最近、レーシングチーム『オングストローム』が、密かなブームを呼んでいる、らしい。
なかでも、これまでレースのことをよく知らなかった女性ファンが、急増していると言う。
その原因を作ったのは、南極出版から読者リポーターに選ばれた私、が、女性誌に載せた記事のおかげ。
記事の内容は、彼等の内面やレースへ向ける気魄を伝えていたけれど、写真入りでメンバーが紹介された雑誌は、瞬く間に売れ行きが伸びた。
大人の落ち着きを見せる、クールなリーダー、『加賀見 慧』
ハーフであり、端整な顔立ちの寡黙なドライバー、『中沢アルトゥール航河』
愛嬌のある表情に、強気な一面も見せるテストドライバー、『鷹島 疾斗』
いつも穏やかな笑みを浮かべる、信頼厚いメカニック、『岩戸 和浩』
その評判は、チームの成績が伸びていることもあるが、彼等の人並以上の容姿からくるものも大きい。
TVのレース中継等でも取上げられるほど、彼等の知名度は上がっていった。
それは嬉しいことではあったけど、彼等にとっては…特に、メカニックの彼にとってはあまり喜ばしいことでは無かったのかもしれない。
沈んでゆく夕日が空一面を茜色に染める週末、仕事から帰る途中の私の携帯が、メールの着信を告げる。
そのメールはカズさんからで、明日は久しぶりのオフだから、今夜夜景を見に行かないか?というお誘いだった。
今日の夕焼けはとっても鮮やかだったから、きっと星も綺麗に見えるはず。
お互いに忙しい日が続き、なかなか会えなかった私が、そのお誘いを断るわけが無い。
9時頃に迎えに来てくれたカズさんの車に乗り込むと、一番見たかった笑顔が私を迎えてくれた。
「待ったかい?急に呼び出したりして、迷惑じゃなかった?」
「大丈夫。私も…会いたかったから…。」
初めて一緒に出掛けた頃から、カズさんは変わらずに気遣ってくれる。
そして、車は静かに発進した。
夜景が見える頂上へ向かって、車は峠道を上って行った。
6合目くらいまで上った頃、後ろから明らかに煽っているように、ハイビームが当てられた。
それは、数回点滅を繰り返すが、追い抜いていこうとはしない。
ピッタリと後ろに張り付いたまま、ゆらゆらと蛇行してパッシングを続ける。
「こういう所では、たまにあるんだよね。」
私にはよくわからなかったけど、見る人が見れば、この車は速く走れるようにいろいろと手を掛けられているようで。
挑発されることがたまにあるのだと、カズさんは小さく息を吐いて、苦笑交じりに呟いた。
頂上の駐車場へ車を入れると、後ろの車も後に続いた。
近くに止められた車から、2人の男がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて降りてくる。
「なぁ〜に、余裕かましてんの?お兄さん。女連れでさぁ、羨ましいよねぇ。」
「でもさぁ、あんな風にタラタラ走られると、邪魔なんだけどぉ。」
運転席の横に寄りかかるように、大声で絡む。
私に車から降りないように言うと、カズさんは2人の前に立った。
表情はいつもの穏やかな笑顔だけど、私は怪我でもしやしないかと心配だった。
「邪魔して、悪かったね。でも、もういいだろう?」
「はぁ?なにそれ!せっかくオレ等が、彼女の前でいいカッコさせてあげよって、思ったのにさ。」
「そうそう、ひとっ走り、決めてみたらぁ?彼女だって、そぉんなカッコいいお兄さんに一発で堕ちるかもよ!」
「せっかくだけど、遠慮するよ。」
下卑た笑顔でからかうように挑発する男達を、カズさんは表情を変えずにあしらっている。
いつまでも落ち着いているのが気に入らないのか、男達はだんだんと機嫌を損ねていってるようだ。
「なに、すかしてんだよ!なんか、ムカツクんだけど!」
「なぁ、こいつ…どっかで見た事ねえ?…確か……そうだ!最近TVとかに出てる奴だ!」
「え……あぁ、そう言えば…レースチームかなんかで、騒がれてて…。」
「そうだよ!え…っと…そう!『オングストローム』だ!」
男達が、カズさんに気付いた!
