2月中頃、週末金曜日。
そろそろ春の兆しも見せ始める日中だが、夜はまだまだ冷え込むこの時期。
峠の路面には所々凍結が見られたり、路肩には雪がまだ残っていたリ。
そんな満足に攻め込めない状態でも、この峠は待ちきれないせっかちな連中で溢れていた。
頂上の駐車場では、何回か走りこんではお互いに調子を伺いあう声が聞こえる。
そんな会話に混じって、この日特有の話題もあちこちで盛り上がっていた。
駐車場に1台の車が入ってくる。
その闇の色の車体は重苦しい威圧感を持って、他の車を圧倒していた。
車体に貼られた『Night Kid's』のステッカー、チームリーダー 中里毅の繰るR−32。
いつもの場所に静かに滑り込むと、チームの連中がすかさず集まりだした。
「中里さん、聞いてくださいよ!高田さんの今日の成果!」
今日の成果、とは、多分走りではなくて、もう一つの話題の事だろう。
それは中里にも何となく察しが付く。
「あいつも、社会人だからな。職場関係でいろいろあんだろ。
それにマメな奴だから、それ以外にあってもおかしくないしな。」
Night Kid'sは、最近は統率が取れてきたようだがもともとは気性の荒い連中の集まりで、女っ気などはあるはずがない。
その中でも、高田はいろいろとこまめに手がまわる方で、このチームには珍しいタイプの人間だった。
今日の成果が見込めるのは当然の様な気がする。
「そういう中里さんは、どうなんスか?」
「それなりに。」
「え〜!いいなぁ…。」
大げさに騒ぎ立てるメンバーを眺めながら、中里はある人物を探していた。
紅いEG−6を繰る、このチームのbQ 庄司慎吾。
クリスマスにここで偶然かち合って、部屋まで押しかけてきて、イイだけ飲んだ挙句に、早朝勝手に帰っていった。
あれからは会話らしい会話も無く、久し振りに来た峠で顔を合わすこともあるかと思っていたのだが…。
「やっぱ、社会人だと周りに女がいていいッスよねぇ…オレのバイト先なんか野郎ばっかだし。」
「野郎ばっかのバイト先でくれる奴がいたら、どうよ?」
「え〜!それマジ怖いッスよぉ…。」
からかいあうメンバー達を見ながら、中里はタバコに火を入れる。
ゆっくりと吐き出す煙の向こうに、見慣れたEG−6が入ってくるのが見えた。
「盛り上がってンじゃん!」
言いながらメンバーに混ざる慎吾は、一瞬中里と目を合わせたが何事も無かったように話に加わった。
「慎吾さんは、今日どのくらい貰ったンスか?」
「てめーには考えられないぐらい!」
「どういうことッスか、それ?!」
慰めるように肩をポンポンと叩き「まぁ、諦めな。」と、溜息交じりで囁くと「慎吾さんまで…。」と座り込んで落ち込むふりをする。
彼のそういう反応をおもしろがって、いつも皆にからかわれていた。
「やっぱ、誰からでもいいから、欲しいよなぁ…。」
「野郎からでも、いいってか?」
「やめろよ、気色わりー…決めた!オレ、今度は女が多いバイトにする!」
新たな決意を固める彼に、仲間達は非常な言葉を返す。
「だから、無理だって…。」
「女がいたって、相手にされねーっつの!」
「ひでーっ!そこまで言うか!」
メンバー達が大笑いする中、中里は何も言わずにただタバコをふかしていた。
大笑いする連中に加わらず、目を細めて鋭い視線を中里に向けたかと思うと、慎吾は踵を返し愛車へと向った。
「慎吾!走るのか?路面が悪い。あまり突っ込みすぎんなよ!」
「てめーに指図されたかねーよ!」
中里の忠告に、振り返らずに顔だけ向けて中指を立てる慎吾。
肩越しに見えた表情では、彼の感情を理解する事が出来なかった。
夜も更けて冷え込みも厳しくなり、路面の状態もそろそろヤバイと判断して、ぱらぱらと峠を降る走り屋達。
中里も、チームの連中が全員降りたのを確認して、峠を降る。
結局あれから慎吾は登っては来なかった。
気まぐれだからな…と呟いて、中里は家へと車を走らせた。
アパートの来客用駐車スペースに、紅いEG−6。
その持ち主と言えば、中里の部屋のドアにもたれて座り込んでいる。
足元にはコンビニで買い込んだと思われる大量のアルコール類と、もうすでに空になっている缶が転がっている。
「お前、何して…。」
「つべこべ言ってんじゃねー。早く入れろよ、凍死しちまうだろ!」
中里の言葉に聞く耳も持たずに、自分の要求を告げる慎吾。
呆れて溜息をもらし、鍵を取り出して退けるように軽くケリを入れると「蹴るんじゃねー!」と呟きながらも慎吾は渋々と場所を
ずらした。
「相変わらず、きったねー部屋!」
「だったら、来るなよ!」
テーブルの上には、持ち帰った仕事の書類と小型パソコン。
足元に車の雑誌が数冊、乱雑に積み上げられている。
中里が書類の束を適当な場所へと移すのを確認して、慎吾はコンビニの袋を乱暴にテーブルに置き、雑誌を足でどけながら
