待ち人達の宴

※夢小説企画サイト「暗闇の果てで夢を書く」様寄稿作品


今年、数年間中止とされていた七霧岳での林間学校が再開された。
ほとんどが自由行動の、単なる日帰りハイキングのような程度だけれど。
生徒達は、学校行事だからという諦めや、自然に囲まれた開放感で、各々寛いでいる。

林間学校が中止になった理由である『ある事件の記憶』も、ほとんど忘れられてきた頃。


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その噂は、随分前からネット等でまことしやかに語られていた。
荒らされる事なく、ひっそりと佇む、闇に護られた廃墟。
興味半分でそこを訪れる人達も、少なくは無い。
ただ…そこは、本当の恐怖が暗闇に潜み、訪問者を手招いていたから。

……闇に抱かれてしまったら、生きては戻れない。


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 「せっかく七霧岳に来たんだから、やっぱ見に行くっきゃないでしょ!」

クラスメートのそんな軽い一言から始まった、午後の肝試し。
数年前の『ある事件』の時に、その廃墟は残っていた建物も殆んど倒壊してしまったと言われている。
その跡地を見に行こうと言うのだ。
いくら噂だとは言え、夜にわざわざ出向きたいとは誰も思っていないから、今日は絶好のチャンスと言える。
あまり乗気ではなかった深雪も、すっかり行く気になっている友人に強制的に参加させられてしまった。
その友人は、言い出した男子のことを密かに思っている。
仕方ないよね…と、苦笑しつつ、深雪を含めた数名で跡地へと向かった。


それほど行かないうちに、林道の上り口が見えてきた。
入り口を封鎖していた鉄柵は錆付き、荒れた道の脇に朽ち果てた看板が棄てられている。
『私有地につき立ち入り禁止』という風雨に晒された赤い文字が、滲み流れて、まるで血のように見えた。
もう何年も人の出入りが無いのだろう、草や砂利に取られそうになる足元を気にしながら、林道を登っていく。
友人と最後尾を歩いていた深雪は、ふと背後に気配を感じて振り返った。
当然ながら誰の姿もなく、両側から覆い被さるような樹木に塞がれていく入り口を遠く感じた。
「どうしたの、深雪…?」と心配げに覗きこむ友人に、何でも無いと両手を振る。
先に登りきった男子の声が聞こえ、深雪は気を取り直して友人と一緒に駆け出した。


眼前の光景に、一瞬唖然とする。
完全に倒壊したと聞いていたそこに、寂れた校舎とチャペルと思しき建物が残されていたからだ。

 「焼けたとかっていうのさぁ、此処に来させないためのフカシだったんじゃね?」
 「もしかして『ある事件』ってのも、ただの都市伝説だったりして?」

口々に軽口を叩く男子達も、少し警戒しているのか、足取りは重い。
その半面、好奇心からか、何かの作用か…引き寄せられるように校舎へと足を向けた。
玄関には板が打ち付けられていたため、校舎の外側を伝い、窓ガラスが破損している箇所から中へと入る。
外から見てもそれほど広くは無い校舎という事もあり、一回りしてから戻る事になった。
もう十数年前に廃校となっている割には荒らされた様子もなく、噂どおり『綺麗な廃墟』というのも頷ける。
正直に言うと、当時まだ小学生だった彼等は、『ある事件』のことを詳しく知らされてはいなかった。
ただ、ニュースやワイドショーなどで騒がれていたという程度にしか、覚えてはいない。

この場所で、どのような出来事があったのか、誰にも、わからない…。


校舎に入ると、閉め切られているためか、淀んだ空気が漂っている。
どこか、生臭い人いきれを感じ、深雪は思わず口元を覆った。
周りの樹木に遮られてはいるが、微かに射し込む陽射しが室内を照らす。
30分後くらいに最初の教室に集合することにして、個々に別れることになった。
携帯は圏外だったが小さな校舎だ、何かあった時は声を立てれば誰かが気付くだろう。

