いつもの見慣れた場所のはずなのに、時間帯が違うだけでこれほど違和感を感じるのか?
それとも、満開に咲き乱れる花の存在が、瞳に映る景色を変えてしまうのか?



E M O T I O N A L F I R E 〜桜奇譚 <壱幕 慎吾> 


急に休講になった午後、今、桜が満開になっているという妙義峠へ花見に行こうと誰かが言い出した。
バイトまではまだあるし、どうせ持て余してしまった時間なのだから、それもいいかと出向いてきた。
月の朧気な明かるさの景色に馴染んでいた所為か、日の光で煌くこの場所はなんだか妙義じゃないみたいだ。
桜の季節、この妙義峠は花見客で溢れ、夜桜見物の客も多いために、本格的な走りはお預けをくらっている。
オレは忌々しくこの桜を見上げて、その見事に咲き誇る姿にやっぱり見惚れてしまう。
桜ってのは、どうしてこうも惹きつけられちまうものなんだろう。
他の花見客に混ざって、桜が並ぶ道をボンヤリと歩いていた。
気が付けば周りはシンと静まり、あれほどいたはずの花見客や仲間達はずっと離れた場所にいる。
オレはぽつんと、桜の中に一人きり。
そろそろ皆の所へ戻ろうと歩を進めた瞬間、風が巻き起こり、桜の花びらが視界を覆った。

花の乱舞を避けるために掲げていた腕をゆっくりと下ろした。
目の前の一本の桜の樹の下に、スーツ姿で佇む男。
ここにいるはずのない、この時間にいてはならない男が、そこにいた。
 「こんな時間に、なにやってんだ?お前…。」
オレの声に、その男は振り向いた。
後ろに撫で付けられた黒髪、それと同じ深い黒の視線を放つ瞳。
オレがよく見知っている男だ。
 「さぼりかよ。お前でも、そんなことするんだな。」
嫌味を込めてかけた言葉に、気にする風でもなく口角を上げて微笑む。
こいつ…こんな笑い方、したか?
一瞬頭を掠めた疑問より、無視しやがった!という苛立ちの方が大きくて、オレは奴の前にずかずかと詰め寄った。
 「おい!シカトかよ!偉そうに…何様だっつーの!」
ポケットに手を突っ込んで、下からねめつける上目使いのオレの視線と、上から見下ろす奴の視線がぶつかる。
思わず、身が竦んだ。
こんな瞳でオレを…見るのか?
血が通っているのが感じられない…冷たさすら感じる視線。
奴のマシンのような深い闇の色を纏った視線が、オレを捉えた。
瞳を逸らす事が出来ない…身動きが出来ない。
後ろに張り付かれて振り切れない緊迫感に似ていた。

先に動いたのは、奴だった。
急に腕を取られて、引き寄せられたかと思うと、桜の樹に背中を押し付けられた。
軽い衝撃が背中に走り、思わず小さなうめき声をあげる。
そんなオレに構わずに、奴は笑っていた。
…ように見えた…口元だけが。
瞳には闇が揺らぎ、そこに映るのは怯えた表情のオレとたゆたう花片。
両肩をつかまれ逃げられないオレに、奴はゆっくりと顔を近づける。
それがどういう行為なのかは、混乱している頭でも理解できた。
ありったけの力を込めて奴の胸元を突っぱねるが、信じられないほど強い力で引き寄せられる。
 「なに、しやがる…!てめー!どういうつもりだ!」
奴は動きを止め、唇がぎこちなく言葉を紡いだ。
 「…慎、吾……。」
 「………!」
確かに奴の…中里の声だ。
低く、重く、身体に響く声だ。
でも、何かが違う。
オレを呼ぶ中里の声には、血が騒ぐほどの熱が込められている。
目の前にいる奴からは、その熱が感じられない。
 「誰だ…お前は中里じゃない!お前は、誰だ!」
 「何故、疑う?俺は、おれだよ…。」
 「違う!中里は…あいつはこんなことはしねーんだよ!」
 「疑うな。お前はこんな俺を望んでいただろう。俺は、お前の望んでいた、”おれ”だよ。」
 「オレが…望んでいる……だって!」
言葉を失った…うっすら笑みを浮かべる奴を、オレはただ見つめるしか出来なかった。
突っぱねていた腕が、力無く落ちる。
抗う力を失った身体は、簡単に奴の胸元に引き寄せられた。
 「受け入れろ…望んだまま……。」
痺れて動かない身体、奴の声だけが頭の中でリピートしている。
(オレが、望んだ…オレが…中里……望んで…)
背中に回された奴の腕、頬にかかる奴の吐息…整えられていた前髪が、風に乱れて……!
その瞬間、鼻を突いた香りに、急に意識を取り戻した。
煙草や整髪料ではない、微かに甘い麻痺を誘う香り。
 「嫌だ!オレが望んでいるのはお前じゃない!」
そう叫んで目の前の男を突き飛ばした。
よろよろとよろめきながら、奴は目を見張る。
 「何故、拒む…何故、疑う…望んだまま受け入れれば、俺はいつまでもお前の望んだ”おれ”でいられたものを…!」
 「そんなものいらねえ!オレは…オレは本物しか望んじゃいねえんだよ!」
本物しか…そう言いながらも、奴を受け入れてしまう誘惑に囚われそうで、オレはキツク唇を噛み締めた。

奴の姿が、ゆらゆらと揺らいだ気がした。
それは見間違いではなく、ホログラフにノイズが走るように奴の姿が時折霞んで見えた。
 「やれやれ…まがい物は要らぬか…。実に人の心理とは複雑なものよ…。」
徐々にノイズの走る間隔が狭まり、奴は実体を保つのがそろそろ限界のようだった。
 「お前、は…!」
 「なかなか興味深いな、そなたは…。ほんの戯れであった、許せよ…。」
中里の姿をした奴は、そう言うと静かに笑った。
そして、奴は突然巻き上がった桜の花びらに包まれて、花吹雪が静まった時にはもうその姿は見えなくなっていた。
 「何が、起こった?」
目の前で起きた出来事が夢のようで、オレは桜にもたれたままズルズルと座り込んでいた。
鼓動が高まり、小刻みに震える身体をぎゅっと掻き抱いた。

 「こんなとこにいたのか!急にいなくなるから…っと、どうした、庄司?気分悪いのか?」
仲間の問い掛けに、顔をあげる。
座り込んでいたオレを、心配そうな表情で見ていた。
 「一人でそんなとこにいたら、惑わされちまうぞ。」
 「何にだよ。」
 「桜の主にさ。」
 「はぁ?なんだ、それ?くっだらねぇ…。」
オレは、何事も無かったように立ち上がると、仲間達の元へ戻った。
桜の主…もしかしたら、あいつがそうだったのかもしれない。
惑わされたのか?だとしたら、エライ悪趣味だ…。
ずっと深く隠しておいた本心を、浮かび上がらせるのだから。
オレは、いまだに収まらない身体の震えと高まる鼓動を気付かれないように、仲間から少し離れて歩いていた。
一陣の風が吹き、はらはらと花びらが舞い落ちる中、枝葉がざわりと音をたてた。


<2005/4/2>

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