慎吾は、走りなれたコースを走っていた。
これ以上ない無茶な突っ込みで、一歩間違えれば妙義の深い谷底へと転がり落ちる。
だが、そんなことはお構いなしに攻め込んでいた。
本当に走っているわけではないのを、薄々感じ取っていたからだ。
自分には、まだ、いつものように妙義を攻める余裕が無い。
あいつに会って、平静でいられる自信が無い。
今、自分は夢の中で、このコースを走っている。
だから、どんな走りをしようと、例え奈落の底まで落ちていこうと…かまわない…。
そう…思っていた。
妙義の下り、最大の難関に差し掛かる。
何度走っていても、ここだけは慎重な操作が必要になる。
ここを越えれば、もうゴールは目前。
この妙義のコースで、自分の前を駆け抜けていいのはあの漆黒のマシンだけだ。
そんな事を思いながらステアを切ろうとした瞬間に…眼の前が暗転した。
何もかも覆い隠す漆黒の闇。
コクピットも、ましてやハンドルを握っていたはずの自分の手さえも闇に包まれた。
アクセルかブレーキかもわからないのに、思い切り踏み込もうとするが、まるで手ごたえが無い。
ガードレールを突き破る衝撃を感じたような気がした。
そのまま妙な浮遊感に包まれ、いつの間にか愛車の存在も消えていた。
自分の体だけが闇の中に放り出されて、静かに落下している。
心の中の満たされないモヤモヤと、満たされる事は無いとわかりきっている理由の、ジレンマに押しつぶされそうだった。
こんな事で想い悩む事から開放されるなら、このまま、どこまでも落ちていけばいい。
落下感に身を預けて、静かに眼を閉じる。
その瞬間に、思い切り腕を捕まれ、強い力で引き上げられた。
そして…自分の名を呼ぶ声が、慎吾を貫いた。
「しんごーー!」
眼を開けるとそこはいつもの自分の部屋で、まだ夜も明け切っていない。
薄闇の中で、うっすらと汗を浮かべる額に手を当て、もう一度眼を閉じる。
そう言えば、前にもこの夢を見たことがある。
それは…あのガムテープデスマッチの後…86とのバトルで、EGを傷つけてしまった夜。
初めて、中里の前で涙を見せた夜…。
****
赤城の高橋啓介が、秋名で名前も知れないポッと出の86に負けたという噂はすぐに近隣の峠に広まり、当然のように妙義にもそれは
伝わってきた。
それを知った無謀なヤツラが、秋名の86を倒せば群馬最速を名乗れると勢いづいている。
その中に、中里の姿もあった。
あろうことか、もうすでにバトルの申し出をしてしまい、来週には秋名へ遠征に行くという。
もちろん、慎吾には連絡は無い。
それはそうだろう、慎吾は中里と対立しているのだから…同じチーム内で。
お手並み拝見といこうじゃねえか、チームリーダーさんよ…!
慎吾は秋名へは行かずに、いずれ広まるであろう結果を待つことにした。
あいつは、負けた…しかも、Rに傷までつけやがった。
しばらくは妙義に顔も出せないだろう、もちろん、その足もねえんだからよ!
おもしろすぎて、笑いが止まらねえ!あんな大見得切って、あのザマかよ!
