MAY BE TONIGHT 1



妙義峠、頂上駐車場。
今ここには、闇色のマシンに寄りかかるように佇んでいる中里の姿があるだけ。
午前0時をまわり、チームのメンバーも他の走り屋たちもすべて家路に着いた後、中里はただ一人、妙義峠に残っていた。
見つめる手のひらにあるのは、折りたたまれた携帯電話。
そこには、先日沙雪がかけてきた慎吾の番号が残されている。
慎吾と出会ってからの数年、自分から慎吾に電話をすることはなかった。
それは彼が絶対に番号を教えようとはしなかったからだ。

 ―「てめえから、TELがはいるなんて、ぞっとするぜ…!」

だからいつも、チームの連絡は他の誰かを通じてだったし、慎吾から中里へ連絡を取る事も無かった。
それが、今この手のひらにある携帯に残されている。
中里は、静かに携帯を開くと着信履歴の番号を表示させ、そして…。


慎吾は碓氷を後にして、何もすることなくただフラフラとその辺を流していた。
真っ直ぐに家に帰る気にもならず、もう少しエンジンが回る音の余韻に浸っていたかった。
当ても無く車通りが少なくなった公道を走る、紅いマシン。
そんな時、助手席に放り投げていた携帯が着信を告げ、明滅を繰り返した。
鬱陶しげに路肩に停車し、その着信番号を確認すると、見たことの無い番号が…いや、1度だけ見たことがある。
沙雪が遊びでかけた出会い系ナンパ野郎だ。
面倒くせえ…ちょっくら脅してやるか……いや、沙雪の番号でも、教えてやろうか……。
そんな事を思いながら、電話に出る。

 「…はい……。」
  『………。』

案の定、女の携帯番号だと思って出たのが男なもんだから、ビビッて声も出ねえってか…。
ったく、情けねえ野郎ひっかけてんじゃねえよ。沙雪の奴…。
騙された男に同情しつつ、これ以上かけられても迷惑だから、はっきりと言ってやる。

 「おい、お前が……。」
  『…慎吾、か…。』
 「あ…?」

どこかで聞いた事のある声だった。
でも、この携帯にはかかるはずの無い……その時初めて、沙雪にしてやられたのだと気がついた。

 「お前…中里か……。」
  『今、妙義にいる…これから来れるか?』

中里の声に、有無を言わせないものを感じたが、慎吾は素直に聞く気にはなれない。

 「てめえに呼び出される筋合いはねえよ。」
  『…待っている。』

中里はそれだけ言うと、そのまま電話を切った。
通話の途切れた携帯を慎吾は呆然と見つめていた。

 「なんだ…なんなんだよっ!」

そう叫び、手にした携帯を思い切り助手席に投げつけると、スキール音を響かせてマシンを走らせた。
目的地は、妙義。


携帯を握り締めていた左手が、まだ震えている。
中里は、来るかどうかもわからない慎吾に、ただ待っていると告げた。
確証は無いが慎吾は来る…そんな気がしていた。
だが、実際に慎吾が現われたとして、中里は何を話したらいいのか思いつかない。
それでも、会わなきゃいけないと思った。
今、会わないと、取り返しのつかないことになりそうな気がしていた。
ポケットから煙草を取り出し火を点けようとするが、まだ手の震えが止まらずにうまく点けることができない。

――何を…うろたえてんだろうな……俺は…。

苦笑を浮かべながら、いつ来るともしれない慎吾を中里は待ち続ける。


いつもの妙義へ向かう道のはずなのに、今日は何故かとてつもなく長い距離に感じる。
さっきの電話の中里の言葉に、慎吾はとうとうこの日が来たのかと覚悟を決めた。
本当は、あの日あの夜に、解ってしまったのだ。
自分の中里に対する感情と、それが報われないという事が。
いうなればこれは、中里の最後通告になるのだと。
そんなの、フェードアウトしちまえば済む事なのに。
生真面目な奴だから、はっきりさせないと気がすまねえんだろ。
覚悟をしているはずなのに、気が重かった…それが、この距離感に繋がっている。


誰もいない妙義峠に、久し振りに響くEG-6のエンジン音。

 「来た…か。」

頂上の駐車場で、待ち人が来たことに気付いた中里は、半分ほどになった煙草を足元でもみ消した。
程無くライトの光明が流れ、派手な音を響かせて深紅のEGが滑り込んでくる。
それは中里のRから少し離れた場所に止まり、咆哮が止むとまたあたりは静寂に包まれた。
慎吾はマシンを降りると、キーをもてあそびながら中里のもとに歩み寄る。
その瞳は、出会った頃のように険しく、挑戦的だった。

