慎吾は、ただ呆然と目の前の光景を眺めていた。
まるでスクリーンに映し出された映画を見ているような気分だった。
こんな非現実的な光景…作り物の世界としか思えない。

だが、確かにこれは、現実だ…その主人公が、自分がよく知った人物だから。


暗闇に沈む月



いつも走っていた妙義峠が、道路整備とかなんとかいう理由で走れなくなった。
工事なんてしている風でもないのに、全面通行止めなんてどうかしてる。
その状態が1ヶ月ほど続いた頃、密かに流れ出した、ある噂。

 (妙義峠で、何人か行方不明者が出たらしい。)
 (惨殺死体が発見されたみたいだ。)
 (人間の仕業とは思えないらしいぜ。死体は食い千切られてズタズタだってよ。)
 (こんなところに、熊でも出たのか?)

慎吾の耳にもその噂は届いており、そんなことで通行止めにされるなんてやってらんねぇ…と、峠を見やり舌打ちする。
熊でもなんでも、早いとこ片付けてくれりゃぁいいのに、ってか、こんな所に熊なんているのか?
それは些細な好奇心だった。
熊が出るか、惨殺死体が出るか、それが本当ならどっちでもお目にかかりたいもんだ…そんな軽い気持ちだった。



ここ暫らく、中里は妙義から離れている。
なんでも、母校でちょっとしたトラブルがあったとかで、帰らなければならないと言っていた。
中里の母校がどこにあるのか随分前に聞いたような気がするが、よく覚えてはいない。
それでなくても出張が多い仕事で、最近は妙義から離れるのがしょっちゅうだった。
そんな中里が慎吾の前に現われて、開口一番、言った事。

 「しばらく峠には近寄るな。絶対にだ。」

いきなり戻ったと思ったら、心の中を見透かされたようで、ばつが悪い。
それよりも、なんで中里が妙義で起こっている事を知っているのか。
妙義の異変は、ここを離れてからのはずなのに。

 「お前の事だ、面白半分で行こうと思ってるんだろ。」
 「んなこと、お前に言われる筋合いはねぇっつーの!」

中里の少し嫌味に聞こえる台詞に、慎吾は拗ねたように顔を背けた。
久し振りに交わした言葉が、何があったのかも聞かされず、ただ一方的な否定だなんて納得できない。
そんな慎吾に、中里は困惑気味に顔を歪める。

 「慎吾…絶対に峠には行くな。」
 「…なに…マジになってんだよ…。」

念を押す中里の視線が、鋭く突き刺さる。
いつもそうだ…と、慎吾は思っていた。
中里は何かあると、いつもこの視線を自分に向ける。
そして自分は、この視線を向けられると、何も言えなくなってしまう。
言い成りになるのが悔しくて、露骨に不機嫌な表情をするのは、慎吾の小さな抵抗。

 「…頼む。」

中里は、不機嫌そうに黙り込んだ慎吾をなだめるように、髪を軽く梳いて静かに告げた。
頼むから、この妙義の異変が治まるまで、巻き込まれないで欲しい…そんな想いを込めて。
憂いに眉をひそめる中里に、何時に無い雰囲気を感じて、慎吾は黙って頷くしかなかった。



あれから数日、妙義の通行止めは相変わらず解除されず、碓氷や秋名へ走りに行っても慎吾の気は晴れない。
そろそろ日付も変わる時間となり、浮かない気分のまま家に帰る途中にふと妙義へ視線を向けると、幾つかの光明が駆け上がるのが見えた。
誰かがこっそりと入り込んだんだろうか?
もしチームの奴等なら、オレにも一声かけろっつーの!
慎吾は潜り込んだ誰かに便乗するつもりで、妙義へと向った。
その光明の流れる様が、身近な人物の走りのクセと似ているような気がしたから。
忠告された事を忘れてしまうほど、好奇心の方が強かったから。