おそらく、中里の敗北を一番喜んでいるのはオレだろう…いや、喜んでいいのはオレだけだ…慎吾はそう思っていた。
チーム内は中里についている連中と、慎吾についている連中の2つに分裂している。
今回の敗北で、慎吾派にいる連中が中里に対しての不満を大げさに漏らすようになっていた。
喜んでいたはずの慎吾だったが、そいつらが中里のことをけなしているのは面白くなかった。
中里への中傷が耳に入るたびに、一撃入れていた。
「中里の名を出すな!あの野郎の話なんざ、聞きたくもねえ!馬鹿にしていいのは、オレだけなんだよ!」
これが、一撃の理由だった。
中里のバトルからしばらくして、慎吾は秋名のファミレスにいた。
先に来ていた仲間と合流し、これからひとっ走りするつもりだった。
86がどんな野郎かなんて、どうでもよかった。
中里を負かした野郎に自分が勝てば、あいつはもう二度とデカイ面できなくなるだろう。
下り最速の称号も手に入る…一石二鳥だ。
だが、相当切れた走りをするらしいから、こっちとしても趣向を凝らしてやらねえとな…。
口の端を片方だけ上げ意味深な笑みを浮かべる慎吾を、またはじまったよ…と呆れ顔で眺める仲間達。
狂気のゲームの幕開けだった。
秋名を何度か流すうちにだんだんとこのコースにもなじんできた頃、目の前にツートンのS−13が走っているのが見えた。
ドリフトしようとしているらしいが、まだまだその腕は未熟で、後ろから見ていると無性にイライラした。
S−13に乗っているというのも、慎吾の機嫌を著しく損なわせた。
(嫌な野郎を思い出させやがる…)
コーナーへの入り口、ピッタリはりついてバンパーを小突く。
運良く接触はしなかったものの、軽くスピンしてそいつは動きを止める。
SpeedStarsのステッカーを確認すると、慎吾は挑発するようにわざと車を止めた。
思ったとおり、体制を立て直したS−13は慎吾を追う。
だが、慎吾の突っ込みについて来られるはずもなく、簡単に引き離すことができた。
慎吾には、FFならではのブレーキングのテクがある。
それがこのするどい突っ込みを可能にさせる…FRには負けない自信があった。
次の日、秋名峠の頂上駐車場。
SpeedStarsの連中が揃っている中、慎吾は仲間達数名とそこにいた。
そこで初めて、86のドライバーと対面する。
そのドライバーは思ったよりも若く、ボケッとした面をしていたが、慎吾の挑発に真っ先に乗ってきた。
(そう…こなくっちゃなぁ…)
狂気のゲーム…『ガムテープデスマッチ』…こいつはこのルールの本当の恐怖を知らない。
右手をステアリングにガムテープで固定して、走らせるだけ。
だがそれは、FR車にとってはひどく不利な条件だ。
そのルールでバトルするため、周到な挑発を繰り返してきた。
まんまと引っかかってくれたぜ…この時点で、慎吾は勝利を確信していた。
オレは勝つ!それがどんな汚い手でも構わない!
ようは、勝ちゃぁいいんだ!…あいつを負かした奴に……。
その言葉が意味するものが、中里へのあてつけか、それとも別の意味か…慎吾自身にもわかってはいない。
簡単に勝負がつくと思っていた。
今までこのルールでFR車が無事に走れたことは無い。
数コーナー、クリアできればいい方だろう。
今頃は、ガードレールとおねんねだったはずだ。
一体何が起きている?
後ろからいくらプレッシャーをかけても、ビビるどころか徐々にコツを掴んできている。
オレでさえ、このルールをこなすために死ぬほど走りこんだんだ。
なのに…悔しいが認めてやる!あいつが負けたのもうなずける!
だが!このまま終わらせるわけにはいかない…こうなったら…なんとしても潰してやる!
二度と峠は走らせねえ!あいつのライバルは……オレだけだ…!
いつものように、コーナーでバンパープッシュ!
86がスピンする横をすり抜ける。
そのままクラッシュかと思われたが、360度ターンで何事も無くコースに戻った。
なんて運のいい野郎だ!だけど、もうオレの前には行かせねえ!
このままフィニッシュだぜ!
その瞬間、慎吾は思い知らされた。
86の走りが変わった。
ガードレールにぶつかろうが構っちゃいない。
ぶつけられるかと思うほどするどく突っ込んできたかと思うと、そのまま抜かれていた。
こいつ…オレ以上に切れてやがる…!
コースも終盤に差し掛かろうとしている。
これじゃ、終わらせねえ!このまま負けたら、チームの連中にも…あいつにも…いい笑いものじゃねえか!
