今、私がいるのは、部活帰りの学生達で込み合うファーストフード店だった。
図書室で話し込んでいたと私は、軽く食べに行くという男子バスケ部数名に便乗することになっていた。
目の前には、トレイの上で残り少なくなったポテトと、飲み物のカップ。
そして、と彼等はそれを手にする事無く、すごく真剣に顔を突き合わせている。
何を真剣に話し込んでいるのかと言えば、よくありがちな怪談話。
「そこってさぁ、最近噂になってる所だろ?」
「そうそう!肝試しに行った大学生がさ、一人帰って来なかったって。」
「あ、でもその人って、何日かしたら戻ってきたんじゃね?」
「それがさぁ…戻ってきたのはいいけど、衰弱してて、まだ入院中らしいよ。」
「何があったんだろうね。ちょっと、気にならない?」
それまで会話に加わらなかった私に、がいきなり話を振ってきて。
「そうかな…。」なんて、適当に返事を返したけど、正直言って私はその手の話を避けたかった。
そういう話をしていると、必ずと言っていいほどやって来るから…その、関係者達が…。
今だって、背中に微かな気配を感じるけど、ここに集まる若く生命力に溢れた学生達の精気と、持たされているお守りでどうにか退けられている。
「なぁ…行ってみたいと、思わねぇ?」
あぁ、やっぱり、そうきたか…でも、私は賛成するわけにはいかない。
話を聞いていただけだというのに、その建物からは、すごく嫌なイメージを感じる。
絶対に、何かが起きてしまうような予感がする。
「ねぇ、止めた方が…――。」
「いきなり口を挟むようで申し訳ありませんが…それは控えた方がいいのではないでしょうか?」
私の言葉は背後からの声に遮られ、振り向くと、そこにはすらりと立つ男の人がいた。
眼鏡の端を持ち上げるような仕草が、いかにも真面目な印象を与える。
濃緑色のブレザーと背中に背負ったカバンで、学生には違いないと思うけど。
でも、落ち着きのある声や話し方が、同年代とは思えないほど大人びている。
「聞いてしまうつもりは無かったのですが、耳に入ってしまったものですから。
失礼は承知でご忠告します。遊び半分で行くものではありません。」
一瞬、眼鏡の奥の瞳に、鋭さが増したような気がした。
それはすぐに穏やかなものに変わり、私と視線を合わせると緩やかに口角を上げた。
「お話を止めてしまいまして、申し訳ありませんでした。
では、私はこの辺で失礼させていただきます。」
もしかしてこの人は、なかなか言い出せない私の代わりに、言ってくれた…とか…?
歩き去る姿を目で追うと、少し離れた所で同じ制服の人達が彼を待っていて、後輩らしい人との会話が微かに聞こえた。
「男連れの女をナンパっすか〜?先輩も、なかなかやりますねっ!」
「君は、私がそのような事をするように見えるのですか。それは、心外ですね。」
後輩の軽口にまでその口調を崩すことなく、あくまでも彼は礼儀正しく振舞う。
そして、褐色の肌の人と何か小さく会話を交わすと、視線を私達の方へと向けた。
レンズの逆光で彼の瞳は見えなかったけど、何故かさっき一瞬見せた鋭さを感じていた。
彼等が揃って店を出て行くのを見ていた私は、に袖を引っ張られた。
「ねえ、あの制服って、立海大付属のだよ。なんでこんな所にいるんだろ?」
が肝試しに付いて行くなんて言い出したらどうしようと思ったけど、さっきの彼に興味が移った様で、ひとまずはホッとした。
私も何故か、さっきの彼の瞳が気になってしまっていた。
そして次の日、私はから聞いた話に、嫌な予感が当たってしまった事を知った。
「!昨日のバスケ部が二人、帰って来なかったんだって!
