※仁王柳生の28のお題より
練習が午前中で終了した、土曜日。
皆から少し遅れて部室へ戻ったオレは、着替えの途中でふざけているブン太や赤也達を気にすることもなく、すっかり身支度を整えて文庫本を読んでいる柳生に目を止めた。
オレ達がダブルスを組むようになってから、一緒に部室を後にすることも少なくない。
大抵、居残りなんかで遅れてしまうオレが着替え終えるタイミングを見計らうように、柳生がそれまで読んでいた本を閉じる、というパターンだ。
オレは、今日もそのつもりでいつものように着替え始める。
だが、オレが着替え終えてもまだ、柳生が本を閉じる気配はなかった。
「どうした、柳生。帰らんのか?」
伏目がちに活字を追う柳生の顔を覗きこむと、ゆっくりと本にしおりを挟み、上げられた視線がぶつかる。
「スイマセン、今日は一緒に帰ることは出来ません。」
済まなそうに眼鏡を押し上げる仕草に、オレは何気なく問いかけた。
「何か、用事か?」
「えぇ、今日はこれから、図書館で柳くんの調べ物のお手伝いを…。」
「参謀…の…。」
今日の練習中、柳生はずっとオレと一緒のメニューをこなしていたはずだ。
柳はまだコートに残っていたし、一体いつの間にそんな約束を交わしていたのか。
無性に、イライラした。
別に約束をしたわけでもない自分が、こんな感情を抱くのは理不尽でしかない。
だが、自分の知らないところで、柳生が他の誰かと一緒にいると思うだけで、どうしようもなく苛立った。
「手ぇ貸そうか。」
「え?そう、ですね…でも、柳くんは鍵当番ですから、まだ暫らくは帰られませんし…。
やはり、せっかく午後は休みなのですから、ゆっくりしたらどうです?」
やんわりと拒絶する柳生に、心がキシリと音をたてて軋んだ。
元から柳とは、趣味も共通する物があるし、気が合うのも当然で。
柳生の側に自分がいるほうが、誰もが不自然と思うのも当然で。
それでも、この抑えが効かない感情は、表に出せないだけ性質が悪い。
気付きかけていた…自分が柳生に対して抱いている、隠し通そうとしている感情を。
なのに、これほどまで募る焦燥は、いつかきっと制御できなくなるだろう。
誰かの隣で微笑む柳生を、ただ見ているしか出来ない自分…。
その日が来ることを恐れているくせに、今の状態を壊す勇気もない。
「なぁ、何か喰いに行こうぜ!お前も行くだろ?マサハル…。」
「私のことは気にしないで、どうぞ。仁王くん。」
何も知らないブン太が、いつものように誘い掛ける。
追い討ちを掛けるように、にこやかに促す柳生が、無意識な分残酷だと思った。
そんな想いを気取らせないように、オレはゆっくりと口角を引き上げる。
「……あぁ、そうじゃな…。」
こんな時にまで発揮してしまう他人を欺く笑顔が、まるで張り付いたまま剥がれない仮面のようだと嘲笑った。
部室を後にする全てのメンバーに、律儀にも「お疲れさまでした。」と声を掛ける、柳生。
それはオレにも例外ではない。
オレも、柳生を取り巻く人間の中の一人にしかすぎないのだと、思い知らされる。
ブン太達と一緒に部室を出たが、立寄り先をあれこれ思案している彼等から徐々に距離をおいていった。
いつの間にか立ち止まってしまったオレに気付き、ジャッカルが怪訝な顔で声を掛ける。
「やっぱり、気がのらん。帰るわ。」
オレは、そう言い残し、そのまま背中を向けた。
赤也の引き止める声にも答えないまま、振り向かずに彼等から遠ざかった。
見上げれば、青空の中に浮ぶ霞んだ月…場違いな自分のようだと思った。
****
程よく空調の効いた館内は、数名の閲覧者の姿があるだけだった。
ページを捲る微かな音までが憚られてしまうほど静かな空間だが、この静けさがかえって心地良いと思う。
別に、部室のように賑やかな場所が嫌いというわけではないが、こういう静謐な空間に身を置くと、心のずっと奥の方まで穏やかになる気がする。
最近の自分は、どこか平静さを欠いていると思う。
微かな風にもさざめく水面のように、心が落ち着かない。
さっきだって…そう考えて、ページを捲る手元がすっかり止まっていることに気付いた。
小さく息を吐いて、瞳を閉じる。
そこに浮ぶのは、あの時の仁王くんの表情…帰り際に見せた、無理に創る笑顔。
自分の感情とは裏腹な表情を浮かべる時が、仁王くんにはある。
ダブルスを組むようになるまでは気付かなかったそんな表情が、何となくわかるようになっていた。
さっきの笑顔は、明らかにその、裏腹な笑顔だった…それは、何故だろう?
