花舞散夜



近隣の名所と呼ばれる桜もその役目を終えてはらはらと花を散らし、主役達は北上しはじめていた。
花を愛でる余裕も無いまま年度始めの慌ただしさをやり過ごし、落ち着いた今となってはもう時期は外れている。
今年も桜はお預けか…。
毎年期待はしてないが、せっかくの風情を感じる事も無いままただ日々を過ごしているだけというのも、虚しい気がした。
そんな時、胸ポケットに入れたままの携帯が震えた。
やれやれ…ゆっくりと時節を感じる間もないか…と、着信も確認せずに出ると、聞こえてきたのはいつもの後輩の声だった。
「先輩、今晩暇ですかっ?」
また、奢らせるつもりだろうか?
思わず溜息がもれたのを、電話口の水支は聞き漏らさなかった。
「あっ、今日は奢らせるつもりはないですよっ!夜桜見物でもしましょう、先輩。
 どうせ忙しくて、見逃したんでしょ?」
「桜…?もう見頃も過ぎてしまっただろう?」
「何故か今年は遅咲きで、今が一番見頃なんです!すっごい穴場ですよ。」
よくよく聞けば、それは江藤家の所有している土地で、古くからその地に根付いている古木の桜らしい。
もちろん、見物する人などは身内ぐらいなもので、荒らされることも無く立派な枝葉を広げているという。
今夜は晴れて、月も綺麗に出ることだろう。
月明かりに浮かぶ桜を眺めるのも、いいものかも知れない。
待ち合わせの時間と場所を決めると、「期待しててくださいね。」と言い残して水支は電話を切った。
それほどに見事な桜なのだろうか?
古桜に思いを馳せつつ、やらなければならない仕事を終わらせるために日常へと戻っていった。


