合宿所であるペンションに詰めてから1週間。
今日は、久しぶりの完全休日という早朝。
だが、昨夜急に決まった休日に、特に予定なども組んでいなかったメンバーは、1日何をして過ごそうかとそれぞれ思案中。
リビングでくつろぎながら、このままゆっくりするのも悪くない、と、思う3人の青年。
そう…ただ一人の姿を除いて…。

ゆめみごろなかれら。



本を読んだり、散歩をしたりと、彼等は思い思いの時間を過ごしていた。
そこに、一人の訪問者が現れた。
その人物は、つい最近知り合ったばかりだというのに、彼等は何故か気にかかって仕方がないという、不思議な魅力をもった女性だ。
 「おはようございます!岩戸さん。」
いつものように、少しはにかみながらも明るい挨拶を交わす彼女に、和浩の表情も思わず緩む。
 「やぁ、おはよう、さん。でも、今日はどうしたの?取材だったっけ?」
 「いえ、今日はお休みになったって聞いたので…。いい天気だし、外でお昼でも、と思って、差し入れに…。」
花に水をあげていた和宏は、どうして今日が休日になったと知っているのだろうか?と、いぶかしんだ。
そこに、その原因がペンションから飛び出してくる。
 「おーい!やっと来たのか。、おせーよっ!」
 「鷹島さん、おはようございます!」
 「え?疾斗?」
彼女に飛び掛る勢いで駆けて来る疾斗に、和浩はだいたいの察しがついた。
疾斗は、今日が休みと決まった昨夜の時点で、彼女にメールを送っていたのだ。
【明日、休みになったから、遊びに来ねーか?】
どうりで、彼女の手元には大きな荷物が下げられている。
さり気無くその荷物を彼女から受け取ると、慌てて小さくお礼を言う彼女を、疾斗が急かしてペンションへと連れて行く。
和浩は、そんな疾斗に溜め息を一つ零し、『抜け駆けなんて…してやられたな。』と、内心苦笑しながら彼等の後に続いた。

リビングで本を読んでいた航河は、慌しく入ってきた疾斗に顔を顰めた。
だが、少し遅れておずおずと入ってきた彼女に気付くと、その表情を和らげる。
 「よぉ…よく来たな。」
 「おはようございます、中沢さん。」
航河は、俯きながら短く返事を返して、また手元の本へと視線を戻した。
 「航河、さんがお弁当差し入れしてくれたんだ。お昼は、外で一緒に食べよう。」
台所に荷物を置きながら言う和浩の言葉に、航河は黙って頷いた。
それ以降、航河の手元の本は、ページを捲られる事はなかった。
その日はそのまま、和やかな一日になるはずだった。
ある、出来事がなければ…。

疾斗に振り回されていたが、リビングへと戻ってきた。
そこに、いつもはいるはずの人物の姿が見えないことに気付き、疑問を素直に口にする。
 「加賀見さんは、どこかにお出かけですか?」
その問いに、和浩もそう言えば…と、2階へ視線を向けた。
 「僕は、見かけてないなぁ。まだ、休んでいるんじゃないかな?」
ずっとリビングにいた航河を伺っても、首を横に振るだけだった。
いつもは規則正しい生活を心がけているだろう慧が、こんな時間まで寝ているというのは珍しい。
今日のように、疾斗が早起きをするのと同じくらい珍しい…と、和浩はこっそり考えていた。
同じようなことを考えていたのか、外から帰ってきた疾斗の姿を見やると、航河は深く溜め息をついた。
 「何々?どうしたんだよ。黙ったまんまでさ。」
何も知らない疾斗は、みんなの顔を見渡して、きょとんとした顔をする。
 「加賀見さんが、まだ起きてないみたいなんです。あの…具合が悪いとかじゃ、ないですよね…。」
の言葉に、疾斗はニヤリと笑った。
 「だったら、起こしに行けばいいんじゃん!」
そう言うが早いか、「おっへや、ほぉ〜もん♪」とすっかり浮かれ気分で、疾斗は2階へと駆け上がって行った。
やれやれ、とでも言いたげに、肩を竦めながら、和浩もその後を追って行った。

