今日は朝から調子が悪い。
いつも難無くこなしている朝練メニューのはずなのに、オレの息は続かない。
ランニングの途中で、オレはその場にへたりこんだ。
「4つの肺を持つと称される男が、これしきの事でどうするのだ!たるんどるっ!!」
なんて、いつものお決まりの真田の喝も、今のオレには聞こえなかった。
息が……できねぇ…肺が…押し潰されそうで……マジに…しんどい……!
そのまま、意識がすぅーっと堕ちていく、嫌な感覚…。
もしかして、昨日の……あれ、が……。
****
事の起こりは、昨日の部活終了後のブン太の一言。
「なぁ、ジャッカル…ブラジルに『怪談』なんてあったりする?」
「『かいだん』って…上り下りの『階段』じゃ、ねーよなぁ…。やっぱ。」
「ぎゃははっ!ジャッカル先輩、それってお約束のボケっぷり!」
「はぁ〜…ったりめーだろぃ。」
赤也には馬鹿笑いされ、ブン太は呆れてガムを膨らませた。
風船がパチンと割れて、またブン太が話しはじめる。
「お前ってさぁ『学校の怪談』って、信じてたりする?」
「いや、別に…。」
「んじゃ、決まりっ!俺さぁ、教室にテキスト忘れちまったんよ!取ってきてくんない?」
「なんで、俺が!?」
「だって、俺ってば『学校の怪談』って、信じちゃってるし!」
あぁ、そんなこったろうと思ったよ…っていうか『学校の怪談』って、何だ?
まぁ、どうせ有無は言わせないのだろうと、オレはふか〜く溜め息を吐きながら、校舎へと向かった。
「ジャッカル君、どうしたんですか?」
「おぅ、柳生…実はな――。」
途中ですれ違った柳生に声をかけられ、事の経緯を話すと、同情するように眉尻を下げる。
「そうですか…それは、災難でしたね。ですが――。」
「はよぅ、戻った方が身のためぜよ。」
柳生の言葉を遮って、背後から仁王が顔を覗かせた。
この神出鬼没なペテン師の登場に、オレは一瞬怯んだ。
顔色一つ変えずつらっとしている柳生に、さすがはパートナーだ、と妙に感心する。
同時に、今のこいつ等はオリジナルだろうか、とも考えてたり。
ま、身内に入れ替わりもないだろう…それもあてにならねーか。
「身のためって、どういうことだ?」
「お前さんは知らんのか?立海大付属に古くから伝わっとろう。かなり有名な話じゃ。」
「彼は中等部からなので、知らなくともしょうがないでしょう。」
柳生が眼鏡の端をクッと押し上げる。
「まぁ、仁王君の言う通り、急いだ方が無難という事ですね。」
オレは、その話にも興味があったが、戻ってからでもいいかと校舎に入った。
腕を組んだ柳生と、その肩にもたれて手を振る仁王に見送られて。
校舎は非常灯以外の明かりが落とされ、薄暗い廊下はシンと静まり返っている。
さすがに少し不気味な雰囲気が漂っていて、こんな時に何か出てきたらビビルかもしれないな…なんて。
そんなこと考えてる自分に、ちょっと苦笑した。
何事もなく教室に辿り着き、ブン太のロッカーの中からしわくちゃになったテキストを引っ張り出す。
目的を終えて帰ろうとする背後で、カタンと何か音がした。
オレが教室に入った時に、誰かいたか?…いや、誰もいなかった。
いくら薄暗くても、人がいれば気付くだろう。
また、カタンと、微かに音がする…間違いなくこの教室の中から。
冷やりとする空気が、自分の周りを取り囲み、ねっとりと体中に絡み付くようだった。
オレは、知らない。
こんなに静かに、音も無く忍び寄る、怖のモノなんて。
確実に、周囲からじりじりと迫り来る、見えないナニカ。
体中のあらゆる器官が、警告を発している。
これは…なに?
途端に、さっきの柳生と仁王との会話を思い出す。
今になって、その内容を聞いておけばと、少し後悔した。
ブン太が言っていた『学校の怪談』という言葉が頭に浮んだ。
薄暗い教室に、窓から覗く紫色に暮れていく空…何が起こってもおかしくはない雰囲気。
別に信じている訳じゃない…でも、気分のいいものでもない。
オレは急いで教室から飛び出すと、廊下を、階段を、一気に駆け抜けた。
玄関の外で待っていたブン太達を見つけて、ホッと息を吐く。
背中に”ズン”と重みがかかり、虚脱感に襲われた。
そんなに緊張していたのか、それとも、恐怖を感じていたのか。
血相を変えて駆けて来たオレを見て、ブン太と赤也は大笑いする。
誰の所為だと思ってるんだか…本当に友達がいの無い奴等だ。
オレは、グッタリと重い身体を引き摺って、どうにか家に帰りついていた。
****
目が覚めたのは、白い天井と、消毒薬の匂いのするベッドの上。
朝練の途中だったよな…と、ぼんやり思い出した。
辺りは静かで、遠くから授業中であろう教師の声が聞こえてくる。
もう、授業が始まってるんだ。
保健医もどこかに行っているのか、ここに人がいる気配はない。
どうせなら、もう一眠り…そう思って寝返りをうつと、急に背後からオレを見ているナニカの視線を感じた。
背中が、ゾワリと粟立った。
今朝の、あの感覚が蘇った。
自分の臓器の全てが、握り潰されるように…息が、詰まる。
短い息を繰り返し、なんとか酸素を取り入れようと、足掻く。
やばい…い、しき…が…。
ガラッ、とドアが引き開けられる音がして、その途端に息苦しさから開放された。
辛うじて残っていた意識が、呼吸することだけに向けられる。
荒い息をするオレに、静かに声がかけられた。
「ジャッカル…厄介なのを、引っかけて来たらしいね。」
「ゆ…きむ、ら…。」
「仁王が気にしていたのは、どうやら正解らしい。」
ベッドの脇で、幸村と柳がオレを見下ろしている。
「ブン太から聞いたよ。昨日、逢魔が刻の校舎に入ったんだね。」
「時期が悪かったようだ。昨日は新月。真の闇が訪れる夜だ。」
そういえば、いつもよりも薄暗かったような気がするが、それは新月だからだったのか?
