小さく舌打ちし、慎吾は目の前の台を睨みつけた。
もう、いくらくらいつぎ込んだのかしれないスロット台は、慎吾を嘲笑うように甲高い音を響かせて、ライトを明滅させている。
再度舌打ちし、そこから移動しようとする肩を軽く叩かれて、慎吾は不機嫌そのままの表情で振り向いた。
そこに立っていたのは、どこか品の良さそうな、それでいて視線に危険な雰囲気を秘めた、自分と同じ年代の男だった。
 「そうとう、持ってかれたみたいだね。」
笑顔を浮かべる口元には不似合いな瞳で微笑む彼に、一瞬ゾクリと背中を冷たいモノが伝い、それでもこの男に興味を持った。
 「俺ね、こっちに来たばっかなんだ。どっか、遊ぶとこ教えてくんない?」
一見、無邪気に見える笑みの奥に、それ故の危うさを秘めて、男は慎吾に手を差し出す。
 「俺は、透史…あんたは?」
 「…慎吾だ。」
おもしれぇ、こいつ…初対面の相手に世間知らずにも簡単に手をさし出すくせに、踏み込ませない一線を持っている、透史。
慎吾は、惹き付けられるように、透史の差し出した手を取った。
今から、半年ほど前のことだった。

その時、にこりと笑う透史の笑顔が暗く歪んだのを、慎吾が気付くことはなかった。

Don’t Stand so Close 5



ずっと遠くから、ドンドンと何かを打ち付ける音がしたようで、慎吾は重い瞼を開く。
まだ、意識がぼんやりとして、自分の状況を把握出来ていない。
あぁ、そうか…中里の帰りが遅くなるって聞いて、そのままここで眠っちまったんだ…。
意識がはっきりしてくると同時に、その音もはっきりと頭に響く。
それは、この部屋のドアを激しく叩く音だった。
誰だ、今頃…?
ソファに沈んだ身体を起こして辺りを見渡せば、部屋はもうすっかり闇に包まれている。
こんな時間に、ここを訪れる人物は今までいなかった。
いや、この部屋にいる間、ここを訪れたのはあの医者だけだった。
それほど、他人と交流を持たないような中里の部屋のドアを、こんな時間に叩き付ける奴…。
もしかしたら、酔っ払いが部屋を間違えて……それとも、あいつが鍵でも無くして…でも、あいつなら電話するだろう…。
誰か来ても、無視しろと言っていたし…下手に顔を出して、不味いことになるのも勘弁してほしい…。
いろいろと考えを巡らしている間も、ドアを叩く音は止まない。
徐々に、慎吾は恐怖を感じてきた。
鳴り止まない音、知らない誰か…あの時の痛みが、音と共に蘇る。
もう、止めて欲しかった…まだ薄く残る傷跡が疼いている…絶望に包まれる。
鳴り止まない音を消したくて、慎吾はノロノロと玄関へ向かった。
鍵を開け、ドアノブに手を伸ばす。
だが、手が触れる寸前に、ドアは外へと開かれた。
慎吾の視界に入ったのは、見覚えのあるスニーカー…視線を上げると、穿き慣らされたジーンズと、ポケットに入れられた手首に光るシルバーの、ブレス…。
無意識に、身体が震えるのがわかった。
慎吾は、鍵を開けたことを後悔した。
ドアを叩き続けていた男は静かに玄関に滑り込み、ドアがゆっくりと閉められた。
男が一歩、足を踏み出すごとに、慎吾は一歩、後ずさる。
カーテンを開かれた窓から入り込む街灯が、薄暗い部屋の中でも男の存在をはっきりと浮かび上がらせた。
部屋に上がり込んだ男から逃げようと、慎吾は部屋の奥へと後退して、震える足をもつれさせ床に倒れ込む。
そんな慎吾を、冷たい視線が見下ろした。
その、男の冷たい視線には覚えがある。
喉に何かを詰め込まれたように、声を詰まらせて、息を詰まらせて…慎吾は瞳を見開いたまま男を見上げた。
男の視線が、慎吾をからめとる。

 「やぁ、慎吾、久しぶり。…ちゃんと、治して貰ったんだね…×××くんに……。」

こいつは、今、なんて言った?
こいつは、今、誰の名を呼んだ?