慧の部屋の前で、疾斗は一応遠慮がちに、トントンと小さくドアをノックした。
だが、部屋の中からは何の反応もない。
 「加賀見さん?」
声をかけながらノックしてみたが、誰もいないかのように、応答はなかった。
ドアノブにそっと手をかけると、抵抗もなくノブは回り、和浩と視線を合わせた疾斗は、静かにドアを開けて中を覗き込んだ。
部屋の中は、明るい陽射しをカーテンに遮られ、薄暗いままだ。
几帳面な慧らしく、きちんと整頓された部屋の一角に置かれたベットが、規則正しく上下に動いている。
何かあったのでは…という不安も晴れ、疾斗は大袈裟に息を吐き出した。
 「何だよぅ、まだ寝てんのか?…ったく、いっつも俺の事、寝坊するって怒るくせにさぁ。」
安心したことで気もちょっと緩み、グチを零しつつ疾斗は眠っている慧の肩を揺らした。
 「加賀見さん、起きてくださいよ!いつまで、寝てんすか?」
すると、ピクンと反応した慧の身体が、ゆらりと上半身を起こした。
途端に、疾斗は、慧の全身から漂うオーラに、思わず2、3歩後ずさる。
それは、ドアのあたりから様子を見ていた、和浩にも感じ取れた。
部屋の空気が一気に冷却し、口元からは白い息が吐き出されるような、錯覚を起こした。
 「……僕を起こしたのは、疾斗かい?」
その声は、いつにも増して低く重く、辺りを凍り付かせるほどの冷気を伴っているようで。
疾斗はもたつきながらもドア付近まで避難し、和浩の身体に縋り付く。
その大きな瞳には、零れ落ちそうなほど涙を溜めていた。
 「…昨夜、言ったよね…今日は、完全休日にしようって……。という事は、今日は多少、ゆっくりしてもいいということだよね。
  逆を言えば、今日はゆっくりさせてくれ、という意味でもあるんだが…ここまで言わなきゃ、理解してもらえないのかな?」
慧の薄く開かれた瞳から、絶対零度の視線が放たれる。
たとえ寝起きの状態でも、理詰めで攻める辺りが、慧らしいというところか。
 「疾斗…昨夜、僕はこれまでのレースのデータを解析したり、今後の対策を練ったりしていたんだ。
  …もちろん、お前の抱えている問題点も、それに対する解決策も、シュミレートしてみたよ。
  そのためのメニューも、もちろん出来ている……あぁ、でも…ちょっと、修正が必要かもしれないね…。」
慧の口元が、ゆっくりと三日月を模っていく。
その冷徹な表情ですら、美麗に映える彼の容姿に、疾斗と和浩は軽い恐怖を覚えた。
気付かぬ内に、見えない刃で切り刻まれるのではないかという、殺気すら感じていた。
 「一晩中、その作業に追われて、一息入れるために見上げた星空は、なんて美しかっただろう。
  僕にとっての、至福の刻だ……そう、時間を忘れてしまうほど……。
  それからまた、作業に戻った僕が、やっと身体を休めたのは、もう日もすっかり昇ってしまってからだよ。
  ……ここまで言えば、いくら疾斗でも、わかるよね…今の僕に、何が必要か…。」
何気に酷い言葉を投げる慧の姿に、縋り付く疾斗の瞳が『あぅ〜、カズさ〜ん…加賀見さんが、怖いよぉ…。』と、無言で訴えていた。
そんな疾斗があまりにも哀れに映り、和浩は一応、フォローを試みる。
 「すいません、加賀見さん…でも、悪気があったわけじゃないんですよ…。
  今日、さんがお昼を一緒に、って差し入れをしてくれたので、呼びに来ただけで…。
  それに、彼女も加賀見さんが具合でも悪いんじゃないか、って心配してたから…。」
傍らの疾斗を宥めつつ、怯えを気取られないように、努めて穏やかに補足した和浩の言葉に、慧は一層その切れ長の瞳を細めた。
和浩は、背中に冷たいモノが伝うのを感じた。
 「……カズ…お前もなのか…。いつも彼女の名前を出せば、済むと思って…だが、その手には、乗らない…。
  どうせ、うるさいスポンサーの親父連中なんだろう…。口を出さずに、大人しく金さえ出せば済むものを……。
  あんな連中の相手など、カズだけで充分じゃないのか?お前なら、お手のものだろう…奴等を手玉に取るのは。
  そんなくだらないことで、僕の貴重な時間を損なわないでくれないか……。」
それだけ一気に言い切ると、慧はパタンとベッドに倒れこみ、再び布団を被ると、部屋は静寂に包まれた。
疾斗と和浩は、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
そして、封印を解かれたように、おもむろに…和浩は小さく『チッ』と、舌打をする。
思わず聞き違いかと和浩に視線を向けた疾斗は、一瞬信じられない光景を目の当たりにした。
そこには、ふだんの穏やかな笑顔からは想像が付かないほど、目が座り、口元を歪ませた和浩がいて。
疾斗の視線に気付くと、苦笑しつつ「しょうがないね。」と、いつもの和浩の表情に戻っていた。
寝起きの慧も怖いけど、和浩への暴言も恐ろしいと、疾斗は背筋を震わせた。
静かにドアを閉めるとそこには、壁に寄り掛かり腕を組んだまま佇む航河がいた。
航河は、部屋の外から中の様子を薄々感じ取っていたようで、2人と視線を合わせると、2、3度大きく頷き、ゆっくりと瞳を閉じた。
そして、3人揃って、大きな溜め息を零したのだった。