そして、ジロジロと無遠慮に嫉むような視線を向けると、口角を歪めて嘲笑を浮かべた。
「はぁ〜ん…なるほどねぇ。有名人なんだ…じゃあ、そこの彼女も、取り巻きの一人、ってこと?」
「いい加減に、絡むのはやめてもらえないかな。」
「なになにぃ、選り取り見取り、ってやつ?やるねぇ…。」
さすがに、カズさんも少し表情を険しくしたけど、お構いなしに男達の下品な冷やかしは続く。
嫌だなぁ…もう、聞きたくない…。
俯いていた私は男が回り込んできた事に気付かずに、急にドアを開けられて、抵抗する間もなく腕を引かれ車から降ろされた。
無理矢理捕まれた手首に痛みが走り、思わず声をあげる。
男はそれでも手を離さずに、私を引き寄せようとした。
「痛っ…!」
「ねぇ、彼女。レーサーって、そんなにいい?」
「でもよぉ、こいつって…たしか、メカニックじゃねえ?」
「なんだよ、ただのスタッフかよぉ。どうりで、見掛け倒し、って感じ!」
「ざぁ〜んねん、彼女…ドライバーだと思ってたんでしょ?騙されるとこだったぜぇ!」
「よかったじゃん!ヤラレる前でさぁ。オレ等ってば、救世主、ってやつぅ!」
「…は、離して……。」
「いいじゃん!こんな走れない奴よりも、オレ等と愉しもうぜ。」
「いい思い、させてやるからさぁ…。」
「いやっ!」
男の力で捕まれた手は、私の力ではなかなか振りほどくことが出来なかった。
恐怖感に身体中に力が入らなくなって、目には涙が溢れてきた。
助けて…カズさん……!
「……彼女から…その手を、離してくれないか…。」
一瞬、誰の声かわからないほど、低く、怒りのこもった声が、静かな駐車場に響いた。
それまで私にイヤらしく絡んでいた男達も、唖然としてその声の方へと視線を向けた。
声の主は、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
その姿は、周りを威圧するオーラを全身から立ち上らせているようだった。
男達が怯んだ隙に、私は捕まれた手を振り解いて、カズさんに駆け寄った。
私の肩を優しく抱き止めながら、男達を威圧する視線を逸らそうとはしない。
緩やかな笑顔しか思い浮かばないようなカズさんの、違う一面を見たような気がした。
「…愉しもうじゃない…いい思い、僕にもさせてくれないか……。」
「な、な…何、言ってんだよ、てめえ!」
「走りたいんだろ?僕に、いいカッコってやつ、させてくれないか?」
「なんだとぉっ!」
カズさんの迫力に圧倒されていた男達が、挑発にのせられて怒りをつのらせていく。
なんで、そんなに挑発的なことを言うんだろう…?
その疑問は、後になってわかるのだけど。
「先に出てもらって、構わないよ。僕が君達を抜いたら勝ち、ってことで、いいかな?」
カズさんは、隣に並んだ男達に先に行くよう促した。
そう言う口調は穏やかだけど、その台詞は、男達を怒らせるのに充分だった。
頭に血を上らせている様子が、ありありと窺える。
「さん…怖がらせてしまうかもしれないけど、ごめんね。
シートベルトをして、手すりをしっかり握ってて。背もたれに身体を預けて、両足に力を入れててね。
……すぐに……終わらせるから………。」
私は、カズさんの言う通り、身体をシートにしっかりと固定させた。
隣の車は、数回アクセルを吹かして轟音をあげ、タイヤの軋む音を響かせて飛び出していった。
「じゃ、行くよ。」
カズさんは小さく呟いて、その車に続いて飛び出していく。
それは、さっきの車のように無駄な動きはまるで無く、スマートな発進だった。
加速による前からかかる重力で、私の身体はシートに縛り付けられる。
呼吸まで苦しくなるほど、フロントガラスに映る景色が猛スピードで流れていく。
カズさんの横顔はすごく真剣で、ククンと素早くシフトを操ると、それに答えるように車は加速する。
目の前に迫るガードレールに目を瞑りそうになったけど、一瞬で車体が流れてギリギリの所をかわしていく。
先を走る男達の車が、見る間に眼前に迫ってきた。
助手席の男が後ろを振り向いて、驚愕の表情をみせる。
カズさんは、あと少し前に出ればバンパーに触れてしまうほどの距離で、前の車にピッタリと張り付いた。
相手が動揺しているのは、その走りを見ただけでわかる。
「そろそろ、終わりだね。」
カズさんがそう言った途端、アクセルがクンと踏み込まれて、身体が一層シートに沈み込んだ。
下りの左コーナー、前の車がラインを大きく膨らませた内側をすり抜け、鮮やかに抜き去るマシン。
まるでスローモーションのように、呆然と私達を見送るしかない男達の顔がよぎり、カズさんは彼等に向かっていつもの笑顔で片手をあげた。
