放課後、私はある人を探して、テニスコートを訪れた。
フェンス際に集まる女の子達の隙間から、思い当たる人物を探してみるが、その姿は見当たらない。
きょろきょろしていた私に、背後から声を掛ける人がいた。
「こんにちは、さん。このような所で、どうされたのですか?
どなたか、お探しなのでは?」
彼は、瞳を分厚いレンズで遮り、淡い髪を七三気味に分け、ユニフォームを身にまとっていた。
その口調や、眼鏡を押し上げる仕草、他人に対する物腰からか、『紳士』との通り名を持つ。
名前を、柳生比呂志という。
「こんにちは。仁王君を探しているのだけど、まだ部活に来てないの?」
柳生君は、微かに眉尻を下げて、考え込む素振りを見せた。
それは、仁王君がいないことの不信感もあるだろうけど、私が彼を探しているということも原因だと思う。
仁王君と私は、クラスも違い、委員も違う、辛うじて名前を知っている程度…何の接点も浮ばない。
自分で言うのも情けないが、私はこれといって目立つ容姿も持っていない。
暇さえあれば、図書室で本を読んでいるようなタイプだし。
仁王君を取り巻く煌びやかな女生徒達とは、掛け離れている。
そんな私が、部活前の仁王君を探しているというのは、不自然極まりない。
「水飲み場の方には、いかれましたか?
私はまだ見かけてはいませんが、もしかしたら、そちらにいるかもしれません。」
まるで知らないことが申し訳ないというように、柳生君は表情を曇らせた。
瞳はレンズに阻まれて、そこから本心を窺うことは出来ないけれど。
「そう…じゃあ、ちょっと行ってみる。ありがとう。」
私は彼の名を呼んで、彼の反応を見ずに、そのまま水飲み場へと向かった。
私の後ろで、柳生君が苦笑を零した。
****
水飲み場へ向かった私は、無造作に顔を洗う彼を見ていた。
水を払うように軽く首を振ると、水飛沫が辺りに散って、キラキラと煌いた。
煌く光の中で、彼の銀髪が映える。
そんな姿に見惚れていた私は、彼がその視界に私を入れてもまだ、身動きが出来なかった。
陽の光を弾く銀髪、切れ長な瞳は鋭い視線を放ち、薄い唇の傍らにある黒子が、彼の艶を引き出している。
微かに微笑を浮かべる彼は、しかし他人に本心を見せることは無く、いつも飄々と自分を隠す。
『詐欺師』との通り名を持つ、名前を仁王雅治という。
「なぁ、あんた。何をそがな所で呆けてるが?俺に、何か用じゃなか?」
ゆっくりと口角を上げ、仁王君がこちらに歩み寄ってくる。
少し擦れた感じの声が、それだけで裏が読めなくなるほど、思考を酔わす。
すっと細められた瞳は、こちらの手の内を全て見抜いているような、錯覚を起こす。
「おかしな奴じゃな…用がないなら、もう行ってもいいがか?真田の鉄拳は、喰らいとぅないきな。」
クスクスと笑いながら、仁王君は私の横を通り過ぎようとする。
私は、咄嗟に仁王君のユニフォームの裾を握りしめた。
然程驚いた様子も無く、仁王君は顔だけこちらを向けた。
「どうしたが?まだ、何かあるんか?」
私は、その澄ました顔が、悔しかった。
どうしてこれほど、余裕綽々な態度でいられるのか。
だから、私は彼には騙されない…この、仁王雅治には。
「この間の、返事をしにきたの。」
その台詞は、多少なりとも彼に動揺を与えたのか、整った眉が微かに歪められた。
****
この間…廊下で擦れ違いざま、仁王君は、私に言った。
『あんた、いつも図書室におろう?』
それまで、一度もまともに話をしたことが無かった仁王君が、どうしてそんなこと知っているのか、私には見当もつかなかった。
呆気に取られてた私を気にせずに、彼は話を続ける。
『それなら、柳生ともいつも、顔合わせちゅうが?』
『それが…どうかしたの?』
『いや、別に…ただ、お目当てはどっちなんかっちゅぅて思うてのぉ。』
『どういう意味?』
『図書室に行く理由は、本か柳生か…まぁ、ちくっとした参考にの。』
仁王君は、その薄い唇を三日月に歪め、本音の読めない瞳を細めて、にっこりと笑う。
『返事は…そうじゃのぉ……木曜日辺りにでも。放課後、部活の時に教えてくれんか?』
答える暇も与えずに、仁王君はその場から去って行った。
後を追おうにも、私とはコンパスが違いすぎる。
そのまま無視しても良かったはずなのに、私はその理由というのを考えてしまった。
いつも図書室で顔を合わせる彼…私は、いつも彼が見える席で、本を読んでいる横顔を見る。
彼の姿を確認してやっと、自分の世界へと没頭していく。
私のお目当ては、本か……柳生君か…。
****
「この間の…返事?」
仁王君の瞳から、余裕が薄れた。
私は、長身の彼を見上げて、その瞳を見つめた。
「私が、図書室に行く、理由。」
「ほぅ…で?」
彼は、少し首を傾げて、私の言葉の続きを促した。
今さらながら、心臓がバクバクしてきた…私は、それほど大それたことをしようとしてる。
一世一代の、大博打。
「私は、柳生君のことが、好きです。」
一瞬、目の前の彼は、驚愕に目を見開いた。
だがすぐに気を取り直したのか、ちょっと困ったように笑った。
「そりゃぁまた、大胆な告白じゃのぉ。でも、それは本人に言ぅた方がえぇがやか?