「ダブルクラッシュといこーぜぇ!!」
当てにいったのが、仇となった。
高速コーナーでかわされて、立て直す余裕は無かった。
そのまま慎吾のEG6は、ガードレールに接触して弾き飛ばされた。
2回3回と弾かれて、ようやく止まったEG6は、見るも無残にボロボロだった。
慎吾の右手も、キックバックで痛めていた。
それ以上に、大事なEG6が痛々しくて、傷ついた部分をさすってやると情けなくて涙が溢れてきた。
「やっちまった…オレの…EG6…。」
痛いだろうな…お前…ごめんな…。
そんな思いで一杯だった。
上から降りてくる車の気配に気付き、急いで溢れる涙を拭った。
それは仲間ではなく、SpeedStarsの連中で。
病院へ連れて行ってやる、という申し出に一度は断ったが、あんなことをした自分にこの人の良さそうな青年は手を差し伸べる。
地元じゃない心細さから、それを受け入れた。
一緒に来た仲間にも知らせてくれるというので、そのまま病院へ向う事にする。
帰りは、仲間に送ってもらうつもりだった。
病院について処置を受けている間、現われた人物は慎吾にとって思いもよらない男だった。
86とのバトル後、R32を修理に出している間、中里は当然峠には行っていない。
一応代車はあてがわれたが、それで峠に行こうとは思えないし。
こんな時に限って仕事は順調でやる事も無く、せっかくの週末の夜も部屋でボンヤリと過ごす事になる。
そんな時だった…テーブルに置いた携帯が派手な音をたてて震えた。
その音に一瞬驚いて、手にしたその着信はチームのメンバーだった。
こいつ…たしか慎吾の取り巻きの……そう思いながら電話に出ると、電話口でうろたえた様子の声が聞こえてきた。
「あ、中里さん…あの、今いいですか?実は、慎吾がやっちまって……!どうしましょう…。」
「あ?今どこにいるんだ、お前ら?一体、何やらかしたんだ?」
動揺するそいつをなだめつつ、ようやく状況を理解した中里は、慎吾が向った病院の場所を聞くとすぐに部屋を出た。
間に合うかどうかはわからないが、取りあえず行かなければならないという気持ちだけが動いていた。
病院に着くと、慎吾はまだ診察中だった。
診察室の前には、SpeedStarsの連中が心配そうに立っている。
中里の姿に気がついたあのスタンドの店員が、もう一人の青年の後ろに隠れるように移動して指をさした。
それにつられる様に青年もこちらを向いた。
中里は、彼らに向かい頭を下げた。
「うちの…慎吾が、迷惑をかけたみたいで…申し訳ない。世話になったみたいだな。
あとは、俺が残るから、あんたらはもう帰ってくれないか。これ以上は、迷惑はかけられない…。」
「いや、迷惑なんて…事故った時は、お互い様だし…。でも、あんたがそう言うなら、俺等は帰るわ。
右手は大事にはなってないみたいだけど、結構派手にぶつけたから一応検査中だって。
車は、俺等の馴染みの工場に入れたけど、明日にでも行ってみてくれよ。
やっぱ、自分の行きつけの方がいいだろうから。じゃ。」
「あぁ、悪いな…何から何まで…。助かったぜ…。」
彼らは、中里に後を任せて帰っていった。
一人待合室に残された中里は、慎吾が出てくるまでの間、煙草をふかしていた。
何をやらかしたかは、さっきの電話でだいたいわかった。
86とバトル…下りでは中里も腕を認めているあの慎吾でもかなわなかったのか…。
なんて野郎だ…藤原拓海…たいしたもんだぜ…。
そんな事を考えている間に、診察室のドアが開いた。
後ろ向きに頭を下げる慎吾の右腕は、白い包帯で吊られている。
振り返った慎吾は、そこにいるはずの無い人物の姿に驚きを隠せないでいた。
立ち尽くす慎吾に歩み寄り、医師に診察結果を確認すると腕の怪我は骨にはいってないという事でひとまずは安心した。
ただ、事故の衝撃が結構あったようなので、1日様子を見るため入院という形になった。
慎吾は、そんな中里の姿を信じられないものを見ているように眺めていた。
「……なんで、貴様が、ここにいんだよ……。」
慎吾の問い掛けに、中里は黙って携帯の着信履歴を見せた。
そこには、仲間からの履歴がはっきりと残されていた。
「…ちきしょう…あいつら、よりにもよって、こいつに……裏切り者が…!」
「俺が、帰した…あいつらを責めるなよ…心配してたんだぞ……。」
「…貴様には、関係ねえだろ…。消えろよ…!」
「……そうはいかねえ。チームの面倒は、俺にも責任があるからな。…無茶なこと、しやがって…。」
「…チッ…!こんな時まで、偉そうにリーダーぶりやがって!オレの無様な格好を笑いにきたんだろ!