江藤家は古くからの名家で、多くの土地を所有している。
山をまるごと所有しているというのもいくつかあり、今向かっているのもその内の一つだった。
車でかなり登り、それから先は数分ほど歩かなければいけなかったが、そうまでしても見る価値はあるほど、その巨木は見事に 花をほころばせていた。
少し弾んだ息を整える事も忘れるぐらい、一目でそれに心を奪われた。
「…すごい、な…。」
そう言うのが、やっとだった。
しばらくは2人、会話も忘れてただ眺めていた。
惹きつけられるように桜に歩み寄り、その大きな幹にそっと手を触れる。
脈々と大地から汲み上げられる水の流れを、手のひらに感じた。
見上げると、幾重にも繁った枝の間から漏れる月明かりに、小さな桜の一輪一輪が照らし出されてキラキラと光る。
その様子は現実から遠く離れた、別の世界のようにも見える。
隣に並んだ水支が、同じように見上げながらポツリと呟く。
「この桜って、昔から曰くがあるんですよね。」
「…イワク……?」
「えぇ、魔性…っていうんですかね。よく言うじゃないですか…
 桜は、人の精気を糧にして花を咲かせる…
 見事な花を咲かせるほど、その根の元には桜に魅せられた人の屍が埋まっている……。」
一瞬、自分の足元に累々と横たわる屍を見た。
その中に自分の姿を確認して、思わず背筋が震えた。
魅せられた…魅入られた……微かにそよぐ風に震える葉ずれの音が、妖しげな嘲笑に聞こえた。
幹に触れた手を離すことも出来ず、激しい虚脱感に襲われていた。
そのまま崩れ落ちていきそうになるのを察したのか。
水支が、飛び掛るように勢いよく組み付いて、桜から引き剥がした。
そのまま2人とも地面に倒れこむ。
水支は組み付いた状態でしっかりと抱きしめながら、邪を退けるための印を唱える。
「はらいたまい…」
暖かい…淡い光に包まれて、先程までの立っていられない位の虚脱感がウソのように晴れた。
「すいません、先輩!オレが迂闊でした。…先輩、今、かなり疲れてないですか?
 いつもの先輩だったら、このくらいの邪気は簡単に祓えると思ってたものだから……。
 あぁ!こんなことなら、先に結界張っておくんだった……!」
「…だい、じょうぶだ…。私のほうこそ、迂闊だった。
 これほどの邪気を放っていると言うのに、軽率に触れてしまうなんて。」
今、月明かりに照らされて浮かび上がるその姿は、禍々しいまでの邪気を纏っている。
さっきまでそんなものは微塵も感じ取る事は出来なかったのに。
鈴の音が微かに聞こえたような気がした。
それほど風も吹いていないのに、桜の花びらが一斉に辺りに舞った。
「この、感覚は…。」
以前感じた感覚…これは……!
「久しいな、童ども…。相も変わらず、暢気なものだな…。」
「…きつね……。」
「お前…!まだ先輩にまとわり付いてるのか!まさか、これもお前の……!」
水支はきつねとの間に割り入って、身構える。
「まぁ、そういきり立つでない、モリよ…。吾はその桜の末期を見届けに来たまでのこと……。
 わからぬか?最後の霊力でそなた等を呼び寄せた事を…。」
そう言うと、慈しむように桜を見上げる。
桜はそれに答えるように、静かにその枝葉を揺らした。
桜が…私たちを、呼び寄せた……何のために……?
「やはり、わからぬか…。それだからまだまだ童だというのだ。
 この桜は、長きに渡り人の世の邪な念を自身に取り込み、その花と共に散らせ浄化していた。
 だが、いずれ寿命はつきる…。浄化しきれぬ邪な念を、残さず散らせるためには霊力が足りぬ。
 そのために、強大な気を持つそなた等が呼び寄せられたのだ……。」
「では、先程の現象は……。」
それに気付いた時、それまで嘲笑のように聞こえていた葉ずれの音が、悲しげな…苦しげな…悲鳴にも聞こえた。
「そなたの持つ強大な気を汲み入れ、すべてを無に帰し末期を迎える…
 それがこの桜の最後の望み…。そなた等も共に見届けるがいい…この古木の晴れ姿…
 見事な散り際を……。」
静かにたたずむその古木は、月の光を吸収して妖しい光を放つ。
禍々しくまとわりつく邪気を、その光は大きく包み込んだ。
やがて光は収束し、その小さな花一輪一輪を明るく照らした。
その輝く様は、まるで現世のものとは思えないほど、儚く美しい光景だった。
静かな時が流れ、どれほどその光景に見入っていたのだろうか。
地震かと思うような衝撃が起きたかと思うと、大地から吹き上げる風がその桜の花びらを一斉に舞い上げた。
辺り一面に舞い散る花びらは、その古木の上に浮かび上がると光の粒になって一瞬輝きを増し、そのまま弾けて天へと昇っていった。
風が舞う中、桜の歌う涼やかな声が聞こえた気がした。
「見事な…末期であった……。」
きつねの言葉どおり、桜はその最後の時を終えた。
あれほど咲き乱れていた花はすべて散り、後には年老いた老木だけが残された。
幹に手を触れてみても、大地から汲み上げる水の存在は感じられなかった。
「本当に…見事な桜だった……。」
「…先輩?」
「期待通りだったな、江藤…。」
「…そう言ってもらえれば、充分です…けどね。」
水支は納得いかないとでもいうように言葉を濁す。
不審に思い、その先をうながすと……
「オレは、先輩と2人で花見がしたかったんですけど…。」
そう言って水支が指を指す先には、苦笑いするきつねの姿があった。
仮にもこの土地を守護する者に向かって、指を指すなど……。
そんな水支に、やはり奢らされることになるのだな…と、溜息をつきながらもどこか楽しんでいる自分。
今年はいい花見ができた…日々の慌ただしさに多少なりとも疲弊していた体が、暖かな温もりに癒されていた。


END


桜の下には死体がある、って、よく聞く話なんですが。
ちょっと変わった話にしようと思っていたら、こんな話でした。
ありがち?
まほろばならではの話ということで、きつね氏、特別出演です!

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