02.底なしの(水と遊ぶ/佐伯虎次郎)



ゆらり、ゆらり。
それに合わせるように、きらりと煌く。
これはきっと、水面に反射する陽光。
きれい…そう思いながら水辺に近づき、そっと覗き込む。

その底には…ゆらゆらと揺らぐシルエット…。
それは…水底に沈む…誰かの姿…。


 「ちょっと、やだよぉ…気持ち悪いじゃん。」
私が、隣に座っているに話していたのは、最近続けて見る夢の話だった。
 「でしょ。あんまり続けて見るから、私も気持ち悪くって…。」
 「暫らくは、水関係に近寄らない方がいいかもよ。」
険しい顔して忠告するに、私は曖昧な返事を返す。

これが、いつもの如く、私に振りかかってくるトラブルだなんて、知りもしないで。


あいにく、両親は仕事で出ている。今頃は、東北だろうか?
せっかく、相談したかったのに…でも、単に同じ夢を続けて見てしまうぐらいは、たいした事じゃないのかもしれない。
私は、一つ溜め息を付いて…しまった……。
背中に、冷やりとした感覚。
思い切り水をかけられたみたいな…それか、びしょ濡れの人が、覆い被さったみたいな…。
多分、これは、後者だと思う。
だって、耳元で何か言っているから。

 「冷たいわ…とても……とても…。」

それは、そうでしょう。
私も、背中が冷たいですよ。
あぁ、油断した…ちょっと気を抜いたばっかりに。
私は、何も聞こえない。私は、何も見えない。私は、何も出来ない。
だから、どこかに行って…!
胸ポケットのお札に手をあてて、念じてみる。
弱いものならば、これで祓い除けられるはず。
それがだめなら、お札で…。
私の行為に気付いたのか、背中からソレが離れた気配がした。
今日は、うまくいったみたい…と、安心したのがマズかった。
私の身体は、意思とは関係なく動き始めたから。

映像の場面展開のように、私の意識は切り替わる。
家とは反対の方向へと歩いていく私に、クラスメートが声をかけた。
助けを求める私に反して、口から出たのは「駅前まで、ちょっと買い物。」と。
私の口調そのままで、誰も不審に思ってはいない。
どうして…!

また場面は変わり、私は駅で切符を買っている。
行き先は…千葉!
私は、千葉まで行く気は無いのに、身体は勝手に動いている。
さっきの声の主は、それほど強いモノだった。
私の力で祓い除けられるなんて、考えが甘かった。

場面は、電車の中。
どうやら私は、所々意識を取り戻しているようだ。
私の中にいるモノも、私がそれほど抵抗できないとわかったのか、無理矢理抑え込もうとはしないらしい。
私って、霊にまで同情されてる?それはそれで、情けない気がするけど。
そして私は、電車から降りた。

改札を抜けると、近くに海岸があるのか微かに磯の香りが漂っている。
私は初めて降り立った土地にもかかわらず、迷うことなく歩き始める。
まるで、目的地がわかっているように。
暫らく歩くと、私の目の前に、砂浜が拡がった。
今日の海は穏やかで、砂浜に打ち寄せる波は、ゆっくりと満ち引きを繰り返す。
大海原の先で、水平線に徐々に沈み行く大きな太陽。

そんな景色に見惚れていた私は、足元に冷たさを感じて、ふと我に返った。
気が付けば、私の身体はどんどん海の中へと入っている。
波はもう、膝の辺りまで来ていた。
一歩前に進むたび、砂が足に絡み付いてくる。
そっちへ行きたくは無いのに、私はまた一歩前に進む。
目の前で、波がゆらゆらと揺れている。
そこに夕日が反射して、きらきらと煌いて…。
これって、もしかして最近のあの夢の…じゃあ、まさか…!
恐る恐る、水面を覗き込んだ。
揺れる水底に映ったのは、私の姿では無く、明らかに水の底に沈む…誰か!
私は、一瞬声を詰まらせた。
既に足元に絡む砂で、前にも後ろにも進むのは困難になっている。
反射的に仰け反った反動で、ふいに身体のバランスが崩れ、私は後ろに倒れ込んだ。
急に入り込んだ海水に息が詰まり、苦しさにもがく程、私の身体は沈んでいく。
こんなに深い底ではなかったはずなのに、いつまでも底に着く気配が無い。
まるで、どこまでも沈む、底なしの…そんなことを想像してしまい、私は怖くなった。
嫌だ!私は、行きたくない!
明るく揺れる水面上に、思い切り手を延ばした。
とにかく上へ…でも、足元に何かが絡まって、沈んでいく一方だ。
どうしよう…このままじゃ、引き摺り込まれてしまう。
もう、だめなのかな…私はギュッと目を閉じた。