『逢魔が刻』という言葉なんて、向こうでも、日本に来てからも聞いた事なくて…オレは混乱していた。
「この土地は、いろいろと集まりやすい土地らしくてな。特に、新月の逢魔が刻には、鬼が集うと言われている。」
「だから、新月の日の夕暮れの校舎には、誰も立ち入らない…。稀に、波長の合う者に鬼が憑くことがある、というから。
それがこの立海大付属に伝わる有名な話、『学校の怪談』だ。」
「まさか、それがハーフであるお前の身にも起こるとは。鬼の伝説は、古来より日本特有のものと思っていたのだが。」
オレは2人の会話に入ることも出来ずに、ただその内容で自分の身に起きた事を知るしかなかった。
…どうやら、オレは、鬼に憑かれたらしい…って、おい!
そんなことを表情も変えずに平然と話している、お前等の方がよっぽど鬼じゃねーのか!
「あぁ、人の気も知らないで、とでも言いたそうだな。だが、心配することはない。
これは、一過性のものだ。それに、もう手は打ってある。」
「まだ少し、発作は起きると思うけど、すぐに治まるから。暫らくの辛抱だ。
心配しないで、休んでるといいよ。」
幸村の瞳が怪しく揺らめき、柳がうっすらと瞳をあけた気がした。
戻り際に「魔除け、みたいな物だから。」と渡された黒いリストバンドが、ずっしりと手首で存在を主張している。
多分、ずっと身に付けていろということだろう。
鬼の部長と副部長、参謀付きとなれば、これで立海大も…日本ではなんてったっけ…『鬼に…』?
ま、いいや…赤也じゃねーけど、化け物揃いの立海大テニス部でやっていくのは、なにかとしんどいもんだ。
****
「これで、全員終わったようだね、蓮二。」
「そうだな。これで我が立海大の優勝の確立は、格段に上がる。」
「奴が、内なる鬼に喰らわれなければな。」
「その時は、あなたが鉄拳制裁するのでしょう。真田くん。」
「ふっ…鬼神の如き…とは、よぅ言ったもんぜよ。」
「こえーよな、ウチの部長さん達は…。」
「そぉーっすよね。わざわざ、鬼にくれてやる、なんて――。」
立海大に伝わる『学校の怪談』…逢魔が刻は鬼集いし刻。
鬼は憑代を求め、人に憑く。
鬼を捕らわば鬼を従え、捕らわれれば喰らわれる。
鬼に魅入られるには、屈強な肉体、強靭な精神。
そして、逢魔が刻を畏怖し、鬼を畏敬す者。
内から喰らおうとする鬼を、封じ込める際の苦痛は耐え難く。
それを鎮める者のみが、鬼神の憑代と成り得る。
立海大テニス部レギュラーの手首には、いつも黒いリストバンド。
決してそれを、手放してはならない。
それは、体力強化を目的とする物ではなく。
『内なる鬼を、封印するため』
それが開放されし時、内なる鬼が、目覚める…。
「ジャッカルは『学校の怪談』自体を知らなかったのだな。」
「あぁ。まずはそこから始めなければならなかった。」
「だからって、あんな芝居までさせんのは、ねーだろぃ。」
「まぁ、真実を告げて素直に従うとは、思えませんがね。」
「強くなれんなら、別にいーじゃないっすか!ねぇ、部長?」
「ふふっ。でも、その方が楽しかっただろ?お前達も…。」
「…まっこと、恐ろしい男よ。幸村…。」
ゆっくりと口角を上げて、笑みを浮かべる幸村。
瞳の奥に、妖しい輝きを秘めて。
幸村を囲む彼等の背後、ゆらりと揺らめくは、鬼神の影。
立海大付属中等部男子テニス部『鬼神降臨の儀』
滞りなく、終了。
****
なにか、文字通り『憑き物が取れた』みたいにすっきりとして。
オレはいつものように、メニューをこなす。
手首には、黒いリストバンド。
時々、身体の中から沸き起こる猛々しい衝動を感じたりもするが。
それくらいの気合がなきゃ、こいつ等とはやっていけねーから。
あーっ、もう、本当に、しんどいっ!
END
お題配布サイト様:『1403番』(管理人 くろぐろ 様)
主催:色葉さま
☆閉鎖されました。名残のバナーです☆
企画サイト様 寄稿<2006.5.1>
サイトUP <2006.11.6>
企画サイト「怪−夢と小説で百物語−」様に寄稿させていただいた作品です。
一人では出来ない百物語ですが、他の皆様と一緒に怖がらせてもらいました。
そのようなところにご一緒できて、怖いけど嬉しかったです(#^.^#)
ジャッカルは、日本独特の怪談っていうのは知らないような気がして。
海外の幽霊って『騒がしい』って感じが…ポルターガイストとか…。
それに『鬼』って概念も持ってないと思います。
そんな中の、立海大恒例儀式(笑)幸村くん、愉しんでます♪
もしかすると、幸村くん入院は、これの後遺症か?!
主催された、色葉さま。ありがとうございました。
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