あの後、行っちゃったんだよ…あそこに……。」
の言う通り、彼等はあそこに行ったんだ。
そして、何かが起こった…そう思って間違いない。
もっと強く引き止めていたら良かったと、私は後悔していた。
その建物は、昼間でも薄暗く、奥まった場所にひっそりと建てられていた。
それもそのはず、かつては人目を忍んで逢い引くことが目的で建てられたのだから。
だが、次第にそういう目的で訪れる者はいなくなり、建物はその場に放置された。
そしてそこは、ただの、荒れ果てた廃墟と化し…同時に、夜の噂の発信源となった。
その噂は様々で、確認しようとする物好き達が後を絶たない。
私はここに来て、その噂がすべて本物だとわかってしまった。
男女の情念が濃く深く溜まり、残された想いに引き寄せられた暗い思念に、息が詰まる。
すべて割られて枠だけになった窓から感じる視線、崩れ落ちた壁の隙間から覗く真っ白な手、今すぐにでも帰ってしまおうと思ったけど。
でも、戻らなかった彼等の手掛かりが少しでも掴めたら…私はお守りを握り締めた。
建物内に足を踏み入れた時、奥の方から聞こえてきた足音に、私は身体を強張らせる。
「やはり、来てしまいましたか。せっかくご忠告して差し上げたというのに。」
少し呆れたように溜め息交じりで、それでも言葉は柔らかな、男の人の声。
この話し方が、昨日の彼のものだと思い当たって、ホッと息を漏らした。
「あなたも感じたのでしょう。ここがどれほど危険な所か。」
歩くたびに埃が撒きあがり、ぼやける視界の向こうに、制服姿ですっと立つ姿が見えた。
傍らには、あの時話していた人が辺りを伺っている。
「あなたは…?」
「これは、失礼しました。私は立海大付属高校テニス部3年、柳生比呂志といいます。
彼も私と同じく、テニス部3年で、ジャッカル桑原という者です。」
桑原さんが軽く片手を上げて、よっ、と声をかける。
「あの…私は、です。それで、柳生さん達はどうしてここに…。」
自己紹介をしてここにいる理由を聞くと、柳生さんは眉尻を下げて困ったように笑った。
「それは、私も伺いたいですね。彼等はともかく、何故あなたまで…。
ですが、このような場所で女性を一人にさせるわけにはいきません。
あなたは私達の側から、離れないようにしてください。」
「でも…。」
「あなたが責任を感じているように、私にも責任があるのです。
ご忠告はしましたが、彼等はここに来てしまった。
たとえ自業自得とはいえ、危機に及んでいるのを見過ごすなど出来ませんから。」
そうして、どこか遠くを見るように視線を巡らすと、また困ったような顔をする。
「おい、柳生。あまり、戻りすぎるなよ。」
からかい気味な笑顔で声をかける桑原さんに、柳生さんは憮然とした表情を浮かべた。
「君こそ、警戒を怠らないでくれたまえ。」
何かを誤魔化すみたいにコホンと一つ咳払いをする彼に、桑原さんはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
そのまま先になってスタスタと歩いて行き、迷うことなくある部屋の前で足を止める。
「柳生…ここ、か?」
「ええ…全ての元凶は、この部屋でしょう。多分、彼等もこの部屋にいます。」
桑原さんと柳生さんは、顔を見合わせて確信している。
確かに、この部屋の前に立つと激しい悪寒を感じたが、それはこの建物全体からも感じているものだ。
私には、はっきりとここが原因とはいいきれなかった。
「ジャッカルくん、準備はいいですか?」
「あぁ、いつでもいいぜ。」