こいつは……透史は…何故、ここにいる…?

慎吾は、思考を巡らせることを…放棄した。

****

一応、留守電は入れておいたが、慎吾は聞いていないかもしれない。
もしかしたら、もう出て行ったのではないか。
それでも、少しでも早く帰ろうと、中里は車を走らせた。
今日は無理かもしれないが、話さなければならないことがある。
早く終わらせて、慎吾を開放してやりたいと思った。
あの、いつも身を竦ませて怯えているような、そんな呪縛からの開放を。

部屋の前に着くと、微かに人の話し声が聞こえた。
隣の家からだろうかと、深く考えずに鍵を差し込んだ手元に、感じる違和感。
鍵が…開いている……?
外からの接触に敏感になっている今の慎吾が、鍵を掛けないとは思えない。
誰か、来ているのか?
だが…慎吾は部屋に入れないだろう……誰が来ても、無視していいとも言ってある。
身体中を締め付けられるような不安に駆られ、思わず胸元を握りしめた。
抵抗無く回るドアノブに、鼓動が速まる。
聞こえていた話し声は、このドアの向こうからのものだった!
中里は、靴を脱ぐのももどかしく、部屋に駆け込んだ。
暗闇の中で、こちらに振り向く人の気配がした。
ライトのスイッチを探り当て、一瞬、その明るさに視力を奪われる。
元に戻った視界の中、そこに映し出された光景は、中里が想像していた、最悪の事態。
気が抜けたように座り込んだ慎吾の傍らに立つ、一人の男の姿。

 「久しぶり。やっぱり、ちゃんと治してくれたんだね、俺の…おもちゃ…。
  ありがとう!信じてたんだ、治してくれるって……俺の、毅くんなら…。」
 「透史…なのか?どうして、ここに…。」