だったら、笑えばいいじゃねえか!」
声を荒げた慎吾を、看護婦が咎めるように睨んだ。
夜の病院の待合室は、思いのほか声が通る。
痛めた腕をおさえながら、慎吾は大人しくうなだれた。
それから病室の準備が出来るまで待っている間、隣に座った慎吾は中里のほうを向こうとはしなかった。
「…俺を、捕らえるまで、バカなマネはするなって、言ったよな……ったく…何やってんだ、お前…。」
「…………。」
「…まぁ、86に負けちまった俺が、偉そうに言える立場じゃ、ないがな……。」
「……あの86、すげーな…切れてやがるぜ…。」
「あぁ…そうだ、な…。」
まだ俯いたままだったが、いつもよりもしおらしくなった慎吾に、中里は拍子抜けしていた。
それだけ、86に負けた事や事故ったショックが大きかったのかもしれない。
「…腕、痛むか……。」
「……少し……。」
「そう、か…EGも結構イッタみたい、だな……アイツも…痛いよな…。」
「………アイツ…?」
「ま、アイツのお陰で、お前の怪我がその程度ってこと、だから……感謝しねえとな…。」
慎吾は、中里の言う「アイツ」というのが、自分のEGの事だとやっとわかった。
EGの痛みも、中里にわかるというのか。
何もかもわかっているとでも言いたげな、中里が癪にさわった。
悔しい…辛い…痛い…寂しい…ムカツク…悲しい…不安……嬉しい?
いろいろな感情が、自分の中でめまぐるしく変化するのを感じる。
その変化についていけず、慎吾は何も考えられなくなっていた。
気が付くと、溢れる涙を止めることが出来ないでいる。
せきを切ったように溢れ出す感情の勢いに任せて、いつしか肩を震わせて嗚咽を漏らしていた。
慎吾のそんな様子に中里は戸惑ったが、俯いたままの慎吾の頭をガシガシと撫で付ける。
変に言葉をかけるよりも、その方がいいと思った。
慎吾が落ち着くまで一緒に待っていた中里は、病室の準備が整った事もあり、今日は取りあえず帰ることにした。
完全看護の病院で、まして家族でもない中里がずっといるわけにもいかなかったからだ。
遅い時間ではあったが、一応慎吾の家にも連絡を入れた。
さすがに入院するとは言えなかったので、ちょっと車をぶつけて怪我をしてしまったから、中里の家に泊めるという事にした。
なかなか帰らない慎吾を心配していたが、連絡を入れたことで安心したようだった。
中里は、一人残された慎吾は何を思って眠りにつくのだろうかと、家へと向かう間中考えていた。
ガランとした真っ白な病室で天井を見上げていた慎吾は、処方された安定剤のおかげか、ゆっくりと眠りに落ちていった。
その落ちていく眠りの中で、慎吾は誰かの声を聞いたような気がしていた。
闇の中、落ちていく自分。
誰かが自分の名を呼んでいる。
それはまだ、夢の中でしか呼ばれたことは無い。
自分はずっと、それを望んでいたのだろうか。
彼が自分を名前で呼ぶことはないのだから…しんご…と……。
彼が触れた部分が、暖かかった。
夢の中で闇に落ちながら、涙が頬を伝った。
慎吾は知らなかった。
彼が…中里が、いつのまにか名前を呼んでいることに。
それが本人に伝わるのは、もう少し先になる。
END
ガムテープデスマッチ!
いつか書こうと思ってました。
あくまでも、自分解釈ということで。
だからきっと、こうじゃなかったとは思う…。
なんか、途中原作描写まんまだし…(汗)
ちょっと長々となってしまったのに、あんまり意味が無いのは何故でせう?
この辺りから何となく、2人とも意識してきているということで…。
無理やりだなぁ(^_^;)
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