久しぶりに会った友人に、近況がてら最近出来た彼の話を。
大学卒業後、大手の商社に就職し、この間海外勤務から帰って来たばかりの、彼女。
けれど、すぐにあの頃の私達に戻り、彼の身上調査を始める彼女に、懐かしさを感じて。
少し照れつつ嬉しさも隠しきれず、私は彼との出会いから掻い摘む。
些細なすれ違いはあれど、今の状態に至る私達の馴れ初めに、彼女は口を挟むこともなく。
そして、私の話を最後まで聞いていた彼女は、あの頃のままにきっぱりと、言い切った。
「そんな男、止めときなさい。」
彼女に、悪気はない。
学生の頃から、少し後ろ向きに考えてしまう私を、叱咤しながら励ましてくれた彼女。
私が見習うべき物を、いくつも持ち合わせている彼女には、彼は物足りなく映るのだ。
「私は、あんたにはもっと、強引に引っ張る男の方が、いいと思うわ。」
懐かしい、と思う。
あの頃から、変わらずずっと、彼女はそう言い続けてきた。
「それに、いつでもあんたを近くで支えられる男でなけりゃ、辛いだけじゃない。」
過去の恋愛経験で、それは解りきってたけど。
その都度、彼女は私の良き理解者として、落ちていく私を見守ってくれたけど。
でも、いつも私は、彼女の期待に答えられなくて。
ただ苦笑いを、返すしかない。
****
私は、彼が作り出す、この空間が好き。
ガレージはいつも、埃や鉄錆の匂いが漂って。
傍らには、新品やチャージ途中のバッテリー、気象状況に応じた数種類のタイヤが、乱雑に積み上げられたまま。
棚には、彼の整備を待っている電装品や、真新しいパーツ、細々とした修理部品が、整然と並んでいる。
その中央で前部を高々とジャッキアップされ、静かに目覚めを待っている、彼等の大切なマシン。
下に潜り込んでいる薄群青の作業着は、あまりにもこの空間に溶け込んでいて。
微かに工具とマシンが音をたてるだけの、外界から切り離されたゆったりとした空間。
いや…この静かで緩やかな時間を紡ぐ空間を、作り出しているのは、彼。
休みはどこへ行くでもなく、車に付きっ切りの彼の作業を眺めていると言う私に、そんなの退屈じゃない?って友達は言うけど。
でも私は、別に退屈と思うことはない。
マシンに潜り込んでいる彼が、今どんなことをしているのかは、私に理解することは出来ない。
それは、彼とマシンにしかわからない、秘密の会話なのかもしれない。
だから私は、その秘密を少しでも共有したくて、この空間に忍び込む。
本当は、マシンに彼を独り占めされるのが、嫌だってだけなのかもしれないけれど。
カラ…と、台車が動く音がして、マシンに潜り込んでいた彼が、静かにそこを離れる。
ぼんやり考えていた私は、その音で意識を取り戻して、顔を上げたそこには、済まなそうに笑う彼の笑顔。
「さん…退屈じゃない?みんなの所に戻ってても、いいんだよ?」
いつの間にか、私が来る時はいつもそっと椅子を用意してくれる場所。
ガレージで作業する彼の姿を見ることができる、私だけの特等席。
それは、彼が作ってくれた場所だけど…。
私がここにいない方が、彼の仕事ははかどるんじゃないか?と、いつも思う。
彼は、口には出さないけれど、もしかしたら、迷惑なんじゃないか…って。
「ここにいたら、気が散る?もし、邪魔だったら、戻ってるけど…。」
すごく意地悪な言い方…こんな風に言われたら、本当は邪魔でも言えないよね。
でも…
「そんなこと、ないよ。さんが、ここにいてくれるって言うなら、僕にとっては願ってもないことだよ。」
そう言って照れたように笑う彼の優しさに、私はいつも我がままになる。
彼を取り囲むこの空間に、私も包まれていたい。
彼を近くに感じていたい、って、そんな我がままで一杯になる。
「あと少しで、一段落つきそうなんだ。そしたら、休憩にしようか。」
額に滲む汗を軍手で拭いながら、マシンに向ける彼の視線は、ひたむきでいて、優しくて。
そんな彼に見惚れてしまうと同時に、寂しさも感じてしまう。
その視界の中に、私は入ってますか?