私は、何か間違っていたのだろうか?
特に約束していたわけではないが、最近は一緒に帰るのが習慣のようになっていたので、一応帰られない理由はきちんと告げたのに。
誰と(柳くんと)どこへ(図書館へ)何をしに(調べ物の手伝いに)行くのかまで。
待ってもらうのも申し訳ないので、先に帰ってゆっくり休んで欲しいとも、丸井くん達とどこかへ寄るというのを、快く送り出しもした。
私なりに、誠実に対応したはずだ。
それなのにあんな表情をされると、何が彼を傷つけたのかと、不安になる。
……傷つけた?どうして、そう、思う?
ほら、また…彼の微妙な表情の変化だけで、こんなにも心がざわめいている。
ゆっくりと瞳を開き、私は再び小さく息を吐いた。
隣で資料に目を通している柳くんが、そんな私を横目で見やると、思い付いた様にノートに何かメモを残している。
一体、なんのデータを取られたのか…そのデータは、せめて柳くんの胸の内だけに止めて欲しいと願う。
どこかから小さく唸るような音が聞こえて、私は自分の思いから意識を戻した。
その音源は、背中に置いたカバンの中から聞こえていた。
短く途切れたところを見ると、どうやらメールの着信のようだ。
カバンから取り出した携帯を開くと、着信1件と表示されている。
机の影でそっと受信トレイを確認すると、【件名】無題 というメールが1通。
この携帯にメールを送ってくる人は、限られている。
開いてみれば、案の定仁王くんで、【本文】今、どこ? という簡潔な1行が表示されるだけだった。
まったく、何を聞いていたのやら…ちゃんと、図書館へ行きますと、伝えたのに。
私は、溜め息を零し、そのまま携帯を閉じた。
「メールだったのだろう?返信は、しないのか?」
気遣ってくれる柳くんには申し訳ないが、公共の建物内での携帯の使用は、マナーに反する。
そもそも、電源を入れていること自体がいけなかったと、今になって気付く。
返信がなければ、きっと仁王くんもそれに気付くだろう。
誰からのメールか柳くんには察しが付いているだろうし、私は帰ってから電話をするつもりで、そのままにしていた。
すると、カバンに入れず手に持っていた携帯が再度短く震え、私はその振動に思わず取り落としそうになった。
気を取り直し開いた携帯は、さっきと同じ無題のメールを受信していた。
【本文】今、電話していいか?
私は、それほど情けない顔で、開いた画面を見ていたのだろうか。
柳くんは、愉しそうにクスリと笑みを零している。
流石に、電話をかけてこられてはいけないと、柳くんに席を外すと声をかけて私は閲覧室からロビーへと移動した。
****
軽い飲食スペースを取られたロビーには、今は誰の姿も見られなかった。
私は、携帯を開き電話帳に並ぶ番号の中から、最近頻繁に呼び出す番号を表示させる。
これほど強引に連絡を取ろうとするなんて、何か急ぎの用事でもできたのだろうか。
何に対してもあまり固執しない仁王くんにしては、この行動は突飛すぎる。
鳴り続ける呼び出し音が、余計に不安を増長させる。
まさか、電話にも出れないほどの何かが、彼の身に…。
『…はい。』
「に、おう…くん?」
『わざわざ、かけてくれたんか…。今、どこにおる?』
「どこって…言ったじゃないですか!柳くんと、図書館へ行きます、と!」
取り合えず何事も無さそうでホッとしたが、その安堵感を感じるほどに苛立ちが増した。
何とも暢気な事を言ってのける彼に、私の口調にも多少刺々しさが混じった。
『……まだ、そこにおったんか…。』
「まだ、も何も…最初からここだけの予定ですが…他に、どこへ行くというんですか?」
『…参謀も、そこにおるんか…?』
一体、今日の仁王くんは、どうしてしまったんだろう?
