※「素直になれない愛情表現 10のお題」より。
風が強い日だった。
私は突風に遮られて、止まることを余儀なくされた。
校舎の隙間を通り抜ける風は急に向きを変え、追い風になった強風に煽られて、私は思わずよろめいた。
その途端、手の中にあった書類が風に飛ばされて、空に舞った。
私はそれを呆然と眺めているしかなかった。
人は、突然の出来事に対して、成す術が無くなるのだと、改めて思い知る。
高く空に舞い上がる書類は、意思を持った生き物のように、思うまま飛び去って。
私は、自由に空を飛ぶそれが、羨ましかった。
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俺は、廊下に溢れる生徒達の中に見知った姿を見つけた。
ただ知っているというだけでは無くて、俺が心を寄せている人。
先輩は俺の方に視線を向けて、目が合うとすぐに顔を背けてそのまま走って行ってしまった。
追いかけようにも、人の波に遮られて、うまく前に進めない。
いっそのこと、大声で名前を呼んでしまえたらいいけど、俺にはできない。
先輩が、それを望んでいないのは、わかっているから。
俺は自分の気持ちを告げてしまったばかりに、一番欲しかったものを失ってしまった。
でも、俺の思いは、まだ変わることはなかった。
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私は、いつも穏やかな笑顔の後輩を、いつのまにかただの後輩として見ていない事に気付いてしまった。
同じクラスの宍戸と私は、なんとなく気が合いよく一緒にいたから。
宍戸を慕ってちょくちょく訪れる彼とも、自然と会話を交わすようになっていた。
そのうちに彼は、宍戸が席を外している時も、話をしていくようになった。
他愛の無い会話だったけど、私は彼との会話にいつも癒されている気がしていた。
私は、氷帝を出て外部を受験することに決めていた。
それを決めたのは自分なのに、そのまま上へ進学する周りの人達があまりにも余裕があるように見えて。
自分だけが追い詰められているように感じていた私は、彼の笑顔にいつも助けられていた。
そう、あの日まで。
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俺は、宍戸さんから先輩が外部受験をするという話を聞いて、心がざわめいた。
高等部へ行くものとばかり思って…1年我慢したら、またこうして一緒にいられると思っていた。
最初は本当に宍戸さんに会いに行っていたけど、最近は先輩に会いに行っていたようなものだった。
それを宍戸さんに知られてしまい、気を利かせて席を外してくれるようになった。
俺は、先輩と話が出来るだけでいいと思っていたのに。
外部を受けるということは、こんな風に会えることは無いということ。
確かな約束が無ければ、もう会えないかもしれないということ。
そう思うと、急に怖くなって…焦りは募った。
俺の思いを伝えて、もし先輩が応えてくれたら、それは確かな約束になる。
それが欲しかったから、俺は思いを告げた。
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風がはらはらと葉を散らせる中庭で、私は彼と向かい合っていた。
いつもと違う真剣な瞳が、私を真っ直ぐに見ている。
そして、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺は、先輩が…好きです。これからの、約束が欲しいんです。迷惑…ですか?」
風が、足元に散り積もった枯葉を運ぶカサカサという音が、耳に響いた。
彼の静かな、透き通った声を、かき消してしまうようだった。
私はワザと枯葉を踏みつけて、彼の声も、言葉の意味も、全てを雑音の中に埋没させた。
「ごめんなさい…。今の私には、そんな余裕…ない…。」
ひどく傷ついたような彼の表情…ギュッと白くなるほど握り締められた彼の拳…。
そんな姿に、私は心が串刺しにされたように痛んだ。
でも私は、彼の気持ちに応えられなかった。
余裕の無い私は、彼までもが私を追い詰めていると感じてしまったから。
彼の気持ちに応えてしまえば、外部を受験することを後悔するのはわかりきっている。
そして私は、彼から距離を取った。
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その日から俺は、宍戸さんのクラスに行くことは無かった。
先輩と会うのが、辛かった。
先輩が応えてくれる確証なんて無かったのに、俺はどこかで期待していたんだ。
いつも笑顔を返してくれる先輩は、きっと同じ思いでいてくれるのだと自惚れていただけなんだ。
あまりにも浅はかで、思慮の足りない自分に、嫌気がさす。
あれから俺は、情けなくて、自嘲するしかなくて。
そんな俺を見る宍戸さんの視線は、ひどく歯痒そうだった。
「長太郎…お前、ひでぇツラしてるぞ。」
「宍戸…さん。俺…。」
「あいつもどっか変だし…ったく、お前等もそろって、素直じゃねぇ…。」
先輩も、様子が変?どうして?
俺の気持ちを拒んでしまったことを、気にしているんですか?
