高く高く高く…



 「先輩!」

屋上の柵に凭れて、空に手を伸ばしていた先輩は、俺の声にゆっくりと振り返った。
先輩が手を差し伸べていたのは、高く突き抜けた秋の空。
 「どうしたの?鳳君。」
 「それは、こっちの台詞ですよ。」
先輩はまた視線を空へ向け、ずっと高い場所を眩しそうに見つめていた。
 「空が、高いね。」
そう言うと、静かに微笑んだ。


先輩が所属しているバレー部は地区予選で敗退し、先輩の中学最後の夏は終わった。
偶然居合わせた屋上で、空を見上げる悔しそうな先輩が印象的だった。
跡部部長と対等にわたり合ったり、忍足さんや向日さんとふざけたり。
俺は、そんな先輩しか知らなかった。
知り合ってから一度も、先輩の弱いところを見たことは無かった。
その時も、俺に気付くと作り笑顔で言った。
 「鳳君…負けちゃったよ…。」
そんな、無理に笑う先輩の表情を見て、思わず溢れた俺の気持ち。
 「俺が、全国へ行きます!
  だから…俺を、見ていてください。」
なんて中途半端な、告白めいた台詞…実際、そのままなんだけど…。
先輩は空を見上げて、まるで零れそうになる涙が落ちないように。
 「期待してるね。」
そう言って、また無理に笑顔を作った。


大会に明け暮れた夏休みも終わり、先輩達の引退と共に、新学期が始まっていた。
先輩は、屋上から空を見上げていることが多かった。
 「ねぇ、鳳君。」
 「どうしたんですか?」
 「私、鳳君ぐらいの身長が欲しいな。」
 「えっ!」
唖然としている俺の横で、先輩は「毎日、牛乳飲んでみるとか?」なんて、真剣に悩んでて。
めったに頼みごとなんてしない先輩の願いだから叶えてあげたいのは山々だけど…それだけは…。
 「それは、だめです!」
 「どうして?」
 「だって…!」
だって、先輩と俺との身長差は…10cm。
いつも先輩は軽く俺を見上げて、俺は少し俯くように先輩を見ている。
もう少し近づけば、その……唇だって、触れてしまうような角度で…。
いやっ!そうじゃなくて!
そう、身長が175cmある先輩が見上げるような男子は、俺の他には数少ない。
他の男子は、こんな先輩を見ることは出来なくて、これは俺だけの専売特許なのに。
先輩が俺ぐらいになってしまったら、俺は他の男子と同じになっちゃうじゃないですか!
身勝手なこと言ってるのは承知してますけど、こればかりは譲れないです!
 「俺は、嫌です。」
 「でも、視界が高くなると、今と違う景色が見られそうじゃない?」
先輩は、俺がどうして嫌なのかわからなくて、不思議そうに見ている
その視線は、俺を通り越してもっと高いところを見ていると思った。
先輩の見上げる先に、俺も映して欲しいのに。