そのまま、あっという間に彼等の車は遠ざかり、ドアミラーから小さな影が見えなくなると、ガコン!という音が微かに聞こえた気がした。
「あ…やっちゃったかな?」
心配そうな口振りだけど、心なしかカズさんはこうなることがわかっていたようで。
麓付近の少し広めの場所に出ると、サイドブレーキを一瞬引いた。
タイヤが鳴声をあげ、あっという間に車は反転し、今来た道を戻っていく。
「本当は、車に負担がかかるから、あまりしない方がいいんだけどね。」
何が起きたのかよくわかってない私に、カズさんは苦笑いでそう言った。
しばらく走ると、さっきの男達が呆然と立っている。
傍らには、ボディのいたる所が凹んでしまった、可哀想な車があった。
近くに車を止めると、カズさんは工具箱を持って彼等に近寄って行った。
その姿に気付いた男達は怒りをあらわにしたけれど、カズさんが一瞥すると慌てて身を竦ませた。
無言でボンネットを開け、手馴れた感じで応急処置を施す。
男達はその様子を、ただ黙って眺めているだけだった。
レース中の事故のように、動けなくなるほどの致命的な故障は無いらしく、その車は辛うじて息を吹き返した。
バタンとボンネットを閉めて、車に向かって「無理させて、ゴメン。」と小さく呟くカズさんの瞳は、とても優しかった。
そして、一転険しい表情で、彼等の方へ向き直った。
彼等はそんなカズさんに、一層身体を強張らせる。
「あまり、見くびらないでくれないか。
僕は、一瞬で失いかねないドライバーの命を預かっているんだ。
スピードの世界を知らない奴に、彼等の大切な命を預かる資格はない。
僕自身が速さを知らないで、速い車を作りあげるなんて、無理だからね。
僕は、誰よりも速さに対して真剣に向き合っているつもりだ…。
僕の前で、軽々しく走りを語るのは、やめてもらおうか。
わからないようなら、僕が教えてあげても、いいんだけど。」
器用にドライバーを指先で玩びながら、瞳を細めてにっこりと微笑むカズさんに、男達は声を詰まらせる。
その言葉の奥に潜んでいる真意は、充分伝わっているようだ。
「それと…君達のような走り方をしていは、せっかくのいい車が可哀想だよ。
大事にしてやって。」
最後にそれだけ言い切ると、カズさんは男達に背を向けた。
背後で、へなへなと座り込む彼等の姿があった。
結局、夜景なんて見られるような状況でもなく、私達はそのまま家へと向かった。
「あの…さん…。今日は、あんな怖い目に合わせてしまって、悪かったね。僕が誘ったりしなければ……。」
「そんなことないよ!そりゃ、あの人達に捕まれてた時は怖かったけど…でも、カズさんはちゃんと助けてくれたし!
それにね、走ってる時も、カズさんの運転だから、すごく安心してたんだよ。」
「そう…かな。」
「うん。カズさんって、いつもはすごく綺麗に走るけど、こんなに速く走ることもできるなんて。すごいなぁ。」
「それほどじゃないよ。加賀見さんや航河は、もっと速いんだ。」
そんなことを話しながら、私の家まであと少しという所で、急にカズさんが車を止めた。
どうしたのかと思って目を向けると、何かを考えているようにハンドルに手を掛けたまま俯いている。
「カズさん?」
「あのね…今日…僕の家に、来てもらえないか、な…。いやっ!もし、嫌じゃなければなんだ…けど…。」
「う…うん…。別に、嫌じゃないよ。でも、急にどうしたの?」
カズさんは黙ったまま、私の左手をそっと引き寄せた。
手首には、まだうっすらと捕まれた時の跡が、赤く残っている。
その部分を優しく擦り、辛そうに瞳を揺らめかす。
「あんな奴等が、さんに触れた事が…触れさせた自分が、許せないんだ。
この跡も、あんな嫌な思いも、君から無くしてしまいたい。
全部消えてしまうまで、さんの側にいたい…だから…。」
カズさんの揺れる瞳には、あの男達や、自分に対する静かな怒りがまだ燻っているようだ。
その怒りの理由が私に関係してるとしたら、私がそれを鎮めてあげられるなら。
側にいるだけで、いいと言うなら…。
「全部無くなってしまうまで、側にいてね。カズさん…。」
本当は、カズさんの側にいるだけで、嫌なことなんて消えてしまうんだよ。
恥ずかしいから、言わないけどね。
END
<2006.6.22>
走り屋、カズさん!
だんだんと、別人になっていきます。
でも、書いてて楽しかった♪絡んでくる奴等が(^_^;)
なんか、おバカな子ほど、かわいい。
この後、彼等がカズさんを『兄貴!』と崇めてくれると嬉しい。
自分の整備に、誇りを持っているカズさんが、
うまく出ていればいいのですが…。
それにしても、長過ぎかも…。
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