バスケ部の二人が廃墟で失踪した事件は、いつの間にかプチ家出ということになっていた。
彼等は、街で知り合った他校生と意気投合し、そのまま家に転がり込んで、一緒に学校もサボった…と言うのだ。
そんなバカな!
あの時私は、確かに彼等に出会い、不思議な体験をしたというのに。
でも、バスケ部の二人は、あの廃墟には行ってないと言い張った。
あまりにも強く言い張るものだから、かえって私の方が勘違いしているような気になってくる。
それに、親や先生達に相当こってり絞られたらしく、もうその件に関しては蒸し返して欲しくないらしい。
二人の渋面が、それを物語っている。
だから私は、その事件にはもう触れずにいようと思った。
****
私は、いつもの通学路を歩いていた…はずだった。
半分寝ぼけてたって、身体が覚えてしまってるほど、染み付いたルートのはず…だった。
なのに今…私は、霧の中を彷徨っている。
学校の帰り道、気が付けば徐々に辺りにたちこめる、白い霧。
まさか、また天魔が出現しようとしているのだろうか?
でも、この霧からは、あの特有のおぞましい瘴気は感じられない。
かといって、自然に発生する霧とも思えない。
こんな、足元からじわじわと拡がっていく霧なんて、不自然だ。
まるでドライアイスの蒸気を吹きつけたような…。
それとも…何か別の力が働いている、とか…?
ぐるぐると考えを巡らせているうちに、背後からふわりと風が舞い、辺りの霧が薄く薙いだ。
そして目の前に現れたのは…あの時の、廃墟、だった。
その建物は、あの時のままに、朽ち掛けた姿を曝していた。
霧の中に浮ぶその光景は、お約束のように不気味に映る。
いつの間に、こんな所まで来てしまったんだろう…。
あの場所は、通学路からはまるっきり外れているはずなのに。
私は、ゆっくりとその建物へ近寄った。
そこから嫌な感じがしないのは、あの時の桑原さんの結界が効いているからだ。
やっぱり、私の勘違いなんかじゃない…あの出来事は、本当にあった事。
カサリ、と、建物の影から音がしたような気がして、私はそこで立ち竦んだ。
仮にもここは、怪談話が囁かれていた廃墟だというのに、なんの警戒心も持たずに近寄るなんて。
怪談の主じゃなくても、ここに集まるちょっと危なげな御兄さん達だって、いるかもしれないのに。
そんな所にのこのこ近寄って行くなんて、私ってばどこまでお気楽にできてるんだろ…。
自分の考えなしを嘆いても、もう遅い。
何が出るかはわからないけど、私は覚悟を決めた。
すると…。
「そこにいるのは…どなたです?このような場所に入り込むなんて、無用心ですよ。」
どこかで聞いた事のある口調…落ち着きのある、よく通る声。
「…柳生…さん?」
私は、その声の思い当たる人物に呼びかけた。
霧の中に、うっすらと浮ぶシルエット。
そして、その中から現れたのは、やはり彼だった。
「さん…ですか?どうしたんです?こんな所で…。」
霧をかき分けて歩み寄る彼の姿が、視界にはっきりと映し出された。
口元に微笑を湛えているが、相変わらず瞳は厚いレンズに阻まれている。
「でも、このような場所ではありますが、またあなたにお会いできて嬉しく思います。」
たとえ、社交辞令だとしても、言われて嫌な気はしない。
そんな言葉を、この人は事もなく口にする。
あくまでも礼儀正しく、落ち着いた振る舞い…その紳士的なイメージはあの時感じたまま。
でも…この霧の所為だろうか…何か、引っかかっていた。
それは、一瞬覗く視線だったり、眼鏡に手をかける仕草だったり、微笑を浮かべる口元だったり…。
視覚は確かに柳生さんだと認識してるのに、直感が何かを警告している。
「とりあえず、ここから離れませんか。ここは、まだ安心とは言い切れません。」
目の前に差し伸べられた手に、どうしても手を伸ばすことが出来なかった。
柳生さんは、微笑んでいる…こんなに不自然な霧の中で…彼は、もっと慎重な人じゃないだろうか?