きっと今の先輩は、俺のことを気にして、自分を追い詰めてしまって、苦しんでいる。
そんな先輩に、今の俺は何をしたらいいんだろう…。
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私は、私を追い詰めているものを、全て切り離したかった。
だから、彼の思いにも応えられなかった。
あれから、彼は宍戸に会いに来ていない…これでいいはずなのに。
だけど、私は相変わらず息が詰まりそうなほどの焦燥感を感じていた。
こんなに苦しい気持ちになるのは、どうしてだろう。
そう考えたとき、ふっと、暖かい彼の笑顔が浮かんだ。
なんだ…私はこれほど彼に助けられていたんだ。
それを手放してしまったのは、紛れもなく自分自身…これは自業自得…。
彼の気持ちを踏み躙り、あれほど彼を傷つけてしまった、私への罰なんだ。
自分のことしか考えられない、最低な自分に相応しい罰。
私は、暗い気持ちを抱えながら、提出書類を持って職員室へ向かった。
その途中、廊下で背の高い彼の姿を見つけて、思わず立ちすくむ。
こちらを向いた彼と、一瞬視線がぶつかった。
私に気付いた彼の表情が、嫌悪に歪むのを見たくなくて、私はその場から逃げ出した。
中庭へと抜けるドアを開け、上靴のまま外へ飛び出すと、強い風が私の逃げ道を塞ぐ。
強風が散り積もっていた枯葉を巻き上げて、私の心象を現すように吹き荒れる。
手の中の書類の存在が、どんどん重くなっていく気がした。
私は、前に進めないことを、全部、この強い風と重い荷物の所為にしてしまいたかった。
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俺は、もっと先輩に笑って欲しいと思っていた。
先輩が、俺の前で緊張が解けたように笑ってくれるのが嬉しくて。
でも、さっきの先輩の顔は、ひどく疲れているようだった。
心配でたまらなくて、どうにか人を掻き分けて、先輩が走って行った後を追った。
風でバタバタと音を立てているのは、中庭へと抜けるドアだ。
ここは、あの時の場所…そんなことを思い出して、少し苦い思いが蘇った。
外を窺うと、ドアから少し離れた所で立ち竦んでいる人の姿が見えた。
あれは、先輩…その途端、向きを変えた強い風に煽られて、先輩の体がよろめいた。
バサバサッ、という音と共に、先輩の手元の書類が舞い上がる。
先輩は、風に舞う書類を黙って見上げていた。
俺は中庭に出て、舞い降りてきた書類を拾い上げた。
拾い集められた書類は全てではなくて、もう遥か遠くまで飛ばされてしまったものもあった。
傍まで歩み寄ると、俺の気配を感じた先輩がゆっくりと振り向いた。
俺と、俺が持っている書類を交互に見ると、辛そうに表情を歪める。
それほどまでに、俺は先輩を苦しめているんだろうか。
先輩には、笑顔でいてほしいだけなのに。
「どうして…私を、そんなに…追い詰めるの…。」
先輩の瞳から溢れた涙が、頬を伝って零れ落ちた。
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手放してしまったはずの彼の笑顔が、今、私の目の前にある。
どうして、あなたがここにいるの?
どうして、そんな笑顔で、私を見るの?
私は昂ぶる感情を抑えられなくて、自然に涙が溢れてしまう。
彼を困らせるだけだとわかっているのに、それを止めることが出来なかった。
こんな私を見て、彼はやっぱり困ったような笑顔を浮かべる。
「すいません…俺の気持ちが、先輩を追い詰めてるなんて、気が付かなくて…。
泣かないで、ください…先輩を困らせたいわけじゃないんです…。
ただ…そんな辛そうな顔の先輩…放っておけなくて……。」
彼の長い指先が、そのまま私の頬に触れた。
思わず体を強張らせる私を安心させるような笑顔で、そっと涙を拭ってくれる。
指先は少しカサカサとして、その感触は彼がテニスに真剣に打ち込んでいる証だった。
「俺、先輩がいつも頑張ってるって、知ってますよ。
先輩は、自分でなんとかしよう、って考えてしまうでしょう。
でも、頑張ることと、無理をすることとは違う…と思います。」
彼は、私が頑張っていると、無理をしていると…そんなところまで見ていてくれたんだ。
誰にも気付かれてなかったことを、彼が見ていてくれたのが嬉しかった。
止められない涙に、彼は少しうろたえている様だった。
「あ…あの…俺は、いっつも宍戸さんや部活の先輩達に支えられてて…。
だから、いつも寄り掛かってしまって…その…精神的に、って意味で…。
この前、本当に寄り掛かったら、デカイから迷惑だって宍戸さんに言われたし…。
いや…あの…だから…あぁ、もう、何言ってんだろ、俺…。」
困ったように眉尻を下げて、彼は短いアッシュグレイの髪に手をかける。
その柔らかそうな髪が風が流され、光を浴びて煌いた。
彼のそんな姿が、優しくて、綺麗だと思った。
「だから…。俺だったら、先輩がいくら寄り掛かっても平気ですから…。
いくらでも、支えられますから…。」
彼が私を見る瞳は、あの時と同じように真っ直ぐだった。
まるで、あの時の時間まで遡ってしまったような錯覚を起こす。
もし、やり直すことが出来るとしたら、その時、私は…。
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先輩は、静かに涙を流すだけだった。
俺は、ハンカチを出すなんて気の利いたことも出来なくて、零れる涙をすくうだけで。
今まで辛そうな顔を見せなかった先輩は、感情のまま涙を流している。
先輩がこれほど苦しんでいたんだと思うと、俺まで苦しくなってしまう。
なのに心の隅で、その涙を見せるのは俺だけにして欲しい…なんて考えている俺って、最低だ。
俺は、そんな気持ちを振り払った。
「大丈夫です。…先輩は、そんなに頑張ってるじゃないですか。
少しぐらい、休憩したって…大丈夫…先輩なら、大丈夫。」
いつも、俺が先輩から貰っていた言葉…『大丈夫』。
おまじないの様にいつも言ってくれた『鳳君なら、大丈夫だよ。』という言葉。
俺はいつもこの言葉で、不安な気持ちを軽くしてもらえたから。
今度は俺が、先輩の心の重荷を軽くしてあげたい。
「無責任なこと言ってるって、気を悪くしたら、すいません。
…俺は年下だし…こんな情け無くて、頼りないけど…。
先輩が抱えてる重荷を、分けてはもらえないですか?