階下から、軽い足取りで駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
慧の様子を見に行った2人が戻らないため、後から見に行った彼も、しばらく待ったが戻ってこない。
まさか、慧に何かあったのではないだろうか?
そう思うとたまらなくなって、はつい2階に上がってきてしまったのだった。
 「加賀見さんの様子は、どうですか?」
憔悴気味に見える3人の様子に、思わず最悪な事態まで思い浮かび、は表情を曇らせる。
 「あぁ、さん…心配させてしまったね。」
 「だ、大丈夫、大丈夫…疲れて寝てるだけだから……。」
 「…問題ない。」
3人は心の中で、せめて彼女にはあの慧の姿を見せてはならない、と考えた。
そう…彼は『ほんのちょっと』低血圧で、寝起きが悪いだけなのだから。
あれほどの扱いをされたとしても、彼はチームリーダーだし、そんな姿を取材されて『オングストローム』の評判が落ちるのも困るのだ。
 「よかったぁ…それを聞いて、安心しました。」
は、ホッとしたように胸の辺りに手を当てて、にこやかに微笑んだ。
その笑顔につられるように、3人の表情も緩んだ…その時……。
カタン
部屋の中から微かに物音がして、人の動く気配がした。
その音に、3人の顔が、みるみる引き攣っていく。
顔色も、どんどん蒼冷めていった。
 「あの…どう、したんですか…?」
何も知らないは、不思議そうに首を傾げた。

静かにドアのノブが回った。
息を飲む3人。
ゆっくりとドアが開かれる。
3人は、さっきのブリザードをまとったような慧の姿を思い出し、身体を寄せ合って身構えた。
その、開かれたドアの向こうには…。
 「やぁ、いらっしゃい、さん。よく来てくれたね。」
光を浴びて、爽やかな笑顔を浮かべる、加賀見慧という男が立っていた。
 「お疲れじゃないんですか、加賀見さん?」
の労わりの言葉に、苦笑しつつ慧は答えた。
 「とんでもない。ちょっと、寝坊してしまっただけだよ。それなのに、みんな大袈裟だから…。」
さりげなく彼女の肩を支えながら、慧はリビングへと促していた。
2階に残された3人は、複雑な思いで彼の後姿を目で追った。
 「あれ…加賀見さん…っすよねぇ。」
 「……だな。」
 「…………。」
吹き抜けから見える階下のリビングには、和やかに会話を交わす慧との姿が見える。
航河は、光を反射する金色の髪をかき上げて、階下へと降りて行った。
その後を追おうとした疾斗は、それまで言葉を発していない和浩が気になり、ふと視線を向ける。
………疾斗は、見てはイケないものを見たような気がして、軽く頭を振るとその記憶を追い出そうとした。
呆れたように微笑む和浩のこめかみに、うっすらと血管が浮き出していたなんて、そんなのはただの見間違い。
気のせい、気のせい…自分にそう言い聞かせて、彼等が談話しているリビングへと向かった。
反面、違う嵐が吹くのではないかと、嫌な予感が頭から離れなかった。


END


<2006.8.28>

メンバーが、壊れていきます(笑)
特に、慧とカズさんが、別人です。
某作品で『低血圧魔王』が降臨されてたのを見て、
慧に似合いそう…なんて思ったのがきっかけ(^_^;)
でも、さんの前では姿を隠すんだね。
いつも被害に遭うのは、きっと疾斗くんなんだ。
航河は、うまく擦り抜けてくれるでしょう。
でも最初は、カズさんにまで降臨するはずじゃ
なかったのになぁ…(苦笑)

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