この感覚は、なに?…姿は同じなのに、どうしても彼とは思えない…疑念は募っていく。
馬鹿げているかもしれないけど、浮んだ考えを拭いされない。
「あなたは、本当に、柳生さん?
もしかして、柳生さんって…双子、とか…だったりします?」
彼は一瞬、驚いたように瞳を見開き、そしてゆっくりと口角を引き上げた。
少しつり気味の瞳が三日月に細められ、喉の奥でクツクツと嬉笑を漏らす。
「どうして…そう、思うのですか…?」
「…そろそろ、お遊びは止めたらどうです?」
私にどうしてと問い掛ける彼と、もう止めろと制止する同じ、声。
立ち込める霧は晴れる気配はなく、いっそう濃く深く満ちていく。
その深い霧の中、ひとしきり笑う彼の背後から、もう一人、背の高いシルエットが浮んだ。
呆れたように眉を顰めて、レンズを押し上げながら大きく溜め息を零す。
「え?柳生さん…ってことは、やっぱり…!」
「それは、違いますよ。さん。彼は、仁王雅治といいます。
私やジャッカルくん同様、立海大付属高校テニス部3年です。」
「ついでに、コイツのパートナーじゃ。」
柳生さんの肩を抱き、眼鏡を鼻の先まで摺り下ろす、上目遣いの視線。
背筋を伸ばして真っ直ぐに立つ柳生さんと、少し背を丸めて姿勢を崩す仁王さん。
同じ姿形をした、まるっきりのシンメトリー。
「何をするのかと思えば、こんな悪ふざけを…彼女まで、巻き込むことはないでしょう。」
「じゃが、このお堅い紳士殿が、あっさりと手の内を曝したんじゃ。
どんな女か気にならん方がおかしかろう。」
「そんな、露骨な言い方、やめたまえ!」
「しっかし、双子、とくるとはのぅ…まったく、予想外ナリ。」
咎める柳生さんを気にすることもなく、苦笑いながら外した眼鏡を片手に髪をかきあげる。
淡い色素の髪の合間から、滑り出した銀糸が煌いた。
「ちなみに、どうしてわかったんじゃ?柳生じゃない、と…。」
口元に笑みを湛えたまま、射貫くような瞳はじっとこちらを向いていた。
どうして…だったろう?
最初は直感だった。
身体に絡みつき、精神にまで浸透してくるような、この不自然な霧も、気になった。
これは明らかに何かの力が作用していて、私の直感を確かなものにした。
過去を呼び出すという柳生さんの力とは違う、別な力を持つ誰か…。
あまりにも柳生さんと酷似していた彼を、双子だ、と思ってしまったのは、安直すぎたかもしれないけど。
私が感じたままを口にすると、柳生さんは感心したように「なるほど…。」と呟いた。
仁王さんは、にやり、と、意味ありげな笑みを浮かべる。
ところで、そろそろ私が試された意味を、教えてくれてもいいと思うんだけど…。
「お前さん…さん、言ぅたか?お前さんが、初めてぜよ。俺の霧に、気付いたのは…。」
「そうですね。今まで誰も、仁王くんのまやかしに気付いた方はいませんでした。」
「まやか、し…?」
仁王さんの、まやかしの、霧。
やっぱりこの霧は、仁王さんが発生させたもの…ということは、仁王さんの力って……。
「じゃあ、この場所も、あの建物も、霧が見せる幻って事ですか?
