REMEMBER ME



年の瀬も徐々に押し迫ってきて、今年中に片を付けておきたい仕事に追われる日々が続いていた。
そんな雰囲気の中でも、やはり巷の装いは気になるもので。
結局は、その日のために急いでいるといってもいいような気がしないでもない。
そういうオーラを全身で現しているような隣の席の同僚が、上司の目を盗んで肩をこづいてきた。
 「なぁ、中里…。お前、今年はどうすんだよ。」
 「は?何が?」
 「クリスマス、だよ。お前、ここ最近付き合い悪いじゃん。まさか…女がいるとかぁ?」
彼は、探るような視線を中里に送る。
 「別に…女なんて、いねえけど…。」
それを誤魔化すように、中里は曖昧に返事を返した。
 「マジかよ。だったら、今年は付き合えよ。」
 「あんま、気が乗らねえ…。」
興味なさそうに素っ気無い中里に、彼は瞳を煌かせた。
中里は、その企むような瞳を、随分身近で見た事がある気がしていた。
 「なら、これでどうよ!」
 「あぁ?」
 「経理の紗江ちゃんが、お前に惚れてるらしいぜ。」
彼の言葉をどこか他人事のように聞いていた中里だったが、それに自分が該当していると気付いて思わず彼を見返していた。
 「なんだよ、それ…そんなこと、俺は聞いてねえ…。」
 「お前が、鈍感なんだよ。俺達ゃ、随分前から気付いてたぜ。」
そう言うと向かいの席の同僚に同意を求め、彼もまた何度も頭を縦に振る。
 「そうそう、まったく…お前は幸せもんだよな。」
 「こぉーんな車にしか興味の無い奴に、どうしてあの紗江ちゃんがねぇ…。」
中里は、考えていた…経理の紗江とは、一体どんな娘だったろうか?
経理部と関わるといえば、旅費の精算とか諸経費を結構切り詰められたりとか、あまり友好的ではなかったと思う。
特に主任の松永女史など、どちらかといえば苦手な人物で、あとはどんな人がいただろうか…。
その程度の認識しかない部署に、自分に好意を持っている人がいるなんて、どうしても考えられない。
 「お前…もしかして紗江ちゃんのこと、わかってないだろ。」
悔しいが、彼のいう事は図星だ…気不味さを隠せないまま、中里は無言で頷いた。
横から前から、盛大な溜め息が聞こえる。
その様子に気付いたのか、少し離れた所から上司のワザとらしい咳払いが聞こえ、彼等は急いで手元の書類に視線を移した。
中里も自分の仕事に手を付けようとして、ふと考える。
クリスマス…か…今年はどうするんだろうな。
皮肉っぽい笑顔が、思い出された。

昼休み、中里は同僚に引きずられる様に階下の経理部に連れて行かれた。
あまり関わりあいになる気が無いのは彼等も同じらしく、入り口から中を覗きみる。
 「ほら…あの娘…女史の隣に座ってる…あれが、紗江ちゃん。どうよ、けっこうイケるだろ?」
 「別に、俺は…!」
 「俺等さ、経理と総務の娘達と、忘年会すんだよ。ほら、今年ってイブを挟んで3連休じゃん。その前日にさ。
  そんでうまくいけば、連休の予定も…ってわけよ。お前も乗れって!あの娘も、来るからさ。」
可愛い娘、だと思う…あんな娘に、この俺が惚れられてるって?
はっきり言えば、あの娘といつ接点があったのかすらわからないのに?
今まで、浮いた話一つ無く、ひたすら走っていた俺に…。
突然の降って沸いた話に中里は戸惑っていて、断る隙も与えられないまま、その忘年会は強制出席扱いにされていた。

忙しさに追われ、気が付けばもう当日になっていた。
峠は雪に覆われて攻められる状態ではないが、走れない時ほど恋しくなってくる。
当然、慎吾にも会えないままで、時たま来るメールでやっと繋がっているようなものだった。
だから中里は、慎吾がそれでいいのだと思ってしまったから…慎吾がどういう奴か知っていたはずなのに。
 「今日、会社の奴等と忘年会なんだ。ちょっと顔出してく…。」
 「何やってんだよ、中里!早く来いって!」
 「今行くって!…あぁ、悪い…少し、遅くなるかもしれないから…。」
電話を遮って急かす同僚に返事をして、受話器の向こうの慎吾に戻ったら連絡すると告げようとした。
でも慎吾は、中里にそこまで言わせなかった。
  『…今日は、行かねえ。オレもゼミの連中と飲んでくるし…。』
 「あぁ、そうか。じゃあな…。」
周りがあまりに急かすので、中里は慎吾の不自然さに気付かずに、そのまま祭りのように華やかな彩りの街へと向かっていた。

