次の時間が音楽という事で特別教室棟へ向う渡り廊下の途中、窓からグランドへ駆けて行く後輩達の姿が見えた。
その中に、一際目立つ長身の姿を見つけて、思わず足を止めてしまった。
「どうしたの、?」
急に足を止めた私に、訝しげな顔でが声をかけた。
開け放たれた窓から風が入り込み、少しだけ顔を背けた私の耳に、駆け寄ってくる足音と私を呼ぶ声が聞こえた。
「先輩!」
背の高い彼は、楽々と窓枠に肘を掛けて笑顔を向けた。
彼の笑顔に、私もつい表情を緩めてしまう。
「これから、音楽室ですか?」
「そう、太郎ちゃんの授業…鳳君は、これから体育?」
「はい!持久走なんで、ちょっと憂鬱で…。」
鳳君は、憂鬱と言いながら苦笑しつつ頭を掻いた。
部活のジャージ姿しか知らない私は、学校指定ジャージの鳳君がちょっと新鮮だった。
グランドへと急いでいた俺の耳に、先輩の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして、思わず校舎へと眼を向けると、渡り廊下の窓の向こうにその姿が見えた。
先輩とは、最近やっと話が出来るようになったばかりだった。
でも俺は、彼女にもっと近付きたくて…そんな感情に気付いてしまうと、自然と身体が動いていた。
それは知られるわけにはいかないけど、学年も違う俺が彼女に会える機会なんてこんな時しかないから。
窓越しに彼女の名前を呼んだ自分を、我ながら大胆だな、と思う。
彼女の手元には、音楽の教本と資料が握られていたから、これから音楽室へ行くんだろう。
「そう、太郎ちゃんの授業…。」
監督の事”太郎ちゃん”って呼ぶなんて凄いな、って感心して、俺は苦笑してしまう。
そんな他愛ない会話、今まで考えられなかったことを、普通にできるのが嬉しい。
こうやって少しづつ、俺のことも知ってもらえるといいのにって思うのは、贅沢だろうか。
音楽室へ向かう間中、はずっとニヤニヤしながら私を見ていた。
そして、授業が終わるのが待ちきれないように、擦り寄ってくる。
「ねぇねぇ、いつからあんなにお近付きになったわけ?鳳君に!」
「んー、ちょっと前。」
「じゃあ、鳳君とがお近付きになった記念に、この様がいいこと教えてあげよう!」
「…何?いい事って…。」
得意満面な笑顔で、は人差し指を立てて「いいですか?」と前置きする。
私は、そんなに呆れながらも、適当に流してしまうつもりでいた。
「鳳 長太郎君。身長185cm。血液型O型。趣味はピアノとバイオリン。
芸術系科目が得意だけど、当然、運動・学力共に常に上位に入っている。
好きな色は、オフホワイト。誰に対しても優しくて、いつも笑顔を絶やさない。
ちなみにこの情報は、鳳君親衛隊調べだから、間違いは無いよ!」
「……よく、調べるよね……っていうか、がそれを知っているのも驚きだよ。」
「のために聞いてあげたんだから、感謝してよね。」
私がいつ鳳君のことを知りたいと言った?という突っ込みは取りあえず飲み込んだ。
どうせ言っても通用しない事は、今までの付き合いでわかっている。
「これで、がもっと鳳君とお近づきになって…。」
「…なって?」
「私も是非お近づきになりたいんだぁ!」
「はぁ?何で?だってには彼氏がいるじゃん!」
「彼は彼よ!鳳君は、別。年下って、なんか結構いいじゃん。」
何、それ!そんなこと言う奴は、鳳君の”浮気はいけません”オーラでも浴びてみたらいいんだ!
あの瞳でそんな事言われちゃったら、絶対に考え改めちゃうんだから!
