給湯室小話 6



日中は春らしい陽気もみられるが、日が陰っていくにつれひんやりとした冷気が戻ってくる。
そろそろ終業時間を向かえるPRIMEWISE社。
受付の2人、奈美と彩は、正面の入り口からゆっくりと夕焼けの色に染められていくロビーを、風を纏っているかのように さらりと髪を軽くなびかせ歩いてくる少年の姿に目を奪われていた。

「「これが噂の『伝説の天使』…」」

その少年は、真っ直ぐに自分達の方に歩み寄ると、にっこりと微笑みかける。

「もうお帰りになる時間にすいません。マーケティング企画部の大月さんはいますか?」

(…噂通り…すずやかな声……それに、背中に天使の羽根が見えるわ…)

もちろん、羽根は彼女達の想像でしかないのだが、前回来た時に見逃して噂を聞いて以来いずれはお目にかかりたいと思っていた 念願の天使をやっとこの目にすることが出来て、感動がひとしおだった。
感動に浸ること数秒…我に帰ると目の前には不思議そうに覗き込む天使の姿があった。
急いで内線で問い合わせをすると、まだ外勤から戻ってはいないとの事。
そのまま告げると少年は寂しそうに顔を曇らせた。

「…そう、ですか…。」

彼女達は罪悪感で胸がいっぱいだった。
この少年にこんな表情をさせてしまうなんて…大月主任の存在の大きさを感じていた。
そのうち連絡が取れたらしく、もうすぐ戻るのでとりあえず待っていて欲しいと内線が返されてきた。
ロビーで待たせるのも可哀想なので給湯室で待っていてもらうことにすると、天使は2人に微笑みながら頭を下げて奥へと向っていく。
入社以来、受付嬢をしていてこれほどの幸せを感じたのは、数えるほどしかないだろう。


大月の課のあるフロアに着くと先程連絡を取っていた同じ課の礼子がその少年を出迎える。
帰り支度を始める者、残業の前に一服する者、フロアにいる全ての人間が一瞬その少年に目を奪われた。
礼子に促され、窓際の席に腰掛ける。
飲物を勧めると、「紅茶をください。」と笑顔を向ける少年に、新鮮なものを感じていた。
一応、外来の客との軽い打合せにもこの席は使われる。
その際にも飲物を出すのだが、いつも年輩の少しくたびれたオヤジがほとんどだし…。
客が全てこの少年みたいなら、一生お茶くみでもかまわない!と、心の中で拳を握り締めていた。
備え付けのカップに給湯器の紅茶を注ぎ、少年にそっと差し出す。

「ありがとうございます。」

にっこり微笑むその笑顔に、1日の疲れも癒された気分だった。
早々に帰ろうと思っていたが、無理にでも仕事を作って残業でもしようかと本気で考えていた。


程無くして、外勤先から大月が戻ってきた。
戻るなり給湯室へと向いその少年の姿を認めると、大月は気まずそうに声を掛ける。

「すまない、知風君。待たせたね。」
「いえ、こちらこそいきなり来たりしてすいません。」

給湯室の入り口には、事の成り行きを見守る女性社員達の姿。
席が離れているためにその会話を聞き取る事は出来ないが、2人の纏っている雰囲気に惹きつけられていた。

「いや、それはいいんだ。ところで、知風君。私に何か用かい。それとも、困った事でも…?」
「あ、そんなに深刻じゃないんです。ただ、大月さんと話がしたかったんです。」
「私と…?」
「はい。この前図書館で借りた本、返してくれたんですね。ありがとうございます。でも…僕、声をかけて欲しかった、な。
 大月さんと、会うきっかけができたのに。」
「…知風君?」

知風は笑顔だった。
でも、寂しそうだった。
大月は困ったように、眼鏡に手をかける。

「ごめんなさい、僕の我侭です!困らせるつもり、無いんです!…でも…。」
「……あぁ。」

深刻な様子の2人を離れてみている者達にとって、会話が聞き取れない分、想像力だけは逞しくなる。
(なんだかわからないけど、これはおいしい場面かもしれない…。)

「大月さん、僕が今日どうして来たか、わかります?」
「…どうして?」
「…僕の誕生日、2月14日…バレンタインなんです。チョコとか、たくさん貰ったけど…それって誕生日じゃなくて、
 バレンタインだから。」
「先月だったのか…おめでとう。もう、受験生なんだね。知っていたら、何かお祝いでも…。」
「じゃ、今日、してください。僕の、一月遅れの誕生日……。」
「え?」
「これから、お食事して…そうだ!僕、海が見たいです!連れて行ってください!」
「ち、知風君…!」

いつになく強引な知風の勢いに引き込まれそうになるのを、大月は辛うじて思いとどまる。
うろたえる大月の様子をじっと見て、知風はくすくすと笑い出した。

「…冗談ですよ、大月さん。今からなんて、お母さんが心配しちゃう。」
「……冗談が…過ぎるぞ…知風君。」

こめかみを抑えながら、上がり気味の息を整える。
本当に、水支といい知風といい、最近は調子を狂わされてばかりのような気がする。
2人で組んでいるのではと、変に疑ってしまいそうだった。
溜息をつく大月に、知風はためらいがちに告げる。

「でも…今度お休みの日にでも、本当に連れて行ってくれませんか…?」
「…そうだな、それなら、いいだろう…。今日はもう遅い。送って行こう。」
「ありがとうございます。」

軽く首を傾げて、天使が微笑んだ。



END



第6話です。
知風君、お誕生日おめでとう編。
1ヶ月遅れになりますが。
でも、こんなに積極的なちーちゃん…
振り回されてるなぁ、大月氏…(^_^;)

給湯室小話 11011

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