携帯越しに聞こえる声は、いつもの彼とは別人のようだ。
これは、彼お得意のペテンなんだろうか?
しかし、顔の見えない携帯越しの声だけでは、それすらも判断しかねる。
部室での、仁王くんが別れ際に見せた偽りの笑顔が、チラリと脳裏を過ぎった。
「今、ロビーからかけています。
閲覧室で、携帯を使用するわけにはいきませんから。
柳くんなら、まだ閲覧室ですが…柳くんに、何か用事ですか?」
『…いや…そこにおらんのだったら、ええんよ。』
「はぁ…。」
私は、間違えるわけにはいかない…彼の別の一面を、知っているのだから。
欺いているのなら、それでもいい。
あえて騙され続ける事も、きっと無駄では無い。
彼が紡ぐ偽りの中から、たった一つの真実を導き出すために。
相変わらず、仁王くんの声音はどこか沈んでいる様で。
この携帯の向こう側の彼が、今、どんな想いでいるのだろうと、私の思考は、ただそれだけに支配されている。
****
『あの…仁王くん?本当に、どうしたんです?何か、あったのですか?』
(あったと言えば、お前はどうする?)
『私でよければ、相談にのりますよ?』
(お前が、ええ…。)
『それとも…やはり、柳くんと変わりましょうか?』
(お前でなきゃ、意味無いがよ!)
――お前が、ええ……お前が…お前だけが……!
鼓膜を震わせる低く通る声に…言いたくて、言えない言葉を胸の奥で叫ぶ。
お前には、絶対に聞こえる事の無い声で。
オレは、詐欺師じゃ…欺くのは、常套手段よ。
「…ホントに、何でもなかよ。」
『本当に、何でもないんですね?』
「おぉ、悪かったのぅ、気ぃ使わせて…。」
携帯の向こうに聞こえる、小さな溜め息。
呆れ混じりに、紡がれる声。
『まったく…急にどうしたのかと、心配したじゃないですか!』
そして、安堵を浮かべる、穏やかな声。
『まぁ、何事もなくて、安心しました。』
誰にでも優しいお前は、こんなオレにも心を砕いてくれる。
そうだ…お前はきっと、疑わしく思ったとしても騙されてくれるだろ?
そうすればお前は、オレの事しか、考えられないだろ?
携帯越しの、オレの声しか、聞こえないだろ?
今、お前の中には、オレしか存在していないだろ?
そうやって、お前の中でオレの存在が大きくなればいい。
オレだけで、溢れてしまえばいい。
一番頼りない波が送ってくる、一番近くで交わす言葉達が、お互いを独占すればいい。
そして、オレは、その中に真実を隠す。
だから、繋がっていて。
途切れさせないで。
『まぁ、とりあえず…あなたの気が済むまで、お付き合いしましょう。
また、いきなりかけてこられては、たまりませんからね。』
あぁ…やっぱ、お前がええ……。
お題配布サイト様 ■仁王柳生の28のお題■
END
<2007.11.16>
仁王と柳生のそれぞれの視点にしてみたところ、
どこから変わるのかが、いまいち分かり辛い(苦笑)
お互いに、気になる存在ではあるけれど…という感じ。
多分、柳生は二つのことを同時にはしないのでは?
だから、電話中は電話に集中します。
携帯で話している間は、仁王の独占状態(笑)
独占したくて気を引く仁王と、知ってて付き合う柳生。
…という感じで見てくれると嬉しい。
11〜20へ/
22 キス へ
戻る