諦めかけたそんな時、私の差し出した手を、誰かがしっかりと掴んだ気がした。
 「なにやってんの、君!しっかりして!」
水の中なのに、誰かの声が聞こえる。
薄く目を開けると、私の手を掴んでいる男の人の姿が見えた。
 「大丈夫。しっかり俺の手を握っていて。」
彼は、笑顔で言った。
私はその笑顔に安心して、彼の手を握り返した。
その途端、あれほど入り込んでくる海水で苦しかった呼吸が、ふと楽になった。
私の手をひいて、水上に向かって泳ぐ彼の姿は、見惚れるほどきれいだった。

いつの間にあれほどの深さまで流されてたんだろう。
やっと足が付く程の岸まで辿り着き、無意識に酸素を取り込もうとして、身体の中に入り込んだ海水を吐き出した。
ゲホゲホと咽返る私の背中を、彼は優しく擦ってくれる。
そのまま岸へと向かう私の足を、何かが引きとめた
それは、あの水の底で絡まるナニカの感触と一緒だった。
水の底でははっきりと見えなかったソレが、足元の砂が波にさらわれた瞬間に、視界に飛び込んできた。
波の満ち引きに合わせて揺れる、長い黒髪と…私の足をしっかりと握り締めた白い、手!
彼もそれに気付いた様で、涼しげな目元を歪めた。
 「どうやら、それを離さないとダメみたいだね。」
動揺することもなく、さらりとそんなことを口にする彼に、私は驚いていた。
水滴を零す色素の薄い髪が、夕日に照らされて光っている。
何もかも見抜いてしまうような瞳と、弧を描く薄い唇に、余裕が感じられた。
 「あなたは、誰?どうして…。」
 「ん、俺?俺は、佐伯虎次郎。六角の3年で、テニスをしてる。
  君も、どうしてこんな所に?地元じゃないだろ?」
 「私は、です。まぁ、ちょっと、訳があって…。」
 「うん、そうだろうね。その人が、連れて来たんだろうから…。」
そう言って、私ではない”わたし”に視線を向ける。
佐伯さんには、見えてるんだ…”わたし”が…。
 「さん。悪いけど、もう少し水に入っててもらっていいかな。
  大丈夫、悪いようには、しないよ。」
佐伯さんは海水をすくい上げ、指先からポタポタと零れ落ちる水滴を、”わたし”に振りかけた。
その水滴が振りかかった部分から、浄化されていくような、暖かい不思議な力を感じた。
 「君は、現世の人に手を出してはいけない。海は生命の源って言うしね。
  だから、この海で、静かに待つんだ。新しい生命が、与えられるまで。」
私は、無性に悲しくなった。
それが”わたし”の感情か、私のものかは分からない。
瞳には涙が溢れ、頬にぼろぼろと零れ落ちて、その波紋を波がさらっていった。
足に絡み付いていた髪も手も、いつの間にか消えていた。
そして、私の身体の中から”わたし”がフッと抜けていくのを感じた。
どうか、彼女が救われますように…私は、そう願っていた。

それまで彼女が束縛していた身体を急に明け渡されて、私は感覚を戻しきれずに崩れそうになる。
佐伯さんが、そんな私を支えながら砂浜へと促してくれた。
私を砂浜に静かに座らせて、佐伯さんは並んで座り、沈んでいく太陽を眺めていた。
 「佐伯さん。助けていただいて、ありがとうございました。でも、どうしてここに?」
 「え?あぁ、どうしてだろう。なんとなく、呼ばれた気がした。」
 「呼ばれた?」
 「うん…それが、彼女か君かは分からないけど。でも、間に合って良かった。」
そう言って笑う佐伯さんが、夕日に照らされて眩しく見えた。
私は、それを誤魔化すように視線を逸らして、話題を戻した。
 「あの、聞いてもいいですか。」
 「何かな。」
 「さっきのことなんですけど…佐伯さんがかけた水って…。」
 「あれは、この海が俺に力を貸してくれただけだよ。
  水にはもともと、穢れを祓う力があるからね。俺はいつも、助けられてる。」
 「すごいですね。この海って…。」
 「うん、それは自慢できるよ。だから、今度は君の意思で見においで。
  できれば、俺に会いに来てくれたら、嬉しいんだけど。」
なんで、そんなことをさらっと言ってしまうんだろう、この人は。
動揺して何も言えない私に、涼しい顔して佐伯さんは笑っている。

今度はゆっくりとこの海を見に来ようかな…そんなことを、思ってしまうほど。


END


<2006.5.11>

海とお友達なサエさん。
ちなみに、サエさんは『水使い』だったりする。
ここには出なかったけど、攻撃系の力もあったり。
その場合は『水鉄砲』?
なんか、あまり強そうじゃないかも(^_^;)
憑いていた彼女は、海で亡くなった人でしょう。
きっと、救われたと思います(無責任?)

戻る