「くれぐれも、気を付けてくださいね。」

その優しい言葉は、いつも私を柔らかく包んでくれた。

熱中症には気を付けて

※名前変換なし。


一学期の終業式の日、先生に呼び出された私は、あまりにも事務的な連絡に言葉を無くした。
あの、跡部財閥と榊グループが出資しているという、一大イベント。それも、テニス部有力校7校合同という、前代未聞の学園祭。
夏休み中に開催される、関東地区7校合同学園祭の運営委員は、各学校の2年生から数人ずつ選ばれる。
まさか、その数人に、私が選ばれてしまうなんて…。
そんな大それたイベントの運営に関わるとは…しかも私は、我が校のテニス部の担当なのだそうだ。
私は、淡々とした口調で告げられる先生の言葉に、軽い頭痛を感じた。

だって私は、我が校…立海大付属中等部のテニス部が、少し怖かったから。

全校応援の時、試合には勝ったというのに、その試合運びがなってないと、選手に手を上げていたのを目撃して以来。
先輩は厳しい人達ばかりみたいだし、彼等から滲み出る気魄に圧倒されてしまう。
そんな中で、やっていけるのか…打ち合わせ日が近付くにつれ、私はプレッシャーに押し潰されそう。


そしてとうとう、テニス部の面々との顔合わせ。
気難しい顔をした先輩に、皆の前に紹介されて、緊張に上擦る声で自己紹介。
初対面から怒られたりはしないと思うけど、隣に立つ大柄な先輩に、私は少し怯えたまま。
皆さんがそれぞれ迎えてくれる言葉の中に「よろしくお願いしますね。」と、飛び込んできた凛と通る声。
口元に笑みを乗せて軽く首を傾げる声の主に、私はホッと気持ちが落ち着いた気がした。

頑張ってお役に立たなきゃ、という私の意気込みは、初日から思いっきり空回りする。
ミーティングの進行は、柳先輩によってスムーズに進められ、担当もてきぱきと決まっていく。
私の仕事はといえば、決定事項を委員長に報告するぐらいのもの。
真田先輩には、委員会との連絡役で充分と言われて、私は身の置き場を無くしていた。
そんな私を、最初から気に掛けてくれたのが、柳生先輩だった。

柳生先輩は、気配りの人だ。困っている人は、放っておけない。
荷物を運んでいたりすると、必ず手を差し出してくれる。
それが、手伝って貰うのが申し訳ないほど些細な物だとしても「私が勝手に申し出ているのですから。」と、笑顔を向けてくれるのだ。
だけど、決して勘違いしてはいけない。
柳生先輩の優しさは、全ての人に差し出されるもの…これが噂に聞いた、柳生先輩が紳士といわれる所以なんだから。
でも…それでも私は、気が付けば柳生先輩の姿を探してしまうようになっていた。

だから、例え他の模擬店だとしても、困っていたら手伝ってしまうのは、しょうがないと思う。
仲良くなった運営委員からその事は聞いていたけど、あえて知らない振りをして、先輩をフォローしようと決めた。
柳生先輩は自分の仕事も疎かにはしないだろうから、そんなことを続けていたらきっと先輩の身体がもたない。
いつも助けてもらってばかりなんだから、私の出来る事で力になろうと思った。
そんな私の密かな企みなんて、先輩には既にお見通し。
 「あなたが、そんな事をする必要はないのですよ。それは、私の仕事ですから。」
そう言って、困ったように眉を顰める先輩。

それからだ…柳生先輩が仕事をしている私を、一層気にかけるようになったのは。

 「無理はしないでくださいね。くれぐれも、気を付けて。」

それは、私の方が言いたい台詞…本当に先輩は、優しすぎて……勘違いしてしまいそう。



準備も順調に進み、会場は溢れる人達の熱気に包まれている。
夏もそろそろ終わりを告げる頃、最後の暑さを振りまくように、気温も上昇し続けている。
少し身体が重い気がするけど、この暑さなら当然!
気合を入れなおして、外と屋内の会場を行き来していた私は、広場の噴水の前で呼びとめられた。