まさか、柳生さんも…柳生さんの姿の仁王さんも、幻だって言うんじゃ…!」
「いや…柳生も、オレのこの姿も、幻じゃなか。柳生に化けるんは、オレの趣味じゃ。」
「なんて、悪趣味な…。」
種を明かす仁王さんの隣で、柳生さんは呆れたように息を吐き、本当に不愉快そうに顔を歪めた。
「…だが、勘違いするんじゃなかよ。
オレの霧が、ただ幻を見せて欺くだけと思ったら、大間違いぜよ…。」
「それは…。」
「オレの霧は、精神の深奥まで潜り込む。
幻で記憶を操作し、上書きするくらいはお手のモンじゃ。
じゃが、この霧に完全に呑まれたら最後、二度とこの幻からは…逃れられない。
幻夢の中で、永遠に覚めない夢を見続けることになる。
…それも、オレの、力加減だが…。」
「なんて、えげつない能力でしょうね。」
「オマエの台詞の方が、エゲツナイじゃろうが…。」
記憶を操作、って…まさか、あの二人がプチ家出したと言い張ったのは、その所為?
ちょっと待って!そんな物騒な能力を、私にも使ったっていうの?!
下手したら、私は目を覚ましたまま、一生夢の中だったかもしれないのに!!
唖然とする私を横目に、軽口を交わす仁王さんの、虹彩が白銀に煌き揺らぐ。
その途端、濃度を増した辺りを漂う…霧。
「おもしろいな、お前さん。オレの霧も、変装も、見抜かれたんは初めてじゃ。
流石は参謀が目を付けただけはある。気にいったぜよ。」
「参謀が目を付けたって…何の事?一体、どう……。」
「柳くんの見立ては、確かです。ですが、まだそれを告げるのは、時期尚早ですよ。仁王くん…。」
仁王さんが口にした、参謀という人物…その人が目を付けたというのは、何のこと?誰のこと?
聞き返そうとした私の言葉を遮るように、時期尚早だと言う柳生さん。
レンズ越しの薄茶の瞳と、髪と同じく煌く白銀の瞳。
いろいろ聞きたいのに、同じように切れ長な4つの瞳に見つめられて、私は何も言えなくなってしまう。
「この先、お前さんがどっちに転ぶか、楽しみじゃ。」
「それ以上は、止めたまえ。彼女を混乱させるだけです。」
柳生さんの言うとおりだ…私は、仁王さんの言葉に混乱し、動揺している。
私には、彼等が何のことを話しているのか、さっぱりわからない。
わからないのに、何かがこの先に私を待ち受けているのだろうと、薄々感じている。
矛盾した思考、曖昧な確信…まるで目の前の二人のように、シンメトリーな感情。
「なぁ、柳生…賭けをせんか?この次に会うが、オレ達にとって、どんな存在か…。」
「のってもいいですが、きっと、それでは賭けにならないと思いますよ、仁王くん。」
顔を見合わせて笑う二人の姿が、徐々に白銀の霧に包まれていく。
待ってよ!私が試された意味も、この先って意味も、まだ何も、教えてくれてないじゃない!
霧に紛れていく彼等へと、私は手を伸ばした。
微かに、私に向かって笑顔を浮かべる二人の姿が、霧の隙間から浮かび上がる。
途端、突風が巻き起こり、私の視界は白く遮られた。
****
思わず目を閉じて、風の終息と共に再び目を開けると、そこはいつもの通学路。
あれだけ周囲を覆っていた濃い白銀の霧も、霧に浮ぶあの廃墟も…彼等も全て、姿を消していた。
「まぁ、待ちんしゃい。そのうち、また、会うことになるからのぅ。」
「えぇ、いずれまた、近いうちにお会いできますよ。」
そんな彼等の声だけが、私の耳に残されたまま。
結局、私は、何一つ教えてはもらえなかった。
何が何だかわからない、疑問だけが残された。
彼等の存在も、もしかしたら、霧が見せた幻だったのかもしれない…。
END
<2007.5.27>
久しぶりの更新です。
なかなか進まずに、途中で止まっていたものです。
大まかなものは、決めていたはずなのになぁ…。
やっぱり、最近の28傾向が、影響したかもしれない。
参謀が出てきた時点で、この先の伏線が出来てしまいました。
どうなるのか、不安…自業自得なんだけど(苦笑)
読み切りだったはずなんだけどなぁ(^_^;)
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