まだ陽射しは高く、闇の気配は遠い……誰もが、そう、思っていた。


友人は、さっさと男子生徒の元へと駆け寄っていった。
肝試しの醍醐味なんて、大体そんなもの…そう、呆れ混じりに納得し、深雪も他の場所を見に行こうとして……。

    ―― キシリ ――

階上で、軋む音が聞こえた気がした。
みんなの声は、まだこのフロアで聞こえている。
階段を上っていったような音は、聞こえなかった。
(誰か…いるの……?)
自分達と同じように、ここを訪れた人がいるのだろうか?
やけに、自分の足音が響く…そう思いながら、ゆっくりと階段を上がる。
なだらかに円を描く、一面硝子に覆われたテラスから、視界に飛び込んでくる景色。
少しづつ色付いてきた樹木や、高く澄んだ空が、まるでそこだけ切り取られた絵画のようだった。


外の景色とは裏腹に薄暗い2階校舎内には、人の気配が感じられなかった。
思ったよりも緊張していたようで、勘違いだったんだろうと思えば、自然に安堵の息が零れた。
どうせだから、と2階の廊下を進むと、教室と思しきドアが薄く開いていた。
そっと覗きこんだ深雪は、思わず息を飲む。
気配も感じさせないほどひっそりと、そこに立っている人影が見えたからだ。
こんな所に独りでいるなんて、おかしい…ここから、離れなきゃ……。
そう思うのに身体は言うことを聞かず、ぎこちなく踏み出した足元で、廊下がギュッと音を立てた。
教室内で俯いていた人影が、ふらと面を上げる。
深雪は口元を両手で抑え、ともすれば叫び出してしまいそうな声を堪えた。
表情もなくゆっくりと振り返る彼から、視線を外すことが出来なかった。
彼の虚ろな視線が、自分の姿を捉えたことを感じ、深雪はギュッと両手で自身を掻き抱いた。
視線が絡んだ数秒、虚ろだった彼の瞳は正気を取り戻したように、パチリと瞬きを繰り返した。

 「びっ…くりした……いや、脅かしたのは僕の方かな?」

身体を強張らせていた深雪に気付いた彼の第一声に、全身から力が抜けていく。
丸いレンズの奥の瞳が気まずそうに細められ、彼は口元に苦笑を浮かべた。
「ごめんね。」と申し訳なさげに、緩やかにウェーブのかかる髪をクシャリとかきあげる。
そんな姿に抱いていた警戒心も薄れ、深雪は教室へと足を踏み入れた。

 「それにしても、こんな所で一体何をしているの?」

隣に歩み寄った深雪に、彼は問い掛ける。
その質問をそのまま返したい気持ちを抑えつつ、深雪は教室内を見回した。
彼の足元には、窓から外されたカーテンがクタリと横たわっている。
陽射しを遮るものは何もないはずなのに、何故この教室はこんなに薄暗いのだろう。
何故彼は、こんな所に独りでいたのだろう。
聞きたいことはいろいろあったが、彼は軽く首を傾げて深雪の答えを待っている。

 「今日は、林間学校で…。自由時間にクラスの皆と…その……肝試し、というか……。」
 「そう…林間学校…。でも、自由時間だからって、団体行動を乱してはいけないよ。」

人差し指をくるくると回しながら、まるで教師のような口調の彼に、深雪は思わず吹き出した。
そう言えば、遠めに見た時は白いロングジャケットかと思ったそれは、白衣なのだと気が付いた。
化学教師とか…彼の年恰好から見れば大学の研究員とか…そんな感じに見える。
急に笑い出した深雪を怪訝そうに伺う彼にそれを伝えると、本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。