「さんがそこにいてくれるから、こいつの機嫌もいいんだよ。」
私の不安が、本当に些細なことだとでも言うように。
マシンに向けた視線のまま、振り向いた彼が笑う。
その後に小さく呟かれた言葉は、私にとっても願ってもない言葉。
「…その…僕も…なんだけど、ね。」
誤魔化すように頭をかきながら、作業に戻る彼。
私は、彼の背中越しに映る、鮮やかな紺青のマシンに、心の中でそっと謝る。
秘密の会話を、邪魔してゴメンね。
どうか、私もこの空間に一緒にいることを許してね。
静かに降ろされる車体、前輪にかかる重量がギシッとスプリングを軋ませる。
開かれたままのボンネットをゆっくりと降ろし、ロックされる音がガレージに響いた。
天井近い窓からさし込む日の光が、彼等のマシンをスポットライトのように照らし。
中央で毅然と佇むマシンは、青い光を放つ。
最終チェックのためか、マシンの周辺を巡る彼の行動は、どこか儀式的なものを思わせて。
一緒に戦うマシンに、大事な仲間達の安全と勝利を託すしかない彼の、神聖な儀式。
それまで穏やかにたゆたっていた空気が、この瞬間だけ引き締まる。
彼がボンネットにそっと手を掛け、深く息を吐いた時、彼とマシンの秘密の時間が終わる。
「少し、休もうか。さんも、ずっと座ってるだけじゃ、疲れたでしょ?」
やっと彼の意識が私に向けられると思えば、仕上がり具合を気にしていた仲間達が頃合を見計らってガレージへと押しかけてくる。
「かずさ〜ん!調子、どう?」
「お疲れ。」
「カズ、この間言ってた微調整は、うまくできそうか?」
静かだった空間に、明るい音が増していく。
「ってば、もしかしてずっと見てたのか?!なんだよ、中に入ってたらよかったのに!」
「馬鹿か…少しは、気をつかえ。」
「なんだよっ!アルだって、人のこと言えないだろっ!!」
「やめないか、お前達…なんだって、そういつもいつも……。」
「まぁ、いいじゃないか。一段落ついたなら、カズも少し休んだらどうだ。」
急に騒がしくなったガレージ内は、いつもの彼等の空間に変わり。
私は、過ぎてしまった彼との時間を振り返り、ちょっと苦笑い。
ふと見れば、彼も同じように苦笑しながら、言い合う彼等を宥めてて。
同じ気持ちでいてくれたらいいと、希望的憶測で自己完結する。
「向こうで、お茶にしませんか?差し入れに、クッキーを焼いたんです!」
「マジ?!やっり〜!早く、行こうぜっ!」
真っ先に反応した鷹島さんを、呆れたように中沢さんが小突いて、また小競り合いしそうな2人を加賀見さんが軽くいなして。
庭に設置されたテーブルセットに向かう彼等の後を追いながら、彼が私に手を差し出す。
「行こう。さん。」
微笑む彼の手に、自分の手を重ねた刹那。
私の身体は、彼の胸元へ飛び込んで。
軽く頬を掠めた熱と、耳に残った彼の声が、私の時間を一瞬止めた。
「今は…これだけ。」
強く抱きすくめられたのは、余韻も残らないほど。
本当に、瞬間的に…仲間達に気付かれないくらい。
「なかなか、2人きりにはしてもらえそうにないから。」
目を逸らしてしまうのは、拗ねているから。
俯いてしまうのは、照れているから。
そして、うっすらと頬を染めたまま、握っている手に力を込めるのは、彼がみせる小さな独占欲。
「かずさ〜ん!独り占めは、ズルイっすよぉ!」
「だから、お前は何度言ったらわかるんだ…。」
「カズもさんも、早く来ないと疾斗が煩いから。」
「加賀見さんまで、酷いじゃないっすかぁ…。」
彼の大事な仲間達が、からかうように急かす。
私達はお互いに顔を見合わせて、思わず笑みを漏らした。
私は、彼と彼等が作り出す、この空間に包まれているのが、好き。
私は、彼が作り出す、この空間が、好き。
****
食事を終えて、別れ際に彼女は言った。
「まぁ、あんたにしては、今回は少しマシかもしれないわね。」
彼が持っている強引な部分は、内に秘められたものだから、表面的にはわからないと思う。
さり気無く、そういう話も織り交ぜたつもりだったけど。
それでもまだまだ納得はできないから、ギリギリ合格点という所らしい。
「それに、あんたも少しは、図太くなったみたいだし。」
ニッ、と、意地の悪い笑顔を浮かべる彼女。
これは、彼女なりの褒め言葉。
いつも弱い私を、叱ってくれた彼女だから。
「これからは、クライアントに世間話がてら、あんたの彼のチームのことでも話題にしてみるわね。」
片手を上げて、颯爽と歩いていくスーツ姿の彼女の後姿に、私もそっと手を振った。
この次に会う時は、私ももっとしっかりしてると思うから。
それはきっと、私を包んでくれる、彼のおかげ。
END
<2006.10.6>
私は、工場とか、ガレージの雰囲気が、結構好きだったりします。
車を触れる人が好きで、作業しているのを見てるのも好き。
彼が作業しているのを見てる時は、きっと退屈なんてしないだろうと思う。
そんなイメージで書いたつもりですが、うまく出せなくて(-_-;)
友達の彼女も、別に彼のことが気に入らないわけじゃなくて。
ハッパかけてるつもり、と見てもらえたらいい…(苦笑)
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