自分の場所を確保している。
「今日は一体、何の用事だ?」
「TVつけるぞー!」
はなから中里の話など聞く気はないらしく、勝手にTVをつけてザッピングを繰り返している。
「あ、一応差し入れ!飲んでいいぞ。」
言いながら自分はすでに2本目を空けていた。
会話を諦めた中里は、袋の中の缶を物色しようとして、その中に包装した箱に入ったボトルを見つけた。
「おい、これなんだ?」
「それは、オレの!飲むんじゃねー!カワイソウだから、少し分けてやっけどよ!ま、後の楽しみ!」
そう言って、箱を取り上げ冷蔵庫に放り込む。
TVは付いているが、2人とも目には入っていない。
気不味くなり、慎吾に話し掛ける中里だったが、いつものように付き返される返事に、すぐに閉口してしまう。
「慎吾、いい加減訳を聞かせろ!どうしたんだ、急に?」
「別に。」
「別に、じゃねーだろ。いきなり押しかけて来て、こっちの身にもなってみろよ。」
「そんなの、オレの知ったこっちゃねーよ!」
「な…んだと…!ケンカ売りに来たんなら、帰れよ!俺にだって、都合が…。」
「オレ、もう飲んじまってんだけど!てめーは、オレに飲酒で捕まれって言うんだな!
そんじゃ、止めなかったてめーも同罪!」
「そんなこと、言ってねーだろ!」
「言ってるようなもんじゃん。」
「屁理屈ばっかり言うな!」
「屁理屈だって、立派な理屈!」
「…あ……。」
中里は、絶句した。
慎吾のたたみかけは、沙雪譲り。
中里が到底かなう相手ではないのだ。
そんな訳で、中里はどうして慎吾がここにいるのかわからぬまま、ただ、黙々と缶を空けるしかなかった。
買い込んだアルコールも底をついてきて、テーブルの上には空いた缶だけが無造作に転がっている。
中里は空缶を全て袋に詰め込んでゴミ置場に置き、戻ってきたテーブルの上にはグラスに入れられた透明な液体。
細かい炭酸の泡が、沸々と浮き上がっては弾け散る。
「お前、もうちっと洒落たグラス揃えとけよ、気がきかねーなぁ…ま、知ってたけど!」
傍らにさっき冷蔵庫に放り込まれたボトルが、乱暴に包装を解かれ置かれている。
ラベルは何かの記念らしいアニバーサリー仕様になっていて、微かにさわやかな香りが漂う。
「分けてやるから、ありがたく頂け!」
そう言って、グラスを合わせる。
カチン、と硬質の音を響かせ、静かに揺れる液体を、慎吾は一気に飲み干した。
つられる様にそれを口に含むと、今まで飲んでいたものとは違う、すっきりとした繊細な味わいがのどの奥を滑り込んでいく。
「うまい…。」
思わず中里の口をついて出た言葉に、満足したように慎吾はシャンパンを注ぎ足した。
「だろ?なんたって、このオレが注いでやってんだからな!」
2人とも食事も取らずにずっと飲み続けている。
この口当たりのいい透明な液体が、アルコールの酔いを加速させる。
深夜のバラエティ番組では出演者達が爆笑している様子がTVから流れているが、2人の耳には届かない。
それまでグラスを傾け続けていた慎吾の手が止まった。
それに気付き、中里もグラスを置く。
その振動に、グラスに辛うじて止まっていた気泡達が一斉に浮き上がる。
慎吾の手元には、赤い包装紙に包まれた四角い物が握られていた。
それを、おずおずと前に差し出す。
「いろいろ借りも、あるしな、やるよ。…誤解…するなよな……外国じゃ、世話になった奴に渡すのもありだし…。」
「慎吾、これって…バレンタイン…か?」
俯いている表情は、長めの前髪に隠れて見えない。
包装紙を解くと、中から黒地に金の箔押しでメーカーのロゴが記された箱が現われた。
箱を開けた途端、コクの深い洋酒の香りが漂いだす。
北海道のメーカーの生チョコらしい。
一つ、口に入れる。
ビターなチョコレートの甘味が、洋酒の苦味をまろやかにさせる。
後には洋酒の香りが余韻を残すだけ。
「食わないのか?美味いぞ、これ…。」
「……おぅ……。」
「今日来たのは、俺にこれを渡すため…か?」
「……おぅ……。」
「…ありがと……な。」
「……おぅ……。」
同じ言葉を繰り返し、俯いたまま動かない慎吾。
最初、慎吾は眠ってしまったのだと思っていた。
黙り込んで、俯いたまま。
だから慎吾に近付いた。
布団で横になるように勧めるために。
横に跪いて肩に手をかけた時、真正面に慎吾の顔があった。
眼をそらすことが出来なかった。
「なぁ…これが…バレンタインの…そういう意味だったら……どうする?」
「……な…!」
あまりにもいきなりで。
中里がその意味を理解するには、時間が必要だった。
これは、慎吾のいつもの冗談だ。
俺が本気で答えを出そうとするのをおもしろがって、からかってるんだ。
じゃなきゃ、慎吾がこんな事を言うはずが無い……この俺に!