 「本当に、そう見える?!嬉しいなぁ…。
  うん、僕は教師なんだ!とは言っても、半分、だけどね。」
 「半分?」
 「まぁ、ね。まだ、教育実習中だったんだ…。」

ふ、と、それまでの満面の笑みを曇らせて、彼は悲しそうに声を落とした。
『だった』?…何故、過去形なんだろう?実習中なら、これからのはずなのに…。
おかしな言い回しをする人だ、と、深雪は思った。
その、言葉の奥に潜む闇の存在に、気付くはずも無く。


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 「僕はね、待っているんだ……。」


窓へと向けた視線は、遙か彼方を望むように。
彼は、ポツリと、呟いた。

あるアクシデントから、この廃校に辿り着いたのだと彼は言った。
数名の教え子と、指導教諭も一緒だったという。

 「雨も、降っていたしね…。」

そんなはずは無い…だって、今日は朝から雲ひとつ無い秋晴れで……。
途惑う深雪を促すように彼が指し示した先には、雨粒がちりばめられ、薄闇に覆われた窓硝子。
(…う、そだ……だって…さっき、まで………)
声にならない言葉は、深雪の唇から零れることもなく、徐々に忍びよってくる闇の影に飲まれていく。

 「手っ取り早くここから外に出て、誰かを呼びに行こうと思ったんだ。」

窓を指差したまま、彼は、淡々と語る。
自分一人ならともかく、生徒も巻き込まれてしまったのだからという、教師としての使命感もあった。

 「僕はね、一緒にいた生徒達に『ここで、待っていて。』と言ったんだ。」

そうして、カーテンを伝って窓を降りた…そこからの記憶が曖昧で…と、彼は胡乱な表情を見せた。

 「気付いたらここにいて、その時にはもう、生徒達の姿はなかった…。」

深雪には、此処で何が起きたのか、想像することも出来ない。
こんな曰く付きの場所で、こんな話をするなんて、悪い冗談だと思った。
だが、心のどこかで、なんとなく、気付いていた…。



 ― この、自分の目の前にいる彼は、本当は………。



 「僕が外にいる間に助けが来て、一緒に山を下りたのならいいんだけど…。」

かくれんぼで、皆に忘れられたみたいでちょっと寂しいけどね…、と言って、彼は乾いた笑い声を上げる。

 「もしかして、僕が出て行ってから、彼等に何かあったんじゃないか?
  僕が『ここで待っていて』と言ったばっかりに、危険な目にあっているんじゃないか?
  そう思うと、僕は……僕の軽はずみな行動が…とても、いたたまれない……。」

悔しさを滲ませた彼の瞳が、レンズの奥で闇を見据えた。
窓の外は、天頂からそそぐ青白い月華が、宵闇を滲ませる。

深雪には、言葉もなかった。
深雪にとって、彼の身に起きたことは、想像も出来ない。
今、目の前にある現実も、きっと非現実的だ。
本当は、とても、怖ろしいことに違いない…なのに、とても、悲しいという感情しかわからない。

だから、考えることを止めた。
ただ、感情に任せた。

感じるままに彼を思い、その想いがほろと零れた。


 ― 彼は、いつから、たった独りでここにいたのだろう?
   彼は、いつまで、たった独りでここにいるのだろう?