 「広瀬さん!今、お時間はありますか?」

ゆっくりと歩み寄るのは、この暑さにも関わらず、涼しげな顔をした柳生先輩。
 「ちょっと、備品の関係でご相談したいのですが…。」
先輩が呼び止めてくれるなんて…と、ちょっとドキドキしたけど、内容はやっぱり学園祭の事で、少し残念。
そんな事を考えてしまう自分に苦笑しつつ、私は先輩と向き合った。
すると、先輩はじっと私を見つめたまま、私は反射で見えない瞳に、鼓動が速まるのを感じた。
ドキドキが止まらなくて、息が詰まりそう…。

 「…私としたことが…これは、いけませんね…。」

突然、口元に手を当ててポツリと呟く先輩の言葉に、私は首を傾げてしまう。
先輩の張り詰めた声に、ますます鼓動が速さを増したような気がする。

 「広瀬さん…ちゃんと、休憩は取っていますか?水分の補給は?身体のダルさは、感じませんか?」

矢継ぎ早の質問に、私の頭は付いていけない。
先輩は、何を言っているの?だんだんと、ボンヤリしてしまう。

 「顔色が、よくありませんね。多分、熱中症を発症しかけているのでしょう。急いで、医務室へ…。」
 「え…?あの…大丈夫です!まだ、仕事が残ってますし…私、元気ですから…。」

どうやら、私は調子を崩していると思われているようだ。
そんなに心配してもらうなんて申し訳ない、それにまだ仕事も残ってるし、私はこの場を取り繕おうとしたけど。

 「自覚症状は、ない…ということですか…ますます、心配ですね…。」
 「本当に、大丈夫ですから!」

柳生先輩が、数歩、私との距離を縮めてにじり寄る。
私はうろたえて、数歩、後ずさる。

 「……仕方がありません…強硬手段を取らせてもらいましょうか…。」
 「…はい?」
 「紳士的とは言えませんが、強制的に抱き上げてお連れするより、方法がありませんね。」
 「なっ!!」

私は、顔中に一気に熱が集中するのを感じた。
柳生先輩が、私を抱き上げるって…それって、俗に言う『お姫さま抱っこ』って奴ですか!
もしかしなくても、すごくサマになるだろうと思いつつ、抱き上げられるのが私だというのは、絶対にありえない。
あんな折れそうなほど細い先輩の両腕に、私の全体重が掛かったりなんかしたら…考えるだけで、血の気が引く思い。

 「恥ずかしいかもしれませんが、それよりも、あなたの身体の方が心配です。」

レンズが陽光を反射して煌き、一瞬見えた瞳が気遣うように細められる。
私の心臓は、壊れたんじゃないかと思うぐらい騒がしくって、集中する熱が頭の中を真っ白にして……。




頭が、ボンヤリしていた。
瞑ったままの瞼が明るさを感じる度に、それを遮る影が動く。
私…今、何をしてるんだろう……?


 「おぉ、なんじゃ…随分と、大胆じゃなぁ。やぁぎゅっ!オレにだって、そがぁなことさせてくれんのに…。」
 「茶化さないでください、仁王くん。冗談は、程々に…。」

ずっと上の方でからかう声が微かにして、それよりずっと近くから柳生先輩の咎めるような声が聞こえた。

 「あぁーっ!ズルイっすよ〜!オレも、ここで昼寝してていっすか、柳生先輩っ!」
 「しっ…お静かに、切原くん…それより、こんな所で昼寝をしてたら、すぐに真田君に見つかってしまいますよ。」

「ぐっ…。」と、気まずそうに詰まらせる声に、クスリと小さく柳生先輩が笑う。

 「なんだなんだぁ、オレ達はまだ労働中だっていうのに…しょうがねぇから、チョコモンブランで、手を打ってやるぜぃ。」
 「忙しいところ、ごめんなさいね、丸井くん。それでいいのでしたら、喜んで御馳走させていただきますよ。」

まるで、当然のようにねだる声に、柳生先輩が苦笑交じりに応じている。

 「しばらく、作業は無理のようだな。ならば、俺は風月堂の夏の和生菓子を所望しようか。」
 「あぁ、柳くん…。このような状態で、申し訳ありません。私の受け持ちは、そのままにして頂いて構いませんから。
  それと、リクエストは了解しました。」