震える声で中里が呼んだ名前に、男は…透史は嬉しそうに微笑んだ。
慎吾の肩が、ピクン、と反応した。
ゆっくりと顔を上げ、中里を見つめた視線は、絶望の色。

 「……どういう…ことだ…お前等、一体………。」

慎吾の表情が、悲しげに、恨めしげに、歪む。
 「言ってあげなよ、毅くん。それとも、俺が言おうか?
  毅くんは、いつも俺のおもちゃを直してくれたんだ。おもちゃが…壊れるたびにね。」
中里に向けられていた視線が、ゆっくりと慎吾に移された。
中里を見つめる瞳とは一変して、透史が慎吾を見つめる瞳は、恐怖すら感じるほど冷ややかだった。
 「お前はさぁ、俺のおもちゃなんだよ。毅くんは、約束したんだ。おもちゃが壊れたら、直してくれるって。
  だから、お前はここにいる、それだけだよ。俺は、直ったおもちゃを取りに来ただけ。」
 「違う!聞くんじゃない、慎吾!」
 「何が違うの?現にこうして、治してくれたじゃないか!俺が壊した、俺のおもちゃだ!
  毅くんが、俺から離れようとしたのは、直すものが無くなったからだろ?」
 「そんなことじゃ、ないんだ!透史!」
中里の声は、透史には届かない。
狂喜を浮かべて、透史が中里を見つめる。
 「だから、壊したんだ。壊すなら、何でもよかった。毅くんが、直してくれるように。
  ねぇ、また、戻ってくれるよね。毅くんじゃなきゃ、ダメなんだ。俺のおもちゃを直せるのは、毅くんだけなんだ。」
こんな形で透史のことを慎吾に知られ、中里は深い後悔に包まれる。
もっと早くに、自分の口から話そうと思っていた。
何故、いつも後手に回るのか…それでも慎吾が傷付くのはわかっていたはずなのに。
恍惚とした透史の瞳に映るのは、自分を呆然と見ている中里だけ。
透史にとっては、そんな姿ですら嬉しい…中里が、自分を視界に入れていると感じるのが嬉しいと思う。
 「今度はさぁ、メスの方がいいかなぁ…ちょっと優しくしてやれば、懐くのも早いしね…。
  オスは、壊すのに苦労しちゃったし…そうだ、あれがいい…毅くんのこと、軽々しく口にするような奴だから…。
  壊れても、いいよね…毅くんのためだもん……でも、毅くんがあれを治すのって、癪だな…。
  あんな奴を、毅くんに触らせたくないけどさぁ。」
 「何を…言ってるんだ……透史…お前は……。」
ブツブツと、口角を上げるだけの笑みで、小さく零された呟きに、中里は身体を震わせる。
透史の言う”あれ”とは一体なんのことだろう…透史はまだ、こんなことを続けるつもりなのか…?
 「俺ね、ずっと我慢してたんだ。親の言う通りにしたら、ちゃんと卒業したら、少しぐらいの我侭は許されるよね。
  だって、親父達は毅くんに関わるなって言ってたけど、俺には毅くんだけなんだから。
  だから、卒業してすぐに毅くんを探したんだ。でも、案外早く見つかったよ…。」
透史は、楽しそうにクスクスと笑う。
大事な宝物を見つけた子供のように、悪意の欠片も感じられないほど、純真に笑う。
 「ねぇ、毅くん。個人情報なんて、簡単に漏れるよね。あんな簡単に、口を割るんだから。
  毅くんの弟だって言って、ちょっと甘い言葉を口にしただけで、簡単にここを教えてくれたよ…あれはさ。
  だから、いいよね…壊しちゃっても……だって、あんなののさばらしてたら、毅くんに迷惑だもん。」
首を傾げる笑顔は出会った頃のままで、その無邪気さに中里は怖くなる。
どこで狂ったんだろう…透史はなぜ、ここまでの執着を見せるのか…俺達が出会ってしまった自体が、間違いだったのか…。
中里の自問自答は、答えが出ないまま堂々巡りを繰り返す。
何も出来ない自分の不甲斐なさに、悔しさに、乾ききった唇を噛みしめた。
プツリと裂けた部分に鮮血が滲み、口中に微かな錆の味が広がる。
その紅に気付いた透史は、途端に怯えるように身体を強張らせた。
ぎこちなく、中里の頬へと両手を伸ばす。
 「あ…ダ…ダメだよ……毅くんが壊れちゃ、ダメだ……あぁ…壊れないで…ねぇ……。」
そっと、恐る恐る震える透史の指が、唇に触れる。
あれほど簡単に『壊す』という言葉を口にしている透史が、瞳を揺らし怯えている。
その鮮やかな『紅』は、透史にとっての『壊滅』の象徴。
こんな小さな傷ですら、失うことへの恐怖を感じている透史。
本来の透史は、他人の痛みも、失う辛さも知っていたはず。
だが、どこかでバランスが崩れてしまった感情は、全て極端に中里へと向けられてしまった。
これ以上、透史も…誰も傷付けたくないと、縋るような瞳を見つめて、中里は願う。
自分は、透史を救うことが、出来るだろうか…どうしたら、いい?どうしたら…。
 「大丈夫、だから…透史……大丈夫…。」
多分、引き攣っている笑顔だろうが、それでも透史は安心したように顔を綻ばせる。
 「本当に?よかった…毅くんが壊れたら、俺……。」
まだ、間に合うだろうか…透史のこの感情が、全ての人へと向けられるように。