入り口を封鎖していたバリケードは、車が1台通り抜けられる程度に開かれていた。
そこを抜けて走り慣れたコースを上がって行く。
久し振りの感覚、アクセルを踏み込む足に自然と力が込められる。
上空には、雲ひとつ無い夜空に明るく光る月明かり。
あの、凄惨な噂がウソのように、今までと変わりない風景が広がる。
頂上の駐車場へ車を入れると数台の先客があり、妙義では見覚えの無い…多分、走り屋とは無関係の車の中に、見慣れた黒いマシンがあった。
やっぱ、いるんじゃねえか…さっきの光明が思い当たる人物と一致して、慎吾は満足げにほくそ笑む。
その持ち主がどこにいるのかと辺りを見渡すと、駐車場の奥にある鬱蒼と木々に埋もれた場所、その深奥のほうでチラチラと明かりが揺れて いるのが見えた。
視界の端の、普段は気にも留めたことの無いその場所が、なぜか無性に気になった。
無意識に足はそちらを向いている。
ふらりと1歩ずつ歩み寄る度に、あれほど月明かりに照らされていた空間が、闇に飲まれていく。
辺りに漂う空気が徐々に生臭さを帯びて、体中に纏わり付いてくる。
すぐ近くに何者かの気配を感じたが、周りを見渡しても姿を確認する事は出来無かった。
頬にかかる生ぬるい風が、腐臭を伴う吐息のように思われ、背筋を冷たい物が伝う。
明らかに、目に見えない何かがそこに、いる…禍々しい…存在が……。

不意に、風が、舞った。
瞬間、右腕に激痛が走り、生暖かい液体が滴り落ちる。

 「…うっ……!」

短く呻き声をあげ、慎吾はその場に蹲った。
右腕からは、ドクドクと真っ赤な鮮血が噴出している。

 「な、んだ……これっ…!」

自分の身に何が起こったのか?
いきなり風が舞ったと同時に、右腕が抉られていた。
薄れそうになる意識は、痛みが脈を打つ度に蘇り、慎吾に安息を与えない。
ポタポタ落ちる血液が、足元に紅い水溜りを作る。
ここから…目に見えない恐怖から逃げなくては…ふらつく身体を無理やり動かして、ただこの場から逃げなければと考えた。
だが、よろつきながら立ち上がる慎吾に、逃げる事は許されなかった。
背後に獣の低く呻くような声が響き、背中を熱いモノが掠めて慎吾は再び倒れこんだ。

 「ぐぁっ…!」

熱を持つ引き裂かれた背中から、新たな血が流れ出る。
痛みを感じる間も無く、左足を何かに捕まれて、そのままズルズルと地面を引き摺られた。
噂の惨殺死体って、オレのことか?と、くだらない事が一瞬頭に浮かんだ。
抵抗する事も出来ず、意識を手放しそうになる寸前に、聞こえた…声。

 「慎吾!」

それと同時に左足の拘束は解かれ、悲鳴とも咆哮とも付かぬおぞましい声が響き渡った。
慎吾の目に映ったのは、塵のように散っていく左足に絡み付いていた醜い腕のような物と、獣とも人とも呼べない醜悪な存在と、 それと対峙している男の姿。
男は鈍い光を放つ短刀を逆手に構え、異形のモノを見据えている。
自分を庇う様に前に立ちはだかる、そのダークスーツの背中には、見覚えがあった。
こいつは…!
覚束ない思考を巡らせているうちに、腕を切り取られた異形のモノは叫び声を上げて襲い掛かってくる。
パニくって叫び声をあげそうになる慎吾とは対照的に、男はそれに動じることなく、スッと間合いを詰めると短刀を振り上げた。
刀身が青白く光り、迫り来る魔物は閃光と共に切り裂かれていた。
断末魔の雄叫びを上げて、さっきの腕と同じように、異形のモノは塵となって消えていく。



呆然とその光景を見ていた慎吾は、声を掛ける男の気配で我に帰った。
男を確認して安堵した途端に、右腕と背中の傷が熱を持ち、必要以上に血液を失われた身体が力無く崩れ落ちる。
その顔は血色をなくし、透けそうなほど白く頼りない。
目の前には、慎吾の傷にさわらないように身体を支え、心配そうに覗き込む中里の姿があった。

