05.鎮魂歌(大地の気を想う/黒羽春風)



学校帰り、いつもは通らない道を私は歩いていた。
いつもなら、ここは避けていたはずなのに、何故か今日は大丈夫だと感じた。
本当はここを通らなくたって、帰る道に不便はないんだけど。
どうしてだろう…ここを通らなきゃ、って気がしていた。

建物も建っていない、少し荒れた空き地に、学生服の男の人が立っていた。
ここは確か、建売住宅地として売られていたけど、どんな家も長く住み付くことができなくて。
いつの間にか建物は解体され、そのまま放置された土地だと聞いている。
かすかに感じていた、嫌な感覚。
ここは、あまりよくない印象を受ける。
近寄るたびに、背中にヒヤリと肌寒さを感じて、それが私がずっと避けていた理由。
そこに、瞳を閉じたまま、俯き気味にたたずんでいる人がいる。
この辺りではあまり見かけないカバンを背負ってて。
もう一つのカバンから覗くのは、既製品とは違うゴツゴツとした木製のグリップ。
多分、テニスラケットだと思う。
私は、彼のたたずまいに何故か惹き付けられていた。
彼は、この土地に何を感じているんだろう。

その場に跪き、彼は足元の土を一掴みすくうと、手の平を軽く揺らした。
零れ落ちる土塊が、風に流される。
そして、手の中に残った土を握りしめると、深く溜め息をつく。
おもむろに立ち上がり、パンパン、と手元の土を掃う音が、人通りのない周辺に響いた。
急に振り返った彼と、立ち尽くしていた私の視線がぶつかる。
私は不意を突かれて、言葉を詰まらせた。
無造作に立ち上げた短い黒髪と、同じように芯の強そうな瞳が、私を見ていた。
彼は、それほど驚いた風でもなく、声をかける。
 「なぁ、あんた。この辺の人か?」
意外と気さくな雰囲気に親しみやすさを感じて、私は数歩、彼に歩み寄った。
 「そう、ですけど…ここで何をしてるんですか?」
 「んー…まぁ、ちょっと、な。」
苦笑しつつ、何か言い辛そうに言葉を濁すところを見ると、彼もここに何かを感じてるんだろうか?
もしかしたら、私と同じような感覚を、彼も感じているのかもしれない。
でも、私がそれを言ってしまったら、そんな体質だってことを自分で言ってしまう事になる。
もし全然見当違いだったら…だったら、わざわざ自分から言う事もない、よね。
彼は、じっと乾いた土地を見つめて、それ以上は何も話そうとはしなかった。
だから私も、それ以上聞くのをやめた。

「それじゃあ…。」と、ここから離れようとした彼が、もう一度振り返り、ゆっくりと口を開く。
 「…あんたも、気付いたか?」
 「え?」
 「いや…なんでもねぇ…。じゃ、またな!」
彼は、カバンを背負い直すと、そのまま踵を返して立ち去って行った。
残された私は、彼の後姿を見送って…彼が立ち去った後のこの土地の気配に、驚いていた。
あれほど感じていた冷ややかな気配が、彼が跪いていた場所だけ薄らいでいたことに。

数日後、私の足はまた、あの土地へと向いていた。
どうしてか、は、私にもわからない。
ただ、なんとなく…行かなきゃいけないって思ったから。
あの日、彼と出会ってから、何故かこの土地が気になっていた。
それまでは、無意識に避けていたというのに。
あの場所に近づくにつれ、徐々に漂ってくる冷ややかな気。
背中がゾクゾクする感覚は、いつもと同じ。
それでも行かなきゃ、と思うのは、彼の帰り際の言葉に、惹かれたからかもしれない。
 『じゃ、またな!』
まるで、再び出会うとわかっているように。
しっかりと両足を大地に預けた、彼の姿が思い出された。
きっと、再び出会うことがあるとしたら、あの土地に違いなかった。