   時間から取り残されたこの薄暗い廃校舎で、自責の念に、かられながら……。


驚いたように瞠目する彼が、視界の中に滲む。
それでも、止め処なく溢れる想いが、言葉と共にほろほろと零れ落ちる。

 「…ねぇ、帰ろう?……もう、帰ろうよ…。」

寂しそうに、切なそうに、彼の瞳が揺らいだ。

 「みんな、きっと、無事に帰れたよ…もう、待たなくてもいいんだよ……。」

ヒヤリとした感触が、頬を掠めた。
彼の白い指先が、零れ落ちる想いをすくう。

 「……だから…もう、帰ってもいいんだよ……先生………。」

深雪は、彼の戸惑いを感じながらも、まるで聞き分けの無い子どものように、涙を流し続けた。
窓から射し込む、頼りない月影に照らされて、彼はぎこちなく微笑む。

 「………そう…だね…。」

次々と零れ落ちる雫を拭う、彼の指先は変わらず冷い。

 「でも……やっぱり僕は、ここで彼等を待っているよ。」

泣きたいのに無理をして笑う、彼の優しさと同じように、その行為はとても優しくて。

 「だから、君は、早くここから、帰ったほうがいい…。」

彼は、冷たい両手でそっと深雪の頬を覆い、静かに上向かせた。
泣き止まない子どもをあやすように、緩やかな笑みを瞳にのせて。
ゆっくりと彼の照れた笑顔が近付いて、額にヒヤリとした感触を残す。
深雪が瞼を伏せた拍子に零れた涙が、頬を覆った彼の両手をしとどに濡らす。
再び瞼を開いた先に、彼の穏やかな笑顔が映った。

 「僕からの、最後の、アドバイスだよ。」

「忘れないで…。」と、前置をして、彼の顔から、表情が消えた。



 「この場所で、涙を見せはイケないよ。
  暗闇に、魅入られてしまうから…捕らわれてしまうから…。」


ポッカリと深淵の闇を纏う彼の瞳に、吸い込まれてしまいそうだった。
視界の端に、白衣の内側を染める、鮮やかな紅が、飛び込んでくる。
頬を包む彼の両手が、凍りつくように冷気を帯びた。
深雪は初めて、彼を”怖い”と思った。

でも、頭の片隅に残る、あの穏やかな微笑が忘れられないと思った。
額に残る彼の温度と共に、彼の頬に残る一滴の涙と共に…。


………†………†………†………†………†………†………†………†………†………†………


 「深雪〜?どこにいるの?」
 「おーい、支倉!そろそろ、帰るぞ〜!」

階下からの友人たちの声に、深雪はふっと意識を取り戻した。
気が付けば、ある教室でぼんやりと立ち尽くしていた。

そばには、誰もいなかった。

窓の外は、ゆっくりと朱が差してくる頃だった。
もうそんなに時間が経ったのかと、深雪は教室から出て行こうとして…。

 ― 君も、『深雪さん』っていうんだね… ―

微かに声が聞こえたような気がして、教室内を振り返った。
やはり、そこには誰の姿もなかった。

 ― 偶然だね…僕が待っている生徒も、『深雪さん』というんだ… ―

記憶の中で、穏やかに笑う彼の姿がよぎる。
何故、一瞬でも忘れてしまったのだろう?と、記憶を辿る。
すると、さっきの悲しい気持ちと、感じた恐怖が同時に蘇った。
思わず込み上げそうになる涙を押し止めたのは、切なそうに響く彼の声。

 『忘れないで…。』


深雪は、廊下を駆け出した。
階段のテラスから、暗闇の中で冴え冴えと冷たい光を放つ、青白い月が覗いている気がした。
階下にいる友人たちと合流すると、追い立てるようにこの廃校舎を後にした。

1階校舎では、特に何事もなかったという。
ただ、深雪以外は誰も、2階へ上がろうとは思わなかったらしい。
林道を下りる道すがら、何度も涙が零れそうになって、その度に聞こえてくる優しい声。


 『泣かないで…振り向かないで…そして、もう2度と来てはイケないよ…。』


集合場所へ戻り、学校へと向かうバスに乗り込もうとして、深雪は暮れていく七霧岳を見上げた。

彼は、これからも、あの暗闇の中で、待っているのだろうか。
たった独りで、来るはずの無い、待ち人を…。

校舎の窓辺から、あの穏やかな笑みを浮かべて、手を振る彼が浮かんだ。
口元が、微かに、動いて…。

 『さ・よ・う・な・ら』

隣に座った友人が、深雪のただならぬ様子に驚いて声を上げる。

 『さようなら、僕の………。』

彼がそう言っている様な気がして、深雪はやっと、自分が涙を流していたことに気が付いた。


END


[2010.3.4]寄稿
[2014.9.28]サイトUP

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