……やっぱ、だめ……。
鳳君だって、みたいな可愛い娘に好かれたら、嬉しいに決まってる。
せっかく仲良くなった、私の理想の後輩君が、いなくなるのは嫌だ。
私は、曖昧に話を誤魔化して、次の授業の準備を始めた。
同じ景色の中、グルグルと走って、その間ずっと考えてた。
さっき声を掛けた時、先輩は笑ってくれたよな。
それだけでも、ほっとしてる自分がいる。
少なくとも、避けられてはいない…そう思ったから。
他の人には何も気にならない受け答えが、こんなに気になるなんて。
ちゃんと笑えたか?とか、気に障ること言ってないか?とか。
俺って、こんなに臆病だったんだ。
人に対する優しさは、臆病な心の裏返しなのかもしれない。
その人に好かれていたい自分の、狭い心を隠す防御壁。
俺は、先輩が思ってるほど、優しくも紳士でもないんだ。
それを知られるのが怖いだけの、ただの臆病者。
こんな時、持久走ってこんなに都合がいいとは思わなかった。
走っている間に、じっくり考える事が出来る。
「おーとりー!…おまえ、ピッチはえーっつーのぉ…この、うらぎりものー!」
適当に走ろうと約束してた友人が、後ろで息を切らして恨めしげに睨んでいた。
「あ!悪い…忘れてた……。」
「もぉ、いい…さっさと、いっちまえ!ひるめし…おごり……だかんな!」
ペースを保つ事に断念した友人の捨て台詞に苦笑して、俺はまた走り出す。
頭の中は、目の前の景色みたいに、さっきから同じ事ばかり。
「さっき、言い忘れてたんだけどさぁ…。」
昼休み、お弁当を食べている私の向いで、がジュースを飲みながら言った。
さっきの、っていうのは、あの鳳君情報の事だろう。
「これは極めつけなんだけど。誕生日がバレンタインデーなんだって。2月14日。
告るには、絶好の日じゃない?」
「だから、そんなんじゃないってば。」
本当に、そんなんじゃない…それはきっと、自分にも言い聞かせているんだと思う。
あんなアイドル並にファンが大勢いて、あんなアクシデントぐらいでとんでもない噂が広まっちゃうような、そんな人に私が相手にされるはずないんだって。
私は鳳君のことをいい後輩君だと思ってるし、鳳君が相手をしてくれるのは、私が跡部達の知り合いだから…それだけだよ。
それ以上にはならない…それ以上って、何?
あぁ、もう、なんだかよくわからないよ。
私は続けざまに起きた最近の出来事の流れに、乗り切れなくて足掻いてるみたいな気分だった。
誕生日がバレンタインデー…それを聞いてもう一人、この日が誕生日だという一つ下の幼馴染を思い出した。
「やっぱりこれって、誕生日よりもバレンタインだよね。」
と、チョコレートの山を眺めて苦笑していたのを覚えてる。
彼もやっぱり、人当たりのいい人だ。
彼はいつも微笑みを絶やさない…でも、どこかしたたかな印象を与える部分がある。
子供の頃から身体が弱かったため、発作を起こす度に親や友人に心配をかけてしまう。
迷惑を掛けている事を気に止んでいて、いつか見放されてしまうのではと恐れている。
だから彼は、他人の気持ちを読み取る力を身に付けた。
自分を守るための笑顔を…上手に甘える術を覚えた。
病気は完治してもうその必要はないのに、たまにあのしたたかな笑顔を見かけることがある。
彼と鳳君の生年月日が同じというだけで、性格まで一緒ってことはないとは思うけど、鳳君がレギュラーとして先輩達の中に囲まれているプレッシャーは、彼の恐れと似ているような気がした。
先輩が知っている俺は、名前と顔とテニス部だっていうこと。
あとは、後輩であるということくらい…。
俺はただの後輩よりも、先輩達と対等に見てもらえたらいいのにと思っている。
自分の中に沸き上がった感情が、日増しに大きくなるのを感じた。
私は鳳君のことを、彼以外の人から知らされた。
だから、私がこれを知っているって事を、鳳君は知らない。
自分が教えた覚えのないことを知っている私を、彼はどう思うんだろう。
鳳君に嫌悪されるのが恐かったから、私はそれを隠してしまおうと思っていた。
END
<2005.8.28>
もう、何がなにやら…(汗)
あまりバレンタインは関係なさそうだし。
ちょたは、ヘタレ君度が増してるし。
ちなみに、もう一人のバレンタインがBDの彼は、
本宅サイトで扱っている作品に出ています(^_^;)
バレンタイン生まれキャラ好きなんでしょうかね。
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