 「…人を呼び出しておいて、何の用だ…。」
 「慎吾、最近どうしたんだ?碓氷で走ってるっていうじゃないか…。」
 「……そんな事、言いたいんじゃねえんだろ…。さっさと用件に入ろうぜ!」

あまりにそっけない慎吾の口調に、中里はかえって言葉を詰まらせる。
そんな中里の姿を見て、慎吾はこの場から逃げ出したい衝動に駆られていた。
本当は、聞きたくない…中里から突きつけられるその言葉を。
視線はお互いの足元を彷徨い、重苦しい時間だけが過ぎる。


先に口を開いたのは、中里だった。

 「…慎吾、お前……お前は、俺がどうすれば満足なんだ…?」
 「は?」
 「お前が妙義に来なくなったのは、俺と顔合わせたくないからか?…あの夜だって…俺を困らせて、そんなに楽しいのか!」
 「……!」
 「俺に、何をさせたいんだ…。俺には、お前が何を望んでいるのかが、わからない…。」

中里のその台詞に、慎吾は怒りがこみあげた。

 「バカか、てめーは…オレがこうしろっつったら、その通りにすんのかよ!」
 「な…。」
 「Rを降りろ、っつったら、降りんのかよ!」
 「そんなことっ!…できるわけ…。」
 「できもしねえのに、オレにどうして欲しいかなんて、聞くんじゃねえ!オレじゃねえだろ…てめえがどうしたいかだろうが!」

バカ呼ばわりされて一瞬ムカついたが、最後の方の慎吾の叫びは、懇願のようにも聞こえた。
俺が、どうしたいか、か…中里は慎吾の言葉に目が覚めた様な気分だった。
慎吾が何を考えているのか、それに対してどうしたらいいのか…今まで悩んでいたのはそんなことばかりで、自分がどうしたいのか なんて考えてなかった事に、改めて気付かされた。

――俺は、どうしたい?

中里は考えていた…そして、ある結論に辿り着いた。


しばらく黙り込んでいる中里を、慎吾は落ち着かない思いで待っていた。
慎吾の中で、気持ちの整理はとうについている。
自分は、中里に、特別な感情を抱いているのだと。
今までは当然女の方がよかったし、まさか自分が同性である男にこんな感情を抱くなんて考えた事は無かった。
中里に対する感情が、女に惚れるのと同じものなのかは自分でもわからないが、ダチとかそんなのではないことは確かだ。
でもそんな感情は、中里のような生真面目な男が簡単に受け入れられるものじゃないだろう。
あの夜、酔いにまかせて溢れたオレの気持ちを拒絶しなかったのは、多分あいつも酔っていたから。
冷静になれば、耐えられるものじゃない…その答えが、今、はっきりと出されると思っていたのに。
なんで、期待させるようなことを言い出すんだ…オレが望んでいること、それに答えられるわけが無いのに。
早く…早く…決定的な言葉を投げて、それでこの時を終わらせて欲しい。
行き場の無い苛立ちが、慎吾の中で燻り続ける。



 「お前の走りが、見たい…。」

考え込んでいた中里が、導き出した結論…それは、慎吾の本気の走りを見たいということ。
最初に出会った時のように、慎吾と走りたいということ。

 「は?…バトル、ってことかよ…。」

慎吾は思いもよらない中里の申し出に、険しい表情を浮かべる。
中里にも、それで何かが変わるとか、そんな事はわからない。
だが、今、自分がどうしたいかと考えれば考えるほど、これしか思いつかなかった。

 「バトル、じゃない。本気で走っているお前が見たいんだ…。」
 「どういう…ことだ…。」
 「…そのまま、さ。」

慎吾に向けられた中里の視線は、よどみなく真っ直ぐに。
その意味に気付いてか、慎吾は黙って踵を返し「先にスタートで、いいんだな。」と言って、マシンに乗り込んだ。
慎吾が乗り込んだのを確認すると、中里も眠っていたRを目覚めさせる。
スタート地点に着いたEGの後方にRを寄せると、慎吾はブレーキランプを点滅させ数回アクセルを踏み込んだ。
2台の咆哮が音の消えた峠に轟き、飛び出した紅と漆黒のマシン。
ギャラリーのない、2人だけのバトルがスタートしていた。



まだ、続きます。
これほど長くなると思って無かったんだけど…。
もう少し、お付き合いくださいね。
どうにかまとまると思うのですが。
…だといいなぁ…。

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