 「…だいじょうぶ、か…?慎吾…。」
 「な…かさ……と…。」
 「取り合えず、傷の手当てをしよう。」

中里は軽く手を上げて、身近にいた制服の少女を呼んだ。
その制服は、この辺りでは見かけた事の無いデザインのものだった。
少女の手元には鉱石のようなものが握られており、小さく何かを呟きながら傷口にそれをかざす。
鉱石から溢れる柔らかい光が傷口を包むと、あれほど噴出していた鮮血は止まり、自然と痛みが退いていくのがわかった。
引き裂かれたTシャツを静かに脱がせ、傷の手当てをする彼女のあまりにも手馴れた様子に、慎吾は戸惑いを隠せなかった。
普通、女の子ならこんな状況を前にしてこれほど落ち着いていられるだろうか?
よく見れば、大人達に混ざって他にも数名の学生らしい姿が見え、皆この少女と同じような制服に身を包んでいる。
一体、彼等は何者なんだ…そして、あの異形のモノは何?
こんな非現実的な状況にもかかわらず、冷静さを失う事の無い彼等は…。

慎吾が手当てを受けている間も、中里は辺りを警戒して短刀を構えたままだった。
あの魔物の他にもまだ何か存在しているというのか、様々な武器らしい物を携えて辺りを窺っている者もいる。
黙々と手当てをしていた彼女が他の負傷者のもとへと向かい、混乱している慎吾の背中に中里が自分の上着をそっと掛けた。

 「少しは、落ち着いたか?」
 「あれは…なんだ?聞かせろよ…お前等は、一体…。」

傷はふさがったが、血液を失った慎吾の声には覇気が無く、いつもの憎まれ口も聞かれない。
中里は右手に短刀を握り締めたまま、窮屈そうな襟元に手を差し入れてネクタイを緩めた。
何から説明したらいいのか考えながら、ゆっくりと重い口を開く。

 「あまり、おおっぴらには出来ないんだが…。」

そう言って切り出された内容は、慎吾にとって想像もつかない話で。
彼等は、鎮守人(しずもり)といって、さっきの魔物…天魔と呼ばれるモノを祓い鎮める力を持っている異能者だという。
その大半は天照郷という、名のある陰陽師や高貴な家柄の血筋の者が暮らしている、富士山麓の裾野にある郷の出身者だ。
そこに鎮守人を輩出する機関として設立されたのが特別公立天照館高等学校…中里の母校。
代々、天照館の執行部員はそういう力を持った者が選出され、学生のうちからこういった現場に駆り出される。
執行部に入る事は、すなわち将来の鎮守人候補と言う事になる。
元々天照郷の出身ではない中里は、特別編入という形で天照館に入学した。
中里の母方の血筋は古くから祓いや占いを生業としている者が多く、中里はその濃く受け継がれている血を見込まれたらしい。
そして、天照館を卒業後、今は鎮守人として神祇庁という国の機関に属しているというのだ。

 「まぁ、すぐに信じろって言うのも無理な話だと思うがな…。」

そう言って、苦笑いを浮かべる。
慎吾は、走り屋としての中里の姿しか知らない。
出身校や今の仕事のことなんて知らなくても、走り屋としての中里を知っていればそれで充分だったけど、今まで疑問に思っていたことが 無かったわけではない。
だが、その疑問を口にしても曖昧にかわされるだけだった。
今ならば、慎吾が深く関わる事を避けるためにそうしたのだろうというのがわかる。
峠でちょっとした乱闘騒ぎがあった時、荒ぶり物騒な得物をかざす奴等を前にしても、中里は余裕でかわしていた。
攻撃をくらう姿を見たことは無い。
それはそうだろう…今まで幾度もこんな修羅場を潜り抜けているのなら。

 「ウソ…みてぇ……。」
 「……そう、だろうな。」

そこまで聞いても、まだ頭の中で整理できたわけではなかった。
まるで小説か映画の中のような話に、慎吾はそう呟くのがやっとだった。
幾分気分が落ち着いたらしく、それでも力無く笑うしかない慎吾を、中里は黙って見つめていた。
自分と関わったがために、こんな怪我をさせてしまった…その事が悔しくてならない。
そして、こういう自分を知ったとしても、今までのように接してくれるのか、不安でもあった。



俄かに辺りが騒がしくなり、鎮守人達が、一斉に散らばっていく。
それに気付いた中里の視線が、険しさを増す。

 「なんだ…?」
 「シッ!…来る……。」

何か言いかけた慎吾を手で制し、付近の気配に意識を集中させる。
身体を強張らせる慎吾を背に庇い、短刀を胸元に構えた。
漂う風に、吐き気をもよおす程の臭気が混ざる。
徐々に色濃くなってくる瘴気は、天魔が近付いている証拠だ。