2人のやり取りを、慎吾は虚ろに見ていた。
透史との出会いは、偶然…たまたま、選ばれてしまったにすぎない。
中里が傷だらけになった慎吾を助けたことも、きっと偶然。
でもそれは、中里が慎吾を放っては置かないと読んだ、透史によって仕組まれた計画だったというのか…。
オレは、それにまんまと乗せられたということか…。
この部屋に連れ込まれてすぐの頃、中里が言った言葉を思い出す。
 『お前の身に起きた事が、普通じゃないってのは、その姿を見ればわかる。
  …そんなことを、無理に聞きだすほど、俺は野暮じゃないつもりだ。
  お前が言いたければ聞く事は出来るが、そうなると俺は、無関係じゃいられない。』
まっすぐに見つめてくる視線のどこかで、押し込まれた何かを感じていた。
もし中里が、これが透史によるものだと気付いていたなら…それを知っていながら、隠していたのだとしたら…。
2人の関係と、自分の身に起きた現実が、一本に繋がった。
慎吾の中で、ある感情が膨らんでくる。
一度浮んでしまった感情は、止められないほどのスピードで膨張を始める。
透史によって付けられた傷に、もう誰も信用しないと誓ったのに。
裏があると、警戒していたはずなのに…もう身体は回復し、いつでもここから出て行けたのに!
いつの間にか、中里を信じていた…信じたいと思っていた。
ここでの生活に、心地よさを感じていた。
慎吾は自分の甘さを呪い、中里の偽善を恨み、その瞳は、深い絶望から強い怒りへと変わっていた。

 「お前等…グルだったのかよ……揃って、オレをコケにしてたのかよっ!」

暗く静まる部屋の中に、慎吾の声が反響する。
 「違う…違うんだ、慎吾……俺は…。」
 「中里っ!『無理に聞かない』なんて、よく言えたよな…そりゃ、そうだろうよ。
  お前は、全部知ってたんだからなぁ!」
中里は、何も言えなかった。
慎吾の言う通りだからだ。
動揺に見開いた中里の瞳が、切なげに歪む。
噛み締めた唇から、新たな鮮血が滲み出す。
もっと早く動いていたら、慎吾にこんな思いはさせなかったと知っていたのに、動けなかった。
それが出来なかったのは、いつの間にか、慎吾がいる生活が続くことを願っていたからかもしれない。
そもそも、自分が透史から離れなければ、こんな事態は起こらなかったんじゃないか。
全てが、浅はかな自分の行動が招いた事…自分のエゴが、2人を傷つけた。
後から後から覆い被さるように、後悔が襲ってくる。
握りしめた拳を震わせて、中里は自分の愚かさに項垂れるだけだった。

****

自分の想いの中に捕らわれていた中里には、気付けなかった。
中里の口元を見つめ、怒りと悲しみをごちゃ混ぜにしたように、眉を顰める透史の姿を。
ポケットに入れられた手元から聞こえる、微かな音を。
――― カチ カチ カチ …。

 「どうしてくれんだよ、この落とし前は…てめえらのくだらねぇ茶番に、俺まで巻き込んでんじゃねえよ!」

透史の背後で、忌々しげに慎吾が呟く。
ふらり、と、振り返った透史は、なんの感情も持たない人形のように無表情で、ガラス球みたいな瞳を慎吾に向けた。

 「煩いよ、お前……また…壊されたいの…?」

その冷たい声に顔を上げた中里は、透史の手元に光るモノを見て絶句する。

透史の手に握られていたのは、鈍く光る刃を覗かせた、カッター…だった。


END



<2006/10/21>

なんか、変なところで終わってしまった(ーー;)
とことん、中里がへたれてるし。
全部、彼が発端になるのも、わかる気が…(苦笑)
ますます泥沼な感じですが、これをどうやって収拾つけようかと、
悩んでるってのは、秘密(汗)
それにしても、話が唐突すぎか…?
いや、気のせい気のせい(^_^;)
とりあえず、もう少し続きそうだ。
続く…といいな。

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