本気の走りを見たい、と中里は言う。
久し振りに走るというのに、体が自然に反応する。
それほどまでにこの妙義のコースは、慎吾の体に染み付いている。
一つ一つのコーナーを抜けるたび、ぞくぞくするほどの緊張感に包まれる。
その緊張感は、後ろから迫る圧力によりさらに増幅され、慎吾を陶酔させる。
ミラーに映る中里の存在を、痛いほどに感じていた。
その存在を失った時に自分の身を襲うであろう不安は、拭い去る事は出来ない。
それを振り払うように、攻め続ける…最後まで、弱みは見せない、絶対に!
後ろから、慎吾の走りを見ていた。
小刻みに明滅するブレーキランプ…慎吾が下りで見せる左足でのブレーキング。
そのテクは、かなり高度なものだと思う。
それを誰に教わることなく会得したのだから、慎吾の運転センスはかなりのものだ。
ガムテープデスマッチにしても、かなり無茶なやり方ではあるが、片手だけのステアリング操作でタイトなコーナーリングを
やってのけるのは、並大抵なことではない。
慎吾の走りに対するセンスと自由な発想…それは、自分よりもどちらかといえば藤原拓海や高橋兄弟の方が伸ばしてやれるのではないか、
かといって、今こうして慎吾と走っている心地よいスリルを失いたくは無い…矛盾する思いが交差する。
あの時とは違い、麓の駐車場に辿り着いたのは、慎吾が先だった。
結局中里は最後まで慎吾の後ろをついたまま、2人のバトルは静かに幕を降ろした。
「…で?これが、何?」
不機嫌そうな慎吾の声が、中里に投げ掛けられる。
これで何がわかるのか…どちらにしろこれが、最後…もうこいつと走ることは無い。
まぁ、こんなもんだろ!後はオレらしく、このゲームを終わらせるだけ。
「…ったく、ウザイんだよ。まわりくどいことしてねえで、さっさと終わらせようぜ!」
慎吾は自虐的な笑顔で、中里の最後の言葉をうながした。
それまで黙っていた中里が、静かに口を開く。
「これだけは、聞かせてくれ。…どうして、俺なんだ。もっとすごい奴なら、他にもいるだろ…藤原とか、高橋兄弟とか…。
お前が、俺にこだわる理由はなんだ?」
中里の鋭い眼差しに射竦められて、慎吾は思わずたじろいだ。
無様な結末を見るのがイヤで、自ら幕を引くつもりだったのに…ほんのちょっとの可能性でも期待させるようなその言葉に、
慎吾は決意が脆く崩れてしまうのを感じていた。
「てめえにこだわってなんかねえよ…自惚れんな!」
無理に決意を固めなおし、蔑みの目で中里を見つめる。
その視線に自分の視線を絡め、中里はなおも問い詰める。
「だったらどうして、ここにいる?そんなに俺が気に食わないなら、いつでもここから出て行けたはずだ。
…お前なら、
出来たはずだろ?」
「オレ様が!どこでどいつと走ろうと、オレの自由だろ!オレは、オレが認めた奴と走りたいだけ……!」
慎吾の表情に、余計な事を口走ったという、後悔と戸惑いが浮かぶ。
中里がそれを聞き逃すことは無かった。
「…お前が、認める奴……?」
慎吾は、体中に浴びせられる視線が、続く言葉を待っているのを感じていた。
―これ以上は、知られてはいけない…このまま、終いにするんだ。
頭ではそう思っていても、それとは裏腹に唇は言葉を紡ぐ。
「……オレは、オレより速い奴しか認めねえ…。」
自分を見つめる視線から逃れるように、俯き加減にポツリと呟いた慎吾の言葉。
中里は黙って次の言葉を待った。
「……でも、オレより切れてる奴は、認めたくねえ…!」
「………。」
「オレより図太い奴なんて、絶対に認めねえ!オレより速くて、オレより情けなくて…。だから…だから……。」
最後の方は、消え入りそうな声で。
先をうながすように、中里は繰り返す。
「だから?」
「だから…認めてやるっつってんだよ、てめえのことを…!」
慎吾は心から感情が溢れだし、奥底深く隠してあるもの全てをさらけ出してしまいそうで、キツク口を噤んだ。
手のひらにキーの形がくっきりと残るほど強く握り締め、体を強張らせる。
そんな慎吾の姿を見つめたまま中里は少し考えて、そのうち確認するようにゆっくりと聞いた。
「…俺で、いいのか。…もっと、デカくなれたかもしれないチャンス、逃しちまうかもしれないんだぞ。」
その思いがけない台詞に、俯いていた顔を上げた慎吾の瞳は正直すぎるほど本心を映し出している。