建ち並ぶ住宅地が、急に開けた土地へと景色を変えた。
ポッカリと空いてしまった一角に、学生服姿の彼。
彼の言葉も、私の予感も、間違いではなかった。
私はゆっくりと、彼の側に歩み寄る。
相変わらず、酷い悪寒は感じていたけど。それは彼に近付くにつれて薄らいでいった。
 「やっぱり、来たな。あんたも…。」
彼は振り向きもせずに、私だと気付いたっていうの?
たった一度しか、それも2、3言、言葉を交わしただけだというのに!
 「あの…あなたは、いったい…?」
 「あぁ、俺?俺は、六角3年、黒羽春風だ。」
顔だけをこちらに向けた彼は、瞳を細めて人懐っこそうに白い歯を見せた。
でも、彼が言った台詞は、どこかで聞いたような響きを感じさせる。
六角って…どこかで……そうだ!あの、海で……!
 「あ…私は、です…。それで、あの…どうして、ここに?」
 「なぁ、あんたも感じたんだろ?ここで、さ…。」
 「…はい…前から、嫌な場所だな、って…。黒羽さんも、ですか?」
黒羽さんは、ちょっと寂しそうに笑って跪くと、足元の土をすくった。
その生命力を感じられない涸れ果ててしまった土を、サラサラと風がさらっていった。
 「あんま、嫌ってやるなよな…この土地は、悲しくてしょうがねぇんだ。」
 「土地が…悲しい?」
私は、彼の言葉の意味を量りかねて、ただ繰り返すだけだった。
 「この土地は、人の暗い想いが染み付きすぎて、その重さに耐え切れなくて、ずっと泣いてるんだ。」
黒羽さんは、何を感じているんだろう…。
土地が泣いているって…それは、霊とかそういうものとは違うんだろうか?
何も言わない私に構わず、黒羽さんは話を続ける。
 「家を建てる前にさ、「地鎮祭」って、するだろ?
  その土地を清めて悪い気を鎮め、土地神を祀って安全と繁栄を祈る。
  昔は力を持った神官が古式に則って、きちんと儀式をしてたけど…最近は形式だけってのが多くてさ。
  ここは、その典型なんだろうな。」
都市化が進み、古くからの土地はだんだんと開拓され、まだ住む人も定まらない建物だけが建ち並ぶ。
そこは、土地への愛着もなく、ただ、利便さと快適さを売りにした住宅地へと変わっていく。
過去からずっと染み付いている暗い想いは、鎮められないまま蓄積されてしまったんだろう。
もう、この土地の力だけでは抑えられないほど溢れ出し、そこに住む人にまで影響を与えるくらい。
 「この土地自体が、悪い訳じゃない…ただ、住む人が替わるたびに澱みだけが置いていかれて、積み重なって。
  その土地が持つ浄化の力じゃ追い付かない分を、人が儀式で補って、それでバランスが保ててたんだけどな。
  もう精一杯頑張ったと思うぜ。そろそろ、こいつらもゆっくり休ませてやらねえとさ。可哀想だろ…。」
風が吹く度に、さらさらと微かに音を立てて流されていく小さな土塊たちを、黒羽さんは思いやるように見つめていた。