それに、図書室へ行く理由と、どがぁな関係が…?」
「私が図書室に行くのは、柳生君に会えるかもしれなかったから。
だから私は、そのことを本人に伝えに来たの。」
彼は、うろたえた顔で、言葉を詰まらせた。
もう、あの余裕綽々な態度は、彼には見られない。
「私は、あなたのことが、好きです……柳生君…。」
****
「今日の所は、こんくらいにしておいた方がえぇみたいじゃのぉ。
こがぁに簡単に見破られるんじゃ、改良の余地が必要じゃ。」
私の背後から、目の前の彼と同じ、独特の言い回しが聞こえてきた。
そこには、眼鏡を外して不敵に微笑む、柳生君の姿をした彼がいた。
「…そのようですね…。」
そして私の前には、かきあげた銀髪がするりと落ち、そこから淡い髪を覗かせた眼鏡のない彼が、複雑な顔をして立っていた。
「ま、邪魔者は退散するき、あとは2人でお好きなように。真田にゃ、うまいこと誤魔化しといちゃるきな。」
姿を元に戻した仁王君が、眼鏡を手渡しながら柳生君の肩を叩く。
柳生君は、そんな仁王君を忌々しげに一睨みしたが、笑顔で受け流されて軽く溜め息を吐いた。
手渡された眼鏡で瞳を隠してしまった柳生君に、もう少しその瞳を見ていたかったと、少し勿体無く思う。
そんな私の内心に、彼はきっと気付いて無いのだろう。
「申し訳ありませんでした、さん。
私達は、入れ替わって周りを欺けるか、ということを試していたものですから。
今日はやけに試したがると思ったら、まさか、あなたも巻き込んでいたなんて…。
知らなかったとはいえ、その企みを見抜けなかった私の責任です。
何を言っても、言い訳になりますが、本当に、申し訳ない…。」
そう言って、柳生君は深々と頭を下げた。
自分が迷惑を掛けたと潔く認め、こうやって謝罪するのは、彼が紳士と呼ばれる所以。
でも、私が聞きたいのはそんな言葉じゃなくて、あの私が振ったサイの目の行方。
丁か半か…彼は、どちらに乗るのか…それだけなのに。
遠くから、ボールを打ち合う音が聞こえてくる。
もう、部活が始まっているみたい。
ふと、顔を上げた柳生君が、私をじっと見つめた。
「あの…さん。先ほどのお話ですが、一度白紙に戻してはいただけないでしょうか。
先ほどは、お互いに正常な状態ではありませんでした。
もう、部活が始まってますので、日を改めて私の方からお話したいのですが、いかがですか?」
「え?えぇ、まぁ…。」
「でしたら、明日、この時間にこの場所で、お待ちしてます。」
それって、結局は、私の一か八かの大勝負を、無かったことにしろということ?