 「慎吾、俺から離れるなよ…出来るだけ、身を低くしてろ……巻き込まれないように!」
 「え…?」

また、あいつ等が来ている…しかも、さっきの奴より厄介なのだろう。
中里の身体から立ち昇る闘気のようなものが、慎吾にも見て取れた。

 「我に答えろ。闇の主…神威。」

中里の言葉に答えるように、付近を包む闇が濃く深くなっていき、ゆっくりと掲げた左腕に集中する気が、何かの形を成していく。
音も無く双翼を広げて、闇を纏っていく姿。
暗闇の中に、ヘッドライトのように2つの光が浮かぶ。
その鋭い眼光に、獰猛な猛禽類を思い浮かべた。

 「ふ…くろ…う…?」
 「俺の中の、魂の権化…魂神、神威(かむい)。こいつの力は、闇の中でこそ真価を発揮する。」

魂神とは、その者の持つ魂を具現化したもの。
中里の左腕に静かに佇んでいる魂神、神威…慎吾の認識している梟という生き物よりも雄々しく、その瞳には残忍な殺気すら感じる。
闇の中を自在に翔けて、鋭い爪と口ばしで獲物を捕らえる、梟の姿を持つ神威。
その姿が、重厚なボディーを闇と同化させ、2つの双眸を浮かび上がらせて峠を翔ける、中里のマシンと重なった。

何かに反応したように、神威が音も無く飛び上がる。
中里も気配に気付き、一点を集中する。
ズリズリと這いずる音が無気味に響き、木々の隙間からヌメリを帯びた青鈍色の皮膚がのぞいた。
陰湿な瞳がこちらの姿を捉え、大きく裂けた口元から血の滴りを思わせる真っ赤な舌がチロリと蠢く。
不気味な大蛇の姿をしたそいつは、ゆっくりと身体をくねらせながら威嚇するように鎌首をもたげ、ニヤリと冷たく笑ったような気がした。

 「狩りを、始めるぞ…神威!」

上空を旋回していた神威が、中里の言葉を合図に急降下をはじめる。
音も立てずに舞い降りた神威の鋭利な爪が喉元に食い込み、大蛇は耳障りな叫声をあげてのたうち回る。
尖った口ばしが青鈍色の皮膚を抉り、尾を絡めて拘束しようとするのをかわして、また上空へと舞い上がる。
ヒットアンドアウェイを繰り返す神威の瞳が、獲物をなぶり玩ぶのを愉しんでいるように見えた。
ギラギラと輝く瞳に、神威の残虐な一面が窺えた。
短刀を構えて験力を込めている中里の瞳にも、神威と同様に狂気の色が見えて、口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
中里は峠のバトルの時もこんな眼をしているのか…と思うと、慎吾は思わず身震いした。
自分の考えを否定するように、それは無意識に発せられた言葉。

 「   」
 「………!」

その声が届いたのか、中里は弾かれたように反応し、短刀に込められた験力が色を変えたような気がした。
神威は攻撃の手を止め、再び上空で旋回を始める。
大蛇の身体が、グッタリと地面に沈んだ。
もう、頭を掲げる力も残ってはいないようだ。
中里は、札を大蛇にかざして験力を込め印を結び、ゆっくりと短刀を上空にかざした。
旋回していた神威が大きく羽ばたき、大蛇の周囲に風を巻き上げて身体を包み込む。
風に包まれた大蛇は徐々に収束し、光の粒になって繁みの奥へと吸い込まれるように消えていった。



さすがに少し疲れの見える中里が、慎吾の隣に腰をおろした。
傍らに寄り添う神威の頭を優しく撫でてやると、気持ち良さそうに眼を閉じる。
さっきまでの異様なほどの瘴気は晴れ、ひんやりとした夜気に大きく深呼吸する。
叢の影からガサリと音を立てて、何かが現われた。
一瞬、またあの化け物か?と慎吾は身構えたが、そこにいたのは先程の少女と同じような制服に身を包んでいる少年だった。