頭の中で繰り返す『俺でいいのか』という台詞、何度も繰り返し拒絶ではないとわかってもなお、その意味を思い直す。
「お前、わかって言ってんのか…。」
中里はポケットから鍵の束を取り出し、その中の一つを外すと握り締めたまま慎吾の目の前に差し出した。
「手を出せ。」
訝しげな表情で睨みつける慎吾だったが、それでも変わらない意思を見せる中里に、諦めたようにそっと手を差し出す。
その手のひらの中に落とされたのは、慎吾の持つそれよりも一回り大きめの、鈍くシルバーの光りを放つもの。
トップに飾られたRの刻印……。
「ど、どういうつもりだ!これは、Rのマスターキーじゃねえか!」
「女なら、部屋の鍵でもくれてやるところだが、野郎の部屋の鍵なんてもらってもアレだろ…これが、俺のしたいことだ。
俺が、Rを降りるまで、お前がそれを持っていろ。そのままトンズラなんて、許さない。お前は、ずっと俺とここで走るんだ。」
強気な眼差しが、慎吾を包む。
最後通告…こんな形で受けるのは予想外だった。
手の中にある物の存在が、どんどん重みを増してくる。
慎吾はゆっくりと指を折り、それを手の中にしまい込む。
「捨てちまうかも…しれねえぜ…。」
「お前は、捨てない。…だろ?」
その、なにもかも解っているというような口ぶりがあれほどムカついていたはずなのに、今はこんなにも心地良い。
だがその気持ちを素直に見せたくは無い。
「…ほざいてろ!」
わざと不機嫌そうな声をあげる。そして…
「…てめえがそこまで言うんなら、これは預かっといてやるよ!Rを降りるまで、ってことだしな!」
お仕着せがましく言う慎吾に対し、気まずそうに頬を掻きながら中里が呟く。
「言っておくが、俺はRを降りるつもりは無い。そのキーは、あの夜のお返しだ…まぁ、だいぶ遅れちまったがな…。
ホワイトデー、ってやつか?」
「…はぁ…!?」
これが、あの夜の返事?中里がRを降りるまでの猶予期間…降りるつもりはないと言っても、いつどうなるかなんて…。
ただ執行日が延びただけだというのに、こんなにも安堵してしまう。
…ったく、情けねえっ!
「慎吾…あの夜のことが酔った勢いでもお前の本心で…そういうことも含めての気持ちなら、まだ答えられるかどうかは解らない…。
これは、お前が望んでいる事とは違うかもしれない。でも、お前と走りたいと思うのは、俺の本当の気持ちだから…今、俺がしたい
ことは、これしか思いつかないから。それでも…いいのか。」
「…そんなの…知るかよ!」
素直になれないのは、本心の裏返し。
中里の前では、どうしても毒づいてしまう…きっと、これからもずっと。
多分、中里が慎吾の本当に望んでいることを理解するのはまだまだ先…ともすればずっと解らないままかもしれない。
自信無さ気に揺らいだかと思うと、この自信はどこからくるのかと思うほどの強気になる…こんな不安定な感情を併せ持つ不器用な男
だからこそ、自分は惹かれているのだと慎吾は考えていた。
ふいに、慎吾の視界が暗くなる。
自分が置かれている状況を飲み込むのに、少し時間が必要だった。
あの夜の返事を聞きながら、微妙な気持ちを抱えていたからかもしれない。
花の時期を迎えて春の陽気が溢れる日中も、日が落ちればまだ肌寒さが残る。
その冷気を遮るように、暖かな温もりが体を包む。
――慎吾はやっと、自分が抱きしめられている事に気がついた。
思い切り振り解こうとしたが、その腕の力強さに抗う事が出来なかった。
「てめえ!何やってんだ!」
その声に抱きしめる力が緩み、慎吾は隙を突いて中里の腕から逃げ出した。
「す…済まない……。なんだか、お前が…泣きそうな気がして……。」
うろたえた言葉とは対照的な、中里の真っ直ぐな瞳。
口元に浮かぶ笑み。
こいつ…確信犯!
「てめえ…!ぜってー認めねえっ!!」
乱暴に吐き出された言葉は、頬を微かに染める赤みに軽くいなされた。
END
えーと…やっとまとまった、というか…。
とりあえず、まだこれからも一緒だということで。
多少の無理があるのは目を瞑っていただければと(苦)
いまさらホワイトデーですよ…っていうか、
話の中でもすでに過ぎているし(大苦)
だいたい、5月頃の話だと思ってもらえれば…。
前へ
戻る