後に見たSABホールでのライブ。元々付け焼き刃で加入し脱退が決まっていた古賀森雄はドラム台に腰掛けMaybe Tommorowのソロをクールに弾きこなした。Nothing to Loseを叫んでいたバンドはそこにはいなかった。そのライブを一緒に観に行った恋人との蜜月も長続きせず、ずいぶん長い間その後遺症に苦しんだ。なくしてしまわないと本当の意味が解らない事はたくさんある。そして人間はなくす事でしか前に進めない生き物だと思う。Nothing to Loseはあらゆるスタートラインに立つ者へのエールだ。NOKKOとシャケと共にサーキットしたわずか半年間のライブ体験のインパクトを私は永遠に失うことはない。        (フジモト)

Nothing To Lose

レベッカ
Nothing To Lose
★ ★ ★ ★ ★

リリース
1984年

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Nothing to Lose

レベッカ/Time

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