状況を見ただけで全て理解し、且つ、本気か冗談かわからないリクエストに、申し訳無さそうな柳生先輩の声。

 「どうしたんだ?具合、悪いのか?」
 「ジャッカルくん…えぇ、熱中症を起こしかけていたようで…眩暈を起こされたんですよ。」

心配そうに小さく伺う声に合わせて、柳生先輩もそっと声をひそめた。

 「やぁ、みんな揃ってどうしたんだ?…ふぅん……随分、安心しきった顔してるな。柳生だから?」
 「ゆ、幸村くん!別に、その様なことは…!」

穏やかに冷やかしながらクスクスと笑う声に、柳生先輩がうろたえる。

 「お前達!こんな所で、何をしている!まだ、仕事中では……むっ…どうしたのだ。」
 「そんな大きな声を出さないでいただけますか、真田くん。彼女の身体に障りますから。」

一際大きな怒声が響いたかと思うと、柳生先輩はそれを静かに制した。

私の耳に入り込んでくる先輩達の会話に、本当に皆さんとても仲がいいんだなぁ、って思った。
最初に私が抱いていた、あの怖い印象が嘘みたい。
でも、話の中に出てくる、眩暈を起こした彼女って誰の事なんだろう?
なんで、柳生先輩は仕事が出来ない状態なんだろう?
なにより、私はどこで、どうして皆の会話を聞いているんだろう?
柳生先輩の声は、とても近くから聞こえているのに。
私は、重い瞼をゆっくりと開こうとして………。

 「あぁ…気が付かれたようですね。具合は、いかがですか?」

薄っすらと映る視界に、柳生先輩の安堵した顔が飛び込んでくる。
…とても…近いんですけど……これって、もしかして、夢…なんじゃ……。



 「さぁ、彼女のことは柳生に任せて、俺達は作業に戻るとしようか。異論はないね?真田…。」
 「うむ…仕方あるまい。」

幸村先輩の一声で遠ざかる皆の足音を、ボォッとした意識で聞いていた。
自分の置かれた状況は、まだ理解出来ていない。
少し困ったような笑顔の柳生先輩を見上げて、レンズの奥の瞳がとても綺麗で、見惚れてしまう。
今の私は、気まずさと、恥ずかしさと、嬉しさと、入り混じったすごく複雑な表情をしているだろう。
ふと、背の高い先輩を見上げるのはいつもの事だけど、この角度から見るのはちょっと不自然だと気付いた。
木陰に零れる陽射しと私の間には、いつも柳生先輩が読んでいた小説の背表紙…。
辺りを伺おうと身じろいだ瞬間、パサリと何かが額から落ちて、それと同時に木洩れ日が目に入り、思わず瞳を細めた。
すると、フッと頭上に影が差し、額から落ちた白いハンカチに男性にしては細くしなやかな指先が伸びる。

 「もう、すっかり温まってしまいましたね。」

柳生先輩は、持っていた文庫本で私の頭上の光をずっと遮って、濡らしたハンカチで額を冷やしてくれていた…らしい。
投げ出された足元に掛けられているのは、確か模擬店に使うテーブルクロス。
じゃあ……じゃあ、この、私の頭の下にある、枕にしては少し固めの、それでもとても寝心地のいいものって……。


 「………っ!!」

徐々に、今の自分がどういう状態なのかを理解して、私は声を詰まらせた。
慌ててワタワタと置きあがろうとする私の額に、少し体温の低い大きな手がそっと添えられて、私は身動き出来なくなってしまう。
「急に動いては、いけません。もう暫らく、安静に。」と言われて静かになった私を見下ろし、柳生先輩はホッと息を吐く。

 「気付いていたというのに、すぐになんの対処も出来ず、申し訳ありませんでした。
  あなたは、噴水の所で私と話している時に、眩暈を起こされたんですよ。
  ですから、失礼とは思いましたが、とりあえず日陰になるここへ運ばせていただきました。
  横にして差し上げようにも、そのままでは可哀想で…。
  ですが、頭の下に置くようなものも生憎持ち合わせていませんでしたから。
  止むを得ず、膝枕をさせていただきました。」

「事後報告で、すいませんね。」と、済まなそうに眉尻を下げる。
それよりも、何よりも…。

 「…あの…それって、やっぱり…強硬手段、だったんでしょうか…?」
 「強行…?あぁ、そうですね。その通りです。」

柳生先輩は、その意味に気付くと緩やかに口角を上げ、微かに笑う。
私は、熱中症とは別の眩暈を起こしそうだった。
あぁ…こんなことなら、もっとちゃんとダイエットしとくんだった…このまま、気を失ってしまいたい…。