 「大丈夫でしたか?俺達が着いた時には、もうあそこから出てしまってて…。
  でも、神威が見えたから、大丈夫だとは思いましたけど。
  あっちも、無事、終わりました。」
 「あぁ、君もご苦労だったな。大変だっただろう。九条の事は…何と言ったらいいのか…。」
 「…いいですよ…俺は諦めてませんから…。」
 「……そうか。」

重い雰囲気の2人の会話に自分の知らない中里を見て、慎吾は少し疎外感を感じていた。
思いっきり不機嫌を顔に出している慎吾に気付いた少年が、気不味そうに笑った。

 「それにしても、神威はまた強くなったんじゃないですか?鹿飛が…反応してました。」
 「あぁ…一瞬、制御出来なくて引き摺られそうになった…こいつの声が無かったら…。」
 「声、ですか…?」

2人の視線が慎吾に向いた。
静かに眼を閉じる神威に触れようとした慎吾が、視線に気付いて伸ばしかけた手を止めた。
少年は、少し驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。

 「見えている、ということですね…わかりました。長老衆への報告は、俺の方からしておきます。
  でも、呼び出しは免れないでしょうね…。」
 「すまないな…しかし、またじいさん連中の小言を聞かなきゃなんねえのか…。気が重い…。」

中里が髪をかき上げながらため息をつくのを見て、少年は苦笑した。
2人の話の意味は慎吾には判らなかったが、何となく自分が関わっているんだろうと思っていた。

 「では、先に…。」

そう言って、他の学生達の元へと戻っていく少年の後姿を見送る慎吾の視界に、仄かに蒼く輝く鹿の姿が見えた。
不意に舞い上がった神威を追って上空を見上げると、月の中に浮かんだシルエットが月明かりの中に霞んで消えていった。



 「…あの天魔は、ずっと長い年月をかけてこの土地から生まれ出た者だ。」

妙義を降りる最中に、中里が小さく呟いた。

 「峠の奥に、大きな岩があるのを、見たことあるか?」
 「あるっつーのは聞いたことあるけど、見たことはねえ。
  っていうか、峠を開通する時に亡くなった人の慰霊碑だって聞いてたぜ。」
 「表向きは、な…。」

確かに、妙義には慰霊碑があると聞いたことがある。
だが、整えられた道があるわけではなく、人も寄り付かぬ慰霊碑はすっかりと雑草に埋もれていた。

 「あそこにあるのは、あの天魔を封じ護るための印を施された、御封岩だ。
  御封岩に封印された天魔は、邪気を鎮められてこの土地を守護するモノとなる。
  だが、封印の力が弱まり邪気に触れてしまうと、あぁやって天魔が印を破って暴れ出す。
  御封岩を再度封印したから、今回の妙義で起きた騒ぎもおさまるだろう。
  …犠牲になった人には…お前にも、申し訳ないことをした…。俺達の措置が遅れたばかりに……。」

峠には元々邪気が集まり易く、昔から御封岩が祀られている場所も多い。
その封印の力が弱まらないように監視するのも鎮守人の仕事らしいが、最近は無理矢理封印が解かれるという現象が各地で起こり、 鎮守人達はその措置に奔走していた。
中里が妙義を離れる事が多かったのも、通達の度にその地に赴いていたためだ。
その隙に、ここでも被害が出てしまった。
自分がついてながら、被害を食い止める事が出来なかった…自分の不甲斐無さに、怒りすら感じる。
悔しそうに眉を顰める中里を見て、慎吾は前にもこんな顔を見たことがあるような気がしていた。
あれはいつだろう…これほど深い悔しさを慎吾の前に見せたのは…。
…あぁ、そうか…あれは、高橋啓介とのバトルの後だ…あの雨の中で……。
いつもよりもゆっくりと峠を降りる32の心地よい揺れに、慎吾はそのまま眼を閉じた。
深い藍色に染まっていた空が徐々に薄明るくなっていき、闇を煌々と照らしていた月はその姿を霞ませていった。



慎吾が目を覚ましたのは、白い壁に囲まれた病室だった。
昨夜の事は現実だと思い知る…夢だったらどんなにか良かったのに…。
包帯を巻かれた身体と備え付けられたソファに横になっている中里の姿を見て、昨夜の出来事が頭に浮かび慎吾は深くため息をついた。
あそこで受けた少女の応急処置が効いているのか、傷の痛みはほとんど無かった。