どうせなら、今ここで、すっぱりと切られた方が、この気持ちも成仏できるのに。
紳士なら、その辺の女性の心理も察してよ!…なんて、私が言えるはずも無く。
呆然としたままの私に「それでは、失礼。」と声をかけて、彼はコートへと行ってしまった。
私は、その後姿を、呆けて見送るだけだった。
****
その日、私が見た夢は、私の振ったサイの目を見事に当てた、何故か着流し渡世人の柳生君。
相変わらず、眼鏡はお約束だったけど。
柳生君が勝てば、私はこの世界から足を洗って、彼の元へと行くはずだったのに。
「失礼。今の勝負、私はいかさまをしていました。したがって、この勝負は無効です。」
あぁ、こんなとこまで、紳士なんだ…わざわざ、いかさまの自己申告なんて…。
「勝負は、後日改めて……。」
なんて去って行く柳生君。
そのまま彼は私の前から消えてしまって、私はいつまでもサイを振り続ける。
****
目が覚めて、私は泣いていたことに気が付いた。
まるで、正夢…もう、うんざり。
その日は朝から、嫌になるほどのいい天気だった。
図書室になんて行く気にもならなくて、何となく一日が過ぎてしまい、とうとう憂鬱な時間がやってくる。
それでも私の足はあの場所に向いていて、そこには制服姿の彼が立っていた。
「さん…お呼びたてして、申し訳ありません。」
柳生君は、静かに笑う。
「いきなりですが、さんは、今の私が本当の私だと思いますか?」
それこそいきなりの柳生君の言葉に、意味がわからず詰まってしまう。
昨日のことがあるのだから、また入れ替わってるんじゃないか?と、少しは警戒してもいいはずだった。
でも私は、ここにいる柳生君が変装した仁王くんだとは、欠片ほども思って無かった。
「本当の、柳生君…でしょ?」
「その根拠を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「根拠…と、言われても……なんとなく…。」
畳み掛けるような柳生君の質問に、私はますます口ごもる。
本当になんとなく…ただ、図書室で本を読んでいる時の、あの静かな空間に溶け込む凛とした空気を、ここにいる彼に感じているだけだから。
柳生君がいるいないに関わらず、私は図書室へ行っていた。
そこで見かける柳生君から漂う雰囲気に、いつ間にか惹かれていた。
彼が後から来たとしても、その時に微かに変わる空気を感じていた。
だから昨日、コート脇で声を掛けてきた彼がどこか不自然で、別れ際に無意識に彼の名前を呼んでいた。
『ありがとう。仁王君。』と…。
そして、水飲み場で出会った飛沫をまとった彼を見て、私はこの仁王君には騙されないことがわかった。
だって彼は、偽りの詐欺師だから。
何が正解で何が間違いかなんて、私には柳生君が望んでいる答えはわからないけど、ここにいる柳生君が本物だってことは、何故かはっきりと言いきれる。
自分の直感を信じるだけ…私は大きな賭けに出る。
私には、それだけしか確信できる材料が無い。
「あなたからは、図書室にいる時と同じ空気を感じるの。
それじゃあ、答えにならない…かな?」
私の言葉に、彼の表情が和らいだ気がした。
私の答えは、間違いではなかったらしい。
「私も仁王君も、これまで度々入れ替わってみましたが、見抜いた方はいませんでした。
間違って気持ちを告げられたこともありました…でも、好意を寄せる人を見間違えるなんて、本気とは思えなかった。」
「それは、しょうがないと思うよ。だって、すごく似てたから。
もう、口調だって、仁王君そのものだったし…。」
「ですが、昨日の私達を、あなたは見抜いてくださった。ありがとうございます。
それだけは、確認させていただきたかったのです。
やはり、あなたを欺くことは、私には無理のようですね。」
柳生君は、そこで一度言葉を止めて、何かを言いあぐねているようで。
続く言葉を待つ私は、だんだん速まる鼓動を持て余していた。
それは、眼鏡を押し上げる彼の頬が、微かに染まった所為。
「好きな女性から先に言わせてしまうとは、不覚でした。
ですから、一度、全て白紙に戻して欲しかった。」
私は、数回瞼を瞬かせて、今の台詞を必死に思い返した。
柳生君は、今、何といった?好きな…女性……!
「図書室で、いつも楽しそうに本を読んでいたあなたに、惹かれていました。
つい、仁王君に口にしてしまったばかりに、このようなことになってしまいましたが…。
今となっては、感謝していますよ…そうでもなければ、私は動けなかった…。
さん、改めて私の口から、言わせていただけませんか?」
背の高い彼が、私と視線を合わせるように、少し身を屈める。
レンズ越しに見えた彼の瞳に、あぁ、これほど近付けば、瞳が見えるんだ…なんて、ぼぉーっと考えて。
こんなに間近に迫った柳生君の顔に気付いて、急にドキドキとしたりして、私の感情は慌しく駆け回っているというのに。
目の前の彼の表情が少し余裕に見えて、それが私には悔しかった…けど……。
「私は、あなたが、好きです。さん。」
柳生君は私を騙せないと言ったけど、私は柳生君にだけは騙されそうだと思った。
そんな、いかさまな紳士には、勝負師な淑女は、いかがですか?
END
<2006.10.25>
柳生っちは、一度口を開くと長くって…(^_^;)
こんなにしゃべるキャラでは無い気もしますが、
うちの比呂志は、こんな人です。
一度やってみたかった、入れ替わりネタ。
でも、何気にガクプリネタが混ざってます(苦笑)
ニオの言葉は、土佐と広島と語感で適当。
土佐弁・広島弁 変換サイト様、参考にさせてもらいました。
ありがとうございますm(__)m
戻る