5.一球入魂



夏休みに入るとすぐに、夏の大会の地区予選が始まる。
でも、その前に学期末試験で赤点を取ってしまうと、大会に出させてもらえなくなるかもしれない。
試験勉強をしないといけないのはわかっているんだけど、最近どうしても調子が上がらず、監督に無理を言ってサブコートの使用許可をもらった。
基本的に、試験前の部活は自粛されているため、他の部員達は、物好きだねぇ、と言いながら帰ってしまい、ガランとした館内に、私が打つボールの音だけが響いている。
自分で上げたトスを打つ…こんなことしてても効果は無いと思うけど、何かをしてないと落ち着かなかったから。
最近、練習に身が入ってないのは自分でも気がついていた。
いつもあの日の、あの柔らかい笑顔を思い出して、思わず緩んでしまう気持ちを振り払う。
こんなことで調子を崩してしまうなんて、どうしちゃったんだろ、自分?
あと、もう少し…そう思って、私はまたボールを打ち始めた。

微かに何か音がしたような気がした。
掴んでいたボールを置いて振り向くと、入り口に立っている長身の姿が目に入り、私はそのまま固まってしまった。
そこに立っていたのは、多分私の不調の原因になっている彼だ。
 「自主練ですか?先輩…。あぁ、これって、この間と逆ですね。」
ゆっくりと近付いてくる彼は、やっぱり私の好きな笑顔だった。
 「そうだね。鳳君は、今日は部活休みでしょ?こんな時間まで、何してたの?」
 「図書室で勉強会だったんですけど、ここに誰かいるのが見えたから、何してるのかな?って。」
 「??誰かがいるからって…それだけで見に来たの?」
もし、私じゃなくても来ていたの?…そう言いそうになって、私は言葉を止めた。
そんなことを、私は言える立場じゃない。
鳳君は、ここにいたのが私でガッカリしているかもしれないのに…私が気付かなければ、そのまま帰れたかもしれないのに。
彼は優しいから、私に気を使ってそう言ったのかもしれないのに。
だから…鳳君の返事に私は戸惑ってしまった。
 「だって、このコートはバレー部しか使わないから。先輩かも…って。」
俯きがちに照れたように笑う鳳君に、私は動揺していた。
私…デスカ?
 「で、一人で自主練してたんですか。」
 「え!…あ、あぁ、うん。なんか、調子悪くって、ね。最後の、大会なのに…。」
鳳君は、少し表情を曇らせた。
何か気に障るようなことを言ってしまったんだろうか…私は少し不安になる。
 「…そう、ですね。これが最後の、大会ですよね。」
気の所為か「最後」という言葉が、やけに強調されているみたいだった。
そうか…私にとって最後という事は、宍戸や跡部達にとっても最後という事で、鳳君も敏感になっているんだ。
鳳君も大事な時期だし、あまり気を乱しちゃいけないから、これ以上この話題は出さない方がいいね。
 「あ、あの…私も適当に切り上げるから、鳳君も、もう帰った方がいいよ。」
 「…だめですよ。このまま続けてもためにならないことぐらい、自分でも気付いてるでしょう?」
 「え…。」
 「勝負…しませんか?俺が先輩の攻撃を止められたら、これで帰る…一球勝負です。」
 「どういう、こと?」
 「俺は、授業ぐらいしかバレーはしてないですけど、ブロックぐらいは出来ますよ。」
そう言うと、ネットに近付いて両手を伸ばした。
さすがに身長がある鳳君は、ただ手を伸ばすだけで2m15のネットから軽く手が出てしまう。
タイミングが合えば、少しのジャンプでも、楽々止められるだろう。
でも私もセンタープレーヤーとして攻撃手を務めてるんだし、たとえ高いブロックだって打ち崩せるかもしれない。
私が黙って頷くと、鳳君はにっこりと笑ってネクタイを外した。

ボールは点々とコートに転がっていた。
それは私の頭上を越えて、コートの中央に打ち付けられたものだった。
私のスパイクは、見事に鳳君のブロックに止められてしまった。
 「約束ですよ。さぁ、帰りましょう。」
鳳君は真っ直ぐに私を見ている。
その笑顔と控えめな言葉とは裏腹に、鳳君の視線は有無を言わせない力がある。
勝負に負けてしまったのだからしょうが無いけど、悔しい…そんな気持ちが顔に出てたんだろうな。
 「そりゃ、練習は大事ですけど…もっと大事な事、忘れてませんか?」
 「トスを上げてくれる人も無しに、いい攻撃なんて出来ないでしょう?
  バレーは、6人でやるものです。1人で無理をしても、チームのためにはならないですよ。」
 「たまには、ひと休みも必要だと思いませんか?」
子供みたいに拗ねて何も言わない私に、鳳君の声や言葉がとても優しく響く。
彼は、私よりもずっとしっかりしていて、つい寄り掛かってしまいそうになる。
そんな気持ちを持つのは彼に悪い気がして、私はそれを打ち消した…私が甘えていい人じゃない。
 「待ってますから…一緒に帰りましょう。」
柔らかく笑う鳳君の表情に、私の決意はあまりにも脆く崩れてしまいそうだったけど。