 「目が覚めたか…具合はどうだ?」

何時の間に目を覚ましたのか、ベットの傍らに立つ中里が心配そうに覗き込んでいる。

 「帰る。」
 「そりゃ、ちょっと、お預けだな…。」
 「はぁ?なんだよ、それ!オレはもう関係ねぇ…!」
 「そうも…いかないんだ……。」

中里の無理矢理作る引き攣った笑顔に、慎吾は嫌な予感がした。
後に続く言葉を聞いてしまったら、絶対厄介な事になるという予感…。

 「俺達の仕事が、おおっぴらには知られてない…っていうのは言ったよな。
  一応、さ…報告義務ってもんがあってよ…つまり…その……。」
 「…口封じ、ってやつか?」
 「そこまでは、しねえよ…。」
 「じゃ、口止め料、たっぷり…。」
 「相手は国だからな…そりゃ、ねえだろ。」

いつもの慎吾の減らず口は健在で、中里は思わず失笑する。
でも、これからのことを思うと、やはり気は重い。
慎吾は素直に、この話を受け入れてくれるだろうか。

 「これから、郷のじいさん連中と、やりあおうと思う。」
 「それが、オレとなんの関係があるんだよ。」
 「お前のこれから、俺に預けねえか…。」
 「あぁ〜?」

慎吾の反応に、中里は弱気になる。
本当に、これは間違ってないだろうか?これは慎吾にとって、いいことなんだろうか?
ただの、俺の、エゴなんじゃないだろうか…?

 「…要するに…オレが下手な事口走らないように、お前が監視する…ってことだろ…。」
 「え…!」
 「図星でやんの…判り易いのな、お前はよ!」

思いがけない慎吾の言葉に、中里は声を詰まらせる。
本来ならば、中里は妙義から違う土地へと異動され、替わりの者が慎吾の動向を監視する事になる。
慎吾が鎮守人や天魔のことを口外し、世間に余計な混乱を起こさないように。
しかし、それならば口外しない限り、慎吾は今まで通りの生活ができる。
中里がしようとしていることは、そんな当たり前の生活から、慎吾を引き離してしまうことになるかもしれない。
自分にそんな権利があるのか…自問自答を繰り返してなかなか言い出せなかった結論を、慎吾はことも無く口にした。
どういうことか、わかって言っているのか…?

 「機密を知られちまうってヘマやらかしたお前が、どこに飛ばされようが知ったこっちゃねぇけどよ…。
  オレとの勝負はまだ付いてねぇんだよ。その前にオレの前からいなくなんじゃねぇよ!
  それに…どうせならお前自身で責任取りやがれ!他の奴になんか、任せんじゃねぇ!」
 「…慎吾。」

言ってしまって、慎吾は照れ隠しに背中を向けるように寝返りを打つ。
多分、紅潮した顔を見られたくないためだろうが、髪の間から覗く耳元は真っ赤になっている。
素直じゃない…慎吾も……俺も…。
お互いに、ただ一緒に走っていきたいだけなのに。

 「そうと決まれば、早いとこ片付けちまうか。天魔よりも、手強そうだがな。」

覚悟を決めた中里が、踵を返して病室を出ようとした。
その背中に、慎吾の声がかかる。

 「オレから目を離さないんじゃなかったのか?…オレも、連れて行けよ…。」
 「お前も、ずっと俺の目の届く所にいるんじゃなかったのか?早く、来い。」



 「本当に面倒な事に巻き込んでくれたもんだよなぁ…。」
 「何言ってんだ!あれだけ言ったのに、お前が余計な事に首を突っ込むから……!」

天魔よりも手強いという郷の長老達とやり合うべく、中里は日本一の頂を誇る山の麓へとマシンを走らせる。
これからの自分達を護るための、討魔に。



END



自分でも何をやっているのかと思いますが…。
イニD+転生学園…転生キャラがこっそりゲスト出演♪
オーラが見える中里は、鎮守人向きだなぁ…と、
思ったのがきっかけの、この話です。
この話だけで読めるようにと思って書いてたら、
まぁ、説明文の多い事…(ーー;)
ここまで読んでくれた(いるのか?)奇特な方、
長々となってしまって、すいませんです。
どうでもいいような補足はこちら→

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