その日の面子は男5人女5人で、最初から目当てが決まっていたように5組のカップルが出来上がっていた。
当然中里もその中に含まれて、隣には紗江と呼ばれる娘が座っている。
ほとんど初対面みたいな彼女と何を話していいのかわからずに、中里は一言二言話しては言葉に詰まっていた。
彼女はそんな中里にも、笑顔を向けている。
そして、ゆっくり話し始めた。
 「中里さん、急でビックリしたでしょ?たいした面識も無いのに、私と一緒にされて。」
 「え!あ…いや…。」
一瞬考えていた事を見透かされたようで、中里は動揺を隠せなかった。
口元に手を当ててクスクスと彼女が笑い、つられて中里も苦笑いする。
 「私が中里さんの事、いいな、って言ったら、美香が張り切っちゃって。私も、便乗しちゃいました。
  …多分…中里さんは気付いて無いと思うけど…私、助けてもらったんです、中里さんに。」
 「俺に?」
彼女は両手でサワーのグラスをもって、静かに揺らした。
その振動で、氷がカランと涼しい音を立てる。
周りは盛り上がって騒がしいにもかかわらず、その音だけが耳に響いた。
 「私、今年の春先…経費の精算の伝票無くしちゃって…女史にすごい剣幕で怒鳴られて…。めっちゃ凹んでて。
  何度探しても無くって、泣きそうになってて…それを、中里さんが拾ってくれたんです。
  女史が、私の不注意だって怒鳴ってたのに、中里さん…「俺が、出し忘れました。」って言ってくれて…。
  その時に思ったんです。中里さんって、優しいんだなって。私が、悪いのに…それなのに、お礼も言って無くて。
  だから、今日に便乗しちゃおうと思って。」
あぁ、あの時…中里はやっと、彼女との接点を思い出した。
あの時、たまたま経理部へ経費の申請に行って、たまたま女史が一方的に彼女を責めているのを見かけて、たまたま拾った伝票が同じ部署の後輩の物で、 たまたまそれが問題になっていると気付いて、たまたま女史の鼻を明かしてやろうなんて思って、咄嗟に口を付いてしまったのだった。
おかげで怒りの矛先が俺に向いてしまったが、一瞬見せた女史の狼狽する顔を拝めたのだからヨシとした。
そんな偶然がいくつも重なり、それで人から好意を持たれるなんて、世の中って何が起きるかわからない…。
 「ありがとうございました。中里さん。あの…それで、私…。」
彼女が何か言いかけた時、スーツの内ポケットで携帯が震えた。

何かを言いかけた彼女が気になって躊躇っていると、彼女が視線で出るように促している。
中里は「済まない。」と小さく呟いて、席を外した。
少し仲間から離れたところで携帯を開くと、ディスプレイにはいつもの番号と名前が表示されている。
 「どうした?なんかあったのか?慎吾…。」
  『…別に…。』
慎吾もゼミの仲間と飲みに行くと言っていたはず…でも、電話の向こうからは、そんな賑やかな雰囲気は感じられなかった。
  『どうしてんのかと、思ってさ。』
 「…お前だって、仲間と飲んでるんだろ…。」
中里は、慎吾の様子にどこか違和感を感じたが、あいつは仲間と一緒だから…と言い聞かせている自分に気付いた。
慎吾がどういう性格なのか、良く知っているつもりだったのに、忙しさと慣れから感覚が鈍ってしまった。
その時、席を外した中里に気付いた同僚が、大声で呼んだ。
 「何やってんだ、中里!彼女、放っといていいのかよ!」
その声は、受話器の向こうにも当然届いていて、機械的な耳鳴りの奥から沈黙している慎吾を感じた。
  『なぁ〜んだ…お前もよろしくやってんじゃん!寂しく退屈してんじゃねえかって、気にして損したぜ。……じゃ、な…。』
溜め息混じりにそう言って電話を切る瞬間、震える慎吾の声と、微かに聞きなれたノイズが重なった。
その、身体が疼くような音は…!