…だとしたら、この眼はどういう意味だ…?
いつもの不適な笑みを浮かべている慎吾じゃ無い。
マジ…か?いや……。
――――慎吾は酔っている。
中里はそう結論付けた。
「そう…なのか?」
慎吾の眼を見つめたまま、それだけ答えた。
そうすれば、いつもの憎まれ口が返ってくると思っていた。
『バァ〜カ!マジんなってんじゃねーよ!…ったりめーだろうが!』
でも、想像していた答えは返ってこなかった。
目の前の慎吾の表情は、切なげに歪められている。
違う!そう思ったときには遅かった。
「…だよ…な……悪かったな…帰る……。」
ジャケットとキーを握り締め、おぼつかない足取りで玄関へと向った。
慎吾の中に、嫌悪と後悔の念が溢れてくる。
オレは今、何を言ったんだ!
いつもみたいに、茶化してやりゃぁいいんだ。
一言『マジんなってんじゃねーよ!』って言ってやれば済んだのに、こんなみっともねー面、見られちまった…。
酔った勢いで出た言葉は、隠された本心をさらけ出す。
「おい、待てよ!…待てっつってんだろ…慎吾!」
無視して出て行こうとした慎吾は、腕を掴まれ無理矢理引き止められた。
振り解こうとするほど、掴まれた腕に痛みが走る。
「離せ…イテーんだよ。」
「あ、悪い…。」
慎吾は振り返らない。
だが、中里が真っ直ぐに自分を見つめている視線を、背中に感じていた。
「怒るなよ、慎吾…。」
低音で静かに響くその声に、慎吾は無性に苛立った。
どうしてこいつは落ち着き払っていられるのか、うろたえている自分が情け無いと思った。
「…俺だって、動揺してんだ……。」
中里の声は、変わらず静かだ。
慎吾には、そこから動揺など感じ取れない。
それが、苛立ちに拍車を掛けた。
「峠で、奴等が話してたの、聞いてたか?あの時…お前が浮かんだ。」
何も言わない慎吾に、中里は続ける。
「他の野郎なら鳥肌もんだけどな……お前からなら、気色悪いと思わなかった。」
振り向いた慎吾の眼が、挑発するように細められる。
「…俺、どうかしちまったのかも、しれねーな…。」
その挑発を受け止める、中里の視線。
「…キス……させろって…言ったら…?」
「…して、みろよ……。」
2人の間に緊張が走る。
どこか遠くのほうで、カウントダウンの合図が聞こえる。
―5―
慎吾が1歩、歩み寄る。
中里は動かない。
―4―
もう1歩。
「マジ…か…よ…。」
「してみなきゃ…わからねー…だろ。」
―3―
1歩
長めの前髪をかき上げる。
下ろされた両腕の、拳を強く握り締める。
―2―
息が掛かるほど、近付いて…。
「…お前…女とやる時も……目、開けてんのか…?」
「お前を、女と同じ扱い、するつもりは…無い…。」
―1―
視線が、絡み合う。
(その強い視線に、惹かれてる)
(その強がりな眼差しが、引き寄せる)
お互いの心臓の鼓動がこれ以上ないほど高まる。
唇が、触れるか触れないかの刹那…。
弾かれたように慎吾があとずさる。
手の甲で口元を拭い、中里の視線から逃れようとする。
「冗談…真に受けてんじゃ、ねーよ……からかってんだよ、バァ〜カ!…悪酔い、しちまったぜ!寝る!」
慎吾は中里の横をすり抜けて寝室へ行き、勝手にベットの中へと潜り込んだ。
息が詰まるかと思うほど、動悸が止まらずにむせかえる。
呆然と立ち尽くしていた中里は、慎吾の気配が消えると同時に大きく息を吐いた。
両手で膝をおさえて、なんとか崩れ落ちるのを支えた。
膝がガクガクと音を立てて、震えている。
まるで、コーナーギリギリをすり抜けるようなスリル。
妙義の深い谷底に転がり落ちていく感覚。
全てが幻想だったのかと思うほど、遠く離れた現実。
だが、テーブルの上に残されたほろ苦い想いの欠片が、確実にそれが事実であった事を告げていた。
END
長い!重い!で、結局何?
みたいな物になっちゃいました(-_-;)
今更なバレンタイン、いいのかなぁ。
でも、私にしては頑張った方では…。
それと、妙義の今頃は雪の影響があるのでしょうかね?
よく解らないんで、北海道の3月くらいの状態では?と勝手に解釈してますが。
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