一体、この人達は何をする気なんだろう。
何も聞かされない私は、ただ彼等を見ているしかなかった。
錆付いた蝶番を無理矢理こじ開けて、ギギッという耳障りな音と共に古びた扉が開く。
どれ位の間開かれなかったのか、うずたかく積った埃が盛大に撒きあがり、私は口元をおさえる。
ふわりと、頭から被せられたそれは、濃緑色のジャケットだった。
「それで少しは、埃を被らなくてもすむでしょう。」
そして、埃が静まるまで私を庇ってくれたのは、柳生さん。
流石は紳士、と冷やかす桑原さんを一瞥して、二人は部屋の中に入って行った。
廊下から部屋の中を覗いても、誰の姿も見えない。
この埃の状態は、誰も立ち行っていないことを証明しているのに。
「では、ジャッカルくん。お願いします。」
「じゃ、任せな。」
桑原さんが内ポケットから、銀色に輝くナイフを取り出した。
刃を額にあてて何か呟くと、まだ埃が舞う空間を切るように、一気に薙ぎ払う。
バチンという音が響き、パックリと裂けた空間の向こう側に、倒れている二人と彼等を見つめて座り込む女性の姿があった。
その向こう側にある部屋は、荒れ果てる以前に使われていたそのままの姿で残っていた。
薄暗くはあったが塵一つ無く、その目的のためのベッドが、やけに白く映った。
肌着一枚で座り込んでいた彼女は、柳生さん達に気付くとふらりと立ち上がる。
長い黒髪はベットリと固まり、その肌は血の気もなく乾燥して、カサリと音をたてた。
「…何を…しに、来たの……。」
震える小さな声で、呟く。
「…この人を…奪い、に…来た、の…ね…。」
俯く表情は、見えない。
「渡さな、い…絶対…に…渡さ、ない…から…。」
肩を震わせて、嗄れる、声で。
「…許、さな…い…この人、を…奪う、なんて…!」
上げられた顔は怒りの形相で、窪んだ眼孔から流れる血の涙が、こけた頬を伝う。
生前は美しかっただろう姿は見る影も無く…歪んでしまった想いだけが、ここに縛り付けられた。
「ジャッカルくん、彼等を連れて、外へ。」
引き摺るように歩を進めて来る彼女の前で、両手を広げて柳生さんが告げる。
桑原さんは、さっきのナイフを私に渡して、黙って両脇に二人を抱えると、出口へと向かった。
「そのナイフ、離すなよ!」
そう言い残して、二人も抱えているとは思えないほど、素早く駆けだして行った。
「すいません、さん。もう少し、お付き合いください。」
訳もわからず、ただ言われた通りにナイフを握り締めて、私は頷いた。
柳生さんは、フッと微笑むと、静かに瞳を閉じた。
再びゆっくりと開かれた瞳は、先ほどまでの薄茶の明るさは無く、レンズ越しでもわかるほど、ぼんやり色褪せていた。
その瞳に映る世界が、遥かな過去の色に染められているように。
柳生さんの視線は、ずっと彼女を捉えている。
「よく、御覧なさい。貴女の大切な方は、そこにいらっしゃいます。」
すると、柳生さんの視線の先に、一人の男性が現れた。
今までここに、人なんていなかった。
男性は、ゆっくりと歩み寄り、後ろからそっと彼女を抱きしめる。
彼女はかつての若く美しい姿に戻り、男性に寄り添い幸せそうに頬を染めた。
「幸福な刻に戻りたまえ…貴女はもう、ここに縛られてはいけないのです。」
それまで色鮮やかに映っていた視界が、柳生さんの瞳の色に染められていった。
とても深い、悲しみの色に…。
「さん、ここから出ましょう。」
そう声をかけられた時、私の視界に映ったのは、あの埃にまみれ荒れ果てた部屋だった。
え?今まで見ていた光景は、幻だったの?