 「ゴメン、バネ…ちょっと遅くなったな。」
よく通る澄んだ声が、後ろから聞こえてきた。
その声は、多分黒羽さんに呼びかけてたと思うけど、私は以前に聞いた事がある声で…。
 「あれ?君は、もしかして…。」
振り向くとそこに立っていたのは、あの海で私に憑いてしまった”わたし”を解放してくれた、佐伯さん。
彼も私に気付いたようで、爽やかというのがぴったりな笑顔を浮かべた。
 「たしか、さん…だった、よね。どうしたの?こんなところで遭えるなんて、偶然だね。」
 「こんにちは、佐伯さん。あの時は、ありがとうございました。」
 「あれ?お前等って、知り合いだったのか?」
私達が知り合いだということに少し驚いている黒羽さんに、佐伯さんは涼しい顔でにこやかに言い切った。
 「あぁ、前に話しただろ?さんが、俺が見つけた人魚姫だよ。」
 「な!な、なんですかっ、それっ!にんぎょ…ひめ…って!」
その台詞は、私を充分動揺させて、黒羽さんを深く呆れさせた。
黒羽さんは慣れているのか、私の動揺を軽くスルーして、佐伯さんに確認する。
 「わかった、わかった…で、持ってきてくれたか?」
 「もちろん!抜かりは無いよ。」
佐伯さんの手元にあるペットボトルには、透明な水が夕日を反射して、たゆたっている。
私は、あの海での佐伯さんの力を思い出した…水の力を借りて、”わたし”の嘆きに沈んだ心を浄化してくれた時の事を。
 「佐伯さんが、ここを浄化してあげるんですか?」
すると、佐伯さんは静かに首を横に振った。
 「残念だけど、俺では無理。ここを鎮めてあげるのは、バネじゃないとだめなんだ。」
そう言って黒羽さんを見つめる佐伯さんの視線は、真剣そのもので。
それだけ、信頼しているのがわかる。
 「じゃ、始めるぜ。サエ、カバー頼むな。」
 「まかせて。さん、俺とバネの側から離れないでね。」
佐伯さんが、私を支えるように黒羽さんの近くへと寄った。
黒羽さんは跪き、両手を地面に当てたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
足元からおぞましい邪気が這い上がってくる感覚に、私は思わず身体を強張らせた。
 「大丈夫…バネが、ここに溜まり込んでしまった負の澱みを、引き出しているところだから。
  動いちゃだめだよ。その方が、危険なんだ。」
黙って頷いた私の両肩に、佐伯さんはそっと手を掛けた。
次第に、小さな震動が起こり、それはやがて立っているのがやっとなほどの強い揺れに変わる。
地震?と辺りを見ても、人が飛び出してくるような気配も無いところをみると、この空間だけが切り取られたように揺れているみたい。
 「そろそろ…来る…。構えてて。」
佐伯さんがそう言った途端に、一番大きな揺れが起き、地面からすり抜けるように大きな闇…邪気の塊が、上空に浮かび上がる。
それはあまりにも大きく、空を覆いつくす暗雲のように、覆い被さってくる。
これほどの澱みを、自身に吸収させていたなんて…精一杯頑張ったと言っていたのは、このことだったんだ。
黒羽さんが、地面に当てている両手に一層気を込めると、当たり一面から細かな砂塵が吹き上がり、蠢く邪気を取り囲む。
邪気を取り囲んだ砂塵は徐々に集束をはじめて、あれほど上空を覆っていた闇を凝縮させていった。
 「そろそろ、終いにするぜ!」
おもむろに立ち上がると、左の掌に右拳を思い切り打ち付ける。
小気味いい音と共に、闇を包んでいた砂塵が、微塵に砕け散った。
チカチカと煌きながら、細かい粒子が周辺に降り注ぎ、地面に降り立つと同時に弾けて消えていった。

 「頼むわ、サエ…。」
 「了解!」
佐伯さんは、ペットボトルの水を掌に注ぎ、大きく振り払った。
彼の手から零れ落ちる雫は、黒羽さんが力を込めた大地へと降り注ぎ、乾いた土地へと染み込んでいく。
その小さな刺激が大地を震わせ、微かに音を響かせる。
それはまるで、魂を慰め鎮める鎮魂歌のように、静かに周辺に浸透していった。
 「これで、この土地もまた、新しく生まれ変われる。もう、悲しい声で泣くこともないな。」
黒羽さんが呟いた声に応えるように、砂塵が足元で小さく巻き上がった。
 「さん…立ち会ってくれて、ありがとな。それと、サエもいつも悪ぃな。」
私達の方へと振り返った黒羽さんは、申し訳無さそうに頭を下げる。
私は、むしろここに立ち会えたことが嬉しかったから、こっちこそお礼したいくらいで。
佐伯さんも「お互い様でしょ。」と、笑顔で頷いた。


もう、ここからは、あの嫌な肌寒さを感じる事はなかった。


END


<2006.9.23>

地気使い、の設定で、バネさんです。
彼は、大地にしっかりと立ち、頼りがいがあるイメージがあって。
それで、土地の悲しみを感じて放っておけなかったという…。
バネさんが土地の邪気を祓い、サエさんの水で清めるという、
コンビが出来上がってしまいました。
このコンビ、某先輩後輩コンビの能力と一緒…というのは
こっそり秘密です(笑)

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