俺の心の中に、ちょっとした意地悪な気持ちが湧いた。
 「え!ちょっ…何するの?!鳳くんっ!!」
先輩は、悲鳴に近い声をあげる。
それは俺が、そうさせているから。
俺は先輩の膝辺りを抱えて、そのまま持ち上げた。
急に抱えられて、後ろに仰け反りそうになった先輩が、急いで抱き付くように俺の肩に手をまわす。
思い切り近づいた先輩との距離に、俺は心臓が飛び跳ねそうになって。
それは顔にも出てると思うけど、先輩は気付いてないみたいだった。
うわずってしまう声をなんとか抑えて、俺だけが見ていた先輩でいて欲しいと願うから。
 「違う景色が見たい時は、俺がこうしてあげますから。
  先輩は、そのままでいてください。」
 「わかったから、もう降ろして!ちょっと、怖いよ。」
俺を見下ろす先輩は少し怯えた表情で、そんな顔をされたら、急に不安になってしまった。
先輩は、俺のことどう思ってるんだろう…あの時の曖昧な告白は、きっと伝わってない。
傍にいる事を拒まれたりはしないけど、本当は鬱陶しく思っているとか…。
もしかして、こんなことされるのは迷惑、とか…。
そう思い出したら、嫌な方にばかり考えが向いてしまって、どうしようもなくなって…。
 「先輩…こんな時に卑怯かもしれないけど…先輩の気持ちを聞かせて欲しい。
  あの時、俺が言ったのは、本気です…俺を見ていて欲しいって。
  …今も、これからも。それは…迷惑ですか…?」
先輩は、真っ直ぐに俺を見ていて、その瞳には自分が映っていて。
ゆっくり紡がれた声に、俺は嬉しくて、泣きそうになる。
 「ちゃんと、見てるよ。今までも…今も…きっと、これからも。」
 「…先輩……。」
 「たった10cmの差だけど、鳳君と同じ高さから見えるものを、私も見てみたい。
  だから、鳳君と同じくらい、高くなりたいと思ったんだよ。」
少し首を傾げて、先輩は微笑んだ。
でも、俺の肩に置かれた先輩の手は、ちょっと震えていたから。
そっと下に降ろして、そのまましっかりと抱きしめた。
一瞬、身体を強張らせるのを感じたけど、離したくはなかった。
もう、震えないで…もう、怯えさせないから…俺が守りますから…そんな気持ちを抱きしめる腕に込めて。
腕の中で、先輩が、答えるように小さく頷いた気がした。

忍足さん達にからかわれながら、コート脇で待っている先輩の元へ向かった。
初めての、2人だけの、沈んでいく夕日に染まる帰り道。
 「さっきはちょっと怖かったんだからね、鳳君。」
むくれたように、先輩が呟く。
それは、あの時感じた震える先輩の身体でわかった。
申し訳ないと思う反面、俺の気持ちはどんどん欲張りで我侭になっていく。
困らせてしまうかもしれないけど…もっと、もっと…距離を縮めたい。
 「その…ついでに、それも、嫌なんですけど…。」
 「?何が?」
 「”鳳くん”っていうのが…なんか、ちょっと……。」
気持ちは伝わっていると信じているけど、確信できる何かが欲しくて。
先輩は、数回瞬きをすると、そのまま柔らかに微笑んだ。
 「鳳君だって、”先輩”って言うでしょ?」
 「それは、先輩だし…。」
 「鳳君が、私を名前で呼べたら、考えてあげるよ。」
からかっているような先輩の視線に、俺はムキになってしまう。
言えるはずだ…心の中で、ずっと呼んでいたのだから。
 「それぐらい、できますよっ!あぁ、え、っと…あの…!……先輩…。」
消えてしまいそうなほど小さな声で付け足した”先輩”という言葉。
……俺って、情けない…いざとなると、挫けてしまう。
 「しょうがない、今はそれでいいかな?長太郎…くん。」
思いがけずに呼ばれた自分の名前が、嬉しいのに悔しい。
この次はきっと、俺だけのあなたとして、その名を呼んでみせます。
その時もどうか、隣で微笑んでください。


やっぱり俺は、先輩が俺と同じくらいの身長になってしまうのは嫌です。
だから俺も、もっと高くなりたいと思います。
身長だけじゃなくて、精神的にも、もっと高く、高く…。

気持ちが届いてから、初めての…。
あなたと同じ歳になった、この日に誓います。


END


企画サイト様 寄稿<2006.1.14>
サイトUP<2006.3.17>

長太郎BD企画サイト「Happy Cyotaroh Birthday」様に、
寄稿させていただいた作品です。
他の方の素晴らしい作品の中に、ずうずうしくもご一緒させていただきました(汗)
でも、皆様と一緒にちょたのBDをお祝いできて、
すごい嬉しかったです。
主催された、楢藤ぷらすさま。
ありがとうございました。そして、ご苦労様でした。

Happy Cyotaroh Birthday
主催:楢藤ぷらすさま * カミヒコーキ *
終了されました。名残のバナーです。

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