 「あなた、食事はキチンと摂っていますか?あんまり軽いので……。」
 「え?」
 「い、いえ!そうではなくて……だから、体力的にも……。」

現実から逃げる寸前の私には、柳生先輩が口篭ってしまった言葉はわからなかったけど、うろたえている先輩なんて珍しい。
でも、その表情はすぐに切なげに歪められて、切れ長の瞳が遠慮がちに私を映す。

 「…私が、そんな事を言える立場では、ありませんね。
  あなたがこうなってしまったのは、元はといえば私が原因なのですから…。」

それって、どういうことだろう?
この短い期間、ずっと助けられこそすれ、先輩が責任を感じるようなことなんて何もないのに。

 「広瀬さん…あなたは、私が作業に遅れて来る理由を、知っていらっしゃるのでしょう?
  それなのに、何も言わずに私の作業のフォローまでしようとしてくださった。
  慣れない人達の中に入り、忙しい運営の仕事をして、作業まで手伝って…。
  精神的にも、体力的にも、かなり負担をかけているのではないですか?」

頭上から降りてくる声は、硬質な感じがするのに、優しい。
先輩の側にいて、いろんな先輩を知ることが出来て、私はますます惹かれていくのを感じていた。
勘違いしては、いけないのに。

 「そうさせているのは、すべて私の迂闊な行動からです。
  なのに、あなたは何も言わずに…私はそんなあなたに無茶をさせてしまいました。」
 「別に、先輩が気にすることじゃ…!私が勝手にしたことですから。」
 「あなたは、優しいですね。
  これほど迷惑をかけているにも関わらず、いつも私に笑顔を向けてくれる。」

私が優しい、だなんて…優しいのは、先輩の方です。
今だって、私に向けられる気持ちが、瞳が、声が、とても優しくて…。

 「こんなことを聞くのは、おかしいとわかっているのですが、どうしても気になってしまって…。
  あえて、お伺いします…何故、ですか?」

何故…と、言われても……私は、言葉に詰まる。
先輩の側にいると、自然と安心してしまって、いつも笑顔でいられるんです!…なんて、言えるはずない。
そんな勝手な精神安定、先輩にはいい迷惑だ。

私には、何も言えない。
どんどん、顔が火照るばかり。

 「…広瀬さん、私は…自惚れて、いいのでしょうか……。」

自惚れる、って、どういう意味だろう。
額に当てられたままの先輩の手が、少し強張るのを感じる。
先輩が、緊張してる?
その感触に、せっかく治まっていた鼓動がまた速まってくる。

 「あなたが、私のことを…その…気に、掛けてくださっていると…。」

…………!
冗談かもしれない…でも、柳生先輩がそんな冗談を言う人じゃないって、知ってる。

瞳が潤むのは、熱中症の所為だ!
顔が熱いのも、熱中症の所為だ!
頭の中が混乱してるのも、全部全部、熱中症の所為!

 「柳生先輩は、意地悪です…。急に、そんな事……。」


 「急では、ありませんよ。いつも、忠告していたはずです。」

見上げる先には、はにかんだ笑顔の、柳生先輩。
でも、その口元は、どこか悪戯なイメージを浮かべて。



 「このようなことに、なってしまいますから…。」

私の頭上の影が、一層、濃く翳る。
目の前に、レンズ越しの涼しげな瞳。

 「くれぐれも、熱中症には気を付けて、と…。」


END

企画サイト「学プリ★阿弥陀」様 寄稿<2007.4.30>
サイトUP <2007.7.11>

企画サイト「学プリ★阿弥陀」様に寄稿させていただいた作品です。
「R&D」に始まり、テニプリゲームにハマる切っ掛けとなった、
記念すべきゲームな「学プリ」(笑)
そんな「学プリ」の企画サイト様に参加できて、本当に楽しかったです。
阿弥陀で決まるお題にドキドキしつつ、こんなのでいいのかと思いつつ。
最近、密かに(?)お気に入りなやぎゅで参加させてもらいました。
なんだか、自分だけすごく楽しんで書かせもらった気がします(苦笑)
主催された、猫星風香さま。お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

「学プリ★阿弥陀」さま
主催:猫星風香さま ☆閉鎖されました。名残のバナーです☆

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