辛い思いが、少しでも軽くなって欲しいから。
…俺じゃ…だめですか…。」
俺は、とにかく必死で…これで最後にしようと思っていた。
自分の気持ちを全て伝えて、それで先輩に拒まれてしまったら、もう二度と姿を見せないと。
せめて、俺自身が重荷にならないように。
会えなくなるのは辛いけど、これ以上嫌われてしまうのはもっと辛い。
だから、俺は…。
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彼の思いが、どんどん深く心に染み込んでくる。
どうして彼は、こんな私にこれほどの思いを寄せてくれるんだろう。
あまりに真っ直ぐ向いてくる彼の思いは、私には勿体無いと思う。
私の凝り固まった心を、柔らかく包んでくれる心地よさに、甘えてしまいそうで怖い。
そう思う反面、それを失ってしまうことも怖いと思っている自分は、なんて強欲なんだろう。
「…鳳君…。」
彼の名前を呼ぶかすれた涙声が、自分の声では無いような気がした。
彼は瞳を見開いて、真っ直ぐに私を見つめ、一言「はい。」と答えた。
そんな彼に、私はどう応えたらいいのか戸惑ってしまった。
私の、強がりの無い、本当の、気持ち…。
「鳳君が、どうしてこんな私を気にしてくれるのか…わからなかった…。
私は、鳳君と知り合ってから…ずっと助けて貰ってたよ。
本当は、あの時だって…鳳君の気持ちが…嬉しかった…。
だけど…私はやっぱり、余裕がなくて…自分が、後悔してしまうのが…怖かった。
…それを、鳳君の所為にして、しまいそうで。
きっと、鳳君にも、嫌な思いをさせてしまうと、思った…。
でも、ね…あの日から、ずっと…私は、息が詰まりそうで…。
鳳君に、助けて欲しいと…思ってたんだ…やっと気付くなんて、そんなの、もう遅い…。
鳳君を、傷つけてしまったのに…いまさら、そんな都合のいいこと…言えない…。」
うまく言いたいことがまとまらなくて、途切れながらそれだけ伝えた。
彼は、私が言い終わるまで見つめたまま、そして、柔らかい笑顔を見せてくれた。
私がずっと、助けられていた、あの笑顔を。
「俺のことなんて、気にしないでください。
俺の方が、自分の気持ちを押し付けて、先輩を追い詰めていた…。
先輩を支えたいと思いながら、一番の重荷になってたんです。
そんなことにも、気付かないなんて…俺が、ガキだったから。」
彼は、私の涙をずっと優しく拭いながら「あんまり擦っちゃ、赤くなっちゃいますね。」と言って。
それでも零れる涙は止まらなくて、頬に触れる彼の手は暖かかった。
「先輩…俺、先輩のこと、好きです。
先輩が辛い時は、いつでも頼ってくれていいですから。
だから、俺が先輩のこと、いつも想ってるって、覚えていて欲しい…。」
彼の瞳には、いつも不思議な力が込められていると思う。
心がこんなにも、彼に引き寄せられて、大きく包まれる感じ…暖かな気分。
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「私…鳳君に、寄り掛かっても…いいのかな…。」
そう言うと、彼は瞳を細めて笑った。
「ええ、大丈夫です。」
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心が、さっきの書類のように、広い空に開放された気がした。
あれだけ強く吹いていた風が穏やかになり、私はようやく大きく深呼吸をした。
END
<2005.12.4>
これを書いているとき、じつはすごく凹んでまして…。
自分救済と誕生日を兼ねてしまいました(-_-;)
ひたすらちょたに、支えて欲しかったんだろか?
少し大人なちょたになってたら、嬉しい。
あんまり変わり無い気が、しますけど…。
重くて、長くて、申し訳ない(汗)
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