柳生さんに促されて建物の外に出ると、桑原さんの傍らにグッスリと眠っている二人の姿があった。
やっぱり今のは、夢でも幻でもなくて、本当にあったことなんだ。
「もう、いいのか?柳生…。」
「はい、お願いします。」
少し気を落としたような柳生さんの肩を軽く叩き、私からナイフを受け取ると、桑原さんが建物の入り口に小さく傷を付ける。
その途端に、建物から感じられた悪寒が、薄れていった気がした。
暗い空間に浮かび上がる、建物の影…その中には、深い情念が封じ込められている。
またしばらくは、誰にも知られることの無い、静かな廃墟に戻るだけ。
桑原さんが、眠っている二人を病院まで連れて行ってくれた。
私の知り合いなのだから、私が行くと言ったけど、どうやら何か理由があるらしい。
日は既に落ちている。
家まで送ってくれると言う申し出を受けて、私は柳生さんと歩いていた。
「さん。少し…お話ししてもいいでしょうか。
これから私がお話しする事を、信じていただけますか?」
「え?」
「このような事は、初めてで…その、どのように説明したらよいのか…。
今までは、仲間の前でしか見せたことがなかったものですから。
私には…過去にその場所で何が起こったのかが、見えるのです。」
「過去が、見える?」
あの建物でずっと遠くを見ているようだったのは、現世の人に影響を及ぼすまでの深い想いの元凶を探すために、過去の光景を見ていたからだった。
「そして、過去を呼び出すことが出来る…。」
正確には、その場所の過去の光景をそのまま映し出すことが出来る、というらしかった。
あの部屋に現れた男性は、過去実際に彼女とあの部屋にいた人だという。
「あれは、彼女が一番幸せだった刻の、彼の姿です。
私は、あの後に起こる悲しい出来事までも、見てしまいました。
そのために彼女は、あそこから動けなくなってしまった。
彼女は、幸せだった刻を繰り返すことしか、出来なくなっていました。
そして、ここを訪れる者を彼女の世界に閉じ込めていた…。
大切な方との刻を取り戻すことしか、想いが残っていないのです。
彼女の邪気を鎮めるためとはいえ、私は、彼の姿を使い騙すようなことを…。」
柳生さんは、苦しそうに顔を歪めた。
そこで起きた過去の光景を見てしまうのは、きっと、私が思うよりも辛いことなんだろう 。
その人が隠したい過去を見てしまうことに、罪悪感を感じているのかもしれない。
あの建物を出た時の、肩を落とした柳生さんの姿を思い出した。
彼は、過去を見てしまった後はいつも、こんな風に自分を責めているのかな。
でも…。
「……あぁ、すいません…私は、何を言ってるのでしょうね。」
「でも!彼女は幸せそうでした。彼に抱きしめられて、嬉しそうでした。
そんなに自分を責めないでください。その力で、私達は助けて貰ったし…。」
自嘲気味に笑っていた柳生さんが、驚いたように私を見つめる。
「…ありがとうございます。そう言っていただけると、私も救われます。」
そう言って照れて笑う姿が、最初のイメージよりも幼く見えた。
その後、私の家に着くまでの間、桑原さんの力の事を話してくれた。
桑原さんは、周囲の一定区間内に自分のテリトリーを作ったり、張られた結界を解除したり出来るんだって。
それは、彼が気を込めたものでも簡易的に代用できるらしかった。
だからあの時、私にナイフを残していったのか。
あんなに霊気が集まる場所だったのに、まったく影響を受けなかったのは、桑原さんのテリトリー内だったからなんだ。
私にも、そんな力が欲しかったよ…なんて、少し羨ましく思って。
そしてふと、疑問に思ったことを口にした。
「そういえば、桑原さんが言っていた『戻りすぎるな。』って、どういうことですか?」
柳生さんは、声を詰まらせて、うろたえる様に眼鏡に手をかける。
「なっ!…そ、そ、それは、その…深い意味など、ありませんからっ!
あ、あなたは、別に、気にする事は、ないのですよっ!」
気まずそうに視線をそらした、彼の頬は赤く染まっていた。
「あのような場所を見るのは、精神衛生上あまりよくありませんね…。」
ポツリと呟いた彼の言葉で、私も何となく意味がわかった気がした。
END
<2006.5.26>
少しヘタレな柳生さんでした。
ちなみに、柳生さんは『過去見』だったりする。
最初は予定に無かった、ジャッカルくんとのコンビ。
ジャッカルくんは『領域操作者』ってイメージで。
最期まで、人のいいジャッカルくんになってしまいました。
「戻りすぎるな。」の意味は、あの場所を全盛期まで遡ると、
見てしまうのは当然…ということで(^_^;)
わかりづらいネタだこと…(苦笑)
戻る