席に戻り、彼女と向き合い、中里は軽く深呼吸する。
彼女は緊張した面持ちで、中里を見つめ返した。
 「…すまない…俺、行かなきゃなんねえんだ。だから…その…ごめん。俺じゃ…ダメ、だと思う…。」
今の電話が気になった…だが、彼女のこともこのままにしては行けない。
それは中里の精一杯の本心だった。
傍で聞いていた同僚達が、ざわついている。
 「中里!何言ってんの!お前…。」
 「紗江…貴方も何か言いなさいって!このままじゃ…!」
彼等が自分を責めるのは覚悟していたが、適当に済ませられるような問題ではない。
彼女には申し訳ないが、自分にはこうするしかないと中里は頭を下げる。
 「本当に、ごめ……。」
 「あの!…いいんです!私は、ただ…お礼が言えたから、もう…だから…。謝らないでください。」
中里に最後まで言わせずに、彼女は困ったように笑顔を作る。
 「ここは大丈夫ですから、行った方がいいですよ。待ってるんでしょ?」
 「あぁ、もう!お前みたいな愚か者は、さっさと行っちまえ!後悔すんなよ!」
呆れた顔でニィッと笑う同僚は、ヒラヒラ手を振って中里を促した。
その横では、彼女も笑顔でいてくれたから、中里は「ホント、すまない!」と言って、店を出る。
後姿を見送っていた同僚が、中里の姿が見えなくなると大きく溜め息をついた。
 「私、こうなるんじゃないかって、なんとなくわかってたんですよね。」
 「え!なんで?」
 「う〜ん…本当に、なんとなく…。でなければ、女の勘?ってとこかな?
  中里さんには、大事な人がいるんじゃないか?って。」
 「そうは、見えねえけどな…。」
自分が去った後にこんな会話が交わされていた事を、中里本人が知らされる事は無かった。

店を出ると、街はシーズン柄、忘年会やクリスマスで浮かれる人の群れに溢れていた。
タクシーを拾おうと大通りに出るまで、流れに逆走する中里は何度も人波に遮られた。
そんな時間がもどかしく、やっと見つけた空車ランプに飛び乗って、運転手に行き先を告げた。
人や車で混雑する街からだんだんと離れて、タクシーは見慣れた道を静かに進む。
到着したのは、一棟のアパートの前。
中里は釣りはいらないと運転手に告げると自動的にドアが開き、そこに聞こえたのは自分にとっては心地よいノイズ。
自分を送ってくれた車がそこから立ち去るのを見送り、中里は無意識に安堵を漏らした。
そのノイズの音源は、いつも視界の中にあった真っ赤な車体。
 「…ずっと…ここに、いたのか……慎吾…。」
運転席側にもたれかかり、エンジン音に紛れるように呟いた声は、きっと慎吾には届いていない。
モーター音が鳴り、窓が静かに降ろされた。
中には、運転席で膝を抱えて小さくなっている慎吾がいて、気不味そうに中里を見上げている。
 「…んだよ……よろしくやってたんじゃ、なかったのかよ…。」
やっぱり…この拗ねたような口振りは、さっきの電話の所為だ、と中里は思った。
 「会社の連中だから、当然女もいるだろ。お前こそ、仲間と飲んでるんじゃなかったのか?」
 「どうでもいいだろ、そんなこと…。」
 「…よくねえ…とにかく、部屋に入れ…。寒いだろ。」
慎吾はエンジンを切ると、中里の後を追った。

誰もいなかったためひんやりとしていた部屋が、暖房のおかげで徐々に温もりを取り戻す。
いつもの定位置で居心地悪そうに座りこんでいる慎吾に、中里はコーヒーを差し出した。
 「暖まるぞ…。」
慎吾はそれを黙って受け取った。
暫く無言のままだった慎吾が、不意に口を開いた。
 「どうして、わかったんだ…ここにいるって…。」
中里は、あの時の慎吾の電話を思い出し、その奥で響いたノイズが蘇った。
 「お前のマシンが…教えてくれた……のかな?」
 「なんだ、それ?」
 「お前こそ…どうして電話なんて、よこしたんだよ。」
俯く慎吾の髪が、表情を隠す。
 「さぁ…な。」
素直じゃない、と思うが、自分は慎吾がそういう奴だとわかっていたはずなのに。
強がりで、本心を隠して、不安を隠して…寂しさを隠して。
そんな慎吾に気付いてやれなかったのは、いつも一緒に居ると安心しきっていた俺の慢心だ。
中里は、全身で『忘れるな。』と慎吾が叫んでいるような気がしていた。

近所から微かに、クリスマスソングが聞こえる。
窓の外は、いつの間にか白い雪が舞い降りてきて。
慎吾はじっと窓の外を眺めていた。
今年もやっぱり、こいつと一緒なんだ…と、中里はポケットから煙草を取り出し口端に咥えたまま苦笑いした。

 「予定が無いなら、最初から言えば良かっただろ?」
一服し終えた中里が、慎吾に尋ねる。
不機嫌を顔一杯で表現して、慎吾は中里を睨み返した。
 「奴等の誘いを全部断ったら、お前から電話が来たんだよ!今更、のこのこ行けるかっつーの!」
苦々しく吐き出した慎吾の手元には、苦いアルコールが握られていて、これから長々と付き合わされるのを中里は覚悟していた。

クリスマスに浮かれる、長い夜に…。


END



メリクリ!
という訳で、フライングな妙義’sのクリスマス。
中里にも、浮いた話の一つはあるだろう…という話。
結局は慎吾を取るって…いいのか?君はそれで!
なんて事は、言いっこなしで。
いつにも増して、別人な彼等(-_-;)

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