前と同じように鳳君と並んで帰る。
また一緒に帰る事が出来るなんて、思ってもみなかった。
 「あの…さっきは偉そうな事言って、すいませんでした。」
 「え?」
 「あれ…俺が宍戸さんに言われた事なんですよ。」
鳳君はしゅんとした顔をして、そう言った。
さっきの、というのは、あの一球勝負のこと?
 「宍戸に言われたって、どういうこと?」
少し見上げた私と目があって、鳳君は照れたように頭をかいていた。
宍戸とダブルスを組むようになった当初、鳳君はまったくサーブが入らなくなった。
パワーとスピードが自慢の鳳君のサーブの唯一の欠点、それはコントロールが安定しない事。
初めてのレギュラー入りと、先輩とコンビを組むプレッシャーがあったのかもしれない。
だから、1人でずっと居残り練習を続けていて、それを見かねた宍戸が言ったのが…。
 「ダブルスは2人でやるもんだ。お前だけが焦っても、しょうがねえだろ。落ち着け。」
それから、宍戸と一緒にフォームやタイミングを見直して、やっと本当のパートナーになれたって。
 「ノーコンは、まだ健在なんですけどね…。」
そう言いながら、鳳君は苦笑する。
私はその話を聞いて、彼が本当に宍戸を信頼しているのがわかった。
噂に聞いた(に聞かされた?)、レギュラー落ちした宍戸のため、代わりに鳳君が降りようとしたっていうのも、わかる気がした。
宍戸以外の人と組んでも、いい試合は出来ないだろうしね。
 「じゃあ、あのサーブを打つ時に何か言ってるのも、その時から?」
私は、鳳君がサーブを打つ瞬間に何か呟いていたのを思い出して、何気なく聞いてしまった。
 「サーブの時、ですか?見られてましたか…なんか照れちゃうなぁ。」
じっとボールを見つめて、ゆっくりとトスを上げ、打ちおろす瞬間に呟かれる言葉。
あの日、テニスをしている鳳君を初めて見た日から、気になっていたことだった。
 「精神集中とタイミングをとるのに丁度良くて…。」
 「なんて言ってるのか、聞いてもいい?」
鳳君の瞳が大きく見開かれ、僅かに頬が染まったような気がする…もしかして、照れてる?
そして、小さく、呟いたのは…。
 「……一球…入魂…。一球一球に、魂を込めて…。
  あぁっ!なんか、改めて口にすると、恥ずかしいですよね、これっ!
  先輩!今の、忘れてくださいっ!」
鳳君は酷く恥ずかしそうに、口元を手で覆った。
私は鳳君らしくて、いいと思うんだけどな。
 「一球入魂かぁ…サーブは始まりで最大の攻撃だからね。私もそれくらい気合入れなきゃ!」
 「…!俺、そんなこと言われたの、初めてです。そうですよね、気合いれなきゃ。」
私の言葉に少し意外そうな顔をしたけど、嬉しそうだったから何だか私まで嬉しくなってしまう。
鳳君が笑顔を見せてくれるだけで、さっきまであれほど感じていた焦りも、少し薄れていく気がした。

 「今日は、ありがとう。鳳君と話が出来て良かったよ。ちょっと落ち着いた。」
今日、鳳君と会わなければ、私はまだあのコートにいて、ただ焦燥感を募らせていたに違いない。
こんなに落ち着いた気分にはなれなかったと思う。
そう言うと、彼は安堵したように穏やかに微笑んだ。
 「良かった…俺、少しは先輩の役に立てましたか?」
見下ろしてる表情は穏やかだけど、その瞳には力が込められているようで、私は少したじろいだ。
鳳君、気付いてる?その瞳で見つめられたら、都合のいい誤解をしてしまいそうだよ。
もしかしたら、なんて考えを、私は急いで頭から追い出した。
そんな事は無い…彼にとって、私はただの先輩なんだから。
 「…うん、鳳君は、優しいから。いい後輩がいて、宍戸は幸せだよね。」
 「いい、後輩…ですか。」
鳳君は困ったように苦笑いしていた。

一球入魂…彼が勝負をかける言葉。
これは誰かから教えられたんじゃなくて、私が彼から聞いたこと。
誤解してるつもりは無いけど、彼の事を少し知るくらいならいいよね…。

END


<2005.9.10>

宍戸先輩が、とてもいい人です。
宍戸エピソードの時期は、曖昧(-_-;)
やっぱり、WJもアニプリも…(以下略)
それにしても、まとまりの無い…。
いつまでたっても、ごまかしっぱなしで、
申し訳ないです…。

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